第四十五話 反撃の狼煙
――ホテル・ラルキア経営会議。
オルケナ大陸史に燦然とその名を刻むホテル・ラルキアの最終意思決定機関であり、この機関の決定がホテル・ラルキアの命運と、オルケナ大陸に少なくは無い影響を与える会議である。初代より当代まで、実に二十二代の会長がおり、その全てがブルクハルト家の縁戚者で占められる同族経営の極みの様なホテル・ラルキアにおいて最終意思決定権が会長に無い、という一事が一種異様に映るかも知れないが、これは発想が逆である。
ホテル・ラルキアの歴史は三百年。ブルクハルト家の後継者の全員が全員、優秀な経営者である事など奇跡の確率であろうし、更にその優秀な経営者が長寿で有る保証などは当然ない。一族経営に拘らず、外様を招くのであれば別であろうが『ブルクハルト家の縁戚』を後継者に限定し、その上でホテルの存続を願うのであれば必然的に会長個人では無い場所に権力を分散する必要があるのだ。一体いつ頃からこの経営会議が開かれているかをホテル・ラルキア史は語る事をしないが、最初にこの会議の開催を決定した会長は現実に即した、非常にバランス感覚の取れた経営者であったと言えよう。
「……それでは、ダニエリ分館の業務縮小についてだが」
二百人超の人数を収容できる、ホテル・ラルキア大講堂。その中央にポツンと、寂寥すら感じさせる形で置かれた円卓に、九人の男が座っていた。
入口を向こう正面に回したホテル・ラルキア会長の隣で、議長役を務めるホテル・ラルキア副会長ヴェルナーの言葉に意気揚々と席を立った五十歳を少し過ぎた辺りの小太りの男が、円卓に座る面々を見渡して口を開いた。
「私が提案させて頂きました。今回、ライム・ラルキア戦争においての主戦場になっているのは、我がホテル・ラルキアの分館のあるダニエリです。ライム軍の抵抗激しく、現状はダニエリの外壁に置ける攻防が主となっております」
言葉を一区切りし、大きく手を振って見せる。
「……しかしながら、籠城戦にも限度があります! このままダニエリが攻め続けられる事になれば、いずれライム軍の抵抗虚しくダニエリは開城する事になるでしょう。そうなれば! 殺気だったラルキア軍による略奪、暴行、破壊行動が起きる可能性は十二分にあると思料します。その際、我がホテル・ラルキアに、ホテル・ラルキアの為に働いている人々の人命と尊厳に被害が及ばないと誰が断言できますでしょうか?」
もう一度、円卓の面々を見回して反論意見が無い事を確認し、にこやかに相好を崩し。
「……以上の理由より、私と致しましてはダニエリ分館の業務縮小を提案した次第であります。何かご意見があれば承りますが?」
そう言って、椅子に腰を降ろす。その姿を苦々しげに見つめ対面の、こちらも先程の発言者と同年齢程度の禿頭の男が手を挙げた。
「よろしいか、トーマス財務部長」
「どうぞ、フォルカー分館統括部長」
「貴殿のご高説は承ったが、些か性急すぎるのではないか?」
「むしろ、遅すぎるぐらいですな。ダニエリは今、総攻撃の真っ最中だ。いつ街を囲む防壁が決壊し、ラルキア軍が乗り込んできても可笑しくはない」
「だが、我々は『ホテル・ラルキア』だ」
「それが?」
「『ホテル・ラルキアには如何なる攻撃も仕掛けてはいけない』、これはオルケナ大陸の常識だと思っていたが、私の常識が可笑しいのだろうか?」
どうだろう? と円卓に座る面々を見回すフォルカー分館統括部長。彼の視線に、幾つかの視線が頷くのが見て取れた。
「『ホテル・ラルキア』には如何なる攻撃を仕掛けてもいけない。ああ、確かにその通りでしょうな」
「なら――」
「ですが……それは『今までは』でしょう」
「――っ」
「今後も、ホテル・ラルキアには一切の攻撃を仕掛けられないのですか? どんな事があろうともホテル・ラルキアに居る限り被害は少しも及ばないのですか?」
