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中国で日本人が建築をつくる

松原 弘典
慶応義塾大学総合政策学部助教授

松原 弘典 助教授

北京市では今、都市環境が急速に変化している。民間デベロッパーにより乱立し続けるビル群は、中国経済の著しい発展を象徴しているかのようである。そこに日本的ものづくりの知恵と経験が加わると、日中両国にとってどのようなメリットが生まれるのか。中国に拠点を置き多くのプロジェクトを手がけている松原助教授が、同国の建築設計の実情と、中国で日本人が建築に携わることの意義について語った。

北京で経験した内装コンペティションの勝利

私は2001年に瀋陽へ渡り、市の都市計画局で働く傍ら、小さな家具をつくったり、インテリアの改装の仕事をしたりしていた。中国の地でものづくりをする際にはどのような手続きが必要で、職人とどのように協働し、建設コストがいくらかかるかを学習したいと思ったからである。
中国における建築設計の現場は、例えば建材選びからすでに日本とは異なる。日本では設計者が建材を探す際、インターネットで情報を検索したり、メーカーの発行するサンプルカタログから選択するのが一般的だ。これは電話1本で済む便利なシステムではあるが、選択肢が限られたバーチャルな世界でもある。一方、中国ではまだそうしたシステムが十分でないので、卸市場やショールームに実際に足を運ばざるをえず、そこの膨大な実物の中から選ぶことになる。日本とは違い卸はだれにでも開かれており、面倒な反面そこでは欲しいものを見つけるリアリティや、最初に考えていたものとは違うものに出会えるきっかけがあるようにも思える。加工費が安いのも特徴的で、材料さえそろえば人件費を気にせず製作を依頼できる。こうしたことを知り、中国の前近代的な生産システムの残滓が実は、ものづくりのおもしろさを生んでいると捉えなおすようになった。
家具づくりや内装設計の経験を重ねていくうち、「お前は外国人だから中国人にはない新しいアイデアが出せるんじゃないか」というわけでコンペティションの話が舞い込み、実施の機会を得ることができるようになっていった。その中の一つが2003年に実現した「北京市新華書店中関村図書ビル」の内装設計の仕事である。
北京の北西部にある中関村は、IT系企業が多数集まり中国のシリコンバレーと言われるが、それまで大きな書店がなかった。そこに北京市新華書店が市内で3番目の旗艦店をつくりたいということになり、約8000平米の書店の内装コンペが開かれた。
書店であるから書架を大量に置くわけだが、その配置は頻繁に替えたいということで、フレキシビリティのある内装案が求められた。そこで私たちは「家具で内装を特徴づける」という案を考えた。柱や壁と違い、家具ならば移動可能であるから、その家具自体を内装の主役にしようとしたわけである。売り場には万里の長城を思わせる長い線状の家具を置き、それを北京で最も長い家具という触れ込みで「長城家具」と名付けた。一つの長い箱を折り曲げた「長城家具」は、本棚、カウンター、椅子とさまざまな用途に応じるものとなる。この仕事の成功によって我々は、北京市宣伝部の覚えもめでたく、その後いくつかの出版関係の施設の設計を依頼されるようになった。

