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第五十九章 包囲網
 その提案を聞いた瞬間、話を受けるとか受けないとかの前に、背筋がぞわりとした。
 これは、まさか……。

「リンゴ、何か言ってみてくれ!」

 俺は間髪入れずにリンゴの方を向いて、そう叫んだ。
 リンゴは俺をじっと見つめて、しばし逡巡した後、

「……えだげ、ぞうだい?」
「よし!」

 何がよしなのか傍から見ていると意味不明だろうが、これで最悪の事態は回避されたことが確定した。
 枝毛増大とか意味不明な上になんか怖いが、だからこそこれはリンゴの本来の台詞だと断言出来る。
 ヒサメに誘われた時はヒサメの連続イベントが始まってしまったのかと思って生きた心地がしなかったが、そうではなかったようだ。

 何しろ、ヒサメに一騎討ちで勝利したことで起こる一連の連鎖イベントは、致死率が半端じゃない上に回避不能。
 一度その連続イベントの始まりである『ヒサメ家訪問イベント』の条件を満たしてしまうと、ヒサメと一緒に実家の道場に行くまで、ヒサメを除く全てのキャラクターがヒサメの家の情報しか言わなくなってしまうという恐ろしい物なのだ。

 しかし、リンゴはきちんとした(?)受け答えをしてくれた。
 まだ連続イベントは始まっていないと安心していいだろう。

「どうかしましたか?」

 と怪訝そうに猫耳を傾けるヒサメに「いや」と返し、

「話を、聞かせてくれ」

 ヒサメの提案に、今度は俺が耳を傾けることにしたのだった。



 簡単に言えば、ヒサメは俺を、自分ちの道場にスカウトしたいということらしい。

「私の道場、と言いましたが、正確に言えば私の実家の道場です」

 それは知ってる、と言いたい所だったが、ゲームで理解していた以上にヒサメ家の道場(まんまヒサメ道場と言うらしい)は大きいようだ。

 何でも、国の騎士団だとか高名な冒険者とかの半分くらいは何らかの形でヒサメ道場に関わっているんだとか。
 この世界はモンスターの存在が良くも悪くも国民の生活を左右するため、騎士や冒険者といった者たちの発言力は強い。
 その半分と縁があるのなら、道場自体の影響力も侮れないものがある。
 さらに言えば、そのおかげでお金は腐るほどある、らしい。

 なるほど、そんな凄い場所だからイベント時に街の人間全部が口裏を合わせていたのか……とまでは流石に納得出来ないが、娘の交際相手に嫌がらせをするために門下生全員分の逆刃刀を用意したり、おかしな建物を用意したり出来るだけの財力はあるということは分かった。

「だけど、だったらどうして俺にそんな話を?」

 そんな有名な道場なら、俺なんかを呼ばなくても教えたいと言う人はごまんといるだろう。
 俺が尋ねると、ヒサメは猫耳を心持ち前のめりにして話し始めた。

「今回の討伐大会。
 本来であれば、モンスターの過半数を倒した私の優勝だったはずです。
 しかし、貴方はその常識を超えてきた。
 それを見て、貴方は違うと確信したのです」

 俺も討伐モンスターの半分以上を一人で倒しちゃうような奴は初めて見たからお互い様だし、こんなことを言っている割には発表直後はかなりショックを受けていたようにも見えたのだが。
 まあそこは、言わぬが花、という奴だろう。

「違うって、どういう意味だ?」

 代わりに、話を促すような相槌を打つ。
 すると、ヒサメは嬉々として話を続け、

「貴方は私の知らない技を使い、知っている技も知らない手法で使ってみせました。
 貴方は私の知らない技術を、いえ、恐らくこの国にはない技術体系を修めてきたように思えます」

 そんな台詞を臆面もなく言い放ってきた。

(この国にない技術体系、ねぇ……)

 ゲームのテクを技術と呼ぶのなら、確かにそうなのかもしれないが。
 そんな風に持ち上げられても、何だかピンと来なかった。

「それにそちらの彼女も、手から岩を削る程の威力を持つ雷を連続で放つ事が出来ると聞きました。
 これも、普通のスキルや魔法の常識を考えるとありえない事です」

 リンゴの雷撃のことも漏れているらしい。
 どうしてだ、と一瞬考え込みそうになってしまったが、考えるまでもなくネタ元はライデンだろう。

 あいつはブッチャーを倒す所だけ見ていた、なんてことを言っていたが、よく考えてみれば、その時に起きていたのならリンゴが大岩を崩した所も見ていたに決まっている。
 戦友は裏切らないとか言ってた癖に、実に口の軽い男である。

