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二週間振りです、どうも疎陀です。先日は友人の結婚式に行ってきました。年を取って涙腺が緩くなったのでしょうか、初対面の新婦さんの御両親への手紙&スライドショーで涙目になってしまいました。小田和正さんはずりーよw とにかく、良い式でした! お幸せに!

全然お話関係無い前書きですが、取りあえず第四十七話です。楽しんで頂ければ。
第四十七話 ラルキアの聖女

 土煙が舞う、荒野。

 視線の低い彼の目線から見える『城壁』は、まるで天空に聳えるかの如く高く、遠い。
「おい、坊主」
 ただ、眼の前に聳えるソレを見つめていた少年の背に、しわがれた声がかかる。坊主、と呼ばれた少年はその声に応え後ろを振り返った。
「坊主じゃねえって何回言わせればわかんだよ、おっちゃん。俺にはエリックって名前があるんだよ」
 自分より三十以上年長者であろう、頭に包帯を巻き、あちらこちらに傷を負う男性に挑む様な視線を向ける。本来であれば怒っても良いだろうそんな視線を向けられても、男性の顔には笑みが浮かんでいた。
「そりゃすまねえな、坊主」
「だから坊主じゃねえ!」
「細けえこたぁ良いんだよ。それでな、坊主」
「だから――」
「俺、クニに帰る事になった」
 出かかった言葉が、喉にかかって胸に落ちた。
「……その、怪我のせい?」
「ん? ああ、まあこの怪我もそうだけどよ」
 頭の包帯をポンポン、と叩いて。
「お前も知ってるだろう? ホレ、あの『ラルキアの聖女』」
「……ああ」
「あの聖女様がな。たまたま治療所に居た俺のこの怪我見て、聞いたんだよ。『失礼ですが、貴方にご家族はいますか?』って」
「……」
「俺にはカカアも娘も居るって言ったらよ? 『直ぐに帰国の手続きを。これ以上の戦闘行為は許しません』って」
 除隊扱いになったんだよ、と肩を竦めて見せる男性に、少年は肩をいからせて男性に詰め寄った。
「そんな除隊をおっちゃん、認められるのかよ!」
「そう言われてもな」
「おっちゃん、言ったよな? 『ジェシカ姫の仇を討つ』って! 一緒に、死ぬまで戦うって! それをこんな所で除隊って……そんなの、おっちゃんだって嫌だろ! 俺らはまだ戦える! いいや、戦わなきゃいけないんだ!」
 胸倉を掴み、吐き捨てる様にそういう少年を困った様に――それでも、慈しむ様に見つめ、男性は少年の頭に手を置いた。
「……坊主、お前の言ってる事は良く分かる」
「だろ! だったら――」
「でもな……すまねえ、俺、『除隊』って聞いた時、ほっとしたんだ」
「――……何だって?」
「『除隊して、国に帰って家族孝行をしなさい』って聖女様が言った時、『ああこれでカカアと娘の顔が見える』って思ってな? そしたらよ……その……」
 死ぬのが、怖くなっちまって、と。
「ふざけんな! おっちゃん、それで良いのかよ! ライムの奴らが憎くねーのかよ! あいつらはジェシカ姫を殺したんだぞ! ラルキアの恋人を! ラルキアの妹を! ラルキアの娘を! ラルキアの姉を! 憎くねえのかよ!」
「憎いさ! 俺だってライムの奴らは憎い! 八つ裂きにして、ジェシカ姫の墓の前で晒してーぐらい憎い!」
「なら!」
「……でもな」
 それでも……俺には、生活もあるんだ、と。
「……」
「……俺の家はな、小さい酒場やってるんだけどよ? 今、カカアが一人で切り盛りしてるんだ。女手一つでやりくりってのは結構大変でよ? その、俺が家に帰ってやらねーと……」
 胸倉を掴んでいた少年の手から、少しずつ力が抜ける。下を向き、肩を震わせるその姿に、男性が気まずそうに少年の頭に手を置いた。
「……なあ、坊主? 聖女様の話じゃ、今なら誰でも望めば除隊が出来るらしいぞ? どうだ? お前も除隊して、両親の下に――」
「俺は孤児院育ちだ。両親なんかいねえ」
「そ、そうか。それじゃ……そうだ! お前、俺ん所に来るか? その、なんだ。俺ん所もそんなに金が有り余ってる訳じゃねえけど、心配すんな! お前一人ぐらい、充分養っていけるさ。カカアは……その、あんまり別嬪じゃねえけど……まあ、気の良い奴だ。その代わり娘! ジェシーっていうんだけどこれがまあ、誰に似たのか街でも一番の器量良しだ。年もおめえと同じぐらいだし、きっと仲良くできる。あ、でも手は――」
「……ジェシーって言うのか、おっちゃんの娘」
「――だすな……ん? あ、ああ。可愛いぞ? お前も一発で惚れるぞ?」
「……そっか」
 そういうと、少年は少しだけ悲しそうに笑い男性の手を頭の上からどける様に優しく払う。
「お、おい」
「おっちゃん、娘は大事にしろよ? 『ジェシー』なんて、そんな良い名前つけたんだからよ」
「あ、当たり前だろ? 大事にするさ。それよりお前――」
「ありがとう、おっちゃん。気持ちだけ、貰っておく」
 でも、と。
「俺はもうちょっと『此処』に居るよ」
「……死ぬぞ?」
「かもな。でも、それで良いんだよ」
 そう言って少年はおよそ年齢に似つかわしく無い、大人げな笑みを浮かべて。
「……弔い合戦なんだよ、これは」
 そっと、眼を閉じ。


