第百三十一章 特効薬
「……ふぅぅ」
部屋のベッドにあおむけになり、深く息を吐き出した。
明日の夜、何をどうやって話すか。
話したとして、仲間たちはどんな反応をするのか。
深く考えるにつれ胃がしくしく痛む気がするので、無理に思考を脇に逸らせた。
思い出したのは、あのイーナの秘密のことだ。
俺がアサシンレイジのことを知っていると言ってズズーンとイーナが落ち込んだところで、すぐにリンゴとミツキがもどってきて、話は中断。
みんなで夕食を食べ、何か聞きたげに耳をぴょこんぴょこんさせるミツキたちに「詳しい話はまた明日」と言い放って、早々に部屋に引き払ってしまった。
「しっかし、アサシンレイジかぁ……」
活人剣アサシンレイジはその効果とインパクトから有名ではあるが、知名度の割に利用者が少ない技としても知られている。
この技の名前が有名なのは主にネットで公開された動画の影響によるもので、実際には利用どころか、この技を修得した者すらそう多くない。
アサシンレイジは忍刀の第13スキル。
習得難度から言えば、天覇を超える。
天覇ですらゲームクリア頃にようやく覚えるかどうかというくらいだったのだから、相当やり込んだプレイヤーでなければ、忍刀をメイン武器にしていても通常プレイでアサシンレイジを覚えることはあまりない。
まあ、その奥義とも言えるようなスキルで敵が回復してしまったので話題を呼んだ面はあるが、アサシンレイジをバグ技利用している人間はほとんどがクリア後、たいまつシショーによって忍刀熟練度を上げたプレイヤーだ。
だがそういう熟練者にとっては、このアサシンレイジのバグ技はちょっとした小技程度の有用性しか持たないことが多かったりする。
ほかの回復手段と比べてこの技が有用な点は、パッと思いつくだけで三つ。
まず第一に、MP消費ではなくスタミナ消費のため、移動中の回復がほぼノーコストで行えること。
第二に、スキル補正値が高く、威力が物理攻撃依存のため、戦士系キャラが使っても充分なHP回復が見込めること。
第三に、忍刀さえ持っていればアイテム取り出しや魔法詠唱なしで即時発動出来るため、緊急性のある事態でも有用なこと、だ。
やはり重要なのは一番目だろう。
スタミナなんてすぐに回復するため、MP枯渇などの問題に頭を悩ませることなく、実質無限にHPが回復出来るということになる。
ヒーラー涙目である。
ただ、終盤になればなるほどポーションなどの回復アイテムは万全であることが多いので、たいまつシショーが手に入る頃には移動中の回復手段としての利点は薄れてしまう。
それに、これで回復出来るのはHPだけだ。
状態異常対策などを考えれば、やはり回復魔法や回復アイテムの存在は重要になる。
逆に欠点として、必ず片手に忍刀を装備しないといけないこと。
遠距離の仲間や複数の仲間を回復出来ないこと。
自分を回復することが出来ないこと、などが挙げられる。
ソロプレイでは役に立つ機会がないのはもちろん、仲間が覚えていても彼らはそれを普通の攻撃技として使う。
むしろ仲間に覚えさせてはいけない技の筆頭と言える。
そんな理由からアサシンレイジは「便利技ではあるが、実際にはあまり使う機会のない半ネタ技」と『猫耳猫』プレイヤーたちに認識されていた。
(だが、序盤からたいまつシショーが手に入るなら話は変わる)
まだ回復魔法や回復アイテムがそろっていない時なら、無限に回復が出来るこの技を使える忍刀使いがパーティに一人いるだけで、継戦能力が飛躍的に上がるだろう。
世界が変わるとまでは言わないが、冒険者の武器構成やパーティ編成が大きく見直される可能性はある。
具体的に何が変わるかと言われると、やっぱりヒーラー涙目、の一言に尽きることになるだろうが。
だが、この一件で一番注目するべきなのは、それをイーナが自力で発見したということだ。
(ほんと、イーナには驚かされるな)
本人は大々的にぶちまけた秘密が不発だったことに意気消沈して沈み込んでしまったが、やっぱりそれは大したことだと思う。
少なくともゲームでは、NPCが自力でバグ技をバグ技として使用することはなかった。
一人で王都にやってきたことといい、ティエルとパーティを組んだことといい、イーナの行動はゲームの時とだいぶ違ってきている。
その差はNPCが本物の人間になっていることに起因するのだろう。
推定ではあるが、ゲーム開始時、つまり俺がこの世界にやってきた時は、この世界は一番『猫耳猫』のゲームと近かったのだと思う。
イーナはソロだったし、ミツキは人助けをして世界を回っていて、リンゴはまだシェルミア王女をやっていて、全てのキャラクターがゲーム通りの場所にいて、ゲーム通りの能力と考えを持っていたはずだ。
それがNPCの人間化をはじめとした多くの差異によって、少しずつ状況を変えてきたのだ。
そしてこれから、その傾向はさらに強まってくるだろう。
アサシンレイジ以外にも、隠身のエフェクト防御や不知火などのバグ武器のような単純なバグ技は、これからもどんどんNPCたちに、いや、この世界の人間たちによって発見されていくだろう。
もちろん、アクセサリーの超過装備やキャンセルなどシステム的なものが関わってくるものはその限りではないだろうが、この話はバグ技に限ったものではない。
