第九十二章 西方の罠
「あ、いたいた。こいつだな……」
新たにポップした粘菌、『イエロースライム』を、直接触れてしまわないように注意しながら空き瓶の中に入れた。
素早く蓋を閉めて、クーラーボックスの中に放り込む。
「よし!」
弾かれるかと思ったが、案外すんなりと中に入れられてしまった。
クーラーボックスの中に生き物は入らないはずなのだが、瓶詰にされていたらOKらしい。
色々な面でザルな『猫耳猫』の世界をトレースした結果だというなら大した再現度だが、基準がよく分からない。
「そんな物、何に使うつもりなのですか?」
ミツキが寄ってきて、猫耳を怪訝そうに曲げながら尋ねてきた。
「ま、ちょっとした罠に使おうかと思って、ね」
答えながら、すっかり荒野と化してしまった元『粘菌の森』を見渡す。
『流水の洞窟』でいつの間にか眠り込んでいた俺が目覚めたのは、翌日の夜明け近くになってからだった。
ミツキはとっくにもどってきていて、『粘菌の森』を含む全てのフィールドから粘菌を一掃してきたと報告した。
移動するだけで相当時間がかかるだろうに、流石の驚異的なスピードだ。
それから俺たちは眠っていたリンゴを起こし、『粘菌の森』に向かった。
いくつか確かめたいこともあったし、今後のために出来れば粘菌を確保しておきたかったからだ。
確認しておきたかったのは、『粘菌の森』の様子。
今いる分を全滅させたとは言っても、奴らは一定時間毎にポップしてくる。
もし『粘菌の森』に木や草が残っていたり、復活していたりすれば、それを餌にまた短い間隔で大増殖する可能性があるからだ。
結論から言えば、その心配は杞憂に終わりそうだ。
新しい粘菌はポップされていたものの、流石に森の木々や草は復活していなかった。
ミツキに話を聞いても、モンスターならともかく、フィールドの動植物が急によみがえったりはしないそうだ。
それでもまた数ヶ月後には粘菌の大発生は起こるのだが、これについてはミツキとヒサメ道場に頼むことにした。
ポップポイントを潰したり、毒の罠を仕掛けておくということも考えたのだが、永続的に続くような処置は出来ないだろう。
それよりもミツキに頼んでヒサメ道場を中心に粘菌の対処法を学んでもらって、大発生しても被害が出ないような体制を作ってもらう方がこの世界のためにもなるだろう。
そして、もう一つの目的もこうして達成された。
その目的とはもちろん、粘菌の確保、というか捕獲である。
俺はこの粘菌を、『王都襲撃』への備えとして使おうかと思っているのだ。
ちらりと横を見ると、リンゴはくまと何やらじゃれ合っている。
「…えだげ?」
とか言いながら背中の糸のほつれをいじっているが、あれはぬいぐるみ的に大丈夫なのだろうか。
くまの方は心なしか本気でもがいている気もするが、たぶん気のせいだろう。
仲良きことは美しきかな、だ。
俺はくまの手がじたばたと動いていたのを見なかったことにすると、ミツキに向き直った。
楽しそうにしているリンゴたちを邪魔しないよう、少し声をひそめて話し出す。
「ここだけの話なんだが、近々王都に魔物の侵攻が起こるって情報があるんだ」
「王都を襲撃、ですか?」
ミツキの猫耳が今度は「ほんとなのぉ?」と曲がるのを見ながら、俺は言葉を重ねる。
「ああ。西から大量の魔物が押し寄せてくる。
本当に起こるのか、いつ起こるのかは分からないが、その時にはこれが役に立つかと思ってさ」
「まさか、それに襲撃してきたモンスターを喰わせるのですか?」
ミツキが流石に驚いたような声を出す。
だが、そのまさかだ。
『王都襲撃』は100レベル相当のイベントのため、90~110程度のモンスターが中心に押し寄せてくる。
正確に言えば、『王都襲撃』ではモンスターたちは王都の西から攻めてくるためか、襲撃してくる魔物は王都の西側にあるフィールドの敵がメインで構成されている。
そのレベル層が90~110なので、襲撃してくる魔物も同じくらいのレベル帯になっているということなのだが、そこまで詳しい話はいいだろう。
レベル90だろうが110だろうが、どのみち粘菌の捕食可能範囲内だ。
流石に空を飛んでいるモンスターは粘菌でも簡単には食べられなかったようだが、それ以外のモンスターについてはひとたまりもなかった。
粘菌大発生中に『王都襲撃』が起こった場合、王都を襲ってきたモンスターたちはすぐに粘菌に飲み込まれていた。