「それは……」
「断言できるのですかな? 『絶対』大丈夫、と」
「ぜ、絶対など言える訳は無いだろう!」
「この度の戦争はラルキアによるジェシカ姫の弔い合戦だ。今までの戦争と違い、領土も金銭も譲歩も何も要求していない、一種異様な戦争だ。そんな『非常識』な戦争に、今までの『常識』が通じると本当にお思いかっ!」
「……」
「『今まで大丈夫だから、今回も大丈夫』なんて、そんな蓋然性に頼り、むざむざ尊い人命を犠牲にしろと貴方はそう仰るのですか? フォルカー分館統括部長?」
「そうは言っていないだろう!」
「では、この案件はご承認頂けますね?」
にこやかに笑みを浮かべるトーマスに対し、親の仇でも見る様にトーマスを睨みつけたフォルカーは二三度口を開閉し、黙って席に座った。
「私からも良いか?」
「どうぞ、ロルフ人事部長」
「ダニエリの業務縮小案については構わん。だが、その人選は? ダニエリから引き上げる事が出来る者と出来ない者、不公平感がつのるではないか?」
「一人でも多くの人命を助けるのと、不公平感の為に全滅するのと、はて? どちらが良いでしょうか?」
「……多少の犠牲には眼を瞑れ、と」
「そうですな。まあ、それは仕方ないでしょう」
運が悪かったと思って諦めてもらうしかないですな、と何でも無い様にそういうトーマス。
「人命重視を唱えながら運が無かった、か。君の説には一々一貫性が無いな、トーマス君」
窘める様にそう言って、ヴェルナーは会長に向き直り裁可を仰ぐ。
「会長」
「承認だ。ダニエリ分館は最低限の人員を残して業務縮小。分館統括部長、直ぐにダニエリに人を送れ。広報部長、各国の外交局に連絡。仕入部長は向こう三カ月の仕入量を算出。いいか?」
はい、と異口同音聞こえる声に小さく頷き、トーマスに視線を向けるアドルフ。
「財務部長は予算の再査定だ。削れる所は削れ」
「お任せ下さい!」
喜色満面、頬に興奮の朱色を差したトーマスに、白けた様な視線が向けられる。特に、仕入額の算出を求められた仕入部長は殊更にその視線を強めた。元々が犬猿の仲のこの二人、今回の事でその溝は徹底的に深まっただろう。
「それでは、次の議題についてだが」
最悪の想像をしながら、それでも掴みあいの喧嘩にまで発展しなかった事に安堵したヴェルナーの視線が、ちらりと講堂の扉に向けられる。そこに立っていたボーイがその視線を受け、ゆっくりとドアを開いた。
「――本来であれば彼に会議への参加権は無いが……一番、この議題に詳しいのは彼だ。特例として彼に来て貰った」
「本館総支配人、クラウス・ブルクハルトです。私の隣に居るのはコータ・マツシロ氏。今回提案させて頂く議題は――」
一息。
「――ホテル・ラルキアとユナ・ホテルグループとの業務提携について、です」
ホテル・ラルキア大講堂の温度が、一気に上がった。
◆◇◆◇◆◇
「ユナ・ホテルグループ? ユナと言ったらあの、ユナか? カトの!」
最初に声をあげたのは、営業部長。その声にゆっくり視線を営業部長に向け、クラウスは頷いた。
「ええ。そのユナ・ホテルグループです。今回、私の友人であるベロア・サーチ氏よりユナホテル側からの業務提携の打診が来ました。条件面については今、マツシロ氏が配っている資料の通りで――」
「越権行為だ! 他のホテルとの業務提携など、これは営業部の職域だぞ! クラウス、貴様、何をかんがえ――」
クラウスの言葉を遮る様に、営業部長が怒鳴り。
「私が許可した」
「――て……か、会長?」
それを遮る様に、アドルフが言葉を継ぐ。
「君の言は尤もだ、アロイス営業部長。しかしこれはクラウスの極々個人的な付き合いから生まれた話だ。そこまで青筋を立てて怒らずに話を聞いてやってくれ。私の顔を立ててな」