ゲームでは漫然と戦っていたNPCたちだが、現実化されたこの世界の彼らなら、もっと効率的な狩りのやり方を模索し、自分で戦術を考えたりして、ゲームプレイヤーさながらにこの世界を攻略していく可能性もある。
もしそうなれば、ゲーム世界よりも人間優位な世界を作ることも可能かもしれない。
そしてこの世界の世界滅亡の主な理由、魔王と粘菌には既に対処済みだ。
だとしたら……。
(もう俺が躍起になって頑張る必要も、ないのかもな)
肩の荷が下りたような、ちょっとさびしいような、そんな不思議な気分になる。
いくつか発生したら危ないイベントは残っているものの、そろそろ俺も自分たちのことを考えてもいい頃かもしれない。
明日、仲間たちに全てを話して、そうしたら元の世界にもどる方法について、もう一度真剣に考えてみよう。
俺がそんな結論に至った時だった。
――コン、コン。
控えめなノックの音が、部屋に響いた。
「どうぞ」
俺の声に少し遅れ、ドアが開く。
そこから覗いたのは、透き通るような水色だった。
「リンゴ? どうかしたのか?」
ミツキが屋敷に住むようになって以来、俺とリンゴは別々の部屋で暮らしている。
夜にリンゴが俺の部屋を訪ねてくることは、今までなかったのだが……。
「…ソーマ」
リンゴは俺の傍までとたとたと駆け寄ってくると、そこで部屋を見回した。
「…くまさん、しらない?」
どうも、くまを探しているらしい。
確かに俺の部屋にくまが来ることはよくあるから、ここに来たのは間違いではないが、
「いや、悪いけど見てないな」
くまは屋敷の中では一段と好き勝手に振る舞っている。
あいつはこの奇々怪々な屋敷の全てをしっかり把握してるようだし、何しろ屋敷のおかしな奴らが全員くまの命令に従うのだ。
屋敷の中でくまを見つけるのは、至難の業と言える。
「何か用事なのか? なんだったら俺も手伝って……」
俺は言いかけたが、リンゴはその前に首を振った。
「…いい。きになっただけ、だから」
大した用事はないと言いたいらしい。
しかし、こんな夜中に急にくまを探すというのは、どういう状況だろうか。
俺がじっと見ていると、リンゴはわずかに目をそらした。
「…ちょっと、ねむれなくて」
そう話すリンゴには、確かにどことなく元気がないように見える。
「もしかして、体調でも悪いのか?」
俺が身体を起こしてリンゴの顔をのぞき込むと、リンゴは一歩下がった。
「…だ、だいじょうぶ」
だが、口調とは裏腹にその姿には動揺が見られる。
これでは嘘だと告白しているようなものだ。
「別に怒ったりしないから、正直に言ってくれ」
リンゴの目を見て、そう訴える。
リンゴは最後まで俺と目を合わせようとはしなかったが、俺があきらめずにずっと凝視を続けると、やがて観念したように口を開いた。
「…すこし、だけ」
「うん?」
小さな小さな声で、告白する。
「…すこしだけ、いきが、くるしい」
「息が…?」
眉をひそめた俺に、リンゴは言葉を選んで答えた。
「…むねが、ふさがれてる、かんじ」
呼吸器系、だろうか。
俺に医学的な知識は皆無だし、そもそも現代の医学がこの世界で通用するかも分からない。
ただ、単純に物理的な怪我、というより嫌な感じがした。
「それっていつからだ?」
「ん。……きょう、まちに、もどってから」
魔王を倒した後、ということになるか。
激しい戦闘をした訳でもないし、原因が思い当たらない。
「回復薬は? 飲んだのか?」
その俺の問いかけには、リンゴは首を横に振って答えた。
「…たいしたことない、から」
病院に行きたくない子供の言い訳みたいだった。
リンゴはそんなことを言うが、この世界では寝不足も筋肉痛も二日酔いもHP回復薬で治るという不思議仕様がある。
調子が悪いなら、とりあえずポーションを飲んでおけば間違いはない。
「ちょ、ちょっと待ってろ」
俺はあわててリンゴをベッドに座らせると、ポーチから目についたポーションを引っ張り出し、それをリンゴに渡そうとした。
だが、リンゴはもう一度首を振って拒否しようとする。
「…だめ。もったいない」
「もったいなくないって!」
月並みな言い方をするが、ポーションよりもリンゴの身体の方がずっと大切だ。
少し乱暴にリンゴの手を取って、そこに取り出したポーションを握らせる。
「いいから。俺のためだと思って飲んでくれ」
俺が頼むと、リンゴは渋々とポーションの瓶を口元に運んだ。
容器を両手で持ち上げて、ちびちびと飲み始める。
瓶の中身が少しずつ減っていくのをじっと眺めていたが、リンゴがちらちらと俺の様子をうかがっているのを見て、手持ち無沙汰にしているのもどうかと思い直す。
「ほら、背中、さすっといてやるから」
そう予告して、リンゴの背中に手を伸ばす。
リンゴは背中に手が触れた瞬間は身体をぴくっと跳ねさせたが、俺の手が背中をなでても嫌がりはしなかった。
出来るだけ優しく背中をさすりながら、細くて白い喉がコク、コクと小さく上下するのを見守る。
「……どうだ?」
容器が空になったのを確認して、尋ねる。
これで効果がないとしたら、次は状態異常回復アイテムを試して、それでも駄目なら治療院に行くことも考えないといけない。
いや、万一の場合にはそこからネクタルを取りにダンジョンに……。
「…なおっ、た」
だが、俺の心配は杞憂だったようだ。
リンゴは目をぱちくりとさせながら、不思議そうに自分の胸をさすっていた。
「そっか。よかった……」
その言葉に、俺も胸をなでおろした。
ポーションさんマジ万能薬!