俺はこの現象を人為的に起こすつもりだった。
まだ思い付きの段階だが、髑髏と落とし穴辺りと組み合わせて使えば、充分に罠として機能するはずだと俺は思っている。
王都の西に落とし穴を掘り、そこに粘菌を入れる。
粘菌に髑髏が効くかは検証していないが、通常のモンスターの移動を制限する効果があることはもう分かっている。
魔物の進路を髑髏で限定して、落とし穴の方へ魔物たちを誘導する。
もちろん細かく詰めていく必要があるだろうが、うまくすればこれだけで襲撃してきた魔物の大半を倒せる可能性がある。
その後、当然粘菌は増えているだろうが、最後に毒状態にしたモンスターを放り込めばそれで解決だ。
俺がそうやって説明すると、ミツキは猫耳をしかめた。
「えげつない作戦ですね。
しかし、効果はあるかもしれません」
ミツキがお墨付きをくれるなら心強い。
「ただ、実行するなら王都の人とか騎士団に許可をもらわないとな」
髑髏やら粘菌やらを仕掛けている所を捕まったら、それこそ犯罪者扱いされてしまう。
間違って街の人が踏み込んだりしたら危ないし、そんな罠を仕掛けるなら騎士団の協力は必要不可欠だろう。
その辺りはミツキも分かっているのだろう。
俺の言葉にうなずいて、
「もし実行するのなら、その辺りは父や道場の人間に上手くやってもらうしかありませんね。
父上達なら恐らく今も……んん?」
そこまで口にしたところで、急に眉をひそめた。
「どうかしたのか?」
「…いえ、探索者の指輪で探ってみたのですが、父が道場を離れていますね」
その言葉に、今度は俺が首をひねった。
「それって、めずらしいことなのか?」
「はい。かなり珍しいです。
父はずっと道場に腰を据えていますから、道場から移動する事は一年でもほとんどありません。
話題に出たので試しに探っては見ましたが、本当に移動しているとは思いませんでした」
そういえば、ゲームではアサヒを道場以外の場所で見た記憶はない。
そもそも冒険者以外のNPCは普通同じ街にしかいないものだと考えると、確かにそれはレアなケースだと言えるかもしれない。
「どこにいるかは分かるか?」
「この場所は、多分王都ですね。
ただ……街の中心ではなくて、ギリギリ街の外という感じはしますが」
「街の外? どっち側の?」
「西です。まだ、街に着いていないという事でしょうか」
「西…?」
少しだけ、嫌な想像をしてしまった。
考え過ぎだとは思う。
思うが、どちらにせよ確かめてみればいいだけだ。
俺はミツキに問いかけた。
「ミツキ、転移石は持ってるか?」
「はい。ありますが……」
「なら、今すぐにそれを使って王都にもどってみてくれ」
「え? しかし……」
俺の突然の提案に猫耳が「うぅん?」という感じに揺れて可愛かったが、それに見惚れている場合ではない。
「何もなければすぐにもどってきてくれればいい。
だから、頼む」
「……では」
俺の剣幕に押され、ミツキが転移石を掲げる。
だが、
「…? 何も、起こりませんね」
嫌な想像が、現実になってしまったようだ。
(まずいぞ、これは……)
転移石は便利な脱出アイテムだが、万能という訳ではない。
だって、ちょっと考えてみて欲しい。
もし転移石がいつでもどこでも使えるのならば、脱出系のイベントは全て簡単に回避出来てしまうことになってしまう。
そんなことを、人に嫌がらせすることが三度の飯より好きな『猫耳猫』スタッフが許すはずがない。
RPGにおける移動魔法や移動アイテムの宿命を、このゲームも正しく引き継いでいる。
特定のイベント中や特別なダンジョンにおいては、『魔力が不安定なため』転移石による移動が出来なくなるのだ。
『転移には魔力の流れを利用するから、それが不安定になると転移は使えなくなる』と理由付けされているが、そんなのどうせ適当なのだから、『しかし、不思議な力でかき消された』と読み替えてもいい。
もちろんここは転移石が使用不可能なフィールドではない。
だから、転移石が発動しないということは、何らかのイベントの影響下にあるということだ。
しかし問題は、俺たちの周りには何のイベントも進行している様子がないこと。
ということは、こちらではなくて転移先、つまり王都でイベントが起こっていると推測される訳で、だとすると……。
(『王都襲撃』イベントが、もう始まっている、のか?)
