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第2章の1 【黒き災厄の足音】
メリル篭城
 単調な、まるで流れ作業のように、俺はただただ無心で眼下のアリを斬りつけ蹴飛ばす。
 とはいえ、この作業は命がけなのだが……。
 少なくとも1時間はここで戦っている。すでに俺だけでも50近い数のアリを始末しているだろう。
 こいつらの酸だという緑の体液が地面にあふれ、石や雑草を溶かしているのか、あたりは体に悪そうな臭いがする薄い霧のようなものに包まれていた。

 しかし、アリの数は一向に減った様子がない。
 というか、後続がいたのか増えている感じだ。その1000匹にも届こうかというアリが押し合いへし合い襲ってくる。
 この人数差でありながらアリたちの侵攻を防げているのは、俺達の奮戦もあるのだが地形のおかげによるところが大きい。
 メリルの町の西。大湿地に隣接するここいらは、左右を切り立った岩に挟まれた10メートルほどの幅しかない一本道。しかもここはちょっと坂になっている道の頂上。防衛には適しているのだ。

 だが、そんな俺達の奮闘もそろそろ限界に近づいていた。
 こちらは10人程度なのに、あちらは少なくともその数十倍の数。
 倒しても倒しても、入れ替わっては攻撃を仕掛けてくる。
 意外と精鋭ぞろいだったカエルさんたちも奮闘はしているのだけれど、疲れの色は隠せない。
 無理もないことだ。彼らはここまで戦いつつ逃げてきたんだから。
 人形も頑張ってはいるが全身に傷を負っている。人間であればとうに痛みで動けなくなっているはずだ。あとで人形師のミューズちゃんにオーバーホールしてもらわなければいけないだろう。
 ……もっとも、この場から生還できればの話だけど。

 ヌアラの合図は今だない。おそらく住民の避難に手間取っているのだろう。
 なんとしても領内の人が全員避難するまでここで時間を稼ぐ! 改めてそう決心して俺は刀をふるい続ける。
 そんな俺から少しはなれたところで戦っていた一人のカエルさんがアリを斬りつけた。
 だがアリの酸に犯されていた彼の剣は限界だったらしい。無常にも根元からポッキリと折れた。その拍子にバランスを崩したカエルさんに襲い掛かるアリ。
 腕に噛み付かれ足をすくわれ、そのカエルさんはあっという間に黒い集団の中に消えていった。
 生存は絶望的だ。

 それが文字通り、蟻の一穴だった。
 俺たちの防衛線は、堤防が小さな穴一つで決壊するようにあっという間に崩壊した。
 そのカエルさんのいた場所からわらわらとアリが進入してくる。

 支えきれない。その様子に俺はそう判断した。
 このままだと挟撃されるから全滅するだろう。

「お城へ! この道をまっすぐ行けばありますから」

 刀で城門を指し示しながらそう言った俺の声に、カエルさんたちはわき目も振らずお城に逃げる。彼らももう支えきれないと判断したのだろう。
 俺も目の前のアリを始末した後で背を向け城に向かって走り出した。
 だが、下級人形がついてこない。
 何してんだ!
 と、半ば腹を立てながら振り返ると、人形は今だその場に踏みとどまっていた。
 大きく槍を振り回している。重装備の自分は逃げ切れないと判断したのか、どうやら殿(しんがり)をするつもりのようだ。
 それを見て、俺と並んで走っていたカエル戦士のうちの何人かが、互いに目配せをして踵を返した。
 彼らは人形の側に駆け寄り、人形と共に剣を振るう。

「無駄だ! 逃げろ!」

 俺がそう言うと同時に四方から彼らに襲い掛かるアリの大群。
 そのまま人形とカエルさん数人は、津波のような黒い絨毯に飲み込まれていった。
 人形の持っていた槍が一瞬穂先を出すが、すぐにそれも見えなくなった。

 思わず逃げる足を止め呆然とする俺。
 この世界に来てはじめて近しい奴が死んだのだ。慙愧の思いが俺をつつむ。
 もう少し慎重になるべきだった。城壁も最優先で石のものに作り変えるべきだったのだ。なまじ復興が順調にいっていたから判断を間違えたということなのだろう。
 そんな俺の手を引っ張る指揮官っぽいカエル。

「ルーグ卿! お早く!」

 その言葉に我に返った俺は今度こそ全力で走り出しだ。
 城門にまだ残っている見張りの兵士に「城へ走れ!」といいながら、俺は最後のカエルさんが通過したのを確認してから城門をあげている綱を刀で叩ききった。
 凄い音を立てて、勢いよくしまる城門。
 木製なので簡単に突破されるだろうけど、それでも多少の時間は稼げるだろう。
 こちらに押し寄せてくるアリの大群を一睨みして、俺はお城に向かって駆け出した。そんな俺の行く手に、ヌアラ合図、花火のように白い閃光が暗い空に綺麗な軌跡を描いていた。


