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第2章の3 【遠征軍】
さようならお爺ちゃん
「王宮に人はやっておりますが、私自身も報告のためすぐに王都に戻らねばなりませんので」

 シンシアさんが持ってきたパンとチーズ、軽いワインを(むさぼる)るようにたいらげたワカメは、そう断って手短に話を始めた。感情を押し殺し、できるだけ客観的に事実だけを話している。
 自己弁護を一切しないその話し振りは、彼の矜持がそうさせるのだろう。色男といいワカメといい、ウルドの武人達のこういったところは本当に見事だと思う。
 俺も見習いたいものだ。俺だったらおそらく言い訳から入るし……。

 ワカメが率いる遠征軍が迷宮の近くに陣営を構えて3日ほど経った時、つまり昨日のお昼ごろにアリの大規模な攻撃を受けた。
 アリの数は少なくとも遠征軍と同数程度だったから、ほぼ全力の攻勢だと判断し迎撃する。
 遠征軍の陣営は強固なものだったし、魔道砲といった最新鋭の兵器が配置されている。アリの攻撃は熾烈を極めたが、陣営に篭りさほど損害を出すこともなく撃退出来たらしい。

「だが、今にして思えばアレは陽動だったのだ……。全軍を陣営に篭らせる。そのためだけに攻撃を仕掛けてきたのでしょう」

 そういって悔しげに顔をゆがめる。

「アリの全力の攻勢を凌いだとなれば、後は時間をかけて迷宮を攻略すればよい。そう考え、いささか気が緩んだそのとき、何の前触れもなく地面が大きく揺れ……我らの陣営は陥没しました」
「陥没……ですか?」
「そうだ。陣営をすっぽりと覆う範囲の地面が崩れ、陣屋や柵ごと地中に飲み込まれた……。少なくない兵が木材や岩に押しつぶされ、落下の衝撃で怪我をしたものも多かった」

 そのときの惨状が目に浮かぶのか、深々とため息をつき目をつぶるワカメ。

「そこに四方からアリどもの攻撃が始まった」

 それはすでに戦いと呼べるものではなかった。
 陣営の周辺部にいた少数の警備兵以外のほぼ全軍が地中に開いた穴に飲み込まれ、体勢を立て直すまもなく横穴から現れたアリに襲われたからだ。
 穴の深さはおおよそ10メートル。兵士達の多くは崩落によって傷を受けていた。即死した兵士もいたのだ。
 アリたちは横穴から次々と現れては、そんな兵士をめがけて突進してくる。

 現れたアリは体も大きく、戦闘力はそれまでのアリとは比べ物にならなかったらしい。おそらくは以前女王周辺を固めていた近衛のアリだろう。
 【ネム】という女王アリを殺した戦いで深層冒険者だった俺の前進を阻み、シルクですら苦労していたアルマリル大迷宮最深層の魔物に匹敵する恐るべき魔物だ。
 騎士団の精鋭の中には反撃するものもいたが、アリ対策として装備させていた斧ですら通らないほど外装が固い。
 筋肉ジーさんや鉄壁のエルキュールといった手練の騎士は奮戦していたが、全体としての趨勢は決まっていく。

「動ける兵士をまとめたエルキュール殿の必死の反撃もあり、我らはなんとか崩落した穴から這い上がりました。幸い、穴の斜面は緩やかでしたので……苦労はしましたが。その時点で騎士団はほぼ3割の兵士を失っておりました。残った兵士にしても負傷したものが大半です。もはや遠征軍には継戦能力が無いと判断し撤退に移りました」

 遠征軍の最精鋭であるアリントンのジーさん率いるワール騎士団と、各騎士団の生き残った人形が殿を務め、厳しいアリの追撃をかろうじて食いとどめながらゆっくりと撤退していく遠征軍。
 一目散に背を向けて逃げ出したら騎士団の兵士は鎧を着込んでいる上に疲労しているから、アリに簡単に捕捉され全滅していただろう。
 ここいらあたりの軍隊としての錬度はさすがだ。
 ワカメをはじめとした幹部の指揮も良かったのだろう。
 ぶっちゃけ、うちの騎士団だったらこの時点で壊走を始めてそうだ。

「アリの追撃を受けながら、やっとの思いで振り切り魔法陣の設置地点まで退却したのですが……」

 そこでワカメはなぜか俺に向かって、いかにも気の毒だといった顔をする。

「ですが、すでに魔法陣は破壊されておりました。魔除けの結界はあったはずですが、その場は竜巻に襲われたかのような有様で……まるで爆裂石を100個もいっせいに爆発させたようなそんな跡が残っておりましたよ」

 魔法陣は跡形もなく、辺りには白銀狼騎士団の兵士の四散した死体がバラバラと散らばっていたらしい。彼らが作ったと思しき土を盛った小高い防塁。それだけがかろうじて残っていた。

