ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
第九十四章 開戦
「見えましたね」

 俺たちが魔物の群れを見つけたのは、まさに王都が見える直前だった。

「すごいな、これは……」

 ゲームで見た時にもそう思ったが、やはり本物は迫力が違う。
 群れに近付くだけで、こっちに迫ってきている訳でもないのにとてつもない圧力を感じる。
 地鳴りの音が肌に響いて、本能的な恐怖を呼び起こされる。

「この位置からでは正確には分かりませんが、地上部隊だけで千は確実に越えていますね」
「……みたいだな」

 ただ、プラスの材料もある。
 視力のいいミツキが確かめたところによると、幸いなことに敵の主力は低レベルモンスターのようだ。

 群れの中で一番多いのは、レベル95のレッドキャップエリートと、レベル110のブラックオークだそうだ。
 ゲームでもそうだったので、これはおそらく間違いのない情報だと考えていい。

 しかしその中、数十匹に一匹くらいの割合で、レベル150程度の高レベルモンスターが混ざっているらしいので、油断は出来ない。
 たとえ強いモンスターが全体の5%程度だったとしても、敵が1000匹いれば50匹は強力なモンスターがいるという計算になる。

「貴方の予測の通り、敵は四つに分かれているようです」
「やっぱりか」

 言いながらも、俺は少し安心した。
 少なくともゲームで見た時は、襲撃してくる敵の群れはその足の速さや性質によって自然と何層かに分かれていた。
 その集団は、大きく分けて四つ。

 小柄な四足獣や小人などの足の速いモンスターが集まった先遣隊。
 その後ろの普通の人型モンスターや大型モンスターが所属する主力部隊。
 それら最後尾につける、魔法や光線なんかを放つモンスターが集まった遠距離攻撃部隊。
 その三隊の頭上に集まる、鳥や霊などの空を飛べるモンスターたち飛行部隊。

 特に先遣隊と主力の間には大きな開きがあって、敵集団の先頭が街に着いてから、主力部隊が押し寄せるまで、それなりのタイムラグがある。
 あった……はずだ、ゲームでは。

 そうでなくても、どの道俺たちに全軍を相手取る力はない。
 だから、

「手筈の通り、先遣隊はそのまま街の防衛部隊に任せる。
 先遣隊と防衛部隊がぶつかったら、リンゴはこの近くの高台から飛行部隊を牽制、魔法に強いミツキが遠距離攻撃部隊を潰して、そして……」

 覚悟を決めるように、大きく息を吸って、

「俺が、主力部隊を引きつける」

 あらためてそう、宣言した。


 これが、少ない人数で戦況に最大の影響を与えられる一番の作戦だろう。
 三人で敵の半分以上を相手にしようと言うのだから無謀極まりないが、このくらいしないとこのイベントは乗り切れない。

「…やっぱり、わたしははんたい」

 だが、この期におよんでまだリンゴはそんなことを言う。

「リンゴ、何度も説明しただろ。
 空を攻撃出来るのはリンゴだけ、魔法使いを相手に出来るのもミツキだけだ。
 本隊の動きを止めるには、俺が動くしかない」
「……でも」

 まだ納得していない様子のリンゴに、最後の説得をする。

「あの数の敵を相手に防衛戦をするのは無理があるんだ。
 だが後ろに街を背負っていない俺なら、先制攻撃をして逃げ回るだけで、うまくすれば敵の何割かを足止め出来る。
 街を守るために、必要なことなんだよ、これは」
「それでも、わたし、は……」

 それでもリンゴは何かを言いかけたが、唇をぐっと噛んで耐えたようだった。

「……行きましょう。
 早く向かわないと、戦いが始まってしまいます。
 リンゴさんも、早く持ち場に向かって下さい」

 話が終わったと見て取ったミツキが、俺を引っ張る。

「あ、いや、リンゴに、まだ……」
「リンゴさん。貴方がここに配置された事には意味があります。
 貴方には、私達の退路を確保しておいて欲しいのです」

 俺を無視して、ミツキは一方的にリンゴに言葉を浴びせる。

「安全な撤退先があるかどうかが逃亡の成否を決めます。
 私達が逃げようと思った時、貴方がその場所を堅守出来ているかは重要です。
 それは貴方が、私達の最後の砦になるという事です」
「わたしが…?」

