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第七十五章 幻のスキル
『乱れ桜』 大太刀スキル
たったの十数秒の間に数百もの斬撃を放つという、怒涛の連続攻撃技。
速すぎるその斬撃は目には捉えられず、その様が乱れ散る桜の花びらのように見えたという逸話からこの名前がついた。
あまりに鋭すぎるその太刀筋は、相手に自分が斬られたことにすら気付かせない。
この技を受けた者は、攻撃が終わった瞬間、ようやく自分が斬られていた事実を知るという。


 これは『猫耳猫』の発売前、公式ページに載っていたスキルの説明文だ。

 もちろんこの時点ではまだ『猫耳猫』の残念さは明らかになっていなかったので、この説明を見たゲーマーたちは当然この技に多大な期待をかけ、胸をときめかせていた。
 制作サイドもこの技の注目度が高いことは理解していたのだろう。
 最初に出た『猫耳猫』の予告動画に、このスキルを使っている様子も載せられていた。

 まだ多人数参加型のネットゲームだと宣伝していた時期のことなので、その当時の俺はそこまで『猫耳猫』に期待はしていなかったのだが、このスキルの映像を見た時は、少しだけ『このゲーム欲しいな』と思わされた。
 そのくらいに、その映像はかっこよかったのだ。

 技紹介の一番最後に出て来た『乱れ桜』の映像は、たった3秒程度の単純な物だ。
 その映像はまさに『乱れ桜』のスキルが発動している最中、侍風の男が巨大なドラゴンに向かって無数の斬撃を放っている場面から始まる。
 そして、それを見た人間がその連撃の激しさと美しいエフェクトに息を飲んでいると、唐突に攻撃がやみ、男はまるで血を払うように大袈裟に剣を振るう。
 すると背景に「大太刀スキル『乱れ桜』」とカッコイイレタリングの紹介文が浮かび上がり、直後にドラゴンが倒される、という短いながらに迫力のある映像だった。

 まあ、どう頑張っても斬撃が桜の花びらに見えるなんてことはなかったが、

「すげぇ! とにかく、すげぇ!」

 と映像を見た俺は一人ではしゃいでいたのを覚えている。


 その後、ゲームが実際に発売され、そのあまりの出来と対応の悪さに『猫耳猫』の期待値は一気に下がり、動画を前に胸を躍らせていた人のほとんどが、『猫耳猫』に見切りをつけた。
 しかし、俺を含む少数のプレイヤーたちは、それでもなお『乱れ桜』の美麗な映像に心を囚われ、いつかその技を使ってみたいと想い続けていた。

 だが、その夢が叶うまでには多くの時間が必要だった。
 『乱れ桜』は大太刀の技だが、まず大太刀自体がなかなか手に入らない。
 やっとの思いで大太刀を入手しても、その時点での大太刀の武器熟練度はもちろん0。
 使い慣れた武器を捨てて大太刀に鞍替えする者は少なく、さらに大太刀は大きくて重いので、熟練度を上げるのが困難だった。

 しかも、大太刀使いになっただけでは『乱れ桜』にはまだ届かない。
 習得に必要な武器熟練度が異様に高く、通常プレイでは絶対に稼げないほどの熟練度が必要だったのだ。
 連日無味乾燥な武器熟練度上げを行うか、たいまつシショーのような裏技に頼らなければ到底習得することは出来なかった。

 そして、そこまでの苦労をしてようやく覚えたスキルなのに、なぜか使用出来ないという問題が発覚した。
 またバグかと思われたが、今回ばかりはそうではなかった。

 なんとこのスキル、消費するスタミナの量が初期最大値のぴったり倍。
 スタミナはレベルアップで上昇しないので、スタミナが上がる装備や魔法を使わなければ、使うことすら出来ない技だったのだ。
 アクセサリーをゲームよりたくさんつけられる俺ならともかく、ゲームでスタミナを200%まで上げるのは並大抵ではない。

 こうして数々の関門を乗り越えた者だけが、『乱れ桜』へと辿り着く。
 全ての障害を乗り越え、『乱れ桜』を目にした者は、予告動画の映像通りの、いや、それ以上の美麗なエフェクトに驚嘆し、感動した。