頼む、と頭を下げるアドルフに、気まずそうに眼を白黒させるアイロス。
「か、会長がそこまで仰るのなら……しかし、個人的な友人からの話が経営会議の議題にあがるとは、ダニエリ分館の業務縮小といい、ホテル・ラルキアも落ちたモノですな!」
ふんと一つ鼻を鳴らしてアイロスが腰を降ろし、雑用係よろしく資料を配って回る浩太からひったくる様にそれを奪い、眼を通す。
「続けてくれ、クラウス」
「……ありがとう、ございます。それでは皆様。お手元のペーパーに眼をお通し下さい。そちらにユナ・ホテルグループとの業務提携の概要を書いております。ざっくり纏めますと、二点。ホテル建設などの『箱』の費用や人件費、食材の仕入など、その全ての経費はユナ・ホテル側が、人材育成のノウハウやスタッフの派遣、その他の『中身』の部分は当ホテルがそれぞれ持ちます」
何かご質問は? と手元の資料から眼をあげて円卓を見回すクラウス。そこに質問の色が見えない事に一人頷き、再び話始めた。
「収益配分などの諸条件につきましてはもう少し議論を進める必要があるでしょうが、現状では新ホテル……仮称ではありますが、ユナ・ラルキアホテルの収益の四割程度がホテル・ラルキアの収益として計上できる事になるかと思います。概算ではありますが、当ホテルの収益予想は次ページを見て下さい」
全員が手元のペーパーを捲る音と――その後、ざわりとした空気と、息を飲む雰囲気が聞こえて来た。
「――クラウス」
「なんでしょう、アイロス営業部長」
「此処に書かれている数字は、正しいのか?」
「概算ですので、確実にその着地とは申しあげかねますが……そうですね、三年目以降の数字については概ねその数字か、或いは若干の上ブレを予想出来る数字にはなるかと思います」
「上ブレ、だと? クラウス、この数字での収益は現在のホテル・ラルキアの収益の実に二割分に相当する数字だぞ?」
「本案件の最大の特徴は一切の経費がホテル・ラルキアから持ち出されない事になります。ノウハウやスタッフの派遣など、無形の資産のみを使った形ですので……費用の発生しない、言わば真水の収益がソコに計上されます」
「……」
「加えて本案件では本体、つまりホテル・ラルキアの人件費の抑制にもなります。ダニエリ分館の業務縮小案は?」
「可決だ。準備が整い次第、ダニエリ分館から逐次人を引き揚げさせる」
「引揚者についての部署の割り振りなどはまだ決まっていないのでしょう?」
「……ああ」
「でしたらその引揚者をこの新ホテルの指導係として赴任させれば、人件費が抑えられると思いますが? 余所の分館はともかく、私が総支配人を務めるこの本館では既に人員には余剰が出ています。ダニエリからの引揚者を受け入れなくても十分、業務は回ります」
ホテル・ラルキアは最高のサービスを最大のウリにする、一流ホテルだ。『一人の顧客に専属で二人の従業員がつく』と言われる程きめ細やかなサービスを行う事でその地位を確かなモノにしている。為に、常時ホテル・ラルキアでは余剰な人員を十分抱えているのが実情だ。本館にしても、これ以上の人員は必要無く、他の分館も同様である。
「……無論、全く経費の支出が無い訳ではありません。そのページに書いてある通り、ホテル・ラルキアを大幅に下回る価格設定で新ホテルは運営されます。人件費はユナ持ち、と言いましたが、現在のホテル・ラルキアの給与水準で運営すれば間違いなく新ホテルは破綻します。だからと言って、この新ホテルに派遣するスタッフの給与を削減する訳にはいかない。不公平感が出ない様、ある程度本体からの上乗せ分は支給しなければならないでしょう。ですが、それでも十分メリットがある話では無いですか?」
出向先に給料を支払って貰い、足らず分は出向元の企業が持つ。全くのゼロ経費では無いが、それでも丸々全てを支払うよりは十分経費削減にはなる。