 驚いたように聞き返すリンゴに、ミツキは最後の念押しをした。

「お任せして、構いませんね」
「…わかった」

 ミツキとリンゴはお互いにうなずくと、すぐに動き出した。
 リンゴはすぐ近くの空を狙えるポイントへ。
 ミツキは俺を引きずって、戦場の方へと走り出す。

「やめろって、ミツキ!」

 その手を払って神速キャンセルでミツキに併走しながら、俺は文句を言った。

「なんてこと言うんだよ。あれじゃあ……」
「自分達が負けた時、リンゴさんが逃げられない、ですか?」

 言おうとした言葉を先に言い当てられて、俺は目を見開いた。

「何を言っても、どうせ彼女は逃げないでしょう。
 それどころか、貴方が危なくなったと思ったら一人で戦場に向かう危険性だってあります。
 でしたらせめて、あの場所から動かないようにした方が無難です」
「お前……」

 確かにあんな風に言われたら、リンゴは何が何でもあの場所を守ろうとするだろう。
 しかし、ミツキがそんなことを考えるとは、いや、考えられるとは思ってもみなかった。
 俺の視線に、ミツキは猫耳を心外そうにぴくんと動かした。

「私にだって、貴方が心配だという彼女の気持ちは分かります。
 しかし、先程の貴方の戦いを見て、貴方を信じると決めました。
 ですが、くれぐれも無茶はしないようにお願いします」
「ミツキ……」

 その言葉に、俺はまた驚かされた。
 ヒサメ家の人間は、不名誉な生より名誉ある戦死を望むような人間ばかりだったはずだ。
 そのヒサメ家の一人娘であるミツキが、そんなことを言うなんて……。

(変わってきている、のか?)

 特にミツキやリンゴは、日に日にNPCから普通の人間に近付いていっている気がする。
 それは、この世界が現実の要素を帯びたからなのか、それとも……。

 だが、そんな考察はとりあえずこの場を乗り切ってからだろう。

「大丈夫だ。街の人には悪いけど、頼まれたって無茶なんてしない」

 何しろこれから行われるのはほとんど未知の戦い。
 ゲームでも見たことのない強敵の群れを相手に、リセットなしの命懸けの戦いをしなくちゃならないのだ。
 危ない真似なんてするはずがない。

「正直に言うと、今もビビッて震えてるくらいだ。
 無理をするしないの前に、自分が逃げ出さないかが一番不安だよ」

 恥を忍んで、正直に打ち明けた。
 進む速度に遅滞はないが、それはスキルの動きに震えが作用しないからだ。
 あの大群を見て俺はすっかり萎縮してしまっているし、自分の作戦を後悔しているくらいだ。

「そうですか。私は戦いを前にすると高揚する性質なので、よく分かりませんが」
「そりゃ、何とも……ミツキらしいな」

 やはり戦闘ジャンキーな所は変わらないミツキに、俺は苦笑する。
 不思議と少しだけ、手の震えが小さくなった気がした。

「貴方も戦闘を楽しめばいいのではないですか?
 私の祖父は、自分も半死半生になった死闘を制した後、無事を喜ぶ前に戦いの終わりを嘆いたと言います。
 そのくらい戦いに入れ込めば、恐怖も忘れるでしょう」
「……いや、アドバイスは嬉しいけど、そんなの出来るのはミツキの家の人だけだからな?」

 少なくとも俺には、一生かかってもその域に達することは出来そうにない。
 ミツキのことは嫌いじゃないが、バトルジャンキーな価値観は絶対に共有出来ない所だ。
 しかし、ただの戦闘狂というだけではないのが、今のミツキだった。