 そして――




「――奥義、『刹那五月雨斬』!!」

 俺の言葉に、真っ先に反応したのはやはりと言うべきか、ミツキの父親でもあるヒサメ道場の道場主、アサヒ・ヒサメだった。

「退け!」

 一言、道場の空気を震わせるような声で叫び、直後、その場にいた門下生全員が後ろに跳んでいた。

 この判断は流石と言うしかない。
 ミツキのように空気の揺らぎでも見えるのか、あるいは殺気とかいう謎な物を読んででもいるのか。
 とにかくアサヒの一声で門下生全員が後ろに跳んだほんの一瞬後、その鼻先をかすめるようにして斬撃の雨が降り注いだ。

「なっ!」
「こ、これは…!」

 今まで表情を変えなかった門下生たちの中の幾人かが、思わず驚きの声を上げる。
 かろうじて声は出さなかった残りの門下生も、その表情を驚きと恐怖に歪めている。

 大太刀はレアな武器であるためにそのスキルが人目につくことは少ないであろうし、ましてや『乱れ桜』ともなればプレイヤー以外が使用するということはまずありえない。
 長大な大太刀のリーチでの連続攻撃。
 その迫力は、初めて目にした者にとっては脅威だろう。

「こんな、技が……」
「どうやって破れば……」
「もし、アサヒ様の言葉がなければ……」

 なまじ鍛錬を積んでいるからこそ、このスキルのデタラメさが分かるのだろう。
 武の研鑽を積み、動揺をあまり表に出さないはずの門下生たちの口から、弱気な言葉が口々に漏れる。
 だが、それも無理もない。

 上下左右斜め、人間に可能なあらゆる角度から正面に向けて斬線が走る。
 その一つ一つが鋭く、そして速い。
 その一撃を目で捉えることなど出来ず、一瞬の間に様々な角度から同時に打ちかかってこられたような錯覚を相手に引き起こす。

 それは線による攻撃と言うよりは、もはや面の攻撃。
 いや、俺を中心に前方に向けて放たれているため、半球の形をした攻撃となるだろうか。

 それはさながら、剣の結界。
 恐ろしいまでの剣速の斬撃によって生まれた、半球状の絶対不可侵領域。
 それが俺の前には生まれていた……ように見える、一見。

 だが、

「ふん。下らん目くらましだな」

 ミツキの父親、アサヒはあっさりとそう言って、

「アサヒ様!」
「ま、まさかっ!」

 ためらいなく、絶え間の斬撃の雨の中に足を踏み入れた。
 当然その瞬間、アサヒの身体を四方八方から襲った斬撃が切り刻み……はしなかった。

「あ、アサヒ、様…?」
「な、なぜ…?」

 斬撃の雨の中、悠然と立っているアサヒを見て、後ろの門下生たちが呆然としていた。
 その何が起こったか分からないという唖然とした顔を見て、俺は初めて『乱れ桜』が世に出た時のことを思い出してしまった。

 あの時も同じだった。
 『乱れ桜』を目にした者は、予告動画の映像通りの、いや、それ以上の美麗なエフェクトに驚嘆し、感動した。
 そして、実際にその技を敵に使ってみた瞬間、しかし全ては反転する。

 ――そう、確かにその刹那、『猫耳猫』世界に切なさが乱れ舞ったのだ。



 前述した通り、『乱れ桜』の説明文には、

あまりに鋭すぎるその太刀筋は、相手に自分が斬られたことにすら気付かせない。
この技を受けた者は、攻撃が終わった瞬間、ようやく自分が斬られていた事実を知るという。

 とある。
 昔の俺にとってはただかっこいい説明というだけだったのだが、『猫耳猫』に慣れた今の俺なら、こんな風に訳すことが出来る。

このスキルは攻撃が全部終わるまで、ダメージを与えられません。

 つまりこの技、最後までスキルを出し切らないと、何の効果も発揮しないのである。


 まあ今だから言えることだが、斬った時は何も起こらなくて、攻撃を終えた瞬間に敵が倒れる、みたいな演出をやりたかったというのは理解出来なくもない。
 実際にそういう映像を見て胸を躍らせたのは確かだし、かっこいいとは思うのだ。
 ただそれを、『本当にゲームでやっちゃった』らどうなってしまうのか、少しは考えて欲しいと思う。

 事実、喜び勇んで『乱れ桜』を使ったプレイヤーたちは唖然とした。
 最後にしかダメージが与えられないということは、連続攻撃を繰り出している最中は完全に無防備になっている、ということでもある。
 約18秒間にもおよぶ連続攻撃は、見た目としては敵を寄せ付けない攻防一体の奥義を繰り出しているようにも見えるが、実際には足を止めて回避も防御も出来ないまま敵に無防備な姿を晒していることに他ならない。

