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第八十九章 ようこそ、粘菌の森!
「とりあえず、外に出ようか」

 粘菌の脅威をどうやってミツキたちに伝えたらいいか、考えながら外に出る。

 『流水の洞窟』を出ると、空はもう薄暗くなっていた。
 順調に攻略していた気はしていたが、それでもボスの所まで行ったのだから、やはりそれなりの時間は経っていたということだろう。

 俺は鞄からたいまつシショーを取り出し、珍しく松明として普通に利用した。
 あまりに武器熟練度上げが便利すぎて忘れられてしまいがちだが、たいまつシショーは普通の松明として使用出来る上に、どれだけ長い時間火をつけていても絶対に壊れない。
 松明として見ても便利なアイテムなのだ。

 それを手に持ったまま、俺たちはちょっとした高台に移動した。
 明かりを見てモンスターがやってくる危険性はあるが、どうせ姿が見えた瞬間リンゴの雷撃で一掃出来る。
 それなら奇襲を受けにくい見通しのいい場所の方が、落ち着いて話が出来るだろうという判断だ。

「確か、『粘菌の森』はここから二つほど先のフィールドでしたね。
 なんでしたら、今から私が行って殲滅してきましょうか?」

 落ち着いて腰を下ろした所で、ミツキが口火を切った。
 彼女らしい、自信にあふれた言葉だ。
 しかし、

「いや、ミツキでも、万一ってこともあるかもしれない。
 全員で向かうのは当然として、暗い中であいつらと戦うのは避けたい。
 ここは一度道場にもどってから、明るい内にもう一度来よう」

 それは危険だ。
 ミツキと奴らとの相性はあまりよくない。
 ゲームがスタートしてからまだ二週間程度。
 今の奴らの数なら大丈夫だとは思うが、無用なリスクは冒せない。

 実は腕試しの場所をこの『流水の洞窟』に選んだのは、ここが『粘菌の森』に近かったこともある。
 ここまで来るのにもかなり時間がかかるし、あわよくばこのまま『粘菌の森』に、という思惑もなくはなかったのだが、やはり挑むなら万全の態勢で挑むべきだろう。

「……本当に、それ程の相手なのですか?」

 ミツキの言葉には、不満というより驚きがこもっていた。
 猫耳も心なしか、きょとんと跳ねている。

「ああ。あいつらは、この世界にいるほかのどんなモンスターとも違う。
 いくらミツキでも、無策で挑めば負けることもあり得る」

 はっきりとそう言い切ってから、俺は話し出す。
 全モンスター中、最悪の敵とも言われる、『イエロースライム』の恐ろしさを……。



 『粘菌の森』に出現する唯一の敵『イエロースライム』は、もちろん現実の粘菌そのもの、という訳ではない。
 人が粘菌と聞いた時に抱くイメージの悪い所ばかりを集めたような、黄色くてうぞうぞとうごめく、アメーバ状の群体生物。
 それがこの『イエロースライム』である。

 まあこんな風に言うと相当に気持ちの悪い生き物を想像してしまうかもしれないが、実物を見てみると印象は確実に変わる。
 おそらくだが、実際に出会ってみると気持ち悪いとかいう感想は出て来ない。
 ただ、身の毛がよだつほどの恐ろしさに、言葉もなく逃げ出すだけだ。

 少なくとも、俺はそうだった。
 初めて奴らと遭遇した時、あの時の恐怖は筆舌に尽くしがたい。


 あいつらに初めて遭遇したのは、レベル50そこそこの時。
 結婚イベントでデータを消し、それからソロプレイを始めた俺は、時間をかけながらも順調に序盤のクエストを消化して、レベルを50ちょっとまで上げた。
 ここからのレベル上げをラムリック周辺でやろうと思うと、途端に効率が悪くなる。
 ならもう早めに王都に移ってしまおうと考えて、お金を貯めて初めて魔封船に乗った。

 しかしその魔封船は王都に着く前に見事に墜落。
 乗り合わせた商人たちは転移石で脱出していくが、魔封船の乗車賃でさえギリギリだった俺が、その数倍もの値がつくレアアイテムを持っているはずがなかった。