そのイベントが開始されたと考える方が、自然な流れと言えるだろう。
この時期に起きる転移が禁止されるほどの大イベントなんて、それ以外に考えられない。
しかし、前に王都を訪れた時にそんな兆候はなかった。
条件を考えても、この時期に『王都襲撃』が起こるのは早すぎる。
が、
(やっぱり、粘菌のせいか?)
『王都襲撃』は、王都の近くの『魔物侵攻度』に影響されて発生する。
粘菌の増殖は、ミツキの努力で食い止められた。
全消し後の『魔物侵攻度』は粘菌増殖前よりも下がっているだろう。
(だが、その前にイベントフラグが立ってしまっていたとしたら……)
うまく対処したとはいえ、一瞬だけでもここら一帯の『魔物侵攻度』が爆発的に上がっていたのは確かだ。
そして一度イベントフラグが立ってしまえば、そこからいくら『魔物侵攻度』を下げたところで、イベント発生は止めらない。
それにしてもいささか急すぎる気もするが、今は原因を究明している場合ではない。
「ミツキ! 王都で異常が起こっている可能性がある!
探索者の指輪で知り合いの位置を確認して、どうにか状況を探ってみてくれ!」
「…!? 分かりました!」
その返事を聞きながらも、俺は考え続ける。
『王都襲撃』イベントが発生している可能性は高いが、まだ襲撃自体が始まってしまっているとは限らない。
『王都襲撃』イベントは、モンスターが襲撃する前に、ある程度の準備時間があったはずだ。
その間は傍観モードになったり時間が飛んだりするため、イベントルートに乗ってしまえばあまり自由に動けなかったが、転移が不可能になってから襲撃まで、数時間程度の余裕があった気がする。
問題は、転移石が使用不可能になってから、どれだけの時間が経ったかということ。
イベントフラグが立ったのはミツキが粘菌を消す前、数時間以上前の可能性が高いが、そこからすぐにイベントが開始されたかは分からない。
まだ侵攻まで時間に余裕があるかもしれないし、最悪の場合、もうとっくに戦闘が始まっている可能性もある。
ゲームでプレイヤー不在時にイベントが開始してしまった場合、王都にかなりの被害が出たはずだ。
今回、本当にそんなことが起こったとすれば、実際に人が死んで……。
(いや、待て待て!)
ゲームではアサヒが街に救援に駆けつけるなんてことはなかった。
ヒサメ道場の面々は、あれでかなりの戦闘力を誇る。
もしイベントが始まってしまっているにしても、ヒサメ家の人間が加勢に行ったのなら、案外簡単に襲撃を退けられるかもしれない。
「ミツキ、道場のほかの人間はどうだ?」
「調べた限りでは全員が王都に行っているようです。
その大半が王都の西に集まっています」
「そうか。じゃあもしかすると、王都への襲撃を察知して救援に向かったのかもしれないな」
少しほっとした。
考えてみれば、ヒサメ家の道場も王都の西にある。
魔物たちが来るのはどちらかと言えば南西、つまり南寄りで、ヒサメ家の道場は北寄りの場所にある。
襲撃の通り道ではないが、魔物の大群が通ればきっと街の人間より早く発見するだろう。
そして、ゲームの世界のイベントならともかく、現実にモンスターが大群で攻めてくるなら、近くにいるヒサメ道場が街の救援に赴かない方がおかしい。
これで少し安心出来るか、と思ったが、
「ただ、王都に行っているのが、本当に全員なのが気になります。
戦えそうにない者も王都に移動しています。
これではまるで、救援というより避難です」
「避難……」
ミツキのその言葉に、不安がぶり返す。
いや、今は考えている時間が惜しい。
「とにかく、街に向かおう。
西に回って北上すれば、敵の背中を突けるかもしれない」
俺たちが今いるのは街の南側。
西に回り込みながら進めば、うまくすると敵を挟み討ち出来る。
転移石を使って別の場所に移動することも考えたが、適当な転移場所が思いつかないし、訪れていない場所には移動出来ない。
ここは残念ながら走っていくしかないだろう。
「リンゴ!」
叫ぶと、リンゴがくまとのじゃれ合いをやめて、すぐにこっちにやってきた。
「王都が魔物に襲われてる可能性がある。
全速力で向かうぞ」
「…ん、わかった」
リンゴはすぐさまうなずき、その隙にくまは俺の後ろに隠れた。
あれ、くまの背中から、何か……。
いや、今はそんな場合じゃない!
