第八章 致命の一撃
首尾よく不知火を手に入れた俺は、不知火をブンブンと振り回しながら、ルンルン気分で歩いていたのだが、
「あれ? ちょっと待てよ?」
あることを見落としていたことに気付いて、立ち止まった。
この世界にやってきてから、メニュー画面が開けなくなった。
それも、電話機能や時刻表示機能がついている汎用メニューも、ステータス画面やセーブやロードをするゲームメニューのどちらもだ。
ということは、だ。
「俺、どうやってこれ、装備すればいいんだ?」
この『猫耳猫』の世界では、メニュー画面から装備の項目を選び、そこから装備品を決めることでキャラクターの装備が決まるシステムになっていた。
そのせいで自分や他人の装備を無理矢理脱がすことは出来なかったし、装備していない武器を持ってもスキルは使えず、それを使って攻撃しても大半の補正が乗らないため、ほとんど意味がなかった。
これにはまあ、ちょっとした大人の事情みたいなのがあって、このゲームのNPCたちが見えない所もちゃんと設定してある所にその遠因があった。
つまり、その、装備とかを無理矢理脱がすことが出来ちゃうと、やっぱり女キャラのNPCの服を剥いちゃおうとか考える不埒な奴は絶対に出る訳で、だけどこのゲームは全年齢対象であるのでそんなことが出来てしまうと困るというか……。
ついでに自キャラについても、何も装備していなくてもインナーはつけている設定なので、裸になることは出来ない。
だとすると、俺が不知火を手に入れても、宝の持ちぐされで……。
「……と、待てよ。
じゃあ、このスタミナ系の指輪も無効か?」
普通に装備しているつもりで指にはめていたが、ゲームのシステム上、これは装備していることにならないはずだ。
「いや、でもそれこそ待てよ。
指に合わせて大きさが変わるのは、装備した時の特徴だったはず。
だったらきちんと装備出来てる?」
何だか混乱してきた。
「ちょっと、試してみるか」
適当に路地裏を歩き、人目がなく、かつそれなりに広い場所を探す。
「……ここならいいかな」
家と家の間の開けた場所で、軽くキャッチボールが出来る程度の空間がある。
端っこの方の、石で区切られた場所には花が植えられていて、たどたどしい字で『かだん』なんて書かれているのがちょっと微笑ましい。
(花、踏まないようにしないとな)
そんなことを思いながら、俺は剣を、それも不知火ではなく、初期装備のラスティロングソードを構える。
それから……。
(ステップ!)
以前と同じ轍は踏まない。
スキル名を声に出せば、キャンセルを使って連続してスキル発動をした時、言い逃れが難しい。
だから俺は、頭の中だけでそう『オーダー』する。
「っ!!」
静止状態からの突然の加速。
物理法則をまるで無視したような、けれど馴染み深い感触を束の間、噛み締める。
そして、俺の両の足が地面を踏みしめた瞬間、
(スラッシュ!)
俺は機を逃さず、スラッシュを発動。
少し迷ったが、結局剣の振り切りを待って、
(ステップ!)
もう一度、ステップを発動する。
もちろん、成功。
前に戦闘中に使った時はとてもそんな心の余裕はなかったが、今は身体の疲労を確かめるくらい気持ちにゆとりがある。
まだ大丈夫だ。
(スラッシュ!)
また技の終わり際をキャンセルしてスラッシュにつなげる。
ここまでが、女盗賊を倒すのに使ったコンボだ。
以前、指輪をつける前はこれですっかり息が切れ、それ以上の連撃はとても不可能だったが……。
(まだ、行ける! ステップ!)
俺はそこから一歩を踏み出す。
スラッシュをキャンセルしてのステップ。
景色が流れる。
「く、ぅう!」
胸がわずかに痛む。
スタミナ切れの兆候。
それでも、まだこの前のような苦しさはない。
続行!
(スラッシュ!)
