(cache) 『マクベス』公演走り続けた50日 能登演劇堂でロングラン 仲代さん - 47NEWS(よんななニュース)
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  • 借景生かし『ここだけ』の芝居 今月末、再び感動の舞台  無名塾を率いて昨秋、能登限定で五十回というロングランの「マクベス」公演を成功させた俳優の仲代達矢さん(77)。今月末からは再び能登演劇堂(七尾市)で次の舞台「ジョン・ガブリエルと呼ばれた男」に挑む。(鈴木弘)  -チケットは完売。三万三千人の観客動員を記録しました。  これだけ多くのお客さんに来ていただけるとは予想もつきませんでした。私は初め一万人ぐらい集まれば、という気持ちでした。  お客さんには、借景と額縁舞台が一緒になった芝居は世界でここだけだろう、と言っていただけました。とにかく走り続けた五十日間でした。  -なぜ「マクベス」だったのですか。  実は十四年前、演劇堂のこけら落としでやりたかったんです。バックの観音開きの扉を使って、そこにバーナムの森が現れ、馬が駆ける舞台を。シェークスピアが想像で書いているものを実際に視覚的に表現できると考えたんですが、経済的問題で流れたんです。  -能登限定にしたのは。  前に谷本(正憲)知事とアメリカやロシア、韓国や中国、フランス、イギリスあたりと世界のシェークスピア祭をやろうと話したことがあります。二〇〇七年には能登半島地震があって、「能登を元気に」という気持ちもありました。  -何が成功の原因となったのでしょう。  地元の皆さんのご苦労も多かったろうし、私もマスコミ関係には今までにないほど出させていただきました。ただ、われわれは作り手ですから、借景だけが問題にされてはいけない。どれだけ感動を与えられるか、内容を充実させることに専念しました。  -中島高校演劇コース(現七尾東雲高校演劇科)の出身者が無名塾に入りましたね。  日本で演劇は少数派ですが、必ず生き残ると信じています。それはライブ、生の実感があるから。六十年間、特に新劇の世界で生きてきました。エンターテインメントとして面白くなければいけないけれど、見た人が自分に反映させて、どう生きればいいのか考えるきっかけをつくる。そんな部分がなければいけないと思います。  -二十七年ぶりにマクベスを演じた感想は。  「リア王」を翻案した黒沢(明)監督の「乱」を含めると、シェークスピアは九本目。若さと熱と力でやりこなしてきましたが、この年になって、ああこういうつもりで書いたんだなという解釈が利くようになりました。ずいぶん分かって演じたつもりです。  初めは馬で疾走して出てきたんですが、途中股(こ)関節を痛めました。二十日目のことでした。馬から下りて「ああやったな」と思いながら二時間半続けたんですけど、終わって病院に行ったら肉離れ。お医者さんには三週間は寝たまま安静にと言われましたが、舞台に穴をあけるわけにはいきません。結局、アイシングとテーピングです。ももにぐるぐる巻いてやり通しました。  -今度の芝居はイプセンですね。  「幽霊」でデビューして、演劇堂のこけら落としは「ソルネス」。節目節目にイプセンがいます。「ジョン・ガブリエル」は年をとったらやりたいと思っていました。夢見た男が破滅していく話です。能登で始まり、東京、神戸など全国十都市ぐらいを回る予定です。その次は「炎の人」のゴッホでそこから先のスケジュールはありません。  -近年よく「グランドフィナーレの時」とおっしゃいますが。  「切れば血の出るような役者になりたい」と言い続けてきました。暴れ回れなくなったら引退と思っています、特に舞台は。ラストラン、グランドフィナーレです。 後記  二〇〇五年の「ドライビング・ミス・デイジー」、〇七年の「ドン・キホーテ」に続く三回目のインタビューだったが、舞台にかける熱い思いと誠実な受け答えは変わらない。  若者が駆ける季節が青春なら、人生のベテランが歩む時は赤秋として、真っ赤な秋を真っ赤に生きると言う仲代さん。「炎の人」の先には何が待っているのだろうか。
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      【中日新聞】