第九十一章 死の連鎖
多くの『猫耳猫』プレイヤーを絶望の淵に叩き落とした粘菌モンスター、『イエロースライム』。
そのあまりの凶悪さから、一時は『猫耳猫wiki』の注意事項の先頭に粘菌についての警告文が載せられるほどだったが、その状態はたった一週間足らずで終わりを告げた。
粘菌の脅威がネットの掲示板で話題になってから数日後。
ある『猫耳猫』プレイヤーが偶然にも粘菌の対処法を発見し、それを公表したからだ。
――それが、『粘菌全消し法』。
イエロースライムの特性を逆手に取った、画期的な粘菌対策である。
『粘菌全消し法』には毒を利用する。
ただ、単純に毒を使って倒すのではなく、間にワンクッション置くことがこの対策の肝だ。
以前から状態異常を使って粘菌を倒そうというアプローチはあった。
しかし、当時の『猫耳猫』プレイヤーたちの粘り強い努力も虚しく、粘菌たちに状態異常をかけることは出来なかった。
粘菌には状態異常攻撃も、状態異常アイテムも全く効果がなかったのだ。
だが、実際にはある工夫を施すことで、イエロースライムに状態異常を与えることは出来た。
それどころか、イエロースライムの捕食と増殖という特殊能力を利用することで、奴らを一気に全滅させる、凶悪な効果を発揮することが分かったのだ。
発見者の言葉によれば、それが分かったのは単なる偶然だったらしい。
彼は街を守るため、必死で粘菌の襲撃を押し留めようとしたものの、波のように押し寄せる粘菌の群れに押し込まれ、絶体絶命の窮地に追い込まれた。
その時最後の悪あがきとして粘菌に投げた毒薬が、なんと仲間に当たってしまったそうだ。
運悪く、毒状態になる仲間。
彼は自分の失敗に舌打ちしたが、これが思わぬ奇蹟を生む。
毒になった仲間に粘菌たちが取りついた途端、奴らに異常が起こり、奇妙な連鎖反応を起こして全滅してしまったのだ。
これに驚いた彼は、その後似たような状況を作って検証を行い、こんな結論を出した。
――すなわち、『粘菌は捕食した相手の状態異常に感染する』と。
これは、すぐにほかの『猫耳猫』プレイヤーたちにも検証されたが、結論は同じだった。
正確には、『イエロースライムが捕食を行った際、捕食した相手と同じ種類、同じ強度の状態変化を受ける』という設定がなされていることが、数々の実験によって証明された。
つまり、奴らが毒状態のキャラクターやモンスターに食いつけばそいつらも毒状態に、麻痺状態のキャラに食いつけばやはり麻痺状態になるし、あるいは食いついた相手がHP活性化などのプラスの状態変化を受けていた場合でも、粘菌たちはそれをそっくりそのまま受けることになる。
この『粘菌にも状態異常は効く』という発見は、粘菌に対して打つ手がなかった『猫耳猫』プレイヤーにとっては値千金の情報と言えた。
しかし、それだけでは粘菌の侵攻を防ぐに足る知識とするには少し足りなかっただろう。
なんと言ってもこのニュースの最大の朗報は、粘菌たちに毒を使った時の劇的な効果だったのだ。
例えば、粘菌に感染させるのが麻痺の状態異常であれば、確かに有用ではあるが、戦局を一変させるような効果は望めない。
せいぜい、麻痺状態にしたモンスターに群がった粘菌たちが一定時間動けなくなる、というだけで終わりだろう。
足止めとしては便利かもしれないが、残りの粘菌たちは無傷のままプレイヤーに襲いかかるため、根本的な解決にはならない。
だが、数ある状態異常の中で、毒だけは違った。
まるであつらえたかのように、粘菌に対する切り札となれる要素をいくつもそろえていたのだ。
このゲームの毒は初心者殺しと言われていて、ダメージ量自体は大したことはないが、その代わりのようにやけにダメージ判定の間隔が短く、1秒に1回という頻度でダメージ判定が行われる。
喰らうのが1ダメージだとしても1分で60ダメージは喰らう計算になるので、プレイ初期の頃は毒=死亡の図式が成り立つこともしばしばだった。