「……なるほど、な」
胡散臭そうにペーパーを見つめていた視線が、今では真剣なそれに変わっていた。会議出席の誰しもが、そのペーパーを見つめて考えこむ仕草を見せている。
「本案件は、確実にホテル・ラルキアに利益をもたらすモノであると確信しております。そしてこのアイデアを――」
視線を順々に円卓に座る面々に走らせる。様々な表情が浮かぶその顔の上を通り過ぎて。
「――フォルカー分館統括部長。貴方に、お願いしたい」
呆けた顔は、一瞬。
「そ、そうか! そうだな! このアイデアの大本であるクラウス君からの直々の御指名とあれば、私が受けない訳には行かないだろうな!」
喜色を満面に湛えて、揉み手をし兼ねない勢いを見せるフォルカー。
「ま、待て、クラウス! この議案は新ホテルへの人事案件も含んでいるんだぞ! ならば、我ら人事部の所管ではないか!」
「これは聞き捨てならないですな、ロルフ人事部長! 先程クラウスも言っていた通り、この議案は本来であればまず、我々営業部に話を通すのが筋というものでしょう。いや、クラウス、お手柄だ! 君は心配しなくても良い。後は我々営業部が引き継ごうではないか」
「いいや、営業部長。対外折衝は元々、我々広報部が最も得意とする所だ。ユナ・ホテルグループとは既知である我々が交渉を行う方が何かと便が良いだろう。心配しなくても我々広報部が今後の一切を取り仕切りましょう!」
「な、何を言っている君達は! アイデアを出したクラウス本人が是非私に引き継いで欲しいと言っているのだぞ? ならば君たちが出る幕は無い!」
「何だと!」
「何を!」
喧々囂々、蜂の巣を突っついた様な様相を見せる本館大講堂。手に持った書類が宙を舞い、互いに互いを悪し様に罵るその様は、とても超一流ホテルの経営陣には見えない程に醜い。
「静まれ!」
そんな喧騒に包まれる大講堂に、一際大きな怒声が響く。皆が皆、声の方向に視線を向け、額に青筋を浮かべて席を立つトーマス財務部長の顔を見た。
「……会長」
「……何だ?」
「この議案はまだ『承認』になった訳では無い、そうですな?」
「その通りだ」
会長の言葉に大きく頷き、トーマスはその視線をクラウスに向ける。侮り切った、その視線を。
「私はこの議案には反対だ」
「……それは何故でしょう?」
「何故? そんな事も分からないのか、仮にも本館総支配人が!」
苛立つ気持ちをそのまま、拳を円卓にダン、と叩きつけ。
「ここが『ホテル・ラルキア』だからだ!」
時間が止まる様な、嘘の様な静寂。
「王都ラルキアに店を構えて三百年。歴史と伝統のある、このホテル・ラルキアがユナ・ホテルグループと……て、提携だと? バカも休み休み言え! 営業部長!」
「な、何かね?」
「貴方も知っているでしょう! ユナ・ホテルグループとはどんなホテルかを!」
「それは――」
「部屋と呼ぶのもおこがましい程の、劣悪な部屋! 料理と呼ぶのも恥ずかしい、お粗末な料理! 接客などと口が裂けても言えない、最低のサービス! 同じホテルと言うだけで虫唾が走る! 広報部長!」
「な、何だ」
「貴方は言えますか! 各国の国王や、現在我がホテル・ラルキアを御贔屓にして下さるお客様を前に、『ユナ・ホテルグループと提携しました』と、サービスの質を落とした品格の低い様なホテルと業務提携をしたと、本当に胸を張って言えますか!」
「……」
「人事部長だってそうだ! 貴方は従業員になんと説明するつもりですか! 栄光あるホテル・ラルキアの、その一線で誇りを持って働くスタッフに明日からサービスの質を落とした所に行けと、人事部長、貴方はそう命じるのですか!」
「そ、それは……」
「分館統括部長!」
「何だね、騒々しい」