 さっさと逃げ出す商人たちを恨みもしたが、魔封船は墜落のリスクも考えた上で乗り込んで下さいと料金表にまで書かれている。
 ここで文句を言うのは筋違いという物だろう。
 最後には操縦者すら転移石で脱出し、無人になった魔封船と共に、俺は真っ黄色な樹木と黄色い草の生えた、奇妙な土地に落ちた。

 燃え盛る魔封船から何とか脱出し、とりあえず周りを見渡した俺は、近くに敵モンスターの姿が見当たらないことに安堵したが、その判断は早計に過ぎた。

 俺が胸を撫で下ろしたその時、襲撃はもう始まっていた。
 気付けば、木々に張り付いていた黄色いペンキのような何かが、ぼとぼとと地面に落ちていく。
 しかも地面に落ちたペンキはそこで動きを止めず、近くのペンキと寄り集まって大きな塊を作っていった。

 異変は、そこだけに留まらなかった。
 木の上以外の場所、生き物は何もいなかったはずの地面にも変化が起こる。
 そこに生えていた黄色い草が急速にうねうねとうごめきだし、こちらもまた寄り集まり、黄色い泥の塊のような物に変わっていく。

 大きくなった『そいつら』がうぞうぞとのたうちながら俺に向かって来た時、ようやく俺は気付いた。
 ここには黄色い木や草があった訳じゃない。
 ただ、木の上、地面の上にびっしりと、『そいつら』が張り付いていただけなのだ、と。

 だが、その気付きはあまりに遅すぎた。
 俺が『そいつら』の正体に気付き、逃げ出そうとした時にはもう、俺の周りは黄色の海に囲まれていたのだ。

 まず襲ってきたのは、2メートルほどにまで肥大化した黄色いぶよぶよとした泥人形。
 しかしよく見ると、その泥人形の中で黄色い物が絶えずうごめいており、生理的嫌悪感を呼び起こされた。

 全力で逃げ出したい所だったが、逃亡しようにも回避しようにも逃げ場はない。
 レベル差は理解していたが、俺はやけになって剣を振るった。

 しかし、予想を裏切り、その一撃はあっさりと泥人形を両断する。
 まるで水でも切ったような軽い手ごたえ。
 これなら行けるか、と俺が希望を見出した時、

「なっ、ぅぷ!!」

 左右に分かれた黄色い泥が、そのまま俺を挟み込むように迫ってきた。
 黄色い泥が、俺にぶつかる。
 そしてそのまま、身体中に広がっていく。

 ――そこから先はもう、パニックになっていてよく覚えていない。

 視界はただ、黄色、黄色、黄色。
 黄色以外の物は何もない。
 ただ本能的に、俺はあの黄色い何かに群がられているのだと悟った。

 VRゲームの痛覚は、最小限にまで抑えられている。
 絶え間なく攻撃を受ける全身に、生きながら食われる痛みが伝わってこなかったのは幸いだった。
 しかしそれでも、何かが身体の上をもぞもぞと這いまわる感触は不足なく伝えてくる。

「ああぁ! うわぁあ! あおぉ、んぐ!!」

 『そいつら』は俺の身体中に取りつき、俺を地面に引き倒し、顔にすら這いまわって、口の中に入ってこようとする。
 俺が両手を振り、必死で叫んでも、『そいつら』が減っていく様子はない。
 際限なく俺に群がり、取りついてくる黄色。

「…! …! …!」

 VRのシステム上、モンスターが体内に入ってくるなんてことがありえないのが分かっていても、怖くて口が開けられない。

 俺は背中に身体中にとりついた『そいつら』を何とかしようと必死で地面を転がるが、背中でぶちぶちと何かが潰れる嫌な感触はするものの、『そいつら』の勢いは少しも衰えない。

 耳元でがなり立てる、HPゲージの減少を告げるアラート。
 それに気を配る余裕もなく、半狂乱で暴れまわる俺。
 HPゲージが0になるまでの、長い長い数秒間。

 ――結局俺は、その黄色の暴虐に少しも抵抗することも出来ず、為す術もなく殺された。



 おぞましさという意味では『猫耳猫』でも五本の指に入るような、立派なトラウマ体験である。
 ちなみにそれから、死にもどりしたラムリックのモノリスで、

「なんだこれ!
 なんだこのクソゲー!
 というか墜落ってなんだよ!
 もう絶対こんなろくでもない船には乗ってやらねえ!!」

 と一人で喚き散らし、俺はログアウトした。

 もちろんその後、俺が『こんなろくでもない船』に乗ることはなかった。
 結局2時間後くらいにプレイを再開した俺は、そのままラムリックで時間を潰し、『墜落したのとは別の魔封船』で王都に向かい、今度は問題なく無事に王都についたのだ。