そして、HPが1になったウォーターエレメントが一瞬で死んだのを覚えているだろうか。
多くのRPGがHPが1になった時点で毒の効果が止まる中、『猫耳猫』の毒は瀕死の相手にも容赦なくトドメを刺してくる。
さらに、これは毒というか状態異常全般の仕様だが、HPが0になってモンスターが死んでも、死体が消えるまではそのモンスターにかかった状態異常が解除されることはない。
いちいち鬱陶しい設定だが、これらの性質が毒を粘菌キラーにした。
何しろ粘菌はHPが1しかない。
この毒の仕様では、毒にかかってから最長でも1秒以内に、奴らは必ず死ぬということになる。
そしてここからがポイントなのだが、粘菌は死ぬと、最高の粘菌のエサになる。
奴らは人間やモンスターより、同族の死体を最優先で捕食しようとするのだ。
それはもちろん、毒によって死んだ死体であっても例外ではない。
それによって何が起こるか。
毒によって死んだ粘菌の死体に元気な粘菌が集まっていき、その死体を捕食することで毒の感染がどんどん広がっていくのだ。
さらにもう一つ。
奴らは仲間の死体を食べることで、分裂し、増殖する。
特に密集している時の奴らの捕食・増殖行動は異様に速く、近くにいる仲間がやられた場合、その死体を捕食、捕食した個体が分裂、までのプロセスを、コンマ1秒程度の時間でやってのける。
奴らと戦う時には非常に厄介に思えた性質だが、この場合はそれが裏目に出る。
なぜなら、分裂した時に生まれる個体は『分裂元と全く同じ状態』の個体。
つまり『毒状態の粘菌』が分裂すると、やはり『毒状態の粘菌』が生まれるからだ。
その結果何が起こるかと言えば、答えは簡単。
毒状態の仲間の死体を捕食すればするほど、毒粘菌が増えていく。
特に、フィールドに粘菌があふれ、粘菌同士が密着している状態であればあるほど、毒粘菌の増加は速く、スムーズになる。
もっとも順調に行った場合、1秒ちょっとの間に1.5倍というペースで毒粘菌の数は増え、正常な粘菌を汚染していくことになるのだ。
うろ覚えではあるが、wikiの『サザーンでも分かる粘菌全消し法』には、大体こんな説明が書かれていたと思う。
1.モンスターか人間を毒状態にする。
2.そいつをわざと粘菌に捕食させる。
3.捕食した粘菌(粘菌Aとする)が、毒状態に。
4.HPが1しかないので、粘菌Aは毒ですぐ死ぬ。
5.粘菌Aの死体を粘菌Bが食べ、粘菌Bも毒状態に。
6.毒状態の粘菌Bが分裂して毒状態の粘菌Cを生み出す。
7.毒の効果で粘菌Bと粘菌Cが死ぬ。
8.粘菌BとCの死体を粘菌DとEが食べ、毒状態に。
9.毒状態の粘菌DとEが分裂して……と被害拡大。
以降、粘菌が全滅するまでエンドレス。
色々と単純化されているが、これが『粘菌全消し法』。
毒と増殖と死亡の連鎖を生み出し、粘菌どもを根絶やしにするという秘技である。
この技についてはバグなのか仕様なのか、『猫耳猫』ファンの間でも論争が絶えない。
そもそも粘菌の大繁殖からして意図せぬ不具合だと言う人もいるし、増殖まではスタッフの悪意だが、解決法はスタッフの想定の外にあったと主張する人もいる。
ただ俺は、この粘菌の大繁殖から毒による事態の鎮静化までを含めて、スタッフの作意だという意見を推している。
驚異的な増殖能力を持つ異常生物が、逆にその能力のために全滅する、というのは創作物ではよくある展開だ。
星間航行技術さえ備えた宇宙人がなぜかウイルス対策を怠って全滅する、というくらいに有名なお約束、いわゆる様式美という奴だろう。
そもそも、粘菌の増殖の仕様や毒の仕様自体が、偶然にしてはあまりにはまりすぎている。
買い被りかもしれないが、こうやって粘菌の異常発生にプレイヤーが騒ぎ、毒によって鎮圧されるまでの一連の流れが、言ってみれば一つのイベント。
これを作ったスタッフが意図した、このゲームの正しい楽しみ方なのではないかと俺は考えている。
さて、ここからがようやく本題だ。
