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第五十二章 逃亡

 吹っ飛んでいくライデンの姿はまさにゲームのような光景だったが、この世界はゲームであってゲームではない。
 攻撃を受けたのがいくらあの(・・)ライデンだって、HPが0になれば死ぬのだ。
 俺は我に返り、ハイステップで移動して、吹き飛んできたライデンの身体を受け止めた。

 ゲーム的な設定のおかげか、衝撃は思ったほどではなかった。
 その間も視線だけはブッチャーから離していなかったが、追撃の気配はない。
 大きな包丁を振り切った姿勢のまま、まるで罠にかかった獲物の品定めをするかのように、俺たち3人を眺めていた。

「大丈夫か?!」

 声をかけると、ライデンは顔をしかめながらもすぐに身を起こし、懐から回復薬を出してそれを握りつぶした。
 時間差で回復エフェクトが起こってライデンの傷が癒されたことを告げる。

 その様子に、俺はとりあえず胸を撫で下ろす。
 ライデンはレベル130で、キングブッチャーは少なくともレベル150以上。
 下手をすれば一撃で殺されてもおかしくはないくらいのレベル差だが、ライデンがどんな強敵と戦っても生き残ってこれたのは、彼の耐久力が異様に高いからだ。
 素の防御力の高さはもちろん、HPが減るごとにライデンの防御力はどんどん高くなっていることが確認されていて、特別なスキルのような物を所持しているのではと言われている。

 しかし、いくら防御力が高いとは言っても必ず死なないという訳でもない。
 ゲームの中でも死ぬ時は意外とあっさり死ぬし、むしろ気を付けてイベントを進めないとゲームクリアまで生き残っていることの方が少ない。
 ここを現実と考えるなら、決して楽観視出来るような状況ではないのだ。

(……来る、か?)

 俺たちの態勢が整ったのを待っていたかのように、ブッチャーの視線が定まる。
 恐ろしいまでのノックバックによって図らずも距離を稼いだ俺たちだが、ブッチャーの巨体の前にはそんなものはたかが知れている。
 キングブッチャーは身の丈3メートルを超える巨人だ。
 そいつが一歩進むだけで、俺たちの間の距離は見る間に縮められていく。

「……悪いな」

 俺の傍から身体を離したライデンが、俺と同じようにブッチャーを睨み付けたまま、ぽつりとそんなことを言う。
 身体を受け止めたことを言っているのかと思ったが、そうではなかった。

「なっ!」

 俺の注意がブッチャーに向いていた隙をついて、ライデンは俺の身体を強引に後ろに突き飛ばした。
 そしてその勢いを駆って、自身はふたたびブッチャーの方へと向かっていく。

「逃げろ! 街に行って、姫さんを呼んで来い!」

 そう叫びながら、ライデンはブッチャーを街とは逆の方向に誘導するように、キングブッチャーの前をかすめて走る。

 その時、俺はようやくライデンの謝罪の意味を知った。
 あれはきっと、『自分ではブッチャーに勝てない』ことを謝ったのだ。
 そしてその代わり、自分が囮になって、キングブッチャーから俺たちを逃がそうとしている。

(だが、無茶だ!)

 レベル差だけじゃない。
 ボスモンスターというのは普通、一対一で勝てるように出来てはいない。
 俺がゲーム時代にソロでも何とかやれていたのは、『猫耳猫』の様々なシステムの穴を突き、さらに死んでもやり直しが効くという強みを生かして何度も挑戦を繰り返していたからだ。

 そもそもライデンは耐久寄りの重戦士。
 彼の強みである高い防御力を活かした打撃戦を得意とするが、

「駄目だ! そいつに物理攻撃は効かない!」

 キングブッチャーとは最悪なまでに相性が悪い。
 ブッチャーはあのぶよぶよの脂肪が衝撃を吸収するという設定なのか、純粋な物理属性ダメージを9割無効化してしまうのだ。

 そしてそれは、俺たちのパーティの主力である、リンゴの雷撃が通用しないだろうことも意味している。
 今、この中で属性攻撃が使えるのは俺だけしかいない。

(俺が、やるしかない…!)

 はっきり言って、あいつにはトラウマがある。
 あの醜悪な顔を見るだけで身体に震えが走るほどだが、俺はそれを気力でねじ伏せた。

(『プチプロ―ジョン』!)