「貴方は……貴方は、ホテル・ラルキアの誇りを何と心得ているのですか! 金が欲しいが為に、ホテル・ラルキアの伝統と誇りを切り売りするおつもりか!」
大講堂に、静寂が走る。聞こえるのは肩で息をするトーマスの荒い息遣いのみの、そんな空間。
「――クラウス」
「はい」
「お前は……貴様は、一体何を考えている!」
「ホテル・ラルキアの改善です。より良い財務内容を導く為、その為に――」
「その為なら何をやっても言い訳ではないっ!」
再びの、静寂。
「……クラウス」
「はい」
「貴様はやはり、『ホテル・ラルキア』の人間では無いな」
嘲笑と。
憐憫と。
それ以上の、侮蔑を込めて。
「所詮、貴様はローラの安宿の倅だ。金儲けの為なら、何でも厭わない。品格の低い、程度の低い安宿の生まれだ」
本当に。
「お里が知れるねぇ、クラウス」
これ以上無い、下卑た笑みをその顔に浮かべ。
「……」
「何も言い返せないのか、うん?」
「……私が、ホテル・ラルキアの生まれで無い事は事実ですので。ですが、それでも私はホテル・ラルキアの為を思っている事は誓って嘘では無いです」
「ああ、そうだろう。私もそれは否定はしないさ。だがな? ホテル・ラルキアにはホテル・ラルキアの流儀があるのだ。世界に冠たる、伝統と格式高いホテル・ラルキアの『流儀』は、ローラ風情で安宿を営む一家の君には少し難しかったかも知れないがな?」
馬鹿にしきったトーマスの捨て台詞に、拳を握り込んで耐えるクラウスの姿が浩太の視界に映った。余程、悔しいのだろう。握った拳から一筋の血が流れおちていた。
「まあ、それが分かったら今後は経営会議にのこのこ顔を出して意見などしようとは思わない事だ。それでは会長、この議題については――」
「お待ち下さい」
意気揚々、会長に向け議題の採決を取ろうとするトーマスを浩太の言葉が遮った。言葉の途中で遮られた形になったトーマスは、不満そうに浩太に視線を向ける。
「……なんだ、君は?」
「お初にお目にかかります。クラウス・ブルクハルト氏の友人、コータ・マツシロと申します。先程のご高説を拝聴しまして一つ、私にもホテル・ラルキアの伝統と誇りをご教授願えればと思いまして」
「クラウスの友人? ふん、いつからホテル・ラルキアの経営会議はお遊戯会になったんだ?」
面倒くさそうに鼻をふん、とならしトーマスが浩太をねめつける。
「何の義理があって私が君にホテル・ラルキアの伝統を教授しなければならない? そもそも、君の様な余所者が何故この経営会議で発言をしている? 口を慎め、若僧が」
「余所者、と申されますが私はこの議案について少しばかり手を貸しております。そして、この案件は必ずやホテル・ラルキアの一助になると信じています」
「……待て。貴様、この案件を手伝ったと……そう、言ったか?」
「はい」
頷く浩太。
「クラウス!」
その姿に、トーマスの怒りのゲージが振り切れる。感情そのまま、言葉をクラウスにぶつけた。
「貴様、一体何を考えている! 仮にもホテル・ラルキアの行く末を決めようかというアイデアを、よりによって何処の馬の骨かも分からんこんな男に任せたと言うのか!」
「発言の撤回を、トーマス部長。コータさんは私の大切な友人です。何処の馬の骨ではありません」
「それにしたって彼は部外者だろう!」
「それは……そうです」
「ならば、業務上の重大な秘密を軽々と余所に流したと言う事だ! 本当に貴様は何を考えている!」
「申し訳……ございません」
「謝って済む問題では無い! 会長! これは立派な背信行為です!」
「会長! 私はそういうつもりではありません!」
「――お話中、申し訳ございませんが」
大声で話す二人の間に、いつも通りの飄々とした態度のまま浩太が話に割って入る。その浩太の態度に、更にトーマスのボルテージが上がった。