 ☆★☆★☆★☆★


 メリル城は十重二十重に包囲されていた。
 メリルの町は真っ黒いアリによって埋め尽くされている。
 町とメリル城をつなぐ大橋はあげているし、お城の後背にあるガケの小道も念のために石で塞いであるからお城は今だ健在だ。
 幸い、羽アリはいないようで、とりあえずはこれで持つだろう。

 自力での駆逐はどう考えても無理なので、アルマリルの町をはじめとした各町にはすでに援軍を求める使者を出した。
 今頃はそれぞれの町について状況を説明している頃だろう。
 シンシアさんは子供と女性をゲートに誘導している。筋肉ジーさんの治める武闘都市ワールに避難させてるのだ。
 先のルーグ卿の時代にワールとメリルはそういった相互扶助の取り決めをしていたらしい。
 5年前の大侵攻の時も多くの住民がワールに避難したということだ。
 多少心配していたのだが、さすがにウルドの影響下にある転移都市ループでもすぐに通行許可を出してくれた。
 まずは一安心といったところ。

 だが、メリルの被害は大きい。
 いまだ正確にはわからないんだけど、どうやら人的な被害は人形1体だけだ。しかし物的な被害には目を覆いたくなった。領民の人たちの畑や住居が酷い被害を受けているのだ。
 逃げ遅れた家畜や犬や猫といった動物達は全滅した。
 ちょうど夕食の支度をしていた時間だったのが災いし、火災が起きている住居もある。
 夜の帳が下りてきた中、その炎がアリどもの姿を照らしていた。

「ちくしょう。もう少しで収穫だったのに」
「あのアリンコども許せねえ!」

 せっかく軌道に乗ったと思った矢先の出来事なだけに、城内に残った男達の顔は怒りに燃えていた。
 俺はけっして元気なわけじゃないんだけど、ここで俺が暗い顔をするわけには行かない。
 正直、城内の人がいまだやる気を失っていないのは、俺に対する信頼があるからだと思うのだ。
 つとめて明るい表情で元気に振舞っている。

 先ほどまで俺はスウォンジー達が使っていたさびた槍を武器庫から持ってこさせて、谷向こうのアリに投擲していた。
 エルナに少し槍の投擲を習ったことがあったのだ。
 さすがにアイツみたいに百発百中とは行かないけど、なんせアリはほとんど立錐の余地がないほどの大群だ。
 届きさえすれば当たる。そして当たりさえすれば殺せる。
 少なくない数のアリをしとめせいなのか、アリ達はいまは少しお城から離れてしまった。
 そのままアリ達がなにをしているのかは分からないけど、こう着状態が続く。

 深夜になったこともあり、俺達は見張りを残して城内へと引き上げることにした。
 といっても休むわけではない。カエルさんたちからこのアリどもの情報を聞き出すためだ。
 彼らがこのアリさんたちをここに連れてきたからさ。
 正直なところ、カエルさんに対する城内の風当たりは悪い。
 指揮官っぽいカエルさんには刺すような視線が注がれている。つーか、シンシアさんあたりは実際に刺し殺そうな勢いだ。俺から見ても怖い。
 ただ、カエルの指揮官さんは中々肝が据わっていた。そんな状況なのに優雅にお辞儀をし、俺にお礼まで言ったのだ。

「ルーグ卿殿。お助けいただき感謝いたします」
「成り行きですがね。……さて、カエル人殿。あのアリは一体どういった魔物なのです? なぜアナタ達は襲われていたんです?」

 俺がこう質問するとカエルさんは要領よく説明を始めた。
 カエル族の族長だという彼、タゴガさんは頭が良いんだろうね。非常に分かりやすい説明だ。

 カエルさんたちは大湿地に住むカエル族の一部族。
 争いを好まない彼らは、狩猟をしながら平和に暮らしていたらしい。
 だが、半年ほど前異変が起きた。獲物の数が激減したのだ。
 これまでも獲物の増減はあったのだが、今回はそれこそ1日中狩をしても獲物の姿さえ見えないという今までにない不猟。
 どうしたことかと原因を探って行くうちに、彼らは最近出来た迷宮から大きなアリが這い出し、手当たり次第に獲物を狩っていることに気がついた。