『もういい! もういいのよ、エリック!』
『でも……姉ちゃん、プランが……』
『プランなんてもういい! 御免なさい! 私、貴方がそんなに頑張ってくれてるなんて知らなかった! 我儘言って御免なさい! だからお願い、エリック! もうプランは良いから! その気持ちだけで私はお腹一杯だから! だからお願い! きちんとご飯食べて! 元気に笑うエリックの姿を見せて!』


「……弔い合戦なんだよ。ジェシカ姫の――」

 閉じた目を開き。


「――ジェシー姉ちゃんの」


◆◇◆◇◆◇

 ライム都市国家同盟所属都市、ダニエリ。

 国境線をラルキアと接する都市国家であり、『ライム最初の砦』と呼ばれる城塞都市である。地理的要因からか、他国からの侵略に過敏なまでの拒否反応を示し、為に街の周りには高さ六メートルを越える壁がぐるりと街を取り囲む様に張り巡らすという、オルケナ大陸では珍しい建築様式を持つ都市である。
 無論、他の国家――例えばフレイム王都ラルキアや、ソルバニア等にも街を取り囲む様な防御壁はある。あるが、それはダニエリの半分程の高さと強度、精々が賊の侵入を防ぐ物であり、他国からの侵略を想定してのモノでは無い。上記の両都市が国家の中央部に存在し、変な話ではあるがそこまで攻め込まれれば終わり、という考えがある事も一因とは言えるが。
「……くそ」
 天幕の外から、忌々しくその高く聳える城壁を眺め、ダニエリ攻略軍総司令官アヒム・バルツが悪態をついた。ダニエリの城壁にはりついてはや三カ月が来ようとしているが、一向に進展はなし。五十も半ばを過ぎようとしながら、年齢よりも若く見えると評判のアヒムの顔にも年相応の疲れが見える。
「閣下」
 副官の言葉に、親の仇を見る眼でアヒムが振り返る。貴族階級であろう端正な顔立ちをした副官は一瞬顔を引き攣らせるも、ぎこちないながら笑顔を浮かべて体裁を取り繕った。
「……閣下。その」
「分かっている。お前はそこで待っていろ。誰も入れるな」
 副官にそう言い残し、アヒムは黙って天幕に歩を進める。目の前の城壁も忌々しいが、この中に居る人物はもっと忌々しい。その感情を隠そうともせず、アヒムは乱暴に天幕の入り口を左右に分けた。
「……忙しいだろうにこんな所まで物見遊山か、ルドルフ王国宰相閣下」
「忙しいのはお互い様です、アヒム殿。それにしてもまた、随分な御挨拶ですな」
「こっちはどうやったらあの城壁を攻略出来るか、頭を悩ましている所だ。来て早々に申し訳ないが、さっさっと帰ってくれるか?」
 どかり、と置いてあった椅子に腰をかけアヒムは眼の前に座る痩身の男を睨みつけ……そして、その隣の女性に視線を走らす。
「……女同伴で戦場に来るとは随分舐めた真似をするな、ルドルフ」
「……女同伴?」
 ルドルフ、と呼ばれた男性が首を傾げる。やがて、アヒムの言った言葉の意味を理解すると可笑しそうに声をあげて笑った。
「何が可笑しい!」
「いや……失礼。私とした事が」
「……馬鹿にしているのか? いい度胸だな、ルドルフ。如何に貴様が王国宰相であろうと、私を侮辱する事は許さんぞ?」
「いやいや、そういう訳ではありません。何、『女同伴』と言われたので、つい」
 笑いをおさめ、それでも口の端を微妙に歪めながらルドルフが言葉を継ぐ。
「女同伴、ではありません。どちらかと言えば私が同伴ですよ」
 何でも無い様にそういうルドルフに、アヒムは少しだけ驚きの表情を浮かべた。
「……王国宰相をお供にわざわざ戦場まで出張か? なるほど、余程の大物と見えるな、そっちの女は」
 そう言いつつ、アヒムは剣呑な視線を女性に向ける。そんな視線を向けられながらも、女性は今一つ興味の無さそうな顔を浮かべながら、ボブカットに切られた黒髪の枝毛を気にしていた。
「……黒髪?」
「……何です? 黒髪だったら問題、ありますか?」
 眼の前の女性の反応に、自らの思考が口に出た事を悟り慌てて左右に首を振り、まじまじと女性をもう一度見やる。