「貴方がこの話を引き受けてくれるというのなら、他ではどうやっても手に入れられない程の富と名声、それに国中にいる道場関係者からの有形無形の援助が受けられます。
 貴方の持っているその知識を、後進の育成に役立ててはくれませんか?」

 そう言って、彼女は話を締めくくった。
 これでどうだ、とばかりに、猫耳の先がぴくぴく揺れていた。
 俺は彼女に向かって、大きくうなずいてみせた。

「ああ。話は分かった」
「そうですか、では……」
「だけど、それを受けるつもりはない」

 俺がそう言った途端、彼女の猫耳がぴくんと跳ねた。

「な、なぜ、ですか!?」

 珍しく、声にまで動揺が表れていた。
 しかし、なぜと訊かれても困る。
 一応話だけ聞いてみたものの、そもそも受けるつもりは最初からなかった。

 確かに、俺が知ってる情報を全部世界に流した方が、世の中はもっとよくなるだろうし、俺だって楽に生活出来るんだろう。
 全員が神速キャンセル移動で進軍する騎士団とか、死んだモンスターの弱点によってたかって攻撃を加える冒険者たちも見てみたい気もしなくもない。

 けれど、俺が持っている『猫耳猫』の情報は、俺が大学生活をなげうって手に入れた、いわば俺の財産だ。
 命懸けで戦っているこの世界の冒険者たちには悪いが、たとえ自分勝手ではあっても、その財産をはいそうですかと簡単に手放せるほど、俺は人間が出来ていない。

 さらに言えば、金をもらう代わりに教師役を務めるなんて論外だ。
 この七日間、このゲームそっくりな世界に来てから、色々なことがあった。
 きっとこれからも、様々な災難が俺を襲うだろう。
 『猫耳猫』の理不尽なシステムに抗うためには、俺に足を止めている余裕はない。

 それに……。

「俺は、俺の持ってる知識の重みに、あんたたちが耐えられるとは思わない」
「知識の重み、ですか?」

 表層的な知識だけならいいだろう。
 しかし、俺の知っている技術を全て理解して体得するには、ゲームの考え方が必ず必要になる。

 俺の知識を受け入れるとなれば、それはこの世界が、そして、ひいては自分たちが、元々は作り物の存在だったという事実を受け入れるという所までつながってくる。

 今、この世界がゲームだということを、俺だけが知っている。
 いや、真希が本当にこの世界に来ているなら彼女も気付いているかもしれないし、俺が彼女に教えることもあるかもしれない。
 しかし、そこまでだ。
 それ以上多くの人間に、俺はその事実を広げるつもりはない。

 そして、最後にもう一つ。
 一番シンプルな理由がある。

「あんたが今、ここにいるのはどうしてだ?」

 ヒサメは、自分の道場に誇りを持っているのかもしれない。
 世界で一番の場所だと考えているのかもしれない。
 しかしそれは、ヒサメ自身が道場を飛び出し、一人で各地を回っていることと矛盾する。

「あんたが道場を出たのは、道場にない物が欲しかったから、だろ?
 あんたが望む強敵との命懸けの戦いは、その道場にはなかった。
 俺も同じだ。
 俺の望む物は、そこにはない。
 だから……」

 そこまで言って、ヒサメの様子の変化に気付く。
 こちらを見ていたはずの彼女はうつむいて、すっかり黙り込んでしまっている。

 もしかして、彼女にとってはきつすぎる言葉だったか。
 俺がフォローの言葉を考え始めた時、


「それはつまり、貴方も強敵との死合を望んでいると、そういう解釈でいいんですね?」


 彼女の口元を見て、俺は自分の思い違いに気付いた。

 わずかに、ほんのわずかにだが、いつも無表情なはずの彼女が笑っていた。
 さらによく見れば、いつの間にか彼女の愛刀、月影が抜かれている。
 完全に臨戦態勢だ。

「全く、とんだ回り道をしてしまいました。
 だったら最初からそう言ってくれればいいのに。
 大丈夫です。
 貴方の望む強敵は、ここにいます」

 その姿に、俺はようやく自分が何を勘違いしていたかに気付いた。
 こいつは実家の道場に対する誇りだとか、その影響力だとかは全く気にもしていない。
 新しい技術体系だとか、後進の育成とか、そんな物も全部建前だった。


(こいつ! 何か理由をつけて俺を道場に呼んで、俺と再戦したかっただけじゃないか!!)


