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「江沢民国際手配」スペイン司法当局の意図は何か

フォーサイト 11月21日(木)14時41分配信

 自国とは異なる国で起きた犯罪をあえて訴追する「普遍的管轄権」を、以前フォーサイトで紹介したことがある(2013年10月21日「国家に縛られず犯罪を裁く『普遍的管轄権』とは――マドリードを訪ねて」)。

 通常の裁判管轄権は国境に縛られるが、国際秩序を揺るがす恐れのあるジェノサイド(大虐殺)や「人道に対する罪」の場合、独裁者や国家機関が罪を免れないためにも、当事国以外の国が罪を問える、との考え方である。1990年代後半から2000年代にかけてスペインの予審判事バルタサル・ガルソン氏がこの制度を利用し、チリの独裁者ピノチェト元大統領やアルゼンチンの独裁政権幹部を次々と訴追して、大きな反響を呼んだ。

 しかし、訴追のたびにわき起こる当事国からの猛反発に手を焼いたスペイン政府は、根拠となってきた司法権組織法を2009年に改正し、司法当局の権限を縮小。起きた国や関係者の国籍にかかわらず訴追する権限を司法当局に与えていた制度を改め、訴追の範囲を「スペイン国民が被害者となるか、被告人が国内にいる場合」などと限定した。ガルソン予審判事も2010年に解任され、多くの人が「スペインの普遍的管轄権は死んだ」と受け止めていた。

 それだけに、今月19日に突然流れた情報に関係者らは驚いただろう。中国のチベット自治区で80年代から90年代にかけてジェノサイドにかかわったとして、中国の江沢民元国家主席、李鵬元首相ら5人が突然、スペイン司法当局によって国際手配されたのである。死んだどころか、普遍的管轄権の大復活だ。

 もちろん、中国側はカンカンである。外交摩擦が必至で、スペイン政府も困惑しているだろう。なのに、なぜ司法当局は、手配に踏み切ったのか。

 マドリードの日刊紙エルパイスなどによると、手配されたのは江沢民、李鵬両氏のほか、治安当局の元責任者、チベット自治区の元共産党幹部、80年代の中国の閣僚の1人。全国的、国際的な犯罪の捜査に当たる全国管区裁判所がこの日、5人を勾留するための捜索を命じる勾引勾留状を発行した。国際刑事警察機構(インターポール)を通じて中国側に伝達されるとみられる。

■「政治的パフォーマンス」との批判も

 そもそもは、スペインのチベット支援団体などが2006年、全国管区裁判所に5人を告訴したことに始まる。通常だと2009年の法改正によって告訴も無効となるはずだが、告訴人の中にスペイン国籍を持つチベット人が1人いたことから、「スペイン国民が被害者」の要件を満たして生き残ったのである。

 担当の予審判事はイスマエル・モレノ氏。モレノ予審判事はガルソン氏と同様に普遍的管轄権の適用に積極的な1人だったが、証拠調べの結果、今年5月に「5人がジェノサイドにかかわったとは結論できない」として、訴追しない方針を表明した。それが一転、国際手配となったのは、全国管区裁判所の刑事法廷がモレノ予審判事の結論を覆し、手配を命じたからだった。

 北京からの報道によると、中国は強い不快感を表明し、中国の立場を尊重するようスペインに要求した。スペイン側は司法の独立を説明するとみられるが、中国側は聞き入れないだろう。

 スペインが中国指導者を訴追するのは、今回が初めてではない。2008年3月に起きたチベット自治区の騒乱に関する市民団体からの告訴を受けて、全国管区裁判所のサンティアゴ・ペドラス予審判事が同じ年の8月、当時の梁光烈国防相や政府高官、軍人ら計7人に対して「人道に対する罪」で捜査に乗り出した。この時も中国は猛烈な反応を示し、スペインと中国の関係が一気に悪化した。

 今回も、中国が江沢民氏らの引き渡しに応じる可能性は全くない。それは、刑事法廷も十分わかっているはずだ。

 以前から、普遍的管轄権の行使については「政治的パフォーマンスに過ぎる」との批判がくすぶっていた。2000年代にスペインが試みた訴追相手は、先の中国指導者らのほか、ガザ攻撃に関するイスラエル政府とか、グアンタナモ収容所での違法尋問に関する米ブッシュ前政権の高官とか、いずれも実現性に乏しい相手ばかり。しかも、いずれも先方から猛反発を受けた。

 同様の傾向は、スペインの司法権組織法に似るベルギーの人道法の場合にもあった。90年代末から2000年代初めにかけて、ベルギー司法当局が人道法に基づいて受理した告訴の相手は、湾岸戦争に関するブッシュ米元大統領(父)だの、ベイルートのパレスチナ難民キャンプでの虐殺に関するイスラエルのシャロン首相だの、逮捕も拘束もできるはずのない人物だった。こちらも外交的な圧力を受け、スペインと同様に法律を改正せざるを得ない状況に追い込まれた。

 今回のスペインの試みにも、やはりパフォーマンス性が感じられる。本来、司法は淡々としたものであり、だからこそ市民の信頼を得るところがある。声高に主張を打ち上げるような今回の行為が、逆に信頼性を揺るがすことにならないか。他人事ながら心配になる。

■司法の政治的役割

 一方で、その問いかけるものは、それなりに重い。2008年にチベット自治区で起きた騒乱は、中国の人権状況の貧しさを私たちに改めて意識させた。こんな調子で五輪を開けるのか、との懸念さえ持った人が少なくなかった。なのに、五輪が成功すると私たちはチベットのことなど忘れ、急速に発言力を増した中国に国際社会でそれなりの地位を与えてしまったのである。今回の国際手配で我に返らされたように感じるのは、私だけではないだろう。

 司法はある意味で政治の一部であり、国際社会ではことさらその傾向が強い。司法の政治的役割は、何より「正義」を世に示すことだ。この世の中でいつも正義が通用するわけではないが、正義が全く掲げられないと、損得ばかりが横行する。その意味で、スペイン司法当局の試みを、自己顕示のパフォーマンスとだけ受け止めるのは正しくないだろう。

 ただ、スペインと中国との関係が今後どうなるか。読めない部分は少なくない。


ジャーナリスト・国末憲人



Foresight(フォーサイト)|国際情報サイト
http://www.fsight.jp/

最終更新:11月21日(木)14時53分

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