「あの惨状では……おそらくガルドは死んだのでしょう。本当に貴公にはどう申し上げたらよいか……」
「……」

 …………。
 ……ジジイ。
 アリントンのジジイ!
 あのヤロウ……俺と色男が出来てるって言いふらしやがったな。
 めちゃくちゃ誤解してんじゃねーか。

 とりあえずこれ以上ふざけた噂が広がらないように誤解をとかないといけない。こうした噂はほうっておくとどんどん拡散する。
 つーか、傷は重いがそもそも色男はまだ生きてるんだしな。
 誤解を解くためと色男の生存を教え少しでもワカメを安心させてやろう。
 そう考え俺は口を開きかけるが、それにかぶせるようにワカメが言葉を続けた。

「……退路を失った失意でつかの間、我らの心気が緩んだのでしょう」

 そこをアリに襲われたらしい。
 まるで魔法陣をつかって退却することを予想していたように。いや、実際に予想していたのだろう。
 ガルド団長率いる守備部隊を蹴散らした後、アリの別働隊はそのままその場に埋伏していたのだ。そいつらが地面や木々の間からいっせいに出現し敗残の遠征軍に襲い掛かる。
 浮き足立つ兵士を叱咤し、必死に防戦するワカメ。
 だが、数こそ多くはなかったが、そのアリの中に自爆するタイプのアリがいた。
 そいつらが防御のため密集し槍衾を作っている兵士の間に突進して、爆裂石のように爆発する。
 爆破自体で死ぬ兵士は少なかったが、硫酸の様な強力な体液が辺りに飛び散り、アリの外装の破片が多くの兵士を切り裂き戦闘力を奪う。
 以前俺が爆裂石を鉄片と共に爆発させたが、原理はそれと同じことだ。

 ここにいたってついに遠征軍の士気は崩壊した。
 みな武器を捨て、盾を捨て。少しでも身軽になってメリル目指して逃げだしたのだ。
 こうなってしまっては打つ手はない。
 ワカメも側近数名とともにわき目もふらず走る。
 伏兵のアリの数がそれほど多くなかったため、多くの損害を出しながらもなんとか全軍の半数ほどは大湿地から脱出することが出来た。
 大湿地の縁でエルナ率いるメリル騎士団と出会い、共に撤退してきたらしい。

「……すべては指揮官である私の責任です」

 最後にそう締めくくってワカメの話が終わった。
 一気呵成に話していたので喉が渇いたのか、テーブルにおいてあるワインをあおるワカメ。
 側近の騎士たちもやりきれないように無言でワインを口に運んでいる。

 まあ、無理もないことだ。
 いくらウルドに連なる身分だとはいえだ。いや、ウルドに連なる身分だからこそ、ワカメたちはこれから非常に辛い立場に立たされるだろう。
 王国内の半数の兵力を率いて遠征しここまで損害を受けたのだ。この国の制度がどうなのかはしらないないけど……最悪処刑すらあると思うのだ。
 処刑されないにしても、これだけの敗北をした総大将となれば「ふがいない騎士」あるいは「無能者」として(そし)られ続けるだろう。
 戦死した兵士にも親兄弟がいる。奥さんがいた兵士もいただろう。彼らからワカメはけっして許されない。

 まあ、責任者ってヤツは責任をとるためにいるのだからさ。
 仕方がないことだといえば仕方がないことなんだろうけど……。
 だけど、それでも俺はワカメに同情してしまうのだ。
 戦術や指揮に問題があったとは思えない。例え誰が率いていたとしても結果が変わるとは思えないんだよな。俺がその場にいたとしてもやっぱり逃げていたろう。

 ただ……気になるのは地震だ。
 これは単なる自然現象なのだろうか? これさえなければ遠征軍が負けることはなかったはずだ。 
 もちろん不幸な偶然の産物かもしれないが……だが、あまりにタイミングが良すぎるように思うのだ。
 それに魔法陣を襲ったアリがその場に埋伏していたということはさ。アリは遠征軍を打ち破れると確信していたのではないだろうか?
 そうだとすればアリがあの地震を起こしたということになる。
 だが、はたしてそんなことが可能なのだろうか? この世界の魔法はそこまで強力じゃないというのが率直に感じる俺の感想だ。

 そんなことを考えながら、俺はまずそうにワインを飲んでいるワカメに声をかけた。
 ワカメの話は要点を押えた分かりやすい説明だったけど、一つだけ妙に歯切れの悪いところがあったからだ。