 その迷宮は妙な迷宮だった。
 通常の迷宮に住まう魔物は多くの種族の魔物によって構成されている。
 理由は諸説あるらしいけど、俺が迷宮に潜っていた頃に聞いた説は多様性。
 つまり単一の種族で固めた迷宮は、特定の敵に極めて弱くなったりするからさ。その対策ということらしい。迷宮が生き物だとすればありえない話ではないんだろうけど……。
 正直眉唾だ。単にメガネがゲーム的な仕様としてそんな風に作っているだけのような気がしなくもないな。

 だが、その迷宮はアリしかいないのだ。

 最初こそ戸惑った彼らだが、当然すぐさま部族の手練の戦士による討伐隊を組み迷宮に潜った。
 だが、1日たち2日たち3日たったも彼らは戻ってこなかった。
 代わりに来たのは巣から這い出してきた雲霞のごときアリ。そのアリ達に襲われ彼らの集落は大打撃を受けた。戦闘が出来るものを中心に実に1割近い犠牲者を出したのだ。
 そのため、迷宮に潜ることは諦め、石垣で防壁を作り、落とし穴を集落の周りに掘ったりしながらアリ達の迷宮を監視して生活していたということだ。

 しかし、昨日、彼らが恐れていた事態が起きた。
 アリの女王が新たな女王を生んだのだ。

 あのアリどもは、俺達の世界のように一人の女王アリと多くの兵隊アリとで構成されている。
 ただ、1年に1回、女王は新たな女王を生むらしい。
 新しい女王は巣のアリの半分程度を引き連れて新たな巣を作る。
 ミツバチの分封(ぶんぽう) に近い習性だ。

 今でさえもカエルさんにとっては死活問題なのに、それが2倍となれば飢え死にしかない。もしくは大湿地を捨てるかだ。
 当然カエルさんたちはすべての戦力をもって新たな女王に戦いを挑んだ。
 王であり母でもある女王さえ倒せば、兵隊アリはデクノボウとかす。
 新たな女王は、新しい巣を見つけるために移動するからそこを狙ったのだ。
 そして負けた。
 それもケチョンケチョンに負けた。

 いや、彼らの名誉のために言うけど、カエルさんたちはけっして弱くはない。鑑定で見てみても彼らのレベルは20前後。この族長さんにいたっては30もある。
 だが、アリの数が多すぎた。
 彼らには付与魔法の使い手がおらず、武器が壊れていったのも原因だろう。
 彼らはその敗残兵だ。
 戦い戦いここまで逃げてきたらしい。

 カエルさんの話が終わると、さして広くもない室内には重苦しい雰囲気が漂った。
 恐ろしい敵だと再確認したのだ。しかも少なくともこの倍の数のアリが大湿地にはいるのだ。
 一年に一回新たな女王アリが生まれるとなると防衛だけではいずれジリ貧になるだろうし。

「一つお聞きしたいのですが? その新しく生まれたという女王アリはこの場にいるんですか?」

 だけど俺は少し光明を見つけていた。
 すべてのアリを殺すのは無理だけど、女王アリさえ殺せば無力化するんであれば位置さえ分かればなんとかなるのではなかろうか。
 そんな俺の質問に、いかにも残念そうな表情をするタゴガさん。

「おそらくはいると思いますね。ただ、虫とはいえヤツラとても阿呆ではありませんから……おそらく、あの大群の中心に近いところにおるのではないでしょうか」

 まあ明日にでもヌアラを飛ばして女王アリの位置を確認させよう。
 運良く襲撃できるところにいればラッキーだ。

「タゴガ殿。わしからも一つお聞きしたいのだが? そのような危険なアリをなぜ貴殿はメリルに連れてきたのですかな?」

 家宰さんが疲れきった様子ながら、眼光だけは鋭くカエルさんを詰問した。
 その通りだ! そんな感情のうねりが室内を満たした。へたな事をカエルさんが言えば、そのままたたき殺されそうな雰囲気だ。

「誤解されているようですが……あのアリは我らが連れてきたわけではございません。そもそものアリの目的地がここメリルなのです」
「なぜ貴殿にアリの目的地が分かるのですかな?」

 いい訳だと思っているらしい家宰さんの口調は厳しい。いつもの好々爺といった態度とはうってかわり鋭い眼光でカエルさんをにらみつけている。
 だが、このカエル人のタゴガという奴も負けていなかった。

「我らがジャイアントアントと呼ぶ、かの魔物の習性はご存知ですかな? かの魔物どもは新たな女王が巣を造る際、自然の洞窟などを利用することが多いのです。迷宮に住み着く場合もございます。
 今回彼らが利用しようとしている洞窟。これこそ、ここメリル城なのですよ。我らの部族が襲撃をかけたのもこちらに向かって行軍している途上のこと。むしろ我らがいなければメリルは防戦の暇なく落ちていたでしょう」