 うん、やっぱり俺、嘘は言ってない。



 さて、当然ながら魔封船から墜落した俺を襲ったのは、『粘菌の森』の支配者。
 『猫耳猫』最悪モンスターの一角、『イエロースライム』である。

 このスライム、実は単体のHPが1しかなく、非常に打たれ弱いのだが、何しろ一体一体が非常に小さいため、槍や剣などの、点や線による攻撃はほとんど効果がない。
 1000匹が集まってようやく普通のモンスター1匹分くらいの大きさなのだが、これを剣で斬って攻撃したとして、一撃で倒せるのはせいぜい100匹。
 たとえどんな強力な斬撃を放ったとしても生き残った900匹には身体に取りつかれてしまうので、単純な物理攻撃はあまり意味がないと言えるだろう。

 魔法を使って面攻撃を行えればいいのだが、それが出来ない接近戦職に絶望的なまでに相性の悪い相手だと言える。
 まあ、当時の俺が魔法を使えていたとしても、絶対に勝ち目はなかったとは思うのだが。

 それに、こいつらはとにかく戦い方がえぐい。
 イエロースライムの持つ攻撃方法はただの一種類、『捕食』のみ。
 要は、ひたすら集まって群がって目標を食べるのだ。

 そのイメージが掴みにくいと言うなら、軍隊アリだとかピラニアだとかが獲物を貪る映像でも見てくれれば感じは掴めるかと思う。

 捕食の効果は、ゲーム的に言うと『くっついた相手のHPを一定時間毎に1ずつ減らす』という一見地味な物だが、逆に言えばそれはどんなに防御力が高くても無意味だということ。
 特に、モンスターと比べて圧倒的に最大HPが低い人間キャラクターにこの戦法は非常に有効だ。
 どんな屈強な戦士も、数百という粘菌どもに全身を覆い尽くされて捕食されれば、はっきり言って為す術がない。
 というかゲームならともかく、現実でそんなことをされれば、俺なら死ぬ前に発狂する。

 しかも、こいつらが食べる対象は人間に限らない。
 プレイヤー、NPCはもちろん、HPのあるアイテムや、一応は仲間であるはずのモンスターにすら群がっていき、とにかくHPが存在する物は同族以外何でもかんでも食べる。
 その上最悪なことに、食べれば食べるだけ、奴らは増殖するのだ。

 ――そしてこの増殖こそが、『イエロースライム』の最大の特徴である。


 当たり前と言えば当たり前の話だが、『猫耳猫』でも基本的・・・にはフィールド上のモンスターは一定以上増えない。
 一つのポップポイントからは、同時に二つ以上のモンスターグループが現れることがないからだ。
 全てのポップポイントからモンスターが出現した状態が、そのフィールドの実質的な最大モンスター数だと言える。

 ただ例外として、モンスターがポップ以外の方法で現れた場合、フィールド上のモンスターの総数が増加することもある。
 それは例えば、イベントによるモンスターの襲撃であったり、『魔物侵攻度』が最大になった隣のエリアからのモンスターの流入であったり、元からいたモンスターが、何らかの方法でモンスターを呼び寄せた場合であったりする。
 イエロースライムの『増殖』も、この事例に当たる。

 たとえ何もしなくても、イエロースライムは一定時間ごとに分裂、増殖する。
 その数はネズミ算式に増えていき、やがて森を黄色で埋め尽くす。
 その結果が俺の見た黄色の森だ。

 ただし、捕食対象のいない時の奴らの増殖速度はあまり速くない。
 いや、はっきりと遅いと言ってもいい。
 特に一体一体の大きさが非常に小さいこともあり、プレイ開始直後、まだ数が少ない内は分裂したところでほとんど脅威にはならないと言ってもいい。