 ボブカットに切りそろえられた黒髪。

 大きく、まるで黒曜石の様な輝きを見せる黒い瞳。

 身長はさほど高く……と言うより、低い。決して不細工ではなく、小動物的な愛らしさのある顔立ち。その顔立ちのせいか年齢は不明ではあるが、アヒムの知る美女――現国王の王妹であったアンジェリカや、国王の娘であるジェシカなどと比べた場合、比べる方が失礼に当たる様な、そんな平凡な容姿だ。街を歩いていて『お、あの子可愛い!』と騒ぎになるほど美女では無いが、たまたま肩がぶつかったりして『す、すいません!』なんて謝られたらまあ『いいよ、いいよ』と笑って許してしまうであろうぐらいには……小さな村であれば村で一番や二番は難しくても、辛うじて三番目の美女と言われる程度の、そう、本当に平凡で、アヒムの知識で彼女に最も近しいモノをあげるとするならば――

「……仔狸」
「……オッケー、喧嘩を売られている様ですね。買って差し上げましょう、高値で」

 思わず口をついた言葉に慌てて両手で口を覆い、ブンブンと顔を左右に振る。視線の端でルドルフが笑いを押し殺している姿が腹立たしい。
「アヒム殿。女性に対して失礼ですよ」
「し、失礼。いや、その……ま、まるで狸の様に見事な黒髪だと……」
「褒めてませんよね、それ? 何ですか、『狸の様に見事な黒髪』って? それでキャー素敵! ってなる女性が居ると思っているのですか? 馬鹿にしてますよね? というか、狸は別に黒く無いですよね?」
「あ、いや……る、ルドルフ! 笑うな!」
「失礼。あの『王国の鬼司令官』と言われたアヒム閣下がこんなに慌てる姿が見られるとは思いも寄りませんでな。黒髪がそんなに珍しかったですか?」
「黒髪が珍しいのではなく……黒髪の女がお前を連れだって此処に来た事に驚いたんだ!」
一般論ではあるがラルキア人は基本、金髪が多い。国王も王妃も、王子や姫たちも全員金髪・碧眼。貴族にしたってそうであり、無論、黒髪の人間も居るには居るが、瞳の色まで黒となるとそう多くはおらず……自らも貴族であり、ある程度は社交界にも顔を出しているアヒムが知る限りでは皆無である。何が言いたいかと言うと、仮にも王国宰相という地位も名誉もある御仁を軽々とお供に出来る程の地位の高さを持つ人間は居ない、とまあそういうことである。
「この戦場に来られてアヒム殿はどれくらいになりますか?」
「もう二カ月は過ぎた。もうすぐ三カ月が来る」
「なるほど。では、アヒム殿が知られないのも無理は無いですな」
「……なんだ、その奥歯にモノが挟まった様な言い方は?」
 アヒムの発言に軽く頷き。
「お噂だけは聞いた事があるでしょう、アヒム殿。こちらにおられる方が」
 そう言って、ルドルフは女性の方に向き直り。