胸の痛みが集中を阻害するが、その程度で身体に染みついた物は消えない。
ゲームの世界で俺が何千何万回と練習した通り、ステップがキャンセルされ、斬撃が繰り出される。
「……はぁっ!」
そこで、流石に限界だった。
剣を振り切り、技後硬直が解けると同時、大きく息を吐き出してそのまま地面に倒れる。
「はぁ、はぁ……、すぅぅ、ふうぅぅ」
深呼吸をして息を整えながら、俺は手応えを感じ取っていた。
明らかに、連続で発動出来るスキルの数が増えている。
スキルの熟練度が上がればスタミナの消費量も減るが、これはそれだけでは説明出来ないだろう。
(指輪の効果は、発動している!)
そしてそれが分かれば、次に試すべきなのはただ一つ。
「よっ、と」
ふらつきながらも、立ち上がる。
鞄から不知火を取り出し、代わりにラスティロングソードをしまう。
取り出した不知火を構えて、
(スラッシュ!)
スキルを『オーダー』。
すると俺の身体は自然に動き、不知火を振り上げ、それを――振り下ろす!
びゅん、という風切音が鳴った気がした。
やはり高レベル武器。
同じ技を使っても、迫力がまるで違う。
しかし今重要なことはそれではなく、
「……スキルが、使えた」
不知火を持ってスキルが使えたこと。
つまりこれは、メニュー画面を通さなくても武器が装備出来ていることを意味する。
「世界が現実に寄ってメニューが使えなくなったから、それを現実的な方法で補えるようになったってこと、なのか?」
即興で適当な推論を立てる。
単なる思いつきにしては、そう悪くもない仮説のような気がした。
「ん、んー」
それと同時に、何かひっかかりのような物も感じたが、はっきりとは分からない。
「まあ、いいか」
装備の変更が自由に出来るのは単純にありがたい。
当面の悩みも解決したし、せっかく見つけた人目につかない場所だ。
もうちょっとスキルを試してみようと思い立った。
「あれを、やってみるか」
ステップとスラッシュのキャンセルは、この『猫耳猫』を極めんとするプレイヤー(そんなもの、最初からほとんどいなかったが)にとっての基本的な技能と言えるが、単純にステップとスラッシュをキャンセル出来るだけでは、とてもではないが使いこなしているとは言えない。
スキルのキャンセル、とはスキル発動中に別のスキルを重ねて発動することだが、そのタイミングはいつでもいいという訳ではない。
『キャンセルポイント』という、あらかじめスキルに設定された特定の時間だけ、その入力が受け付けられるのだ。
『猫耳猫』においては全般的にそのタイミングはシビアで、一瞬でも期を逃すとアウト。
つまりスキルをキャンセルするためには、その『キャンセルポイント』と呼ばれる瞬間に、正確に次のスキルを『オーダー』しなくてはならないのである。
そして『猫耳猫』のスキルには、大抵二つ以上のキャンセルポイントが設定されている。
『猫耳猫』プレイヤーはその最初のキャンセルポイントでキャンセルすることを『ショートキャンセル』、二つ目以降のキャンセルポイントでキャンセルすることを『ロングキャンセル』と、それぞれに呼んだ。
俺が今まで使っていたのは、両方ともロングキャンセル。
だが、短い間隔で『オーダー』をしなければならなくなるため、もちろんショートキャンセルの方が難易度が高い。
それを、今から試してみようというのだ。
「……よし」
前方に障害物がないこと、広い空間があることを確認する。
ステップとスラッシュ、これをロングキャンセルするとどうなるかと言えば、技の硬直がなくなる。
だがショートキャンセルすると、また別のことが起きる。
ステップのスキルは指定した方向に高速で飛び出し、空中で緩やかに減速、地面に着地するスキルだ。
二つ目のキャンセルポイントは地面に着地した瞬間にあるが、もう一つのキャンセルポイントは最高速から減速に移る瞬間にある。
よって、ショートキャンセルを行うと移動距離が半分程度になる代わりに、後半の遅い移動がカット出来るのである。
一方、スラッシュのショートキャンセルはもっと極端だ。
スラッシュの二つ目のキャンセルポイントは剣の振り終わりにあるが、最初のキャンセルポイントはなんと剣を振り始めた直後にある。
もちろん武器を振り下ろす前にキャンセルしてしまっては、攻撃なんて当たるはずがない。
だが、その真価はもはや攻撃にはないのだ。
重要なのは、技をキャンセルしてスラッシュを出した直後に、ほとんどノータイムでスラッシュをキャンセル出来ること。
つまり……間にスラッシュのショートキャンセルを挟むことで、同じスキルをほとんど隙間なく、連続で繰り出すことが出来るのである!