 今からでも援護をしようと、魔法の詠唱を始める。

 こんなにすぐ使うことになるとは思わなかったが、さっき魔法の練習をしておいてよかった、とは必ずしも言えない。
 ゲームの時と同じ感覚で魔法が使えると確信出来たことはよかったが、調子に乗って魔法を使いすぎたせいで、今はまだMPが魔法一発分程度しか回復していない。
 それでもこれを使えばこの状況を打破することが出来るかもしれない。

「ライデン! 今、加勢を…!」

 そう叫んで、俺が一歩を踏み出そうとすると、

「馬鹿野郎! 来るな!」

 ブッチャーが現れる前の昼行燈っぷりが嘘のような、気迫のこもった言葉で制止される。

 だが、ライデンに助力が必要なのは、その攻防を一目見るだけで明らかだった。
 ブッチャーの攻撃をかろうじて盾で受け、最初の時のようにクリーンヒットは許していないが、そんな防御はあと数回も持てばいい方だろうというくらい、ブッチャーの攻撃は苛烈だったのだ。
 このままでは押し切られるのも時間の問題だ。

「一対一じゃ勝てない! だけど、三対一なら……」

 俺は叫びながら、ライデンたちに近付こうとしたが、

「てめえはそれでよくても、連れはどうする!」

 そのライデンの言葉に、足が止まった。
 同時に、熱くなっていた頭が急速に冷えてくる。

(リンゴ…!)

 俺は、こんな時でも俺の後ろをついてきてくれている、青い髪の少女を振り返った。
 不安そうな目でこちらを見ている彼女は、まだアリスに借りた服を着ているだけ。
 いくらキャラ性能が高くても、防具なしでキングブッチャーの攻撃を凌げるはずもなかった。

(俺は、俺たちはこのまま戦って……)

 勝てるのか、という疑問が浮かぶ。

 このレベル、この装備でブッチャーに挑んだことはない。
 どれだけのダメージを与えられるかは、完全に未知数。
 もし、仕留めきれなかったら……。

(俺は、死ぬ。それに、リンゴも……)

 激情に任せれば、一瞬なら自分の死の恐怖は忘れることが出来た。
 しかし……。

(俺は、この子を巻き込んで、いいのか?)

 これは俺の判断ミスが生んだ窮地。
 俺が死んでも自業自得だ。
 ライデンは巻き込んでしまって申し訳ないとは思うが、自分で危険な冒険者という道を選んだ以上、このくらいの危機は覚悟の上だろう。

 だが、リンゴは?
 記憶や居場所を全て失って、ただ成り行きのままに俺と行動を共にしてきた。
 冒険者として生きるということが、実際には死の危険と隣り合わせだということも、おそらく考えたこともないだろう。
 そんな彼女を巻き込んで、死ぬかもしれないようなワガママにまで付き合わせて、本当にいいのか?

 いや、そんな理屈は抜きにして、この無口な少女が自分の目の前で殺されていくことを、俺は認められそうになかった。

「ぐ、うぅぅ!」
「ライデン!」

 そんな考えを巡らせている間にも、ライデンは少しずつ窮地に追いやられていく。
 この状況にあって何より大切な時間という資源が、俺の迷いによって無為に消費されていく。
 そして、

「いいから、行けぇ!!」

 ブッチャーに盾を弾かれながら、ライデンが発した絶叫に、

「……すまない!」

 俺は決断した。
 絞り出すように謝罪の言葉を漏らして、そこからはもう迷わなかった。

「逃げるぞ!」

 戸惑い、困惑した顔で俺を見上げるリンゴの手を無理矢理に引っ張って、俺は街の方角に走る。
 もどかしいが、神速キャンセル移動は使えない。
 それに妙に反応の鈍いリンゴを引っ張っているので、そんな余裕はなかった。

「大丈夫だ!
 あいつの防御力は一級品だぞ?
 あんな奴にやられるはずない!」

 まだためらうような様子を見せるリンゴに、俺は言い聞かせるように言った。

「……そうだ!
 あいつはイベントでドラゴンと戦うことだってあったんだ。
 それでも死ななかったあいつが、あんな肉ダルマに殺さ……やられるはずがない!」

 もう、誰に言い聞かせているのだか、分からない。
 それでも口が止まったら何かが終わってしまうような気がして、俺はひたすらにしゃべり続けた。

「知らないだろうけどな。
 ゲームでは、あのヒサメと一騎討ちをして生き残ったことがあるんだ!
 あのヒサメとだぞ?
 そんな、そんな奴が、たかが、あんな……」

 そこまで言った時、背後で何か重い物がぶつかり合うような、鈍く重い音が響いた。

 だから俺は、振り返った。
 振り返って、しまった。

「ライ、デン…!」

 ライデンは地に伏していた。
 彼が持っていたはずの大きな盾は半分に割れて地面に転がっていて、本人は仰向けに地面に倒れたまま、ぴくりとも動かない。

「なんだよ、そりゃ……」

 なんだかんだで、ライデンは頼りになる前衛だったはずだ。
 イベントに出て来る数も多く、強敵に挑んで自爆することはあっても、要所要所ではプレイヤーを助けてくれるベテランの冒険者で、特に防戦に徹した時の粘り強さは折り紙つきで……。

「こんなの、は……」

 分かっていたはずだ。
 この世界はゲームだと、俺だけは分かっていたはずだ。

 ゲームというのは、人の想いや熟練の技が単なるパラメータに塗り潰される非情な側面を持っている。
 特にこの『New Communicate Online』の世界が、ほんの少しの気まぐれで人があっけなく殺されていく世界であることは、分かっていたはずだ。
 だが、分かっているつもりで、本当は全く分かっていなかった。

「あい、つ……」

 倒れて動かないライデンに、ブッチャーが近付いていく。
 ライデンはまだ消えていない。
 なら彼はまだ、生きている。
 しかし動けない彼にあいつが何をするつもりなのか、そんなことは遠くから見ている俺にもはっきりと分かった。

(死ぬ? 殺される、のか?)

