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「関東大震災と朝鮮人虐殺のまぼろし」-3

2010/08/29 07:34

 

関東大震災と朝鮮人大虐殺の真実」三回目です。
先日のNHKニュースのTOPは、朝鮮からの若手女性歌手の団体が来日した報道だったそうです。国内では、円高に苦しむ企業や、無作為の政府民主党など国民に係わる重要な出来事が在っても、朝鮮の方が大切なのでしょう。

流石は支那・朝鮮報道機関であるNHK(日本反日協会)です。

■戒厳令

加藤友三郎前内閣での内務大臣・水野錬太郎は、警視総監・赤池濃(あつし)と対策を講じ、9月2日戒厳令が発令されます。此の段階では、朝鮮人の暴動は燎原の火の如く拡大していました。其処で必要な勅令の裁下を得た森岡東京衛戍司令官は、東京府全域、神奈川全域、千葉、埼玉まで戒厳区域を拡大します。

其処で、関東衛戍司令部が設置され、福田雅太郎陸軍大将が司令官に、参謀長に阿部信行陸軍少将が任命され、戒厳体制が整ったのです。新体制確立と共に、朝鮮人襲来への警告や取締りは一旦強化されます。内務省警保局から各地へ緊急電が発せられました。

「東京附近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎ放火する者あり。鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」

乍併、事態は意外な方向へ急展開します。新政府より「朝鮮人を迫害するな」と総理大臣談話が発表され、自警団の武装解除が命じられたのです。是は新内閣で内務大臣に就任した、後藤新平による警備方針の一大転換でありました。一線の警官や自警団にすれば、突然味方陣地から冷水を浴びせられた思いで、驚愕を隠せなかったと思います。後藤の舵取りで予想外の方向転換が始まったのです。

最初の異変は「東京日日新聞」の4日手書き号外で現われます。

「武器を持つ勿れ ー 朝鮮人は全部が悪いのではない。鮮人を不当にイヂメてはならぬ。市民で武器を携えてはならぬと戒厳令司令官から命令をだした」

ほぼ同じ内容の告示が他紙にも掲載されます。
○善良なる朝鮮人を敵視しては為りません。
○各自に武器等を執て防衛する必要はありません。
○警察力も兵力も充分ですからこれに信頼して安心してください。

是等の記事で分かる事は、朝鮮人の襲撃が無かったとは一言も謂っていない事です。襲撃は在ったが戒厳令が発令された以上は、軍に任せ、市民は武器を持つな、更に善良な朝鮮人も居る筈だからそういう者は敵視するな、と謂う限定した意味が込められていると理解できます。

後藤新平は新聞報道へ介入する事で、朝鮮独立運動家による日本攻撃の矛先を緩める策を続けます。朝鮮人に因る善行や小さな親切を捜し、唐突な感じで美談が新聞紙上を飾ります。

「朝鮮人の爆弾、実は林檎」
湯浅警視総監の発言ですが、一人の朝鮮人が偶々林檎を持っていたが、其れが爆弾との誤認だから全ての朝鮮人は無実である、とする論法です。暴論と謂える発言です。

「鮮人団相愛会が無償で道路工事」
南千住の朝鮮人団体が、社会奉仕したとの報道ですが、生き残った日本人も同様に後片付けをしているのです。朝鮮人だけが道路工事をした訳でも有りません。而も「無償で」と説明付ですが、有料で片づけをした日本人が居たのでしょうか。

「鮮人に救はれた老婆 行方も分からぬ命の恩人」
本所に居た老婆が朝鮮人に助けられた美談ですが、是も同様の行為をした日本人は無数に存在する筈です。態々朝鮮人のみを記事にする姑息な手段です。

新聞記者は震災取材の中で、此の様な朝鮮人の善行を捜すように上司から命令されたのでしょう。こうして急速に自警団の武装解除は進み、内務省の指導、統制により名称も「自警団」から「自衛団」に変わりました。

大震災当時、正力松太郎は警視庁官房主事でした。彼が「こうなったらやりましょう」と発言した事で、暴動鎮圧を煽ったとする歴史家が数多く居ます。然し、事はそう簡単では有りません。後藤新平の腹の内は、朝鮮独立運動家の凶悪犯罪を戒厳令の軍力でしのぎつつ、自警団を武装解除させ、民心の安定を図ることでした。

肝胆相照らす間柄の両名にとって、後藤内務相の流言防止対策を講じる方針に沿って、説得を受けた正力は其の意図に従い行動します。後藤の意図は、下記の発言から理解できます。

「正力君、朝鮮人の暴動が在った事は事実だし、自分は知らない訳ではない。だが、自警団に任せて力で押し潰せば、彼等も引き下がらないだろう。必ず其の報復が来る。報復の矢先が御上(天皇・皇室)に向けられたら、(自分が)腹を切った位では済まない」

後藤は事態の悪化を防ぐ為に、苦肉の策謀を廻らせたのです。「引き際作戦」と謂うべきこの苦肉の策は、当に「肉を切らせて骨を絶つ」遠大な策略でした。

■「虐殺人数」の嘘

「国際世論も日本非難の論調を強める構えを見せ始めた」と作家佐野眞一は『巨怪伝』で述べます。松本清張達も同様に虐殺を唱えます。然し、余程の情報不足の大使館か、社会主義者による謀略宣伝に騙された外交官以外は、そのような事を信じる海外領事館は無かったのです。下記は英国大使館の報告書です。