『粘菌全消し法』が確立されてから、『猫耳猫』プレイヤーが粘菌に悩まされることはほとんどなくなった。
今回も普通であれば特に問題なく切り抜けられるはずだったのだが、俺の対応がまずかった。
『粘菌全消し法』をするなら、まずは自分か仲間かモンスター、そのどれかを毒状態にして粘菌の中に突っ込ませる必要がある。
周りにモンスターの姿はなかったし、ミツキやリンゴを毒状態にしてあんな奴らの中に突っ込ませるなんてのも論外だ。
くまに至っては、そもそも毒になるかも分からないし、粘菌が食いつくかも分からないのでますます論外。
本当は最初に粘菌に囲まれた時点で俺が毒薬をあおり、粘菌の中に突っ込むのが正解だったんだろうが、その勇気が出なかった。
だから俺は、ゲームでは食べられない物も食べるようになった今なら、毒薬を捕食して勝手に毒状態になって死ぬんじゃないかと期待して、貴重な毒薬を投げてしまったのだ。
結果的にその作戦は不発に終わり、こうなればもう毒薬を飲むしかないかと迷っていた時、今度はミツキの逆ファインプレーによって最後の毒薬を失ってしまった。
毒薬が使えなくなってしまうと、もう俺に自分を毒状態にする手段はない。
毒系統の魔法は覚えていないし、スキルは基本的に自分に当てられないからだ。
その後、逃げ出して何とか別の手段を見つけようとしたが、失敗。
仕方なくリンゴかミツキのどちらかに『毒牙』のスキルを使い、毒餌になってもらおうとした、というのが俺が二人に黄金桜を向けた理由だ。
二人に、とは言っても、現実にはミツキの状態異常耐性は高すぎるため、あのままなら俺はリンゴに『毒牙』のスキルを使うことになっただろう。
ただ、そこにちょうどブラッディオーガがやってきたので、俺は嬉々としてそいつを生贄にして、無事に『粘菌全消し法』を成功させた、というのがことの次第になる。
あのブラッディオーガは俺が攻撃した時点で弱っていたために死んでしまったが、毒餌になった者が必ず死ぬ必要があるという訳ではもちろんない。
毒状態になった後、最初の粘菌が食いついてから死ぬまでの1秒間を耐え切れば、優先度の問題で敵のターゲットは仲間の死体に切り変わる。
ミツキとリンゴの今の能力値であれば流石に死ぬことはなかったと思うが、生き残った場合でもかなり恐ろしい思いをさせただろうことは想像に難くない。
何しろゲームでさえトラウマになりかけた体験である。
リアルさがさらに上昇したこの世界では恐怖体験どころの騒ぎではない。
誰も巻き込まれることなく解決出来たら、それがベストだろう。
本当に、ブラッディオーガさまさまである。
という風に俺は考えたのだが、仲間たちの意見は違うようで、
「…ソーマは、むちゃしすぎ」
リンゴはそう言って、さっきから俺の服をぎゅっと握って放そうとはしない。
まるで、手を放すと俺がどこかへ飛んで行ってしまうと言いたげな態度だ。
――ペチペチ。
くまも怒っているのか、例によって俺の首に取りつき、俺のほおを好き勝手に叩いている。
正直全く痛くはないが、反省しろと言っているのかもしれない。
そしてこの中で一番露骨に憤慨を見せたのは、意外にもミツキだった。
「そんな解決法があるのなら、さっさと私にやらせてくれていれば良かったのです。
私はあの程度の敵を恐れたりはしませんし、私の技量であれば食いついてくる粘菌の数などは幾らでも調節出来ます」
まるで最初に出会った頃のような超然とした雰囲気をまとって、彼女はそう断言する。
「もし、さっきのオーガが貴方が辿り着く前に息絶えていたら、あるいは貴方のスキルで毒効果が与えられなかったら、貴方は死んでいました。
貴方は私達を気遣ったつもりかもしれませんが、貴方が死ねば、粘菌への対策を知らない私達も死ぬしかありません。
貴方はもっと、私達を頼るべきでした」
言葉に詰まる。
確かに俺の行動は、多くの不確定要素を含む物だった。
『流水の洞窟』に逃げ込むことを決めたことも、リンゴやミツキではなく、オーガを毒餌にすると決めたことも、もちろん勝算があったから行ったことだ。