 ただ、ネズミ算の恐ろしい所は時間が経てば経つほど増えるスピードが速くなること。
 最初に現れたスライムが1匹だったとしても、10回分裂を行えば、もう1000匹を越える。
 そこからさらに10回分裂すれば、100万匹に手が届く計算だ。
 序盤にラムリックの町を出るのに手間取っていると、王都にやってくる頃にはもう、『粘菌の森』の全てがイエロースライムに埋め尽くされ、金色の野のようになっていることも珍しくはない。

 そして、『粘菌の森』全てにスライムが満ちた時、そこから黄色の災厄が始まる。
 モンスターがフィールドに多く存在すると、『魔物侵攻度』が高くなっていく、という話は覚えているだろうか。
 ゆえに当然、『粘菌の森』をイエロースライムが埋め尽くした時、『粘菌の森』の『魔物侵攻度』は恐ろしい勢いで増えていく。
 それがある一定の値を越えた瞬間、『魔物侵攻度』の仕様により、彼らは隣接するフィールドに侵攻することが許される。
 スライムは『粘菌の森』を越え、ほかの地域にまであふれ出すのだ。

 そうなってからの奴らの侵攻のスピードは、それまでとは比べ物にならないくらい速い。
 何しろほかのフィールドには、一定間隔で湧き出す彼らのエサ、つまり一定時間ごとにポップしてくるモンスターがいるのだ。
 流石に食べた質量と同じだけ増える、なんてことはないが、捕食が行われると、確実に増殖のスピードは速くなる。

 やがてイエロースライムは近隣のフィールドのモンスターを食い荒らして増殖し、そのフィールドをその黄色い身体で埋め尽くし、瞬く間にその場所の『魔物侵攻度』を押し上げる。
 するとイエロースライムはさらに隣接するフィールドになだれ込むことになり、そこでモンスターを捕食して増殖し……という悪循環。

 流石に高レベルフィールドではそこのモンスターに返り討ちにされることも珍しくないが、レベル100以下のフィールドであれば、奴らは瞬く間に支配してしまう。
 それを次々と繰り返し、粘菌はやがて王都にまで押し寄せてくるのだ。


 まあいくら最近のゲームは処理能力に余裕があるとはいえ、プレイヤーが見ていない所で馬鹿正直にモンスター同士の戦闘の処理など行ってはいないだろうが、逆に言えば見ている部分についてはきちんと描かれるということでもある。

 それを利用し、天空都市から延々と粘菌たちの世界侵略を眺め続けた超暇人動画、『粘菌の野望』はなかなか面白かった。

 この動画、倍速再生は必須ではあるが、粘菌たちがいかにして世界を席巻していくか、その様子が詳しく観察出来るため、このゲームをやり込んでそれぞれのフィールドについて知識を持っている人ほど楽しく見ることが出来る。

 『イエロースライム』の設定レベルは120。
 HPが1で攻撃ダメージも1固定なので、このレベル設定はあまり意味がないのだが、大体これがイエロースライムの強さの基準になっているらしい。
 このレベル以下のフィールドに奴らが入り込むと、一瞬でフィールドに黄色が広がっていき、そのフィールドを制圧していくのが見ていて分かる。

 一方で、レベル120以上、特にレベル150を超えるようなフィールドになると、侵攻の速度が鈍るのが見ていて分かる。
 高レベルのモンスターになるとHPが膨大になるため、捕食攻撃が大した意味を持たないのだ。

 例えば、俺たちを苦しめたキングブッチャー。
 あの時は裏技的な手段で素早く倒してしまったが、あいつは膨大なHPと再生能力を持っている。
 たとえ粘菌が身体中に取りついて捕食を行っても、それよりも回復するHPの量が多いため実質無傷。
 反撃として、全身に当たり判定が存在する突進攻撃などで数百、数千の単位でスライムたちを蹴散らせるため、奴らを撃退してしまうと言う。

 しかし、やはり物量は力だ。
 一方向から流入するだけでは撃退されていた粘菌たちも、周り全てを自分たちのフィールドに変え、四方から攻め入ることで、その地域を制圧してしまうこともある。
 先のブッチャーなどは絶対に殺されることはないが、それでも万単位で押し寄せる粘菌を殺し尽くすことも出来ない。
 結果、モンスターは健在であっても、フィールド自体は黄色に塗り潰されるなんて事態も発生する。