「戒厳令が布かれ、軍部の適切な行動に因り深刻な暴動や掠奪は有りませんでした。乍併市内では、建物に放火をしたと謂う事で、僅かな(a few)朝鮮人が人々に殺されたように見受けられます。朝鮮人の中には一定の不平分子が居て、彼等が放火の罪を犯した可能性があります」

英国大使館では二三人と報告しているのに、在日朝鮮人学生に因る調査、上海の亡命朝鮮政府機関誌「独立新聞」の調査、吉野作造、政府の調査などから、様々な虐殺人数が報告されました。一体真相は何処に在るのでしょう。

一「独立新聞」説~6千419人

上海には多くの朝鮮独立運動家が集結しており、機関誌「独立新聞」の社長の名を取って此の報告書は「金承学調書」と呼ばれ多くの関係書に翻訳引用された、「虐殺人数の原典」とも謂える存在です。

報告書の奇怪な事は「屍体を発見できなかった同胞」数が、2千892名も居ます。虐殺されたとする死体が発見出来ないものを、虐殺に加算するには道理が通りません。

次に「屍体を発見した」者は約1千274人ですが、是も殺害なのか震災に因る死体なのか不明です。膨大な死者数の為に臨時の火葬場を設置して死体処理にあたり、完了は十月中旬です。どの様にしてカウントしたのでしょうか。

「近県から集まった追加報告」として、2千256人が追加され、最終的に6千419人が虐殺されたと報告されました。聞取り調査した彼等は、如何にして死体を確認し、検視結果を調査し、氏名・住所と照合したのでしょうか。

二「同胞慰問班調査員・崔承万説」~2千607人

学生を中心とする「在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班」崔承万の報告です。此の調査で理解できないのは、「実際の被虐殺予想数」を場所に因り「または」と併記している点です。根拠無きいい加減さも酷いのですが、500人、80人、200人 のように、雑駁な数値は論外であると謂えます。更に崔は、実際の虐殺数は5千人以上であると追加推定します。

崔は「我々が調査した(殺害された)2千613人以外に、数千人以上の人が殺されたと思う」と虐殺宣伝資料に記載しています。驚く事に吉村昭関東大震災』も此の「慰問班」数字2千613人をそのまま引用しているのです。

其れでは震災当時に朝鮮人は一体何人居たのでしょうか。当時の在日朝鮮人は約8万人であり、東京に於いては約9千人(労働者6千人、学生3千人)とされます。政府関係書類では震災時に、地域圏外に帰郷、仕事、休暇などで居なかった人数を二割と推定し、1千800人引いています。即ち、東京に残っていた人数は約7千200人です。

近県での在日朝鮮人数は約3千人。圏外に出ていた人数は推定約400人。即ち、近県に残った人数は約2千600人と為ります。従って、震災時の関東に居た在日朝鮮人数は、推定約9千800人です。この数字が全てを点検する基礎数字と為ります。

9月17日現在に於ける政府の統計数字に因れば、関東地区の各所に収容、保護された朝鮮人は6千797人居ました。先程の9千800人から差し引いた、残りの約3千人の中に震災での焼死者、圧死者、行方不明者が含まれると考えられます。此の数字を見れば、2千数百人や5千人、6千数百人と謂う「虐殺」数が、如何に荒唐無稽なものか一目瞭然です。

一方で、戒厳令司令部は自警団等に因る、過剰防衛容疑の日本人367人を起訴しました。此の調査報告に基づいて、殺害された朝鮮人の人数を、233人であると公表します。

在日人口9千800人から、保護された人と被殺害者を差し引いた2千770人には、所謂テロリストの死者も含まれます。対人死亡率などから計算した結果、810人がテロリストと推定されました。

其処で「独立新聞」の数字を調査結果に照らし合わせると奇妙な事が起ります。彼等の主張する殺害人数6千419人と政府公表の数字を合算すれば、関東での在日鮮人の数は1万3千449人に膨れ上がります。謀略とは謂え是だけの朝鮮人が「殺害並びに強制連行された」と主張すれば、大震災で死亡した朝鮮人は一人も居ない事に為るのです。十万人以上が落命した大災害で、朝鮮人は一人も死ななかったのですか?

大正時代を代表する民本主義者である吉野作造は、2千613人殺害説を採ります。処が彼の調査其の物は、「同胞慰問班調査員・崔承万説」とほぼ同一です。吉野は「朝鮮罹災者同胞慰問班の一員から聞いたものである」と断っていますが、慰問班の一員とは崔承万しか居ません。つまり吉野の聞取り調査とは、崔の数字を粗そのまま引用しているのです。餘に杜撰であり日本国民を愚弄しているとしか思えません。

彼等の主張する数字からは、当時の在日朝鮮人の総数からして、震災に因る死者が一人も居ない事に為りますが、是まで其の奇異に誰も触れようとしていません。真に不可解な事です。

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