「一つお聞かせいただきたい。アリントン殿やエルキュール殿はどうなされたのです?」
「……死にました」

 一瞬ピクリと体を震わし、そういって暗い眼をする。
 顔には出さなかったが、手に持ったワインの表面が揺れた。

「エルキュール殿は穴を這い上がる時に……死にました。アリントン殿はワール騎士団の生き残りと共に殿を。おそらく生きてはおられないでしょう……」
「そうですか……」

 ……ジーさん……死んだか。
 脳筋だったし、変な噂を流してくれやがったが、俺はけっこうあの豪快なジーさん好きだったんだよな。
 そういえば、姫様の名付け親だったか……。仲よさそうだったし悲しむだろうな姫様。

「アリントン殿は初孫を楽しみにしておられた。エルキュール殿は私の従姉妹との婚礼まじかだったのだ……。私のせいなのでしょう。私を守るために犠牲になったようなものなのですから」

 もう手に持っていられないのか、乱暴にワイングラスをテーブルに置くワカメ。
 堪えきれないようにうつむき、スマンスマンとしぼり出す様に呟く。

「……アリントン殿は以前おっしゃっていました。ワシの関わる戦でイァーソン殿の婚礼相手を未亡人にするわけにはいかんとね」
「アリントン殿がそんなことを……」

 顔をあげ、充血した目で俺を見るワカメ。
 俺はつとめて笑顔を浮かべながら話を続けた。

「ええ。ですから、きっとアリントン殿は満足されて逝かれたことでしょう」

 ジーさんの言ってたことと若干違うような気もしなくもないが、俺はワカメを元気付けてやりたいのだ。ジーさんも許してくれるだろう。

「それにガルド騎士団長は生きております。大きな怪我をされてはおりますが、人形が背負い、ここまで落ち延びております。現在は眠らせておりますが、きっと私たちメリルの総力をあげて治療いたしますよ」
「ああ、ガルドは生きていたか……よかった。本当によかった」

 そういって何度も目頭を押さえる。
 色男は生死の境をさまよっているし、片腕もなくしてしまっているが……。
 だけど今のワカメには伝えない方がいいだろう。

「……アリントン殿ももしかすればご存命かもしれません。あの人は王国最強の騎士ですからね。けろっとした顔でメリルにお帰りになる。そんなことも大いにありえるのではないでしょうか」

 俺の言葉を信じたとは思えないけど、それでもこちらを向いたワカメの表情が随分と明るくなった。
 何か決意したような清々しい顔つきをしている。

「ですからどうか気を落とされず。勝敗は時の運とも言いますし、何よりアリはまだ大湿地にいます。きつい事を言うようですが嘆いている暇はありませんよ」
「そう……ですね。これで終わったわけではありません。敗れたりとはいえ、アリの損害も大きいはず。……王都に戻りどこまでできるかわかりませんが、私は私の出来る限りの力をつくしてみます。それが散っていった兵士達の望みでもありましょう」
「ええ。その通りです」

 空元気だとは思うけど、こういうときは何か仕事してた方が気がまぎれてワカメにとっていいだろう。

「……王都に戻ります。遠征軍の兵士の中には重傷者も多いですから、医師と傷薬をはじめとする治療薬はすぐにでも手配をせねば。ルーグ卿、彼らのことよろしくお願いいたします」

 そういって王都に戻るため部屋を出て行くワカメたち。
 俺とシンシアさんはその場に留まり、彼らの後姿が見えなくなるまで無言で見送った。
 ワカメの指揮も騎士団の戦術も、話を聞く限り特に問題があったとは思えない。
 それでも遠征軍は負けたのだ。
 大湿地に住まう女王アリは本気で恐ろしい知能を持った魔物だと、そう改めて思い知らされる。
 次は俺をはじめとしてメリルの騎士団も戦いに参加しなければならなくなるだろう。十分に対策を練り準備しておかなければ……。  
 そう決意しながら俺は傍らで憂鬱そうな表情のシンシアさんに言った。

「シンシア。家宰殿とケイを王都から呼び寄せてください。もう宮廷工作は必要ありませんし、そんなことをしている場合ではなくなりましたから」
「あっ、はい。ではすぐに王都に人をやります。あの……姫様にアリントン様のことは……」

 そういって悲しげに言葉を濁すシンシアさん。
 あーそうか。シンシアさんもアリントンのジーさんとは長い付き合いなんだな。

「……まだ死んだと決まったわけではありませんし、もう少し待ちましょう。本当にひょっこりと帰ってくるかもしれませんし」
「はい……そうですね。あの、差し出がましいようですが……もしも、もしもお戻りになられない場合は……私のほうから姫様に伝えましょうか?」
「いや、俺から伝えるよ。シンシアはラウルに伝えてくれ」

 シンシアさん涙は流していないけどほとんど泣いているんだよな。
 ラウルさんが慰めた方がいいだろう。
 ……ただ、俺も上手い方じゃないけどさ、ラウルさんは本当にそういったことは下手そうなんだよな。
 うまくやれよと心の中でラウルさんを応援して、俺は色男を見舞うべく領主の間を後にした。


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