「――『ラルキアの聖女』様、です」


◆◇◆◇◆◇

「ラルキアの……聖女?」
「ええ。噂はお聞きになられていないので?」
「あ、いや……聞いてはいるが……」
 ラルキアの聖女。
 国王以下、国民皆が悲しんだジェシカ姫の訃報より一カ月、ラルキア国内では随所で噂になった人物。

 陽気で。

 笑みを絶やさず。

 傷ついた兵を、血煙の舞う戦場を鼓舞して回る。

ラルキア国民はその姿から、有りし日の……ラルキアの街を元気に闊歩していた『ジェシー』に重ねた。彼女の容姿も一役買い、ついた渾名が『ラルキアの聖女』

「……ただいま御紹介に預かりました『ラルキアの聖女』こと仔狸です。どうぞよろしく」
「……」
「なんですか? 鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔をして」
「……いや」
 困った様に聖女の顔をまじまじと見つめたアヒムが、ルドルフにその視線を送る。
「………………これが?」

 アヒムが聞いていた噂と随分違う。少なくとも、『容姿が一役買った』とは到底思えない。

「よし、何か文句があるようですね。容姿? 容姿ですか? 聖女っぽくキラキラした容姿ではなく、こんな仔狸みたいな容姿が不満ですか? ええ、ええ、確かに? 自慢じゃありませんが私、容姿には何の自信もありませんが? ありませんが、そうやって人に小馬鹿にされた様に容姿について詰られて黙っている程人間出来ていませんよ? 表にでましょうか、総司令官閣下」
「あ、いや! そ、そうではないのだが」
マシンガンの様に喋り出す眼の前の『聖女』に、アヒムもタジタジだ。本当に、アヒムが聞いていた噂とは随分違う。少なくとも、ジェシカ姫には全く似ていないし……何より、ジェシカ姫はこんなチンピラみたいな絡み方はしなかった筈だが。と、いうか、聖女の絡み方では無い。
「聖女様、聖女様。お戯れが過ぎますよ?」
「戯れてはいません。吐いた唾は飲んで貰う主義です、私は」
「……そこらのゴロツキでは無いのですから。それに、アヒム殿は王国でも随一の剣の使い手です。聖女様が逆立ちしたって勝てはしませんよ?」
「勝てる勝てないの問題ではありません。問題は戦う勇気です。それに……大丈夫ですよ」
「何がですかな?」
「殴られる覚悟もないのに、人を殴ろうとは思っていませんよ、私」
 そう言って、笑顔を。
「――良いのを一、二発、貰う覚悟は出来ていますから」
 そんな笑顔を浮かべ――
「聖女様、聖女様。イイ笑顔でトンデモ無い事を言っていますね、貴方。それ、何か違います。持って欲しいのは殴られる覚悟ではなく、殴らない判断です」
 ルドルフのツッコミが入る。
「……何だ? お前らは私に喜劇を見せに来たのか?」
 突如始まった聖女と宰相の豪華キャストによる漫才に思わず呆れ顔になるアヒム。戦場の緊張感とか、巧く進まない戦況とか、抱えていた色んなモノが吹っ飛んで行くようで何だか少しだけ悲しい。
「……そうですな。聖女様、こんな事をしに来た訳ではありませんでしたな」
「……そうでした。つい、かっとなってしまいました。申し訳ございません、アヒム総司令官閣下」
「あ、ああ。それは構わんが……それより、本日の要件はなんだ? 慰問なら歓迎する。大したもてなしは出来んが、精一杯の――」
 正確には構うが……まあ、それはどうでも良い。話が進まないと判断したアヒムは要件を聞きだそうとして。


「講和の話です、アヒム閣下」


 聖女の言葉に、息を飲む。
「……講和、だと?」
「はい、講和です。先だってフレイム王国から講和の仲介に立つ、その準備があると、その旨のお話を頂きました。ダニエリ攻防戦も三カ月になりますし、この辺りで講和をしておくのが手では無いですか?」