 脳に、血が逆流する。
 視界が訳もなくにじんで、輪郭がぼやけていく。
 胸のむかつきが限界まで高まって、嘔吐しそうになる。

「リンゴ。……振り返らず、街まで走れ」

 俺は、ライデンが前に俺にやったようにリンゴの身体を街の方向に押し出すと、いつの間にか止まっていた足を動かす。

 さっきまでと、逆の方向に。
 倒れたライデンと、あのキングブッチャーが待つ戦場へと、全力で足を動かす。

「あぁあああああぁぁあああ!!」

 恐怖をごまかすように叫び声を上げる。
 だが、ブッチャーはこちらを向かない。
 このままでは、俺が辿り着く前にライデンが殺される。
 だから、

「こっちを、見ろぉぉお!!」

 絶叫と共に、俺は左手の脇差を全力で投げつける。
 脇差はブッチャーに向かってまっすぐに飛んで行き、刺さりはしなかったもののブッチャーの注意を引く。
 キングブッチャーがこちらを向く。
 が、

(駄目か!)

 やはり脇差程度では、こちらに注意を引きつけるまでには至らない。
 ブッチャーの視線はすぐにライデンに戻る。

(させるか!)

 俺がブッチャーの弱点であるその醜い顔を『フォーカス』。
 次の手を打とうとした瞬間、

「――ッ!?」

 俺の横をかすめるように鮮やかな光条が伸び、白い巨人を打つ!

 それも、一度ではない。
 二度三度、いや、数えるのも馬鹿らしいほどの、一瞬たりとも息つく間もない怒涛の連撃がブッチャーを襲い、とうとうブッチャーが完全にこちらを向く。
 どころか、手で急所である顔をかばいながら、俺の、いや、自分を襲う正体不明の雷撃の方向に、身体の向きを完全に変えた。

「リンゴ!」

 こんな攻撃が出来る人間なんて、一人しかいない。
 いつの間にか俺の隣には、黄金桜を構えたリンゴが立っていた。

「何で、何で戻ってきた!
 お前まで戻ってきたら、誰がヒサメに……」

 その姿を一瞬、頼もしいと思ってしまった自分を押し殺し、俺は怒鳴った。
 しかし、リンゴは揺るがない。
 その間も右手の黄金桜からひっきりなしに雷撃を迸らせながら、いつものように何を考えてるか分からない瞳で、だが今回ばかりはしっかりと俺と目を合わせ、口を開く。

「ソーマは、やりたいようにやればいい」

 まるで、俺の葛藤を見透かしていたように。
 リンゴを理由にして敵から逃げた俺を、責めてでもいるかのように。
 彼女はまず、そう告げて、そして……。

「わたしはそのあとを、かってについていく」

 決然と、彼女はそう宣言した。


「リン、ゴ……」

 それは王女の威厳か、はたまた覚悟を決めた者の強さなのか。
 俺の中で彼女の決定に抗おうとする意志が、すっかり挫かれてしまった。

 俺は彼女とまだ一日しか一緒に過ごしていないし、特段彼女に好かれるような行動も取っていない。
 だから彼女の寄せるこの好意とも信頼ともつかない感情を、無知ゆえの浅慮だとか、幼さから来る勘違いだと言い切ることも出来た。
 だが、彼女の想いをそんな風に片付けるのは、彼女の覚悟に対する冒涜のように思えた。

 成り行きでついてきただけだとか、冒険者として生きる意味を知らないとか、そんなのは関係ない。
 未熟であれ、経験不足であれ、彼女は彼女の意思で選んでいたのだ。
 俺と共にこの場にあることを。

 なら、あとは……。

「分かった。一緒に戦おう」

 俺が、俺たちが、あいつに勝てるかどうか。
 それだけだ。

 ここで俺たちが勝てば、誰も死なない。
 ライデンも、リンゴも、もちろん俺の命だって助かる。
 そして今、俺たちにあいつに勝つ手段が全くないという訳じゃない。

 戦う決意を固めた途端、視界にかかっていたもや(・・)のような物が一気に晴れていくような感じがした。

 そこで、おそらく初めて。
 俺は、キングブッチャーの顔を真正面から見る。
 リンゴの雷撃に晒され続け、その動きを封じられながらも、闘争の意志を微塵も衰えさせないその瞳をしっかりと見据え、

「今度こそ、俺たちはお前を、倒す!」

 俺は宿敵たる巨人を打ち倒すべく、不知火を両手持ちで構えたのだった。


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