フミエの父・キチジが大正末期に大阪で経営した江戸前寿司屋は、ミナミの角座の近くにあって、店の名前は『ちんころ』といった。店名を聞いたとき「キチジ、あほか」と思ったが、まあ繁盛させたというのだから何もいえない。
フミエの母・ソノが芸者として出ていたのは、東京の新橋だった。
ソノはキチジより10歳以上、年上だったという。
「今から48年前ヒトシを産んだとき、フミエは36歳だった」と前回書いたが、今から84年前フミエを産んだとき、ソノは41歳だった。フミエがヒトシを産んだのとちがって、ソノは初産ではなかった。ソノはキチジと出会う前に、別の男性との間に娘を産んでいた。ハツエという。
ハツエは子どもの頃から芸者になるべく育てられ、新橋のお座敷に出ていたが、19歳のときに結核で亡くなっている。フミエは療養しているハツエしか憶えていないという。
フミエは、療養所のハツエの面影を「ものすごい美人だった!」と語る。「美人とはこういう人のことをいうのか、と思った。それが私のおねえちゃんだった!」とも語る。キチジのことを「ものすごい美男だった! おとうさんが夜のミナミを歩くと女たちがゾロゾロついてきたらしい!」と嬉しそうに自分の手柄のように語るのと同じように、語る。
美男美女なのはいいが、ハツエとキチジは血がつながっていないわけで「似ていた」という話ではなく、ようするに、なぜかフミエは【種ちがいの、夭逝した姉】と【家にあまり帰ってこない父】のことが、大好きだったのだ。
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