 大会で負けて悔しかったものの、約束があるから俺に勝負は挑めない。
 じゃあいっそ自分の道場に招いたら戦う機会もあるんじゃないかと考えて、きっとこの話を持ち出してきたのだ。
 ブレない姿勢のバトルジャンキーさんである。

「さぁ、始めましょう。
 こちらはいつでも……」
「ば、馬鹿! 誰がそんなものやるか!
 というか刀をしまえ!
 人が来るぞ!」

 俺は慌てて周りを見渡した。
 幸い人通りが少なく、ヒサメが刀を抜いている所は見られていないが、こんな所を見られたらいつ衛兵がやってくるか分からない。

「いえ、しかし……」
「約束しただろ!」

 なおも渋る彼女に『約束』という言葉を持ち出すと、

「……そうでしたね」

 ヒサメは残念そうに刀をしまった。
 そして、戦えないなら用事はないと考えたのか、

「ですが、気が変わったらいつでも言って下さい。
 貴方は私が見つけた、唯一の好敵手。
 私は決して、諦めませんから」

 あっさりと身を翻すと、彼女はどこかへ歩き去っていってしまった。

「なんて、傍迷惑な奴だ……」

 まさか、知らない間にライバル認定されているとは思わなかった。
 これからも事あるごとにこんなやり取りが続けられるかと思うと、鬱になってくる。

「……行こうか」

 げっそりとしながらも、こちらもいつの間にやら黄金桜を抜いて、すっかり臨戦態勢だったリンゴを促し、歩き始める。

 それにしても、厄介なのはヒサメである。
 また忘れた頃にひょっこり顔を出して、何か理由をつけて勝負でも挑んできたりするのだろうか。
 それは嫌だなぁ、と思っていたのだが……。


 しかし、その心配は杞憂だった。

「…ソーマ」
「分かってる。分かってるから、何も言うな」

 その時から、俺の後ろに変な物、いや、変な者がついてくるようになったのだ。

 追跡者は相当に素早い奴らしく、振り向く度に曲がり角や看板の陰、時には背の高い建物の屋根の上などに身を隠す。

 その技術は完璧だった。
 身の隠し方、気配の消し方、何より俺の動きや映像が反射する物に気を配る注意力や反応速度が抜群で、そこには達人と呼ぶにふさわしいまでの熟達した技量が窺えた。

 ただ、なぜだろう。
 本当に、何でなのだろう。

(何で猫耳だけ、全然隠せてないんだよ!!)

 隠れた場所から、猫耳だけが必ず、ぴこんと飛び出していた。
 もはやその正体が何かなんて、論じるまでもない。

(無視だ、無視。気付かないフリをしてれば問題ない!)

 無理矢理そう思い込んで、街を進む。
 せっかく大金が入ったのだ。
 こんな時くらいは全てを忘れて、楽しく過ごすに限る。

 そんな風に考えながら街を歩いていると、近くを歩いていた町娘二人組の話の内容が、聞くともなしに自然と耳に入った。


「……なんだけど、そっちの食堂がね」
「ああ、あのヒサメ様の実家は街の西にある食堂だよね。
 わたしも行ったことあるよ」
「あ、うん。そうそう。
 評判いいから今度わたしもそのヒサメさんの道場に行った方がいいんじゃないかなって思うんだけど、なかなか……」


 俺は思わず足を止めたが、その二人組はこちらには注意を払わず、止まることなくその場を歩き去ってしまった。

(なんだ、今の……)

 しっかりとは聞いていなかったが、会話がなんかおかしかったというか、たまに聞き覚えのある名前が差し込まれていたような……。
 しかし、不自然な会話をしていた割に、周りの人間にそれを気にした様子は見られない。

(気のせい、だったか?)

 ちょっと過敏になりすぎだったかもしれない。
 疲れてるのかもと頭を振って、気を取り直して歩き出そうとした時、今度はすれ違う冒険者の言葉が耳に飛び込んできた。


「おいおい。そんなんじゃいつまで経っても、今すぐヒサメ家の道場に顔を出すべきままだぜ?」
「バッカ野郎。俺だってヒサメさんの家があるのは王都の西くらい考えてるよ!」
「はっ、何言ってるんだか。だからお前は道場に行きたいなら西の方角なんだよ!」


 いや、やっぱり気のせいなんかじゃない!

 会話が明らかにおかしい。
 しかも、誰もその会話のおかしさを意識していないのがますますおかしい。

 一体何がどうしてこうなったのか。
 状況は全くつかめないが、間違いない。

 ――ヒサメの連続イベントが、始まりかけている!



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