リンゴはそれからもしばらく首をひねっていたが、
「どうする? しばらくここで休んでいくか?」
と俺が尋ねると首を振って、立ち上がった。
「…ソーマ、ありがと」
端的にそれだけを言って、部屋を出て行こうとする。
俺はあわててその腕をつかんだ。
「…ソーマ?」
リンゴが目を見開いているが、これだけは言っておかなくてはいけない。
「いいか、リンゴ。今度、何か身体に不調を感じたらすぐに言うんだぞ」
「…ん」
分かっているのか分かっていないのか、リンゴが軽くうなずく。
俺はさらに念押しした。
「余計な心配かけたくないと思ってるかもしれないが、そういうのを黙っていられる方が、よっぽど心配なんだからな」
俺が真剣な目をして言うと、リンゴはしばらくして頭を下げた。
「…ごめん、なさい」
「あ、いや。分かってくれれば、いいんだよ」
予想外に素直な謝罪に完全に勢いを殺されて、俺は手を離した。
リンゴはすぐに俺の手をすり抜けるように動いて、廊下に出た。
「…おやすみ」
「ああ、おやすみ」
そこで就寝のあいさつを交わして、しかしリンゴはそこから動かなかった。
戸口の前で固まったまま、何事か逡巡しているように見える。
「リンゴ?」
俺が問いかけると、リンゴはかぼそい声で、
「…ま、またあした」
とつぶやいて、俺に向かって小さく手を振った。
そして、俺が反応する前に、焦ったように扉が閉められる。
俺はしばらくその扉をぼうっと見ていたが、
(やっぱり、リンゴもずいぶん変わったよな……)
やがて我に返った俺は、そんな感慨を抱いた。
初めて会った時は人形王女というあだ名そのもののように見えたリンゴだが、最近はずいぶんと感情を表に出すようになったし、いい意味で隙が出来たように思う。
不調の件だけは少し心配だが、しばらく無理をさせないようにして様子を見よう。
リンゴのおかげで、俺も安らかに眠れそうだ。
とりあえず、リンゴが置いていったポーションの容器を片付けようとして、
「あ……」
自分の勘違いに気付いた。
「これ、MP回復薬だ……」
あわててポーチから出したため、HP回復薬と間違えてしまったらしい。
MP回復薬に体調を治す効果なんてないはずなのだが……。
「侮れないな、プラシーボさん」
本当の万能薬は思い込みなのかもしれない。
人体の不思議に思いを馳せながら、俺は眠りについたのだった……。
……で、綺麗に一日が終わるはずだったのだが。
――コン、コン。
ちょうど布団をかぶったところで、ふたたび俺の部屋のドアがノックされた。
もしかして、リンゴがもどってきたのだろうか。
「どうぞ」
声をかけたが、なかなか扉が開く気配がない。
(誰かの悪戯、か?)
この屋敷に限っては、そういう人材には事欠かない。
いや、人材と言うか人外ではあるのだが。
「めんどくさいな」
思わずそんなつぶやきが漏れるが、確かめない訳にもいかない。
俺はベッドから立ち上がると、乱暴にドアノブを引いた。
「ひゃっ!」
聞こえた悲鳴に目線を下げると、そこには、
「――お前は何をやってるんだ?」
大きめのクッションを抱えたイーナが、目を丸くしてこちらを見上げていたのだった。
イーナの話がやたら長くなったので分割
こういう話はいつまで経っても書き慣れない……
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