「貴様は黙っていろ!」
「黙っていろ、と言われてはいそうですかと言うぐらいなら端から此処には来ていません。それにトーマス部長、貴方はこう仰った。『この議題はまだ可決されていない』と。確かにクラウスさんが社外秘を軽々しく口に出した事は褒められた行動では無いでしょうが……それは、この議題が『可決』されてからでも宜しいのでは無いですか?」
「そういう問題では無い!」
「何なら、私が一筆書きましょうか? 『此処で聞いた事は漏らしません』と。それで御納得されるのであれば」
「君は私をバカにしているのか!」
「そういうつもりは有りませんが。対案は無いのですか、対案は? 対案が無いと私としてもどうしようもありませんよ。それとも、対案も無しに反対するのがホテル・ラルキア流ですか?」
「貴様!」
「……もういい」
席を立ち、思わず浩太に掴みかかりそうになったトーマスをアドルフ会長が声で制す。地の底から響く様な低音の響きに、トーマスもその身を止める。
「クラウスの処遇については追って連絡する。彼の言う通り、これ以上此処でその議論をしても仕方なかろう。クラウス、良いな?」
「はい」
アドルフに向い一礼。そのクラウスの仕草を満足そうに見つめ、トーマスの侮蔑の視線が浩太に向けられた。
「それではこれで終いだ」
「まだです。ホテル・ラルキアの伝統とは何ですか?」
「……貴様と言うやつは」
「初対面の人間に、『貴様』と言うのがホテル・ラルキアの品格ですか?」
「礼儀を弁える人間にはきちんと礼儀を弁えて接するのがホテル・ラルキア流だ!」
「ほう。それでは先程からユナ・ホテルグループを随分悪し様に罵っていましたが……ユナは礼儀を弁えるに値しないと、そう仰るので?」
「当たり前だ!」
「なぜ?」
「金儲けだけを考え、劣悪なサービスを提供するホテルの何処を尊敬しろと!」
「それだって、立派な経営だと思いますが?」
「なら、それは自分達で勝手にやっていろ!」
大袈裟に手を振り回しトーマスは熱弁を振う。
「我々は、ホテル・ラルキアだ! 伝統と誇りのある、ホテル・ラルキアなのだ! その大事な誇りと伝統を、金儲けしか考えていない拝金主義のユナ・ホテル等に汚されてたまるか! 我々はホテル・ラルキアだ! 伝統と、誇りと、歴史ある、ホテル・ラルキアだぞ!」
バーンと、円卓を叩きつけ、浩太を睨みつけるトーマス。その視線にゆっくりと自分の視線を合わし。
「……なるほど。つまり、ユナとの業務提携はホテル・ラルキアの伝統を汚す、と」
「そうだ!」
「安売り、拝金主義の様なホテルと手を組むと、ホテル・ラルキアの『格』を落とすと、そう仰りたい訳ですね」
「そうだと言っている! ホテル・ラルキアは決して『安売り』等はしない!」
「……そうですか、それは失礼しました。ホテル・ラルキアには立派な伝統と誇りがあるのですね」
今までの無礼、平に御容赦を、と。
腰を折り、頭を下げる浩太。嫌に物分かりの良いその仕草を訝しみながらも、トーマスも溜飲を下げた様に椅子に腰を降ろしかけ。
「ところで……牛乳と卵の先物相場で随分、損を為されたそうですね、トーマス部長」
その動作が、止まる。
「な……なんだ、と?」
驚愕。
一言で言えば、その台詞が当てはまるであろうそんな表情を見せるトーマスをちらりと見やり、浩太は手元のペーパーをわざとらしく振って見せて。
「いえ、此処にある資料によると、ですね?」
その資料を一枚捲り、獰猛な視線をトーマスに向ける。
「トーマス部長、随分いれ込んでおられたようですね? 現金、不動産……ああ、絵画や彫刻までも? それにしてもこの損失額は……随分、財産を手放されたようで」
「そ、それが何の関係がある!」
ポカン、と口を開け、固まっていたのは一瞬。