「あるいは本当に不安なのでしたら、空の敵は放置して妹さんに助力を頼めば良かったのです。
 そうしたら貴方の危険度も随分と下がったのに……」

 不思議そうに、そんなことを言う。

 それはそれで、確かに正論ではある。
 空の敵を放置すれば街の被害は大きくなるだろうが、リンゴに頼んで俺の援護をしてもらうことは出来ただろう。

 しかし、

「まあ、それはないな。
 街の人の被害がどうとか言う前に、実を言うと俺、集団戦って嫌いなんだ」

 全く別の理由で、それは却下だった。

「モンスターのヘイト管理とか行動予測とか、面倒だからさ。
 いっそ周り全部が敵で、全員こっちに向かってくる方が、色々やりやすくていい」

 俺がそう言うと、ミツキの猫耳が「まったくこの人しょーがないなぁ」とばかりにぴくぴくした。

「言っている意味は今一つ分かりませんが、何か大概な事を言っているのは分かりました」

 ひどいな、とは思ったが、それについては自覚があるので何も言わなかった。
 そこで突然、ミツキの猫耳が「いじょーはっけーん!」という感じにぴくんと跳ねた。

「どうした?」

 問うと、ミツキは険しい目をして前方、土煙を上げる敵集団を見た。

「今、王が動きました。
 恐らく最前線で、先遣隊が街の防衛線に辿り着いたのでしょう」
「……そうか」

 この後、本隊が街に近付いてしまえば、俺が囮になろうとしても大した効果は出ないだろう。
 街を救うためには、ここで俺が進むしかない。
 そんな俺の気負いを案ずるかのように、ミツキが俺に声をかける。

「重ねて言いますが、無理をする必要はありません。
 モンスターは近くにいる相手に襲い掛かる習性があります。
 一撃を入れてモンスター達に存在を気付かせた後、逃げ回るだけでも囮の役目は果たせるはずです」

 それは裏を返せば、一度モンスターに気付かれたらずっと追われ続けると示唆しているが、俺はそれについては何も言わなかった。
 ただ、素直にうなずいておく。

「そんな念押しされなくても、分かってる。
 最初から、主力部隊を一人で相手にしようってのが無茶なんだ。
 モンスターを倒してやろうなんて全く考えてない。
 どうにか奴らを引きつけて、後は生き残ることだけ考えるさ」

 苦笑いしながら告げる俺に、ミツキはうなずいた。

「是非、そうして下さい。
 私も後衛の部隊を一刻も早く全滅させて、必ず救援に向かいます」
「分かった。精々時間稼ぎに徹することにするよ」

 俺の言葉にようやく安心したのか、ミツキはほんの少し、淡い笑顔を見せて、

「……では、私は行きます。ご武運を」
「ああ、ミツキも気をつけてな」

 さらに速度を上げて、集団の最後尾、敵の後衛に向かって突撃していく。
 神速キャンセル移動ではその速度には追いつけないし、その必要もない。
 ミツキとはあえて別のルートを取り、迂回するように進む。

 たぶん、ミツキについては本当に心配する必要はないだろう。
 相性的にも実力的にも彼女がやられる要素はない。
 空を見上げると、後方から雷が飛び出し、空を飛ぶモンスターを撃ち落とすのが見えた。
 あちらも始めたようだ。

(さて、後は俺がどれだけやれるか、だな)

 ミツキにも、黙っていることがある。
 あの時、俺がリビングアーマーを倒して証明してみせたのは、実は移動速度と攻撃能力だけ。
 防御力については、わざと見せなかった。

 だって、そりゃそうだろう。
 俺が優れているのは攻撃力だけで、守備力について言えば素のレベル100前後のキャラとほとんど変わらないのだから。



 俺の攻撃力は、反則的なまでの武器熟練度の高さ、この段階ではありえないほどの武器の攻撃力の高さ、バグ利用による武器種補正の高さ、訓練によるスキル熟練度の高さ、ついでにパワーアップを使った場合の約10倍の筋力補正、などによって大幅に増強されている。

 ただ、守備力についてはそれらの底上げ要素がほとんどなく、防具は王都の店売り防具、アクセサリーは属性攻撃系とスタミナ系で防御力アップはなし。
 特別な防衛手段と言えば、精々が胸元に『謎の紙切れ』を仕込んでいる程度だ。

