私が、アメーバブログの世界にやってきて、3年が過ぎようとしています
今年、アメーバでの、いちばん大きな出来事だったと思う事。
それは、ブログ友達のTさんの事です。
Tさんは、ブログに書いた記事について
『人に危害をあたえようとしている』
『脅している』
と、ある人から言われました。
それに関して警察から聴取をうけたのです。
なぜ、そんなことになったのかというと
被害を主張した人が
警察に被害届を出していたから。
Tさんには、未成年の娘さんがいます。
娘さんが、ネット上で、同い年の学生さんとケンカになったことを心配して、Tさんはケンカに口を挟みました。
結局、娘さんは仲良くしてもらっていたグループから離れることになってしまったのですが
その前後に、「親であるTさんが娘さんの問題に口出しする中で、グループの人に対し暴言を吐いた」と、抗議を受けたのです。
「自分のやりかたに、悪い点があった」と思ったTさんは、ブログで、そのことをお詫びしました。
しかし、「謝罪した」とみとめてもらえませんでした。
「リアルに通用する謝罪文を書かなければ、解決しない」と相手の人は、そう主張されたのです。
「口約束なんかでは信用できない」
「二度と言及しないという約束が、法的拘束力のある書類で示されないと、安心できない」
と言われまして…。
そこまで強要されることなのか?と抵抗を感じたTさんが、要求に応じないでいると、相手の人はどこまでも、話し合いを続けることを求めてきました。
折り合いがつかない平行線の話し合いに、正直苦痛を感じたTさんは、相手の人からの連絡を、極力、受けつけないようにしました。
しかし、相手は「正当な目的がある」と思っているため、メッセージを受信拒否されると、べつの手段で話しかけようとします。
それが娘さんのピグのお庭に現れるというかたちになったとき、「娘には何もしないでほしい」という気持ちから、Tさんは、強い言葉を発しました。(ブログにかきました)
その言葉を、相手の人は
「リアルで危害をくわえることを予告している」「おどしている」というふうに受けとり、警察に被害届を出したのです。
半年経過して、Tさんは警察の人から聴取を受けました。
ちょうど、その頃、「未成年者がネット絡みで命をおとす」という重大事件が発生しており、警察の人は、「ネット」「未成年」がからむ事件は、ていねいに調べていこうと考えられたそうです。
警察の捜査は公正、公平なものでした。
Tさんが、なぜ、そういう言葉を発したのか、その背景についても、きちんときいてくださったそうです。
ふつうの市民にとって、警察から聴取をうけるなんてタイヘンなことです。しかし、Tさんから、このときのお話をきいて、わたしは「これでよかったのかもしれない」と思いました。
なぜなら、被害届を出した相手の人は、トラブルのはじめのほうから、ずっと「犯罪レベルでTさんがわるい」「自分は全面的に被害者」と主張されておりましたので…。本気でそうとらえているのなら、こうして警察が介入することで、解決するわけですから。
Tさん本人の言い分を書いたブログは、相手の人から、『捏造』『嘘』といわれてきました。
ブログ読者の私たちは、「捏造ブログを信じた人たち」とか「犯罪の片棒かついだ人」とまで言われました。
このように、Tさんとブログ読者は、この人から、まったく信用されていません。
しかし、警察に対しては信頼があることと思います。
当事者だけで解決は無理だと、警察にたすけを求めたのだから、警察および検察の判断にしたがっていただきたいと思います。
この人が被害届を出した時点で、「ブログは停止するように」と警察は指導されたそうです。
どういうことかと言いますと、
他者のブログの内容が、刑事事件のあつかいになるのかどうかを問う立場で、自分もブログをつかって相手を攻撃すると、「どっちもどっち」になってしまうからだそうです。
そして現在もブログは停止されていますが
「なう」はさかんに発信されています。
「ブログ」と「なう」はどうちがうのでしょうか。
たとえば、「相手をおどしている」といわれたTさんの言葉も、かかれた場所が「なう」だったら、削除すれば、それっきり。
しかし「ブログ」の場合は、たとえ削除してもキャッシュが残り、記事として成立したものであるから、法的に責任を問えるのだということです。
ネット上の発言を「なう」でおこなっている、この方は、「当事者で被害者の自分が正しい情報を発信できる」という考えのもと、Tさんを犯罪者よばわりしています。
私は、この人のことを「ネット上で裁判官の役をしているんだ」というふうに思い、そのことをブログに書きました。
「そんなことは、ありません」と否定なさいました。
裁判官でないのなら、現段階でTさんを犯罪者よばわりは、おかしいです。
この件で、リアル裁判官は判決を出していません。
刑事裁判じたいが開始されていないからです。
検察官が起訴しないと刑事裁判になりません。
起訴するか否か、判断するのは検察官です。
法律は人がつくったものですが、その運用もまた法律の専門家によって慎重におこなわれています。
人々の暮らしの安全を守るために刑事法が存在しているのであり、法律は、けして人をおとしめるための道具ではありません。
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