第百章 恐怖を統べるモノ
「そーま!」
嬉しそうに、メイド服姿の女性が俺の名を呼ぶ。
真希との再会を手引きしてくれると思われたメイドは、変装した俺の従妹の真希だった。
その真希を何とか引きはがし、リンゴやミツキの疑惑の眼差しを躱しつつ、とりあえず俺はこの街で唯一人の目を気にしなくてもいい場所、つまり、騎士団の撤退した猫耳屋敷を目指した……のだが、
「これはひどい……」
ようやくたどり着いた屋敷の中には、目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。
騎士団と屋敷の仕掛けたちの戦いの結果か、地面には物が散乱し、塗装が剥がれ、おまけに一階と二階の仕掛け部屋にいたと思われるおかしな生き物や人形なんかが一階のロビーにまであふれていた。
騎士団が開放してしまった奴らが騎士団の撤退に合わせてここまで押し寄せてきたのだろう。
涸れた噴水と泉を備えたそのロビーは、もはや魑魅魍魎どもの遊び場、といった様相を呈していた。
しかも、
「うわ……」
そいつらは俺たちが屋敷に入った途端、一斉にこっちを見た。
これはかなり怖い。
襲ってこられてもミツキがいれば何とでもなるとは思うが、くまのことを思うと全滅させてしまうのもしのびない。
「これ、どうしたもんかなぁ……」
俺が、思わず途方にくれた時だった。
魑魅魍魎と俺たちとの間に、敢然と立ち塞がる小さな影を見た。
――くまである。
くまがピッと手を上げると、今まで騒いでいた人形たちが急に動きを止め、あわてて整列し始めた。
さらにくまが手を振り下ろすと、彼らは一斉に動き出し、屋敷の片づけを始める。
「え? なにこれ…?」
驚く俺たちに、くまはニタァと笑うと、自らも屋敷の掃除に加わり始めた。
突然すぎる展開に、理解が追いつかない。
くまは確かにここのキャラクターだが、単なる部屋のギミックの一つ。
間違ってもここのリーダーという訳ではなかったはずだ。
俺がしきりに首をひねっていると、ミツキが猫耳の片方を思案するように折り曲げながら言った。
「推測ですが……。
外でレベルが上がった為に、屋敷内での序列が最高位になったのではないでしょうか」
「あー」
そういえば、くまはアイテムを使って粘菌を倒したり、脇差を使って牛をいじめたり、金剛徹しのスキルでウォーターエレメントを倒したりしていた。
まあ、レベルは上がっていてもおかしくはない。
問題は高レベルなキャラに屋敷の連中が従うように出来ているのかとか、なんか意思疎通出来てるみたいだけどこいつらどんだけ頭いいのか、とかって話だ。
『猫耳猫』にも人語がしゃべれる猫や鳥や馬、それに猫耳犬などもいたにはいたが、それは特別なイベントで出て来るモンスターか、遭遇すること自体困難な高レベルなユニークモンスターであって、そこらにあふれているような存在じゃなかった。
というかくまのぬいぐるみとか人形とか、明らかな無生物に知能があるのはどういう仕組みなんだろうか。
その辺りを真面目に突き詰めていくと頭が痛くなりそうだが、
「ま、便利だからいいか」
俺は面倒になって思考を放棄した。
どうせ『猫耳猫』でまともな設定を用意していたはずもないし、その世界をさらにアバウトに再現したこの世界では、そのくらいのことに目くじらを立ててはいられない。
そんな風に自分を納得させたところで、俺は真希と二人で話をさせてもらうことにした。
いくら変装がバレていないとはいえ、王女が長い時間勝手に外に出ていたらきっと話題になるだろう。
この上さらに王女誘拐犯として騎士団に追われるなんてことは勘弁してもらいたい。
話し合いは、出来るだけすぐに終わらせる必要があった。
若干不服そうなリンゴやミツキには席を外してもらって、二人きりで向き合った。
顔を見ながら、あらためて再会の言葉をかける。
「その、久しぶり、真希」
「う、うん」
しばらく会っていなかったせいか、言葉は不思議とぎこちなくなってしまう。
「ま、まあ、元気そうでよかったよ」
「それは、そーまの方だよ。
そーまが無事で、ほんとーに安心した」
何だかぎくしゃくとした会話が続く。
俺だけではなく、どうやら真希も緊張しているようだった。
真希相手にこんなことは初めてで、どうにも調子が狂う。
「じゃあ、とにかく状況の整理をするか?