日本のきめ細かいものづくり手法を持ち込む

中国で実務に携わるようになりわかったのは、多くの中国人が自分の身の回りの空間や建築に満足していないという現実だった。またこの国では設計者が忙しすぎて、設計だけ済ませると施工にはあまりタッチしないということもわかった。どの現場も職能の分業化が進み、最初から最後までのプロセス全体にかかわる人がいないように見えた。
一方私が知っている日本の建築設計の現場では、設計者は図面を描いた後も施工も含めてずっと建設の工程に関与するのが一般的だった。設計者にとっては建築が実現化するまでのプロセスすべてがデザインであり、図面を描くのはその一部分にすぎない。日中間の現場のこうした違いを目の当たりにして、それなら日本のやり方を知る自分が、中国ではものができるプロセスのすべてにかかわるようにすればかなりのアドバンテージになるのではないか、と考えるようになった。先進的な設計思想があってもそれだけではだめで、今目の前にある技術に見合ったレベルの設計をすること、またその設計案を実際の施工に反映させるところまで細かく見届けることが大事と考えたのである。
中国ならではのものづくりのおもしろさもある。前近代性の残滓が中国でのものづくりを可能にしていると先に述べたが、それは例えば「既製品」というものをどう考えるかという点からもうかがえる。
日本はもはや既製品で覆い尽くされた社会である。成熟した社会は失敗のない、安定した既製品で覆われている。既製品は設計者にとっては一種のブラックボックスであり、日本では、建築設計者の手元にはなんの技術もないまま、既製品を開発する建材メーカーの技術の組み合わせだけで建物がつくられる場合も少なくない。一方中国で本気でいい建物をつくろうとすると、生産システムの未成熟さから、いい既製品がない、という状態から始めることになる。オフィス家具一つとっても性能の安定した美しいものがないとなると、自分たちで設計するしかない。これはつくり手にとってはしんどいことでもあるが、同時にとてもおもしろい状況でもある。完成品があることがあたりまえと思っているものを最初から自分で考えてつくっていいわけだから、面倒ではあっても、大きなチャンスととらえることもできるだろう。
またそういう設計検討を、実際にサンプルをつくりながら進めることができるのも中国のおもしろさである。人件費が安いから原寸大のサンプルをつくることに抵抗が少ない。本来図面を描くということは、実際にものをつくる前のシミュレーションであり、図面上で製作物を想定して、いかに実物をつくる手間を省くかというところにその目的があったはずだ。しかし中国で私が接している現場では、図面と原寸大サンプルがしばしば同等に扱われる。図面ではわからないからまず一つつくってみよう、ということがとても多く、実物を目の前にすると設計者と発注者、専門家と素人という境界はなくなって、皆フェアに意見を述べるしかなくなってしまうのである。
専門家という領域に閉じこもっていられないので設計側にはつらいことでもあるのだが、常にものに還元しながら考えられるこうした状態は大きな視点から見ればきっと悪くないものだと思う。

「変化し続けるのが建築」という概念

新華書店の内装設計の仕事以降、いくつかの建築設計の実務を通じて私が強く感じたのは、中国では「建築はつくりながら考えていくもの」という意識が根強いということである。ここでは設計者に対する施主の設計要求が、実現化の途中で全部変わってしまうことも珍しくない。実際設計者に対して「とりあえず設計図を描かせる」「つくらせて見てみる」「つくらせたものを直す」というやり方をとる施主は多く、建物は施主と設計者の間で刻々と変化していく。設計者は最終形を示す立場というよりは、必要な設計要求がどんどん変わる中でそれをその都度形にしていく役割と位置づけられているようだ。設計者が万全に予測を立てた最終形を提出し、その最終形に向かってものをつくっていくのが日本の建築だとしたら、中国のそれはだいぶ違う方法だと言える。この国では、変化を飲み込むことのできるシステムをどこまで最初に提出できるか、そこに勝負がかかっているのではないかと最近は考えるようになった。
個人的には、日中が歴史的にようやく対等にビジネスできる状況が整った時代になったと思っている。今後、日本の若い人たちが中国へ渡り建築にかかわる機会は増えていくであろうが、日本的なものづくりの考えを持ちつつ、建築とは常に変化し続けるものというこの「中国的常識」を受け入れられれば、日本人もかの地で大いに活躍の場があるのではないだろうか。

北京市新華書店中関村図書ビルの「長城家具」

北京市新華書店中関村図書ビルの「長城家具」

松原 弘典 Hironori Matsubara
まつばら・ひろのり 慶応義塾大学総合政策学部助教授。東京藝術大学美術学部建築科卒業。1996年モスクワ建築大学研究生、97年東京大学大学院修士課程修了。97〜2001年伊東豊雄建築設計事務所勤務。01年渡中、瀋陽市規劃設計研究院勤務。02〜05年文化庁在外派遣研究員として北京大学建築学研究センター勤務。05年より現職。北京松原弘典建築設計有限公司執行董事。専門は建築設計、デザイン理論。
※本稿は2007年2月5日に六本木ヒルズにて行われた講演を、本人の許可を得て事務局がまとめたものである。(文責・事務局)

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