俺はくまの背中からちらちら見える何かに気付かなかったフリをして、一路北を目指す。
「リンゴさん、大丈夫ですか?」
「…ん、平気」
ミツキは素で速く、俺も神速キャンセル移動で消費するスタミナが減って、長い時間移動出来るようになった。
くまは俺の背中に張り付いているので問題なし。
全員が最高速で移動した場合、遅れるのは自然とリンゴということになってくる。
それでもリンゴも平均的なNPCよりずいぶん速い。
俺たちは行きを上回る速度で、ぐんぐんと王都に近付いていった。
ミツキに探索者の指輪を使ってもらっているが、今の所向こうに大きな動きはないようだ。
死者が出た場合は相手の居場所が分からなくなるそうなので、まだ戦闘が起こっていないか、戦闘になっていても人間側が優勢か、そのどちらかだと考えられる。
若干西回りのルートを通っているが、出来るだけ進みやすそうなルートを取っているため、進軍は順調。
このままならあと三十分もすれば街に着けるのではないかという時、俺たちはそいつの姿を見つけた。
「何で、あんなモンスターが、こんな場所に…?」
そこにいたのは、本来このフィールドにいるはずのないモンスター。
アシッドエスカルゴ、レベル130。
間抜けで食用っぽい名前の割に意外と強く、しかも単純な強さ以上に、その酸性の身体で攻撃したキャラの武器を溶かしていく性格の悪さを恐れられているモンスターだ。
このフィールドの敵レベルは100前後のはず。
本来は、こんな場所で見かけるようなモンスターじゃないはずだ。
見たところ一匹だけのようだし、何かのバグだろうか。
そう考え、一人で首をひねっていたが、
「…あれ、みて」
今度はリンゴに服の端を引かれて別の方向を見ると、遠くに緑色の巨人の姿が見えた。
「ギガントゴブリン……」
ギガントゴブリン。
それは『猫耳猫』プレイヤーたちに「もうこんなんゴブリンと違う」「ゴブリンとは一体なんだったのか」「なんでも巨大にすればいいってもんじゃねーぞ」と言わせた超巨大ゴブリンだ。
ゴブリンの癖に非常に鈍重だが一撃の威力が侮れないモンスターで、そのレベルは実に155。
魔王城の近くにしか生息していないはずのモンスターである。
そんなモンスターが平然とレベル100程度のはずのこのフィールドを歩き、東を目指して進んでいる。
「どうしてこんな場所に……」
思わずつぶやいた俺に、ミツキが答えた。
「いえ、ギガントゴブリンなら、私はこの辺りで見かけた事があります。
この辺りと言っても、もう少し奥、西のフィールドで、ですが」
「西? でも、この先にはそんな高レベルフィールドは……」
言いかけて、気付いた。
「そうか、ゲーム未実装地帯!!」
ゲームでは行けなかった、国の西側。
マップの西の向こうには、強力な魔物があふれている地域があるという情報は、ゲーム時代からあった。
もしもそこが語られている通りの場所なら、高い『魔物侵攻度』を備え、高レベルなモンスターがポップするフィールドということになるだろう。
そもそも『王都襲撃』で魔物が魔王のいる北からではなく、西から攻めてきたのは、この国で一番魔物が活性化している西側からモンスターがあふれてきたから、という理由ではなかったか。
(まさか、『王都襲撃』が早まったのは、粘菌のせいだけじゃなくて、西側の未実装フィールドが実装されたのが原因か?
いやそれよりも、もしも『王都襲撃』のモンスターの群れの中に、こんな高レベルのモンスターが混じっていたとしたら……)
ヒサメ道場の人間が万一の事態を恐れて王都に避難したのもうなずけるし、たぶん騎士団とヒサメ道場が全力で防衛に努めたとしても、街を守り切れない。
『王都襲撃』はおそらく、この世界最悪の惨劇になる。
突然だったために、策は何もない。
出現するモンスターは、ゲームの時とは比べ物にならないレベルである可能性が高い。
それでも……。
(俺が、俺たちが、何とかしないと…!)
――誰も見たことのない、絶望的な『王都襲撃』イベントが今、始まる。
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