もう分かってると思うけど、俺たちは……」
とにかく無理矢理にでも話を進めてしまおうと、そう切り出したが、
「う、そーま、ちょっと待って」
真希が俺を制止した。
そしてしばらく、あーとか、うーとかうなっていたが、やがて覚悟を決めたようにうなずくと、
「そーま、ごめんなさい!」
大きな声で頭を下げた。
下げたというか、地面につけた。
一言で言うと土下座である。
「ちょ、おい、真希?」
なんというか、少なくとも女の子の謝り方ではない。
俺もまさか、異世界まで来て女の子に土下座される経験をするとは思わなかった。
地面に頭をこすりつけたまま、真希が言う。
「ほんとうに、ごめんね、そーま。
わたしが、ゲームの世界に行っちゃえなんて言ったから……。
でも、こんなことになるなんて、わたしも、ぜんぜん……」
真希は泣きながらそう謝るが、この事態を想定出来ていたら、それはむしろちょっと危ない人だろう。
「別に、俺は真希が悪いなんて思ってないよ」
俺がこの世界に飛ばされた原因を作ったのは、確かに真希だ。
だけど、俺はそのことで真希を恨んだりはしていない。
まさかあの倉庫に眠っていた小槌が本当に願いを叶えるなんて、誰にも予測出来なかった。
だから……。
「あれは事故だったんだって、納得してる。
……それに、さ」
「それに…?」
俺に無理矢理に顔を上げさせられ、潤んだ目でこっちを見る真希に、俺は言ってやった。
「俺、こっちの世界も結構、楽しんでるから。
むしろ真希には、ちょっと感謝してたりして」
それを聞いた真希は、一瞬きょとんとして、それからその顔がくしゃっと歪んで……。
「そーま、の、ば、かぁ…!」
涙声で言った真希の手が、力なく俺の胸を叩く。
何度も何度も、なでるような弱い打撃が、俺の胸を打った。
「そーまは、ほんとにバカ」
言いながら、泣き顔を隠すようにしがみついてくる真希を、俺は静かに受け止めて、
「……だけど、無事でほんとによかった」
そう言って震える肩を、あやすようにぽんぽんと叩く。
彼女が泣き止むまで、ずっとそうしていた。
結局泣きじゃくる真希を立ち直らせるのにずいぶんとかかり、数分を経てどうにか会話が出来るまでに回復した。
「な、なんかごめんね。
謝ってるのはこっちのはずなのに、よけーに手間かけちゃったみたいで」
照れ笑いをする真希には、ようやくいつもの調子がもどってきているようだった。
やはりこのゆるーい感じが、真希の持ち味だろう。
やっと俺は安心して、真希にこれまでのこと、現在の状況などを話した。
俺が『猫耳猫』、『New Communicate Online』そっくりの世界に入ってしまったこと。
ゲームの知識を駆使して何とか王都に辿り着き、たくさんのイベントをこなしたこと。
それから、真希が短冊の願いでこの国の王女と入れ替わったことなども。
「えー? じゃあ、さっきの髪の青い女の子が、本物の王女様?」
「ん? まあ、そうなるかな」
ただ、リンゴはもう、『リンゴ』として、一つの個性を確立してしまっているように思う。
彼女と『シェルミア王女』はもはや別人だし、そうあって欲しいという心の動きが俺の中にはあった。
「まあその入れ替わり自体証拠は何もないし、確定ではないんだけど……」
と俺が言いかけると、
「あ、わたし、その短冊持ってるよー」
真希はエプロンドレスのポケットから短冊を取り出すと、それを俺に見せた。
現物を見たのは今日が初めてだが、確かに『お姫様になりたい』と書かれている。
「それ、本物か!? じゃあ、それに願いを書けば、また一年後に……」
俺は思わず身を乗り出して短冊を手に取ろうとしたが、真希にその手を躱され、
「んー。ダメみたいだよ。
こっちの世界に来てから、なにも書き込めなくなっちゃった」
あっさりと望みを潰された。
話を聞いてみると、願いを叶えた後の短冊は、ゲーム的に言う『破壊不可能オブジェクト』のような状態で、新しく文字を書くことも不可能になっているらしい。
流石にこれほど便利なアイテム、再使用は不可能にしているということか。
「しかし……そもそも、真希がこの世界に来たことだって謎だよな。
姫になりたいって願いを叶えるだけなら、現実世界、向こうの世界で王女にすればよかったんだ。
どうしてわざわざ、真希までこの世界に飛ばされる必要があったんだ?」
浮かんだ疑問に首をひねると、
「そ、それは、べつにいいんじゃないかなー。
たぶん、こっちの世界の方ができたばっかりだし、お姫様にさせやすかったんだと思うなー」
白々しい口調で真希が言う。
こいつ、何か知ってそうだなとは思ったが、それを追及する前に、真希が勢い込んで言う。
「それに、わたしはそーまのいる世界に来れてよかったよー!