 何でも無い様に。

 アヒムの眼を見ながら、そんな事を言う聖女に。
「……ふざけるなっ!」
 ダン、と眼の前の机を叩く。机の上の水差しが少しだけ跳ね上がり、中身を机の上にこぼした。
「別段、ふざけているつもりはありませんが?」
 そんな状況にも一切怯えた様子も無し。淡々と机の上に零れた水を台拭きで拭きながら上目遣いでそんな事を言う聖女に、アヒムは思わず殺気の籠った視線を向ける。
「何がふざけているつもりは無い、だ! 貴様、この戦争が何の為の戦争か分かっているのか!」
「ええ、存じ上げていますよ。ジェシカ姫の弔い合戦でしょ?」
「それが分かっているのなら何故そんな言葉が出て来る! 講和だと? ふざけるのも大概にしろ!」
「それが分かっているから、ですよ」
「なに!」
 机の上を拭き終わった台拭きを端に寄せ、聖女は顔をあげてアヒムに視線を合わせる。
「三万、です」
「なに?」
「正確には三万とんで五百三十六人。今回の戦争で、ラルキア軍が動員した数字……此処、ダニエリ攻略総司令部が預かっている人数です。内訳は王家直轄軍五千、貴族より徴用した兵数が五千の合わせて一万。傭兵が三千。残りの一万七千五百三十六人の兵士は志願兵、つまりラルキア各地から集まった素人の集団です」
「それがどうした!」
「今回の戦争は非常に珍しいケースです。お分かりですか?」
「何がだ!」
「志願兵の多さです」
 ラルキア王国という国家は、非常に『国民意識』の強い国家である。今回の戦争を見て分かる通り、『ジェシカ姫の仇を!』と国民が一緒になって戦争に邁進するなど、殆ど宗教の域である。
 これがフレイム、或いはソルバニア辺りだとこうはいかない。戦争は国家のモノではなく王の、或いは貴族のモノであり、国境線に接する村など数年単位で所属する国家が変わるなど珍しくも何ともない。
「それがラルキア軍の強みだ! 民が国家に忠誠を誓い、国家は民を守る! それがラルキア王国を支えて来た!」
「仰る通り、それがラルキアの強さであり、同時にラルキアの弱点です」
「弱点、だと?」
「ラルキア王国は国民意識の高い国です。国家に対する忠誠も、国王に対する敬愛も強く……そして、強すぎます」
 一つずつ、生徒に対して説明する様に。
「一般成人男性が一日に使う食費……これは食費だけです。ラルキア王国は流通にフレイム貨幣を用いていますので、フレイム銀貨換算で言えば食費は一日辺り約二枚です。つまり一日当たりの戦費の内、兵士に食事を用意するだけでフレイム金貨六千百七枚とフレイム銀貨二枚が必要、と言う事です」
「それが――」
「戦時行動中である事を勘案すれば平時よりも食料消費は早いでしょう。腹が減っては戦は出来ぬ、ではありませんが。計数的な説明は出来ませんが、二割増し程度に考えてもフレイム白金貨で約七千三百枚。一日の食費だけでこれです」
 平時の軍隊も金を喰うが、戦闘行動中の軍隊はもっと金喰い虫だ。とかく、戦争とは金がかかる物なのである。
「ですが、ラルキア国軍は違います。およそ三カ月の間に使われた戦費の内の食費を一日平均で見ると約三千枚程度、平時の半分以下の支出で済んでいます。これがどれだけ異常な事かお分かり頂けますか?」
「ラルキア国民の総意を持ってジェシカ姫の弔いを行っているからだ! 腹が減った等とは言えん!」
「ええ、そうでしょうね。国軍に参加する兵士のほぼ全てが一日一食、それも粗末な食事ですら文句も言わずに戦っています。これがもし会社組織であったなら、労働基準監督署が嬉々として乗り込んで来るような、明らかに違法で異質で異常な真っ黒会社です」
「ろ、ろうどうきじゅん……何だと?」
「そこはどうでも良いです。問題は、何故その様な状態でも戦っていけるか、です。先程仰られた様にラルキア国軍の士気は確かに高い。ジェシカ姫の弔い、という共通目的で纏まっているからですか?」
「そうだ!」
「違います。勝っているからです」
「何だと?」
「勝っているからですよ。負けていないから、人がそんなに死んでいないから、御飯が少なくても戦えるんです。これがもし、負け出したら? 明日は自分が死ぬかも知れないという恐怖の中で、果たして今まで同様に戦っていけると思いますか? 私は無理だと思いますけど?」
「そ、そんな事は……」
 口を開いて言いかけて、その口を閉じる。目の前のこの黒髪黒目の女性が言っている事に、アヒム自身思い当たる節があるからだ。勝ち戦であれば気分は高揚するし、当然士気もあがる。そんなもの、当たり前だ。
「負け出したら歯止めが効きません。唯でさえ気力だけで戦っている様なモノです。その気力すら折られたら、勝つ事なんて不可能です。だから、勝っている内に辞めるべきです。今なら――」