 完全に水際で侵攻を止めているのは、魔王の城のある火山フィールド程度。
 いや、もしかするとこの場所だっていつかは陥落させられるのでは、と、いつの間にやらスライム視点で世界制覇を応援しながら見ていたりするのだが、残念ながらこの動画で粘菌の世界征服を見ることは出来ない。
 やはりラスダン付近の敵は強力であるし、何よりこの侵略には明確な時間制限が存在するからだ。

 粘菌が世界中に溢れ出すと、各地の『魔物侵攻度』が跳ね上がるのは、さっきも言った通り。
 王都を訪ねていると『王都襲撃』イベントなどが発生して、瞬く間に粘菌に平らげられたりするが、『魔物侵攻度』が上がることで発生するイベントは、何もそれだけではない。

 ――『邪神復活バッドエンド』。

 粘菌の世界侵略を長い時間放置すると、戦況システムがこの世界は魔物優勢になったと判断し、強制的に邪神が復活、ゲームオーバーとなってしまうのだ。



 というか実際、普通にゲームをプレイすることを考えるなら、街が粘菌に滅ぼされた時点で実質ゲームオーバーと言えなくもない。

 最初のパッチ以降、ストーリークエに必須なNPCは死ぬとクエストアイテムを落とすようになったため、どれだけ人が死んでも最終的に魔王を倒せるならクリアは可能、ではある。
 ただ、ノーヒントでそれらを使いこなせるはずもなく、また、正規の進行でゲームを進めなかった場合はバグに引っかかる可能性も跳ね上がるので、大抵は魔王までたどり着けないのだ。


 それを避けたいのなら、粘菌共が侵攻してきてもどうにかして街を守るしかないのだが、これがなかなか難しい。

 奴らの弱点は一応火ということになっていて、火の気がある場所にはしばらくは近付いて来ない。
 ゲームで『粘菌の森』に墜落した俺がしばらく襲われなかったのも、燃えている魔封船を背にしていたおかげだ。

 しかし、これも長くは続かない。
 火があっても捕食対象があれば奴らはあきらめず、自分たちの数が充分にそろったと見るや、周りを取り囲み、火を気にせずに突撃してくるようになる。
 そして一度身体に群がられたら、もう対処の手段はほとんどない。

 身体に取りついた粘菌たちを一気に振り払うようなスキルはそうないし、仲間からの援護も同士討ちのリスクがあるために期待出来ない。
 そして、さっき言った通り、粘菌の捕食攻撃はどんなに防御力が高くても必ず1ダメージを与える。
 これはHPの低い人間キャラクターが耐えられる攻撃ではないのだ。

 ならば取りつかれる前、遠距離からの魔法攻撃が対粘菌戦闘のセオリーと言えるが、これだって楽なものではない。
 奴らのスピードはそれほどではないが、奴らの圧倒的な物量に対抗するだけの火力を用意するのは並大抵ではなく、また、相手が集まって塊になっている場合、その塊の表面にいる奴らは倒せても、その奥にいる奴らまでは魔法が届かない。
 そして敵を残してしまった場合、奴らは『再生』するのだ。

 ゲーム的にどういう処理をされているのかは知らないが、あいつらは共食いはしないが、仲間の死体は食べる。
 魔法などで奴らを倒してその死体が消えるまでの間に近くに粘菌がいると、そいつは仲間の死体を捕食して取り込む。
 そしてそれを糧に増殖し、数を増やすのである。

 仲間の死体とはやはり相性がいいらしく、例えば100の粘菌のうち、50を倒した場合、残った50の粘菌が仲間の死体を食べて増殖し、75程度まで数をもどす。
 非常に厄介な性質だが、それはもちろん、こっちの仲間がやられた場合も同じだ。

 誰か一人がやられると、そいつ自身はもちろん、そいつの持っているアイテムまで食べ尽くし、奴らはまた増殖する。
 だから街にまでたどり着かれた場合などは、本当に最悪だ。
 奴らのエサは無数にあり、こちらは人を気にして大規模な魔法やスキルが撃てない。
 結果、少しずつ仲間が減っていき、逆に敵の数はどんどん増えていく。