 けっして卑屈ではない態度で堂々言ってのけた。
 家宰さんはその言葉が本当なのか、それともでまかせなのか判断がつかないらしい。なんともいえない苦しげな表情だ。
 まあ、いまこいつらを問い詰めてもこの状況は改善しないしなあ。
 アリとの戦いを見るに、カエルさんたちってば結構腕が立つから、出来れば共闘したいものだと俺は思う。

「そこいら辺の事情は後から調査するとして。タゴガ殿。貴方達はこれからどうされるおつもりですか?」
「それはもちろんあのアリどもと戦います。我らはすでに部族として成り立たないほどの損害を受けましたが、それでも今だ戦えるものはおりますから」

 ルーグ卿にお許しいただければですが。
 そう付け加えたカエルさんが俺をじっと見つめた。

「そうですか。……ではルーグはあなた達を受け入れましょう。非戦闘員についても避難できないかワールに打診してみます」

 何か言いかけた家宰さんを腕を上げて制した。
 いまは戦力は惜しい。カエルさんをどうこうするにしてもアリを駆逐してからにしたほうがいいと思うのだ。

「そのかわり、あなた方の持っているあのアリに関する情報をすべて提供して下さい。戦闘にも参加いただきます」
「かたじけない。本当に感謝いたしますルーグ卿。もちろん我らの持っている情報はすべてお出しいたしますし、戦闘ではかならずお役に立ちます」

 そういってカエルさんは何度も何度も頭を下げた。

「では、あのアリがこのメリル城を攻めるに当たってどのような手段をとるのか? 貴方のご意見をお伺いしたい」

 カエルさんを交えての作戦会議は深夜まで続いた。


 ☆★☆★☆★☆★


「お帰りなさいシノノメ様。お食事まだですよね? スープあたためなおしますから少しお待ちくださいね」

 カエルさんを交えての作戦会議が散会した後。
 徹夜で警戒に当たろうと思っていたのだが、家宰さんから「休むのも仕事でございます」と諭され自室に戻った俺を姫様の嬉しそうな声が出迎えた。
 いや、なんで避難してないんだよ姫様……。
 シンシアさんには最優先で避難させろと伝えたはずなのだが。
 今お城にいる女性は、シンシアさんと人形のメンテナンスのために残ってもらったミューズちゃんだけのはずだ。ヌアラも残ってるけど、あいつはメスだしな。

「……姫様。俺はワールに避難するように言いましたよね」

 ちょっと姫様をにらみつける。
 しかし姫様はちょっと不満そうだ。持ち込んだガスコンロみたいな携帯用の炎石でスープの鍋を温めながら俺をにらみ返してきた。

「シノノメ様。姫様ではなくてレイミアです」
「そんなことはどうでも良いんです! ここは危険ですから今すぐにワールに避難をして下さい!」

 思わず怒鳴りつけていた。
 正直本気で状況的には不味い。カエルさんの見立てによると、あのアリどもメリル城に穴を掘って攻め込む可能性があるって話だからな。
 ここいらは岩まじりの地層だとはいえ、明日にはこのお城が陥落する可能性だってあるのだ。

「嫌です」
「……」

 意外と頑固だな。

「お母様も5年前にお父様と一緒に戦ったんです。私も今回は残ります。もう落ち延びて一人になるのは嫌なんです」
「いや、そうはいっても……」
「それに私一人落ち延びてもラミアの私はどうしようもないですし」
「でしたらシンシアさんも一緒に行ってもらいますから、ね 」
「嫌です。私は残ります。そもそも、まだルーグの当主はまだ私なんですから、逃げるなんて事出来ません」

 弱ったなあ。
 正直姫様が残る意味はほとんどない。
 戦闘は出来ないし、むしろ足手まといだ。
 なんとか説得できないものかと頭を悩ませる俺に差し出されるスープ。
 仕方なく受け取り、食べる。姫様が作った物らしく相変わらずおいしい。
 無言で食べる俺の隣に腰かける姫さま。そのままトンと俺に頭を預けてきた。

「勝てますかね?」
「……どうでしょうか? 援軍が早く来れば良いんですけど」
「もう。こういうときは貴方のために必ず勝ちます。と言うものではないんですか?」

 姫様いろいろ夢を見すぎだな。
 きっと俺の話した童話や御伽噺の影響だろう。

「まあ、頑張りますよ。……怖かったら避難してもいいんですけど?」
「しつこいですよ、シノノメ様」

 まあいいや。
 明日になったら無理やりゲートに放り込んでワールに避難させよう。


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