だがそこに、『二人を出来るだけ危ない目にあわせたくない』というエゴが混じっていなかったかと訊かれると、胸を張ってないとは言えない。
必要以上に仲間が傷つくことを恐れ、パーティが全滅するリスクを呼び込んだと言われたら、確かに反論は出来ないところだ。
そうは言っても普通の女の子であれば、流石に粘菌にわざと捕食されるのは躊躇すると思うのだが、ミツキはヒサメ家の娘。
大怪我をして死にかけた相手に向かって、「無事でよかったな」と本心から言ってのけるという豪傑一家だ。
魔法で簡単に傷が治るこの世界、彼らの中では死亡に至らない怪我はリスクに入らない。
俺の試練の時だってあれほど平然としていたミツキのことだ。
俺が無茶をしたと怒るリンゴとは違い、彼女は俺が無駄に全滅のリスクを作ったこと、合理的で確実な解決手段があるのに不確定要素の多い手段を選んだことを、純粋に怒っているのだろう、と思ったのだが、
「貴方が粘菌達の中に沈んでいくのを、私がどんな思いで見ていたか。
あんな気持ちは初めてで……そしてもう、二度と味わうつもりはありません」
よく見れば、彼女の猫耳は小さく震えている。
もしかするとだが、ミツキはミツキで俺のことを心配してくれていたのかもしれない。
そんな感慨に耽っていたのも束の間、
「この中に、毒効果のあるアイテムはまだありますか?」
突然ミツキが俺の鞄を手に取って、唐突にそんなことを言い出した。
「そりゃあ、探せばまだ、毒薬とか毒ナイフとかがどっかに入ってるはずだけど……」
毒系のアイテムはあまり使用頻度が高い物ではない。
どこに入れているかまでは思い出せないが、時間をかけて探せばきっと見つかるだろう。
困惑しながら返す俺に、ミツキは一つうなずくと、
「では、少し借りていきます」
勝手に一人で納得して、俺の鞄を取り上げて歩き去ろうとする。
「ちょ、ちょっと待て!」
俺は当然制止するが、
「いいえ、待ちません。
リンゴさん、ちょっと捕まえていておいて下さい」
「リンゴ?!」
リンゴに後ろから組みつかれ、逆に身動きを取れなくされた。
動けなくなった俺を、ミツキは冷ややかに見つめる。
「一人で無茶をした罰です。
貴方は安全な場所で休んでいて下さい」
「罰、って……」
混乱する俺に、ミツキが告げた。
「ここ以外のフィールドにはまだ粘菌が残っているはずです。
私はこれからそこを回って粘菌を殲滅してきます。
要は粘菌の中に毒にかかったモンスターを放り込めばいいだけでしょう?
それなら私一人でも、いえ、私一人の方が楽に回れます」
「いや、だけど……んんっ?」
思わず抗議しようとした俺の口を、後ろからリンゴの細い指が塞ぐ。
「…いいの?」
リンゴの短い確認の言葉に、ミツキはためらいなくうなずいてみせた。
「色々と言いましたが、最初に毒薬を投げてしまったのは私の失態です。
せめてここで一働きして、きちんと自分の価値を証明しなければ私の気が済みません。
それに……」
そこでミツキは俺たちの姿を、俺と、俺を抱きとめるリンゴを見て、少し顔を伏せた。
「……私に、その役は似合いません。
適材適所、という奴です」
否定の言葉を口にしようと思ったが、俺の口は塞がれている。
代わりにリンゴが口を開きかけたが、結局は何も言わなかった。
何も言わず、ただ無言で俺の身体を自分の方へと引き寄せた。
「その間、二人はどこか安全な場所に避難しておいて下さい。
指輪で位置は特定出来るので、どこへ行っていても問題ありません」
ミツキはそう言い捨てると、きびすを返して走り去ろうとする。
そこに、黄色い影が飛びついた。
それは、全消しの危機を乗り切り、虎視眈々と反撃の機会を待っていた粘菌……ではなく、
「おや、貴方は……。
私と一緒に行きますか?」
知らぬ間に俺の首から降りたくまだった。
普段はミツキに近寄ろうともしないくまが同行を申し出たのは、もしかするとミツキが気落ちしているのを見て取って、気を遣ってくれたのかもしれない。