 ――沢山、賠償金も取れますよ? と。

「ジェシカ姫の命を金で買うつもりか!」
 何でも無い様にそういう聖女に、アヒムが再びテーブルを叩いて激昂。その仕草を静かに見つめて。
「それが、何か?」
「な、なんだ――」
「ええ、私はジェシカ姫の命を『金』で買おうとしていますよ? より正確には金で『償って貰おう』としていますが、まあどっちでも良いです。ようは命の対価としてお金を頂くんですから。でもそれ、なにか可笑しいですか?」
「お、可笑しいに決まっているだろう! 人の命が金で買えると思っているのか!」
「発想が逆です」
「逆だと!」
「お金なんですよ。人の命なんていう大事なモノ、お金以外の一体何で償って貰うんですか? ライムの大統領の命を貰いますか? ライム国民を皆殺しにしますか? ライムと言う国をラルキアに併合しますか? 奴隷の様にこき使う人材を欲しますか? それで、ジェシカ姫の命を償ったと言えますか?」
「そ、それは」
「復讐は何も生まないなんて青臭い事を言うつもりは毛頭ありません。復讐は気持ちいいですから。感じた劣等感を雪ぐ最高のエッセンスですよ。ええ、否定はしません。ですが、今のライムの大統領を弑し奉った所でジェシカ姫がラルキアに与えた程の衝撃をライム国民が感じるとは到底思えません。新しい大統領が出て来てちゃんちゃん、ですよ。ライム国民を皆殺しとか、ライムを併合なんて夢物語、白昼夢です。どこかで手を打たなければならないんですよ」
「ま、負けなければ良いんだろう!」
「どうやって?」
「即日、ダニエリに総攻撃をかける! 一気呵成に攻めたてダニエリを落とし、その勢いで――」
「碌な装備も、碌な食事も与えていないのに、どうやってダニエリを落とすのですか?」
「今はまだ士気が高い! 碌な装備が無くても、ラルキア国民にはジェシカ姫を想う気持ちがある! この勢いを持って――」

 言葉の途中で、止まる。

「……辞めましょうよ、そんな精神論。簡潔に、明朗で、分かりやすい、計数観念に則った具体的な数字で示して下さい。軍人が竹槍でヒコーキを落とすなんて言いだす国は必ず負けます。ソースは歴史」
 冷徹な眼差し。その視線が、アヒムを射ぬく。
「……勝ち続ければ良いです。ですが、勝ち続けられますか? 兵士の腹を満たすだけの金銀は、兵士の装備をハイクラスのモノに変える財宝は、今のラルキアにはありませんよ? 正直に言いましょう、一方面に三万人なんて兵の動員数、ラルキア王国の財政で耐えられる訳が無いんですよ。降って湧いた様な戦争ですし、予算なんて最初から組んでません。ライムに攻め込んで城下の誓いを果たすのが先か、ラルキアが財政破綻するのが先か、そのどちらかです。そして私が提示しているのは、ラルキアの自尊心を満たしつつ、利益も取れる、そんな案です。現実的だとは思いませんか?」
「……」
「沈黙は肯定と受け取ります。それでは次、アヒム閣下に依頼したい事です」
「依頼、だと?」
「ええ。講和をするくらいなら、死んだ方がましだ、と言う方も恐らく相当数居るでしょう。そうした人々の『抑え』をお願いしたいのです。方法は問いません。ジェシカ姫は平和を望んでいると説いても良し、お金が入ると説いても良し、です。事実、今回の戦争の参加者には幾ばくかの補償を考えています。まあそれも全て講和が巧く行けばですが」
「民に死ぬな、と? ジェシカ姫の為に生きろと、私にそう言えと?」
「……正直に言えば、眼の届かない所で勝手に死ぬ分には好きにして貰えば良いです。命を絶つ事によって報われる思いもあるでしょうし、そんな所まで一々介入するつもりも、介入する権利もありませんから」
「では、何故『抑え』がいる?」
「終わった戦争を蒸し返されると困りますから」
「講和が成ったにも関わらず、突撃でもされると厄介か?」
「有体に言えばそうです。死ぬのは好きにすれば良いですが、ライムを道連れにして貰っては困ります」
「……」
「……」