 モンスターは基本、こっちが斬撃エフェクトをまき散らしていても平気でかかってくる。
 『乱れ桜』を繰り出したプレイヤーは全員、目の前のモンスターにあっさり近付かれ、攻撃を受けるはめになった。

 しかもこのスキル、『技をきちんと終了した』時だけしかダメージが入らなかった。
 きちんとした終了とはすなわち、スキルのモーションを全て終えるか、あるいはキャンセルで終わりにするか、である。
 それ以外の終わり方、つまり技の途中で攻撃を受けるなどしてスキルが中断されると、技の効果まで消えてしまうことが発覚したのだ。

 せめて斬撃の途中にキャンセル出来ればよかったのだが、最初のキャンセルポイントは斬撃を繰り出す前で、次のキャンセルポイントは斬撃を繰り出した直後。
 一応二つ目のキャンセルポイントでキャンセルをすれば隙は少なくなるが、それは最後の血を払う動作がなくなるだけで、19秒の隙が18秒になる程度の効果しかない。
 これを知った『猫耳猫』プレイヤーたちは、絶望した。

 『乱れ桜』はかっこいいし、強い。
 効果範囲は広いし、動かない敵に使ってみれば、実際に他のスキルとは比べ物にならないほどの威力を発揮する。

 しかし、強敵と戦う時ほど使えない。
 18秒もの斬撃モーションの間に敵に攻撃されるし、そんな強敵に無防備に殴られれば当然スキルは中断される。
 しかもスタミナ消費が多いためにその後しばらくはろくにスキルも使えない。

 どうでもいいスキルならあきらめもつくのに、なまじ習得に苦労して、威力自体は文句がない分なんとなくもやもやする、もどかしい!
 悲しいとか苛々するとかではなくて、なんというかこう、切ない!!

 ――こうして生まれたのが、『乱れ桜』の別名、『刹那せつなさ月雨斬(みだれぎり)』だった。




「いいんですか? 不用意にそんなに踏み込んで」

 しかし、そんなせつなさ炸裂な奥義でも、人相手の抑止力にはなる、というのが俺の予想だった。

 だって、そうだろう?
 明らかに剣が振られているのに当たっても何も起こらないとか、普通は考えない。
 俺がそういう風に考えられるのは、この世界がゲームだと知っていて、スキルでダメージが入るのは武器が当たっているからではなく、そこに攻撃の命中判定が存在しているから、と知っているからだ。

 そう考えてこの博打に踏み切ったのだが、当てが外れてしまった。

「ワシをあまり甘く見るなよ、ソーマ君。
 攻撃が始まる直前に恐ろしい殺気を感じたが、それだけだ。
 今のその剣からは何の圧力も感じない。
 大方何かの幻術の類だろうが、ワシには通じんよ」

 剣の嵐の中で涼しげにそう言い切るアサヒに、俺の額から冷や汗が落ちる。
 そこまで見抜かれているとは、流石ヒサメ道場の道場主。

(殺気を読むとか、ファンタジーかよ。
 いや、ファンタジーだけどさ)

 彼の考えている通り、この斬撃にはダメージ効果は何もない。
 今接近されて攻撃を受ければ、俺に対抗手段はない。
 いや、それどころか、あっさりと殺されてしまうかもしれない。

 完全な絶体絶命の状態だった。
 しかし、ここに至ってもアサヒは油断しない。

「4人、来い」

 アサヒが一言声をかけると、9人の門下生の内アサヒに近い場所にいた4人が斬撃の雨の中に足を踏み入れ、残りはその場に待機する。
 5人を残したのは、もしこの斬撃に効果があった場合の後詰めを残すためだろう。

 4人は何も言われずともアサヒの両翼に移動して、俺を囲むように剣を構える。
 ただでさえ逃げ場がなかった状態が、完全な八方塞がりの状況へと変わる。

「どうやら、これで詰みのようだね。
 まあ、安心してくれていい」

 その言葉と共に、俺を囲んだ5人が一斉に逆刃刀の刃を返した。
 反りの入った峰が上を向き、直線状の刃が下に。

 そして、


「ワシらがやるのは、ただの峰打ち(・・・)なんだからね」


 5人が同時に逆刃刀を振り上げる。

(終わり、か……)

 俺は、心の中でそうつぶやいた。

 逃げ場はない。
 そもそも技が終わるまで動けない。
 スキルをキャンセルをするだけのスタミナの余裕もない。

 だから俺は、振り上げられた刃を見て、ごくりとつばを飲み込んで――



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