このステップとスラッシュのショートキャンセルを組み合わせた時の移動速度は圧倒的だった。
これを使った動画がネットに流れた直後、それを見たほとんどが「またバグか……」とつぶやいたというほどだ。
しかし、これがバグではなくテクニックだと証明されると一転、その動画には驚きと称賛の声が一斉に寄せられた。
その後、動画を見たプレイヤーたちはこぞってその動きを習得しようとした。
だが、ショートキャンセルは前述の通り難易度が高い。
特に、ステップをスラッシュでキャンセルした後、ほとんど即座に今度はスラッシュをステップでキャンセルしなければならない。
しかも、そのタイミングが一瞬でもずれたらうまく発動しないのだ。
多くのプレイヤーがそのシビアなタイミングに習得をあきらめ、このステップとスラッシュのショートキャンセルは『猫耳猫』上級者の技とされた。
――そして、その一瞬も気を抜けない連続したキャンセル操作と、成功時の驚異的な移動速度から、そのテクニックは『神速キャンセル移動』と呼ばれることになったのである。
この神速キャンセル移動を、俺は長い長い修練の末、自分の物にした。
序盤に出来る移動方法としては最速で、しかもすぐにスキルにつなげることが出来る。
もしこの技をこの世界でも使用することが出来れば、それは大きなアドバンテージになるだろう。
(他の便利なスキルを覚えてからはあんまり使ってなかったけど、タイミングは体で覚えているはず!)
最高クラスの難度を誇るコンボだが、俺なら出来ると信じる。
『猫耳猫』に費やした灰色の大学生活の成果を今、見せる時だ!
「……よし」
スタミナが回復したことを確認。
剣を構え……行く!
(ステップ!)
身体に感じる加速感、だが、それに浸る時間はない。
矢継ぎ早に『オーダー』を繰り返す。
(…スラッシュステップ…スラッシュステップ…スラッシュ!!)
驚異的な速度で進む肉体、最後の一撃だけ、キャンセルせずにスラッシュを出し切って……。
――ビュン!
耳元に感じる風切音。
気付けば俺は、ほんのわずかな時間で数メートルを移動、剣を振り切った状態で静止していた。
(……成功、した!)
喜びが込み上げる。
乱れる呼吸も気にせずに、ぐっと拳を握りしめて……気付いた。
「……ぁ」
見ると、家と家の間の小さな道から、唖然とした顔で俺を見つめる小さな影があった。
おそらく近所の子供と思われる、幼い女の子だ。
手に持ったじょうろからすると、ここにある花壇の持ち主だろうか。
(しまった…!)
顔から血の気が引いていく。
もしかして、今のを見られていた、のだろうか。
キャンセルを使ったスキルの最高峰、神速キャンセル移動の速度はそんじょそこらのスキルの比ではない。
誰の目にも、その特異性と異常性は際立って映るだろう。
この話が町に広まったりしては困る。
口止めするべきか?
いや、相手は子供なのだから、適当なことを言ってごまかして……。
だが、焦る俺の思考が定まる前に、女の子が口を開いた。
「おにいちゃんのうごき、なんかきもちわるーい」
「……え?」
固まってしまった俺を置いてけぼりに、女の子はきゃっきゃと喜びながら、そのままその場を立ち去っていく。
それを呆然と見送った俺は、女の子の姿が見えなくなっただいぶ後で、ただ負け惜しみを口にするしかなかった。
「き、気持ち悪いって、なんだよ。
ちゃんと花に水、やってけよな……」
――相良操麻、異世界にて初めて敗北の味を知る。
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