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第五十一章 ミンチ大祭
 ――『ミンチ大祭』。

 それはちっぽけで単純な人的ミスから生まれた、バグとも呼べないようなバグ。
 ほんの二つばかりの数字の間違いという極小のミスが引き起こした、極大の虐殺劇だった。

 今でも関連する言葉を聞くと、その時の記憶がフラッシュバックすることがある。
 パッチの当たっていなかった初回プレイ時、俺は『ミンチ大祭』を実際に体験したことがあるのだ。


 初めて王都にやってきた時、俺たちのレベルは大体55程度あった。
 ラムリックで上げられるレベルは基本的に50までだが、王都まで魔封船ではなく馬車に乗ってやってきたため、その間にいくらかレベルが上がっていたのだ。
 事前に街の人からデウス平原がこの辺りで一番敵が弱いという話を聞いていたので、俺は王都に着いてから最初の目的地にデウス平原を選んだ。

 当時の俺たちのパーティ編成は、アタッカーである俺と、アタッカー兼タンカーのエディ、それにヒーラーのティエルの三人構成だった。
 魔法使いがいないため、同時に複数の敵を相手にすると厳しい所があったが、幸いデウス平原は広いために同時に複数の相手とリンクしてしまう危険性も低い。
 新しい場所での戦闘に少し緊張していたが、レベルに少し余裕があったこともあり、最初に出現したはぐれノライム2体については、特に危なげもなく勝つことが出来た。

 それで勢いに乗って少し奥に進んだ時に出会ったのが、醜悪な白い巨人、キングブッチャーだった。
 明らかにイベントモンスターっぽいその風体に少しビビったが、街ではデウス平原に特別なモンスターが出るなんて情報はなかった。
 もしかすると低確率で出現するレアなモンスターかなと思い、試しに近付いた次の瞬間、

「…え?」

 まず、戦士のエディが半分に潰された。

 『猫耳猫』はこれでも全年齢向けのゲーム。
 血や傷は描写されないし、モンスターがやられる様だって随分とデフォルメされている。
 人間が死ぬ時だって、光になっていくだけの実にクリーンな物だ。

 それでも、その時の俺は全身に鳥肌が立つのを感じた。
 この醜悪なモンスターが行ったのは、尋常ではないほどの厚みを持つ包丁を、ただエディに叩き付けただけ。
 しかし白い巨人が手にした包丁を叩き付けた結果、その圧力に耐え切れなかったエディの身体は瞬間的に身長の半分程度まで圧縮され、光に変わって消えていったのだ。
 いくらゲームとはいえ、およそ人間の殺され方ではない。

 俺がこの化物に勝てないと悟るには、その一瞬、その一撃で充分だった。
 ヒーラーのティエルに逃亡の指示を出し、自身も全力で逃げた。
 見かけからして、鈍重そうな相手だ。
 あれだけ攻撃力も高いのだから、速度は遅いだろう。

 そして、それを裏付けるようにドスドスという地響きが少しずつ遠ざかっていくのを感じ、俺がほっと息をつこうとしたその直後、

「なん、だ…?!」

 突然物凄い地鳴りがして、俺は咄嗟にハイステップで横に跳んでいた。
 そしてそのほんの一瞬後、白い巨体が俺の隣を駆け抜けていくのが見えた。

「ティエル!」

 俺はそこでもう一人の仲間の名前を呼んだが、振り向いた俺が見たのは彼女の姿ではなく、光の粒子となって空に溶けていく、彼女の青い服だけだった。

「くそっ!」

 一人になってしまった俺は、それでも必死に逃げた。
 しかし、結論から言えばそれは無駄だった。
 もう一度繰り出してきた巨人のチャージを奇跡的に回避、何とか生き残った俺の顔に影が差したのだ。

「……あ」

 顔を上げた俺は、今度こそ完全に絶望する。
 そこには、2体目の白い巨人がいた。

 後ろからはまださっきの巨人が追ってきている。
 逃げ場は、なかった。

 ――その時俺が最後に見たのは、歓喜の叫びと共に包丁を振り下ろす、醜悪な巨人の姿だった。



 今にして思えば、そもそもあの時の俺に勝ち目なんて全くなかった。
 何しろあの白い巨人、『キングブッチャー』はデウス平原よりフィールド三つ分以上奥にある、レベル150のダンジョン、その最下層にいるべきボスモンスターなのだ。
 当時、レベル50そこそこだった俺たちが敵う道理がない。

 しかし、そもそもなぜレベル50のはずのデウス平原に、レベル150のダンジョンのボスが現れるのか。
 それは、ポップポイントの設定のミスが原因と考えられている。

 ポップポイントの設定についてはもう話した通りだ。
 そのポップポイントからどのモンスターが出て来るかは、設定されたモンスターグループの番号によって決まる。
 だがその番号というのが曲者で、たった一つ数字を間違えるだけで、意図とは全く違うモンスターが出てきてしまう危険性があるのだ。

 『ミンチ大祭』はまさにその典型的な例だったと言える。
 自称『事情通』からの情報によると、スタッフの一人が『はぐれノライム×3』を表す番号205と、『キングブッチャー』を表す番号502を勘違いして覚えていて、デウス平原ではそれを逆にして登録してしまったというのだ。

