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20 Nov 2013 02:18

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「じぇじぇ」方言、長崎・対馬でも 偶然?伝播?

qBiz 西日本新聞経済電子版 11月18日(月)11時34分配信

「じぇじぇ」方言、長崎・対馬でも 偶然?伝播?

「あまちゃん」撮影終了の記者会見でポーズをとる能年玲奈さん。出演者たちが使った「じぇじぇじぇ」は流行語大賞の有力候補だ

 「じぇじぇ」は九州の方言だった−。NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」で主人公たちが驚いたときに使い、流行語にもなった岩手県久慈市の方言を、長崎県対馬市の一部地域でも使っていたことが分かった。ただの偶然か、それとも東北へ伝播(でんぱ)したのか。市の中心部、厳原町から車で北へ1時間ほど。山あいに田んぼが広がる同市峰町三根地区を訪ねた。

 「初めてドラマを見たときは『じぇじぇー!』ですよ。こりゃ対馬言葉でねえかって。私たちは恥ずかしいけえ、使うのをやめとっとに」。地区にある県立対馬青年の家の所長、永留安生さん(64)が苦笑しながら「あまちゃん」の衝撃を語ってくれた。

 永留さんによると「じぇじぇ」は、三根地区でも「上(かみ)里(ざと)」という地域だけの方言で、「中学では他の地域の同級生に笑われるので、使わないようにしていた」という。それでも驚いた時は「じぇー、何ばしよっとげな」と思わず使ってしまうことがあるという。

 では、対馬と久慈の関係は? 厳原町に住む県立対馬歴史民俗資料館元館長、大森公善さん(69)は、対馬と東北のつながりに着目する。平安時代に地元の豪族が東北へ流された記録があるほか、「元寇(げんこう)で避難した島民が東北の船に救われた」という話も残っている。江戸時代の国書改ざん事件「柳川事件」では対馬の高僧らが岩手などに流罪となったという。

 「対馬にはいない『つしま』さんが東北には多い」と大森さん。対馬と久慈には海女による漁業が盛んだったという共通点もある。

 ただ、対馬の「じぇ」は「じぇじぇ」と2回繰り返すだけ。ドラマのように驚きの度合いに合わせて何度も繰り返すことはない。三根地区でも口にするのは「40代から上。若者は使わない」(永留さん)という。

 そこへ起きたあまちゃんブーム。同地区の子どもたちが通う市立西部中では、生徒会長の佐伯翼君(15)が「じぇじぇ」の使用を全校生徒に呼び掛けている。佐伯君は「流行語だからではなく、地域の伝統として僕らが継承したい」と意気込む。

発祥は京言葉か
◇東北大学方言研究センターの小林隆教授の話

 「あまちゃん」が話題になった当初は、室町末期の京言葉とされる「じゃ」が東北に伝わり、久慈で「じぇ」に変化したと考えた。江戸時代につくられた狂言の台本に「じゃ」という驚きの言葉があるからだ。

 しかし、対馬でも「じぇ」を使っているなら、「じぇ」もかつての京都にあった可能性が出てくる。「じゃ」が南北で変化したと考えるより、「じぇ」が京から南北に伝わって生き残ったと考える方が自然だ。方言の多くは昔の京言葉が地方にだけ残ったものとする「方言周圏論」にも合う。

 「じぇじぇ」が流行語となったのは感性を伝える言葉だから。若者言葉は感性的な言葉が多く、それにぴったりはまったのだろう。方言は地域文化の一つ。流行語をきっかけに、若い人が古里の方言に関心を持ってくれたら、うれしい。

西日本新聞社

最終更新:11月18日(月)11時34分

qBiz 西日本新聞経済電子版