そーまが消えて、ずーっと心配してたんだよ」
俺との電話の後、真希は音信不通になった俺を心配して、わざわざ俺の部屋まで訪ねてきたらしい。
そこで、誰もいなくなった部屋と、ちょうど電話が切れた時刻に接続が切れているVRマシンを見て初めて、俺が本当にゲームの世界に飛ばされたのではないかという疑いを持ったそうだ。
「その時からずっと、そーまのこと助けに行かなきゃって思ってたから、ちょうどよかったよー」
軽く言ってのけるが、見知らぬ世界に放り出されて『ちょうどよかった』と言える人間は希少だろう。
真希は真希なりに俺に対して責任を感じていたのが分かって、ちょっとだけ嬉しくなる。
「というか、俺を助けにって言うけど、確か魔物の襲撃の時、真希の方が俺に『助けにきてくれたの?』とか言ってなかったっけ?」
照れ隠しにそう指摘してやると、真希は真っ赤になった。
「そ、それは……。
だ、だって、お姫様って助けにきてもらうものだし……」
「そういう問題なのか?」
ちょっと理解の出来ない理屈だ。
「と、とにかく、すごく心配してたの!
部屋とか、ものすごーいことになってたし、これは何か起こったなって言うか……」
「ま、待った! 部屋がどうしたって?」
今、割と聞き逃せない単語を聞いた気がする。
俺がそこを尋ねると、真希は決まり悪げに顔を逸らした。
「あ、その、ね。
……ううん、やっぱりやめよう?
聞いたらたぶん、後悔するから」
「いや、聞かないとますます気になるから!
いいから話してくれって!」
俺がそう言っても真希はなおも渋っていたが、さらに強く頼み込むと、
「分かったよ。そーまが、そこまで言うなら……」
俺の熱意に負け、とうとう話し出した。
それを聞いて、俺は、
「あのね。そーまは夏場なのに、台所に食べ物だしっぱにしてたでしょ。
わたしが流しの横に何か黒い物が置かれてるなーと思って近付いてみたら……」
「ぎゃああああ!!」
「何かなって思ったら、そこから緑色のねばねばした糸が……」
「ひぃいいいい!!」
「なんかね、カサカサ、カサカサって、変な音が……」
「うわぁああああ!!」
もちろん後悔しました。
どうしよう。
もう俺、あの部屋にもどれないよ……。
俺の部屋のモンスターの話が一段落ついて、
「……あれ? 俺たち、一体何の話をしてたんだっけ?」
「そーまがすっごく心配だったって話だよー!
どーしてそこを忘れちゃうの?」
俺たちはようやく本題にもどってきた。
真希が俺の部屋でしていたことは、台所のモンスター退治だけではなかったらしい。
「じつは、そーまがいなくなってから、わたしもその、にゅ、『にゅうこみにけいとおんらいん?』、やってみたんだ。
ほら、もしかするとこのゲームの中にそーまがいるかなー、って思って」
「え、お前、あれをやったのか?」
俺は意外の念に打たれ、反射的に聞き返した。
真希は俺とは違ってアウトドア派で、どちらかと言えば機械音痴。
VRのゲームなんて間違ってもしない奴だったはずだ。
その真希が俺のために『猫耳猫』をプレイしてくれたとなれば嬉しい気持ちもあるが、人生初のVRゲームが『猫耳猫』っていうのは正直どうなのかなとも思ってしまう。
そんな俺の心を知って知らずか、真希はとつとつと語る。
「うん。ほんとーに、とんでもないゲームだったよ。
ゲームは人間性を破壊するって言ってたけど、そのとおりだと思った」
何か恐ろしい物を思い出すように、戦慄した様子で話し出す。
「やっぱり、その、難しかったのか?」
「難しい、なんて次元の話じゃないよ。
あれは、あれは悪魔のゲームだよ!!」
まさか真希すら怯えさせるとは、『猫耳猫』恐るべし。
――この時は、まだそう思っていた。
だが、俺は数分後、自らの意見を180度変えることになる。
「だってね……」
そして、ゲーム音痴の従妹による、いまだかつてない『猫耳猫』の話が今、語られる。
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