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【社説】

特定秘密保護法案(2) 情報は国民のものだ

 「迷ったら、公務員は情報を開示することが原則だ」

 米国のオバマ大統領は一期目の就任初日に、こんな趣旨のメモを記した。軍事大国で、元CIA(米中央情報局)職員スノーデン氏が告発したように、通信情報を広範に収集している国だ。

 だが、基本的に情報はオープンという伝統を持つ自由と民主主義の大国である。情報公開を促す「情報自由法」を持つ。国家機密でも解除は十年未満に設定され、二十五年たつと「自動解除」原則がある。五十年、七十五年の例外的なケースもあるが、行政機関がずっと秘密を持ち続けることの方が困難な制度をつくっている。

 機密の指定段階でも大統領令で、行政機関の「長」はフリーハンドで行えず、常に「説明しなさい」という状態に置かれる。疑念があれば、行政内部で異議申し立てが奨励される。外部の委員会に審査請求できる仕組みもある。

 ここで機密解除された裁決は二〇一〇年度で68%にのぼる。秘密の範囲が無限定になると、民主主義が危機に陥ってしまう。同年には過剰な機密指定を削減する法律もつくったほどだ。

 秘密保護法案は秘密の指定や保管、解除、処罰に大きな欠陥を抱えている。海外メディアの特派員でつくる「日本外国特派員協会」が「報道の自由および民主主義の根本を脅かす悪法だ」と声明を出したのも、うなずける。

 そもそも行政情報は国民のものである。国民主権原理が常に働いているからだ。外交上の秘密であっても、必要最小限のみを指定すべきであり、秘密保持期間も本来は一時的でなければならない。その外交政策が後に適切であったかどうかの検証も必要である。

 「国政に関する情報が基本的に国民に開かれていることが原則である。(中略)なんでも秘密だというのでは、自由の原則が崩れてしまう」

 一九八〇年代にスパイ防止法案が論議されたとき、谷垣禎一法相は月刊誌にこう書いた。「刑罰で秘密を守ろうという場合は、よくよく絞りをかけておかないと、人の活動をいたずらに萎縮させることになりかねない」とも記した。まっとうな意見だ。

 現在、谷垣氏は「当時と状況が違う」と語るが、「自由の原則」は不変のはずだ。民主主義の根幹を揺るがす法案には、外国特派員とともに「悪法」と呼びたい。 (論説委員・桐山桂一)

 

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