 沈黙。

一瞬とも、悠久とも取れる長い、長い時間を経て、おもむろにアヒムが一つ、溜息を漏らす。
「……それは」
「はい?」
「それは……陛下の御意思か?」
 確認の様にそう訪ねるアヒムに、聖女は首肯で答えた。
「『ラルキア王国』という国家の意思です」
「……そうか」
 ふぅっと、大きく溜息を一つ。
「……分かった。講和条約に向け、最大限の努力をしよう。その代わり――」
「講和交渉には宰相閣下も私も出席します。御心配無く、最大限の成果をもぎ取って見せましょう」
「――宜しく頼む」
 そう言って頭を下げるアヒムに、聖女はたおやかに笑んで見せた。

◆◇◆◇◆◇

「お疲れ様です」
「何がです?」
 アヒムの天幕を後にし、自らが乗って来た馬車へ続く道をあるく。王国宰相であるルドルフを見知った兵士たちの敬礼に会釈で応えながら、ルドルフは隣を歩く聖女に話を振った。
「この『交渉』です」
「交渉にも入りませんよ、こんなの」
「……ほう」
「最初からカードは全部こっちです。どんな紆余曲折があったとしても根っからの貴族であるアヒムさんが、『王命』に逆らうことなんて出来ません」
「おや? 聖女様とアヒム殿は初対面では?」
「初対面ですよ?」
「その割には随分と良く知っておられる様な口振りで」
「アヒム・バルツ。ラルキア王国伯爵位を持つ貴族、五十五歳。右利き。ラルキア王家の遠縁に当たり、末席ながら王位継承権を持つ貴族。性格は苛烈だが、一本筋の通った人間であり、陛下の信頼も厚い」
「……」
「曲がった事は嫌い。公平で誠実。領民にも慕われる名君主。酒も好きだけど、実は甘いモノも好き。娘二人の嫁ぎ先に頭を悩ましている。婿を取りたいけど、娘の幸せも大事。ああ見えて結構お洒落。まだ、要りますか?」
「……結構です」
 こくん、と小首を傾げながら見やる聖女にルドルフは左右に振る事で応える。もう結構だ。
「よくお調べですね」
「調べなくても耳に入ってきますよ。有名人ですし、アヒムさん」
 何でも無い様にそう言って、風になびく髪を少しだけ抑えつける。
「王家に連なる名門貴族であり、陛下の信任も厚いアヒムさんなら『王命』という一事に逆らう事はしないでしょう。端から簡単な仕事ですよ、こんなのは」
「では何故ですかな?」
「質問が曖昧です。簡潔にプリーズ」
「最初から、『王命』というカードを切れば良かったのでは?」
 ルドルフの当然と言えば当然の問いに、聖女は肩を竦める事で答えた。
「陛下の勅命、という形を使えば表向きは簡単に解決します。が、後の事を考えると必ずしも得策とは言えません。国民総火の玉で戦っている戦争です。講和という事態に眉を顰める人も多いでしょうし。アヒムさんみたいに」
「……そうでしょうね」
「だからこその『ラルキアの聖女』です。利害関係の薄い第三者が、講和の使者に名乗りでる。なまじ国の重鎮であるルドルフさんやアヒムさん、陛下が表立って動けば戦争終了後に鬱屈した国民感情が噴き出すかもしれない。下手をすればクーデターが起こり国家崩壊の危機、それは不味いです」
 そこまで喋って言葉を切り、下からじろりとルドルフを睨みつける聖女。
「……仮にも宰相閣下がこの程度の事に気付いて無いとは思えませんけど?」
「と、申しますと?」
「値踏みされるのはあまり好きではありませんよ。『捨て駒』でしょう、私は。講和の使者として立つスケープゴート。成功しても恨みを買い、失敗しても恨みを買う。哀れな仔羊の役でしょうに」
「おや? 仔狸では?」
「全力でぶっ飛ばしますよ?」
