自分が「発達障害」だなんて認めたくなかったけど

障害のせいじゃない

 

―― 読者の方から反響はありましたか。

 

「私も同じ経験をしました」という声がけっこうあってびっくりしました。中には、私よりもひどいいじめを受けた方もいて。大人になっても覚えているということは、嫌な記憶なんですよね。こんな暗い本は誰も手にとらないと思っていたので、沢山の方に読んでもらえたことに驚きました。

 

 

―― この本では「みんなとは違う、発達障害の私」と、副題がついていて、沖田さんが学習障害、アスペルガー症候群、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の3つの発達障害であることに触れています。

 

小学校3、4年生の時に「学習障害」という診断をもらいました。その当時は「学習障害」といっても、発表されたばかりで、あんまり浸透していなかったんです。「学習障害」=「勉強ができない」という認識でした。

 

勉強ができないだけなのかと思っていたら、大人になってわかったのですがADHDもアスペルガーもあったんです。授業中は大人しくしているんですが、休み時間になったら時間の感覚がわからなくなって、戻ってこないとか。衝動的なところがあって、「問題児」だったようですね。先生は内心「おかしいなぁ」と思いながらも、どうにか私を皆と一緒にしないといけないから、厳しく怒ったり殴るようになっていきました。

 

この本では発達障害について描いているんですが、実は、自分を「発達障害」だと認めることがすごく嫌だったんです。

 

 

―― どうして嫌だったんですか。

 

弟が二人いるんですが、一番下の弟も同じ障害で、それがすごく嫌だった。弟とは似ているところが多くて、声も好き嫌いも一緒、発達障害どうしだからか考えていることも一緒で、相手の思っていることがわかってしまう。そこに嫌悪感がありました。

 

弟は私よりもひどいいじめをうけて、5年生の時に不登校になりました。同級生の子が弟の足に石を落とし、骨折させたのに、先生も笑って見ていたということがあって……。母親が激怒して「こんな学校には行かせない」と学校に乗りこみました。

 

その時、不登校になった弟を見て「休んでもいいんだ」と私はすごく衝撃を受けたんです。そして、弟が憎たらしくなりました。いじめを受けたのがわかった時、弟は親が助けてくれましたが、私は助けてもらえなかった。だから怒りが湧いてきたんです。

 

弟が嫌いだったこともあって、「私は病気じゃない」とずっと思っていたんですよね。こんな変な奴と一緒なわけがない。頑張って学校に行って、社会に出たらこいつよりも幸せになってやるんだと思いました。そうやって頑張って来たんですが、やっぱりうまくいかない部分がありました。

 

 

―― どんなところがうまくいかなかったんですか。

 

一番はじめに看護師の仕事についたのですが、アイコンタクトができないんですよ。アイコンタクトは看護師にとってすごく大事で、患者さんに悟られないように、目線で会話するようなことがよくあります。それがまったくできなくて、目があったら「なんですか」という顔をしてしまうんですよね。患者さんにバレバレです(笑)。でも、みんなは目を合わせただけで、会話が出来るんですよ。なんで、みんなわかるんだろうって。不思議でしたね。

 

それと、指示がわからないこともありました。「あれをしてください」と言われても具体的に言ってくれないとわからないし、「沖田さん」と名前を呼ばれないと、私に言っているのかもわからない。だから、指示を無視していると思われてしまったり。基本的だとされていることができないんです。同業者とはウマが合いませんでしたね。

 

 

―― 発達障害を認めるきっかけはなんだったんでしょうか。

 

東京に来て、ネットをやりはじめた時に、発達障害のコミュニティを見つました。私の症状と一致していると思って、「私だけじゃないのかも」と気付きました。今までは私と弟しかいないと思ってたから驚きましたね。

 

でも、自分が頑固だったから、認めるのに時間がかかって。看護師の仕事をしていたので、国家試験も受かって仕事も好きだし、病気の人を支える立場だったし、健康だし、「障害者」という見た目でもない。これで、「障害」というのは変じゃないかと。

 

うまく行かないのは障害のせいじゃないってずっと言い聞かせてきたんです。そう信じたかった。認めるのが本当にこわかったんです。でも、どこかで「全ての謎が解けた」という思いもありました。今までは血液型がB型だから大雑把なんだと思っていたんですよね。

 

ある日、発達障害コミュニティのオフ会に行った時に少し印象が変わったんですよ。発達障害にもいろんな形があって、お互いにわかり合えることはなくても、一緒にカラオケに行ったりするのがすごく新鮮で。まぁ、会話にならないことの方が多いんですが、とても楽しかったんです。障害だからってビクビクしなくてもいいんだ、変なことを言って相手の怪訝そうな顔を見て悩まなくてもいいんだと思うようになりました。

 

私はずっと、一生懸命仕事をやることが認められるとだと思っていました。「頭が悪いんだから体はいっぱい動かさなきゃ」と考えていたんです。自分の価値を示すために、お金をためることに執着していた時期もありました。常に仕事をしていないと落ち着かなかったんです。働き過ぎて身体を壊すこともありました。疲れて動けなくなったら「私はなんの価値もない人間だ」って思ってしまうんです。

 

でも、頑張らなくても、認めてくれる人が周りにも増えてきて、身体を壊すまで働く必要はないのかもしれないと、少しずつ思うようになっています。一方で、「障害だからできません」とは、言わないでおこうと思ったんです。幅がせばまってしまう気がするんですよね。

 

『ニトロちゃん』で障害について描くことになった時、周りの人からの印象が変わったらどうしようとドキドキしていました。いままでは「エロ雑誌」に下ネタを描くような人だと思われているはずなのに、「障害」という単語を出したことで引いてしまわないかと心配でした。でも、大きな反響をいただいて驚いています。この本は自分の一番隠したかった部分を出したので、そういう意味ではすごく思い入れのある本です。

 

 

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vol.136 「異なる部分」と向き合って

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