■大統領文書まで消える
専門家らは、まず韓国大統領府(青瓦台)に問題があると指摘している。韓国政府発足(1948年)以降の歴代大統領に関する主要な記録も、現在かなりの数が行方不明だ。
あるメディアの調査によると、崔圭夏(チェ・ギュハ)大統領の就任の辞(1979年)、盧泰愚(ノ・テウ)大統領の6・29宣言文(1987年。6・29民主化宣言)、金泳三(キム・ヨンサム)大統領が韓国国民向けに行ったコメ市場開放に関する謝罪文(1993年。金大統領は前年の大統領選でコメ市場開放に反対していたが、就任後に立場を変えたため、謝罪を行った)、通貨危機の発生原因や対策に関する報告書(1997年)などが跡形もなく消えた。
1980年の全斗煥(チョン・ドゥファン)政権発足に関する国家保衛非常対策委員会(国保委)の会議録、三清教育隊(1980-81年に「社会浄化」を名目として、当時の全斗煥政権が韓国軍内部に設置。令状なしでの逮捕、裁判によらない「分類審査」などが行われた)に関する記録、報道機関の統廃合(1980年)に関する報告などもなくなっていた。
外交文書も同様だ。朴正煕(パク・チョンヒ)大統領と米国のリンドン・ジョンソン大統領による共同声明(1967年)、盧泰愚大統領とソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領の首脳会談(1990年)などについても記録が残っていない。
韓国・中央大学の南泳準(ナム・ヨンジュン)教授(文献情報学)は「権威主義政権時代には、大統領府が作成した文書を保存すべきだという考えすらなく、退任時に廃棄するケースが多かった。文書目録もなく、何があったのか、何が消えたのかも分からない」と語った。