 元々『猫耳猫』は防御力に関係なく一発死するような要素が多く、リセット前提のゲームバランス。
 殺られる前に殺れ、というスタンスで進めていくのが一番効率的だったので、こちらでもそれを踏襲してしまったゆえの結果と言える。

 『猫耳猫』にはいわゆるレベル補正と呼ばれる物は存在しない。
 レベルを上げて物理で殴れば解決するような単純なゲームバランスはしていないが、それでも1.5倍近いレベルの開きは致命的なパラメータの差を生み出す。

 レベル150の敵に殴られたら確実に一発死、では流石にないと思いたいが、二、三発殴られたら確実に昇天するだろう。
 というか、普通にレベル100のモンスターが相手だったとしても、包囲された上にボコられればノックバックかスタンで嵌め殺される危険は充分にある。

(あー、流石にちょっと、かっこつけすぎたかなぁ……)

 敵の姿が近付き、その威圧感を肌に感じれば感じるほど、そんな弱気が顔を出す。
 恐怖に身体が震えるし、緊張で吐きそうになってくる。
 もういっそ、本当に方向転換して逃げ出してしまえばいいんじゃないか、なんて思ったりしてしまう。

(でも、それじゃ駄目だ)

 一人用RPGの宿命だ。
 ゲームではプレイヤーは特別な存在で、簡単に強くなって簡単に世界を救っちゃったりなんかする。
 しかし、プレイヤーが世界を救うということは同時に、プレイヤーが何もしなければ世界が滅ぶということも意味する。

 特にこの『猫耳猫』においてそれは顕著だ。
 本気でプレイヤーを殺しに来るイベントの数々は、プレイヤーの行動次第で簡単に失敗するし、その結果としてプレイヤーだけでなく世界をも破滅させることもある。

 滅んだ世界でなんて生きていけないし、自分のせいで世界が滅んだなんて思いながら生きていきたくはない。
 利己的ではあっても、それが俺の本音だ。

(ゲームであれだけ戦ってきたじゃないか。俺なら出来る!)

 何も敵を倒さなきゃいけないって言うんじゃない。
 一発当てて、それから逃げ回って時間を稼げばいいだけだ。

(要するに、攻撃に当たらなければいいんだ、当たらなければ)

 予想外の被弾というのは、不意の遠距離攻撃や、狭い場所での戦闘で多い。
 今回の戦いではそのどちらも起こりにくい。
 うまく立ち回れば被弾を抑えつつ、何とか敵を引き付けることが出来るはずだ。

(決死の逃亡戦、かっこいいじゃないか)

 そうやって自分を奮い立たせ、魔物の群れに目を向ける。
 群れの中で騒ぎが起こっている。
 ミツキが暴れているのだろう。

 こちらもそろそろ見つかったようだ。
 最後尾の魔物がこちらに向き直っているのが見える。

(いよいよか)

 そこで一度停止。
 神速キャンセル移動で進むのはここまでだ。

「……ふぅ」

 ステップの硬直で身体が動かなくなる中、しばしの間、瞑目する。

 ――自分の中で、ギアを一つ上げるイメージ。

 これまでの戦いでは、短期戦だったか、装備やスキルが整っていなかったせいで、存分にスキルを使うような機会はなかった。
 スタミナを節約しても乗り切れる戦いなら、今までと同じでもいい。
 しかし……。

(今回は、全開で行く)

 これからの戦いには、ゲームをしていた時の感覚が、あの、歩く代わりに当たり前のように神速キャンセルを使い、通常攻撃よりもスラッシュや横薙ぎを多用して、街を移動するのにスキルで空中を渡り歩いていた、あの時の感覚が必要になってくる。

 肝心の時にスキルを使うのではなく、全ての行動をスキルでつないでいく。
 そんな『猫耳猫』後期のプレイスタイルに自分の意識を合わせていく。


「……行く!!」


 俺は目を開くと、

(ステップハイステップ、縮地!)

 視界を埋め尽くす魔物の群れに向かって、飛び出していった。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。