色んな意味でよく出来たぬいぐるみだった。
ミツキとくまがいなくなった後、俺たちは俺の足の治療をしてから『流水の洞窟』の入り口まで移動した。
粘菌を全消しすると、周りのエリアも含めて魔物侵攻度が大幅に下がるので、モンスターポップもおとなしくなっているはずだ。
それに、『流水の洞窟』は敵の巡回範囲が明確なため、入り口付近は完全な安全地帯となっているはずだった。
リンゴは洞窟の壁に背中を預けるように座り込み、その足の上に無理矢理に俺の身体を横たえさせた。
その上で、俺の顔を抱き込むように両手を回す徹底ぶり。
これでは逃げられない。
なんて思っても、やはりミツキたちが気にかかる。
あいつらが頑張って粘菌と戦っている時に、俺たちがこうして休んでいていいのかと考えてしまう。
「なぁ、リンゴ。やっぱり俺たちも――」
「…やすんで」
だが、リンゴはにべもなかった。
身体を起こしかけた俺を、表情一つ変えずに額を押さえつけることで完全に制した。
これは説得は難しそうだ。
(困ったなぁ……)
粘菌のことで気を張っていたし、時計の針はもう夜を示している。
俺にだって、休みたいという気持ちは当然ある。
なんだかんだと理由をつけて、俺を休ませようとしてくれているミツキやリンゴの気遣いだって、分かっているつもりだ。
それでも逸る気持ちは抑えられない。
俺は何度か身体を起こそうとして、その度にリンゴにあっけなく押し留められた。
ようやく俺が観念して、おとなしくなった頃、
「…ソーマ」
頭上から、小さな声が降ってきた。
目線を上げると、リンゴが潤んだ目付きで俺を見つめていた。
「わたしは、ソーマがいなくなるのがいちばん……こまる」
その声に、なぜだか胸が詰まる。
リンゴの白くて細い手が、そっと俺のほおをなで、
「…だから、かってにいなくなったり、しないで」
気付けば俺の頭はリンゴの身体にしっかりと押しつけられ、抱きしめられていた。
触れ合った部分から、リンゴの体温が伝わってくる。
(もしかして、不安、だったのか…?)
リンゴは無表情だからなかなか感情の機微は読めないが、彼女が俺のことを時には俺よりも真剣に考えてくれているというのは分かっている。
討伐大会から始まって、猫耳屋敷、ヒサメ家の試練、粘菌と、ここ数日は命の危険に晒されてばかりの日々だった。
その間、リンゴが俺の命を俺よりも親身になって案じてくれていたとしたら、全く心休まる時間がなかったことだろう。
そう思うと、急に罪悪感が込み上げてきた。
せめてリンゴの不安を少しでも和らげてやろうと、
『俺はリンゴの前からいなくなったりしない』
そんな風に答えようと思って、
「俺、は……」
途中で、その言葉を止めた。
今日は危ない場面なんかもあったし、ヒサメ家の試練なんかでもリンゴをずいぶんと心配させてしまったようだが、俺自身はこんな所で死ぬつもりは全くない。
絶対に生き残ってやると、胸を張って言うことが出来る。
(だけど、俺は……)
この一連のゴタゴタが収まれば、俺は真希に会うことになるだろう。
真希は、俺と同じ世界からやってきた俺の従妹だ。
会えば当然、元の世界にもどる方法についても話し合うことになる。
たとえ元の世界にもどる方法が見つかっても、この世界が平和になるまで、せめて魔王を倒すまではこっちの世界に留まるつもりだが、しかし……。
(その、後は…?)
魔王を倒して、この世界が平和になって、その時俺はどうするのだろう?
やはり真希と一緒に元の世界に帰るのか?
これだけ俺を大事にしてくれている、リンゴやミツキを置いて?
それとも……。
(俺、は……)
その続きは、どうしても言葉にならない。
結局俺は何の答えも出せないまま、遅れてやってきた睡魔に捕らわれ、眠りの世界に落ちていくのだった。
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