 イイ笑顔でそういう聖女に、今度はルドルフが肩を竦める番だ。
「哀れな仔羊の役にするつもりは御座いません。貴方の身柄はラルキア王国の全力を持って保護させて頂きます。暴漢、暴徒に襲われる様な事態には致しません」
「それは助かります」
「……」
「何です?」
 馬車へ向かう歩みを止め、こちらをじっと見つめるルドルフに訝しげな表情を浮かべる聖女。しばしの迷いを見せた後、ルドルフは口を開いた。
「……恨みますか? 私達を」
「恨む? まさか! 右も左も分からず、あのままでは野垂れ死に確定の私を拾って下さったんです。吐いた唾は飲んで貰いますが、受けた恩ぐらいは返しますよ」
 そう言って屈託なく微笑む聖女に、ルドルフの頬も緩む。
「……ありがとうございます。それでは現実的な話を。まず、講和についてですが」
「相手の出方が分かりませんので今は何も――ああ、講和会場。講和会場はロンド・デ・テラでお願いします」
「ロンド・デ・テラ?」
「フレイム王国の一領地です。勝利や敗北で無い、『講和』の会談を第三国でやるのは別段珍しい事ではないですし、第三国でやるのであれば斡旋者であるフレイム領内でやるのが筋でしょう。ロンド・デ・テラを治めるのはフレイム王国国王陛下の姉、エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムです。前フレイム国王の御息女ですし、講和の承認者としての格の面では十分だと思いま――何ですか、そのニヤけきった顔」
 じろりと擬音のつきそうな眼で睨む聖女に、ルドルフは苦笑で答える。
「いえ……良くもまあ、そこまでポンポンと理由が出て来るものだなと思いまして」
「……」
「はっきり言えば宜しいでしょう? 『テラでやりたい』と」
 口を開け、開けた口を更に閉じと二、三度パクパク上下に動かした後、観念した様に聖女は口を閉じた。
「それぐらいの我儘は許されますよ?」
「……ばれていました?」
「貴方が初めてテラの引渡証書を見た時の、あの異常な興奮を見れば誰でも分かりますよ。何時でも冷静沈着、陛下と私、二人で密談中のあの場所にいきなり現れても顔色一つ変えなかった貴方が、あれ程取り乱すのですよ? 覚えていますか? いきなり私の胸倉を掴んで『る、ルドルフさん! こ、これ! これ何!』って……くっくっく」
 聖女の顔にさっと朱が差す。その頬の朱色を誤魔化す様にポケットから一枚の紙――テラ引渡証書を取り出した。
「ここまで持ってくるとは……一体、テラに貴方をそこまで惹きつける何があるのでしょうか?」

 苦笑を引っ込め、訝しげな表情を浮かべるルドルフに曖昧に笑って見せ。

「テラには居るでしょ? 『魔王』が」
「……魔王……ああ、聞いた事がありますな。その引渡証書を作った御仁。確か……ヤメート出身のコータ・マツシロ氏だったか……」
 そうそう、と頷いて見せて。

「……異世界で同期会、っていうのも変わっていて面白いと思いません?」
「……は?」

 ポカンとした表情を浮かべるルドルフには答えず、指先で証書をなぞり。


「『住越銀行世界で地銀』、か。相変わらず自虐が好きだよね、アンタは」


 まるで昔を思い出したかの様、本当に楽しそうに喉奥をくつくつと鳴らして。


「……やっと逢えるよ、『浩太』」


 そう言って『ラルキアの聖女』――大川綾乃は、まるで大輪の向日葵の様な綺麗な笑みを見せた。



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