和邇同族・小野同族
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2013.5.14 和邇同族・小野同族
また、妹子の孫の毛野(?〜714年)の時代には、藤原京から平城京への遷都があり、平城京の建設には近江から伐り出された大量の木が木津へ運ばれて使われたそうですから、製鉄や窯を続けるには、さらに近江から離れた木の多い場所への移動が必要だったのではないでしょうか。「和邇同族・小野同族」は近江国から山背国へと広がっていったようです。
『古事記』には和邇臣・春日和邇臣・大宅臣・粟田臣・小野臣・柿本臣・壱比葦(櫟井)臣・大坂臣・阿那臣・多紀臣・羽栗臣・知多臣・都怒山(角の山の)臣・伊勢飯高君・壱師臣・近淡海国造の17氏が同族として記されているそうです。
「小野臣」は6世紀の初め頃には妹子が小野の支配者となって「小野」を氏の名としたため、その嫡流の子孫は「小野の○○」を名乗り、彼らが支配を広げていって住んだ場所は、地名が「小野郷」とされたようです。
妹子:近江国滋賀郡和邇村小野(現・大津市小野)
毛人:山城国愛宕(おたぎ)郡小野郷(現・左京区修学院付近・小野神社があり、毛人の墓誌が出土した墓のある所
毛野:山城国宇治郡小野郷(現・山科区小野)・・・これはここが愛宕郡小野郷よりさらに南であることと地名からの推理ですが、小野駅の東に「小野御所ノ内町」の地名がありますから、ここにこの地での毛野の住まいがあったのではないでしょうか(^o^)。
そして、和邇吉師から分かれていった子孫たちは、妹子が居住地の「小野」
を「氏の名」としたのと同じように、それぞれ自分の居住地の地名を自分の
「氏の名」としていったようです。まだ全部調べたわけではありませんが、
上記の和邇同族と記されている人々の「氏の名」が地名にあることが分かっ
てきました\(^o^)/。
和邇臣:大和国添上郡和爾(現、天理市和爾)
春日和邇臣:近江国滋賀郡春日和邇(現・大津市春日和邇)
大宅臣:山城国宇治郡大宅郷。宇治郡小野郷の北側。ここにも御所山・大宅御所田町の地名がありますから、この辺りに大宅臣の住まいがあったのかもしれません。
粟田臣:山城国愛宕郡粟田郷(現・京都市東山区粟田口付近)
柿本臣:現・奈良県天理市檪本町付近 柿本(しほん)寺があった辺り。
壱比葦(櫟井)臣:現・奈良県天理市檪本町
私は関西方面の地名をよく知らないので、今の所ここまでしか分かりませんが、よく調べれば、全ての居住地を特定できそうですね(^o^)。
なお、吉田氏も同族だそうですが、これは京都大学のある吉田山付近のようです。ここには吉田神社がありますから、そこが吉田氏の住まいのあった所なのかもしれません。
小谷城
この山の上にあったようですが、平時にはやっぱり不便な山の上ではなく麓の清水谷に住んでいたようですね。山に登っている時間はないし、戦いにはあまり興味がないので、この資料館と城は外から見ただけでパスすることにしました(^_-)。
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