 数多の『猫耳猫』プレイヤーはその絶望的な戦いに挑み、そして希望すら見出せずに散っていった。

 ――『粘菌バッドエンド』。

 その絶望を端的に表した言葉が生まれたのは、そんな時だ。

 粘菌が森から出たら手遅れという定説が生まれ、wikiの注意事項の先頭に『一定期間毎に必ず粘菌の森のモンスターを全滅させて下さい。さもないと無限増殖して詰みます』という文章が掲載されたのも同じくらいの時期だったと思う。


「だから今、まだ奴らの数が少ないこの時に、俺たちは動かないといけないんだ」

 情報源については伏せながらも、俺はその範囲で伝えられる限りの情報を伝えた。
 しかし、

「お前ら……」

 残念ながら、俺の話は真面目に聞かれていなかった。
 くまはまた俺の首にくっついて頭をペチペチやっているし、ミツキはそっぽを向いていて、リンゴに至っては道場から持ってきた牛乳を飲んでいる。

「それおいしそうだな、リンゴ」

 皮肉を込めて言ってやると、

「…ん。ミルク、おいしい」

 リンゴは無表情ながら嬉しそうにうなずいて、けふ、とミルクくさい息を吐いた。
 ちょっとエロい、ではなく……。

「あのな、今は大事な話をしてるんだぞ?
 あいつらは本当にやばいんだよ!
 ほら、ミツキもちゃんとこっちを……」
「確かに、尋常ならざる相手のようですね」

 俺はそこでようやく、ミツキの猫耳がピンと伸びて強張っているのに気付いた。

「ミツキ…?」
「私はかなり目が良く、夜目も利きます。
 ただ、不思議ですね。
 二つ先のフィールドにあるはずの木々が、一本も見つけられません」

 二つ先…?
 俺は一瞬ミツキの言葉を脳内で反芻して、ようやく気付いた。
 ミツキが見ている方向、それは、『粘菌の森』がある方角で……。

「まさか……」

 しかし、ありえない。
 まだゲームが始まって二週間程度。
 この段階ではまだ、『粘菌の森』にいる粘菌の数はそう多くないはず。
 いや、それ以前に、木が食われるなんてことは……。

(そうか!!)

 この世界がゲームではなくなったことを失念していた。
 ゲーム世界において、木はフィールドの一部。
 道場にある大木のような特別な物を除けば、干渉不可能な存在だった。

 しかし、この世界では違う。
 ゲームでは出来なかった、地面を掘ることも壁を壊すことも出来た。
 だとしたらもちろん、木を壊す、あるいは食べることだって……。

「まずいな……」

 木がなくなったこと、それ自体は別にいい。
 だがもしも、木を食べたことで粘菌の増殖のスピードが上がっていたとしたら?

 干渉可能になったとはいえ、HPが存在しない物質ではあるし、増殖とは無関係だったという可能性はある。
 ただ、ゲームとは違う展開を見せている以上、何が起こるかは予測出来ない。

(どうする? 一刻も早く森に向かえばいいのか?
 それともやっぱり、一度道場にもどって……)

 俺が今後の行動をどう修正するべきか悩んでいたのだが、

「気付いていますか?
 私達はこんなに目立つ場所で、明かりを持ってここにいます。
 なのに、私達を狙ってくるモンスターが一匹もいません」

 ミツキが口にした言葉は、その思考を一気に吹き飛ばした。

 俺はさっき、最悪の状態まで考えて予想をしていたはずだった。
 だが、既に事態が、それすらも越えて動いていたとしたら?

「ソーマ…!」

 リンゴが、まだ半分だけ中身の残った牛乳瓶を、遠くに投げた。
 それが地面に落ちた瞬間、闇の中から何かが這い出し、牛乳瓶を覆い尽くす。

「なっ!」

 そして一瞬の停滞の後、それはまるで光を嫌うように闇にもどっていった。
 そこに落ちたはずの牛乳瓶は、もう影も形もない。

 ごくり、とつばを飲み込んだ。
 今見たのがなんだったのかなんて、もはや考えるまでもない。

「みんな、気をつけろ。
 とにかく俺から、火の傍から離れないように」

 これからはもう、一瞬の油断も許されない。
 なぜなら……。


「――ここはもう、粘菌の森だ!!」



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