 それはつまり、デウス平原に出るレベル48の雑魚モンスター『はぐれノライム』3匹が出るはずの全てのポップポイントから、レベル150超のボス『キングブッチャー』が出てくる可能性があるということを意味していた。


 レベル50の低レベルフィールドの中を、まるで普通のフィールドモンスターのようにキングブッチャーが悠々と、しかも何匹も歩き回る光景は、見る人が見れば悪夢のようだっただろう。
 そしてこれはもちろん、『猫耳猫』プレイヤーたちの阿鼻叫喚を呼んだ。

 キングブッチャーは同レベル帯のボスの中でも特に高い攻撃力を持ち、通常の移動速度は遅いものの、抜群の速度を誇る突進攻撃を所持。
 さらには物理攻撃に対する強い耐性があるため、生半可な攻撃では動きを止めることも出来ない。

 当然、デウス平原に訪れる、たかだかレベル50程度の冒険者にこれに対抗する手段などあるはずもなく……。
 草原に降臨したダンジョンの王は、手にした鈍器のような中華包丁を振り回し、多くのプレイヤーを肉塊に変えた。

 ――これが俗に言う、『キングブッチャーのミンチ大祭』である。


 まあ逆境が大好物な『猫耳猫』プレイヤーのことだ。
 ブッチャーの低レベル撃破自慢が起こったり、最終的には鍛え上げられたプレイヤーによって乱獲される場合もあったようだが、それはごく一部でのこと。
 実際俺は、パッチが入るまでの間、平原のブッチャーを殺すことは出来なかった。

 あの日からキングブッチャーは、俺の中でいまだ恐怖の象徴なのだ。



「なんで、キングブッチャーがここに……」

 そして問題は、そのキングブッチャーが、今俺の前にふたたび現れたこと。
 キングブッチャーが平原に出るのはパッチによって修正されたはずだし、今は大量発生中だ。
 なのになぜこいつが現れたのかと叫び出したい気分だが、実はその理由にはもう見当がついてしまっていた。

 たしかに最初のパッチを当てた後、キングブッチャーがデウス平原に現れることはなくなった。
 これはおそらく、パッチでポップポイントの数字を修正したのが理由だろう。
 しかし、修正をしたのは所詮『猫耳猫』スタッフである。
 実際にはモンスターポップしない岩の中のポップポイントだけには修正をかけなかった可能性は充分にある。
 というか、もう絶対直さなかっただろうと確信出来る。

 そして、キングブッチャーは元々ボスモンスター。
 ボスフラグのあるモンスターは、大量発生によっても上書きされない。

 ――全ての事情を考えれば、ここでキングブッチャーが出て来ることは決してありえない話ではないのだ。


 そんなことばかりを考えながら、俺もリンゴも、キングブッチャーの迫力に押され、動くことが出来なかった。
 しかしそんな中で一人だけ、キングブッチャーの巨体を見上げ、楽しそうに頬を歪める男がいた。
 もちろん、ライデンである。

「へぇ。ずいぶんと面白そうなことになってきたじゃないか」

 余裕の笑顔でそう口にするライデンに、俺の硬直も解ける。
 あくまで暢気なライデンに、怒りにも似た感情が湧きあがった。

「面白いなんて言ってる場合じゃない!
 今すぐ逃げないと……」

 俺はそれをぶつけるように声を荒げたが、

「ああ。だから、あんたらはすぐに逃げな」

 ライデンはそれをさらりと受け流し、無造作とも言える動作で武器を構えて前に進んだ。

「何言ってるんだ! あいつは……」
「強いってんだろ?
 そんな物、オレにだってとっくに伝わってるよ」

 その言葉にはっとする。
 眉唾物の話だが、ライデンには強敵を察知する能力があるのだ。
 キングブッチャーの強さを感じ取れないはずがない。

 しかし、それでも……。

「冒険者ってのはな。
 魔物や遺跡に突っ込んでいく馬鹿者共の集まりで、オレもその例外じゃねえ。
 強い奴を見ると、わくわくするしな」

 それでも、彼は、冒険者ライデンは、ブッチャーの前に立った。

「だけど、そんな馬鹿野郎にだって、いや、馬鹿野郎だからこそ、やらなくちゃいけねえことがあるって思ってる。
 ……この力で、戦う力のない奴を守る。
 それがオレの、いや、冒険者の使命なんだ」

 その光景はまさに、蟻と象。
 完全にポップの終了した巨人を前に、しかしライデンは一歩も引かなかった。
 目前のライデンを最初の獲物と定め、魂まで震え上がらせるような咆哮を上げる白い巨人を、彼は逆に睨み付ける。

 そして……。


「あんたらもそこから見てな!
 これが冒険者の、心意――ひぶっ!」
「……あ」


 ブッチャーの一撃を喰らって綺麗に宙を舞うライデンを見ながら、俺は、

(そういえばあの人、『茶飲み』の他にも『当て馬』とか『飲茶』とか、それに『かっとび』とか『ホームラン』なんて二つ名もついてたけど、こういう意味だったのか……)

 なんてことを、思い出していたのだった。


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