桜宮高校バスケット部体罰事件について書いた記事に関して
「あてつけ記事」だから問題がある、という指摘を受けています。
記事削除や謝罪を要求するメッセージが届き、それに返信するようにとも言われました。
『記事の投稿、削除』『謝罪』に関しては、ブログ管理者である私自身の判断で行います、と
すでにブログ上でお返事しています。
私は記事削除や謝罪をする気に、なれません。
むしろ、あの事件から私は何を学んだのか、あらたに書き加えたいくらいです。
以下に記します。
亡くなった生徒さんの命は、もう戻りません。
『とりかえしがつかない』という思いから、被告に厳罰を、と考えた人は多かったと思います。
しかし、裁判をとおして明らかになったのは、
邪悪な心が凄惨な体罰というかたちを生み出したというより、
元教諭は自分の立場において正義(強いチームをつくるには強い指導が有効)を貫こうとしていた、ということです。
『正義を貫く』
言葉にすると美しいですが、正義は人間の置かれた位置によって容易に覆るもの。
正義を貫く過程で、たいせつなのは『方向性を検証する姿勢』ではないでしょうか。
元教諭は、指導方針を検証することをゆるしませんでした。
行き過ぎた指導では?
そう感じた他の教員、生徒の保護者は、『部外者』とされ、口を挟むことができなかったのです。
『勝利至上主義』はスポーツ界全体を覆う考え方です。
勝利をつかむために。。。
元教諭は、自己体験を絶対化していました。
キャプテンの自殺という結果に至るまで、たちどまって検証する機会を持たなかった。
『自己体験の絶対化』に歯止めがかからなかった。
そのことが事件の背景にあったのだと考えさせられたのでした。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
ブログ実体のないIDからメッセージを送ってきて、
それに私が返信をかえさないことを問題にしている方へ。
『メッセージを受け取ったら返信をかえすのが礼儀』
↑この正論で、人が動くと思っているのですか。
あなた自身は、正しいリクツにそって動くタイプなのかもしれませんね。
私は違います。
他者からおしつけられた正しいリクツだけで動くことはありません。
『情』が伴って、はじめて行動化するんですよ
礼儀をもって接してくださる方に対しては
自分も『礼を尽くさなくては』という情が動きます。
礼儀とは、私に言わせると『相手領域への尊重』ですね
他者領域への尊重が全くない無礼な人間に対しても、丁寧に接する方もいらっしゃいますが、
私は、そういうことをするつもりはありません。
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