顔を真っ赤に染め上げて口の端に泡を飛ばしながらトーマスが言葉を放つ。
「ええ、直接何の関係もありませんね。ただ……何でしたっけ? ああ、拝金主義はホテル・ラルキアの品格に相応しくない? 相場に手を出して大損した人が、よくもまあ恥ずかしげも無く言えたものだと思いまして」
――イメージ、というモノがある。
例えば浩太が勤める銀行業界では、一般的に『ギャンブル』というのは忌避される類のモノである。個人の趣味の、或いは個人のお小遣いの範囲でやっているとして、そして誰がどう見てもそうだと分かったとしても、それでも上長から『止めておいた方が良い』と注意を受けるものだ。『金庫の中のお金が『モノ』ではなく『お金』に見えたら、銀行員を辞めた方が良い』と、銀行員は入行間もなく言われる事があるが、ギャンブルをしている銀行員は『モノ』が『お金』に見えてると『思われる事がある』のである。これは、実際はどうかという問題では無い。そう『見える』事自体、問題なのだ。李下に冠を正さず、である。
「……それは、それは、随分面白い事をされておりますな、トーマス部長」
つまり、どういう事かと言うと。
「財務部長という要職にありながら、先物相場に手を出して損を出したのですか? ふむ、それは由々しき問題ですな」
「ど、どういう意味だ! マルクス仕入部長!」
「財務部長はホテル・ラルキアの金銭を一手に握る役職。その当の財務部長が土地や絵画を売る程困窮しているのですぞ?」
「わ、私がホテル・ラルキアのお金を着服したとでも言いたいのか! 侮辱だ! これは侮辱だぞ、マルクス仕入部長!」
「いえいえ、私もそこまでは言うつもりはありませんが……」
こういう事である。
「まあ……そう、疑われる事をしていたのは問題ですな? 貴方が先程ご大層に述べたホテル・ラルキアの『品位』を貶めた事は間違いないですぞ?」
先程のトーマスの焼き写しか。ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながら、顔を真っ赤にして震える拳を握るトーマスを見やるマルクス仕入部長。反論して来ないトーマスに気を良くし、尚も言い募ろうと口を開きかけ。
「……貴方にそんな事を言う資格があるのですか、マルクス仕入部長?」
浩太のその言葉と、ペーパーを一枚めくる仕草に、思わず口を閉ざす。
「マルクス仕入部長。仕入先の見直しや価格交渉で多額の利益をホテル・ラルキアにもたらしていますね。なるほど、その手腕は見事なモノです。ですが」
一息。
「――十五歳の少女まで『仕入れ』るのは……些か、やり過ぎではありませんかね?」
「なっ!」
「しかも、随分『値切って』いるらしいですね? 流石、ホテル・ラルキア仕入部長。値段の交渉はお手のモノですか。今度是非ご教授……ああ、やはり御遠慮しておきましょう。あの界隈では貴方の評判は最悪らしいですから」
肩をやれやれと竦めて見せる浩太に、口の端を泡で彩ったマルクスがたまらず口を開く。
「そ、それは! ち、違う! 誤解だ!」
「なるほど、誤解ですか。ああ、十五歳だけではなく四十歳の女性まで仕入されていた事もお伝えした方が宜しかったですか? 別に人の性癖までどうこういうつもりは御座いませんが」
泥沼。
もがけばもがくほど、浩太の言葉の刃が雨霰と降り注ぎ、マルクス仕入部長を削る。やがて、これ以上の抵抗は無駄だと悟り。
「随分……お盛んな事で」
後、撃沈。トーマス同様、顔を真っ赤にしたマルクスは黙って席につきその身を小さく縮めた。
「さて」
冷笑。
憫笑。
嘲笑。
その全ての色を、瞳に浮かべて。
「ホテル・ラルキアの経営会議の皆さま方?」
浩太の視線から逃げる様に。浩太の動きに合わせて俯く経営陣のその動きを横目で見て、手元のペーパーを手でパン、と弾いて円卓をぐるりと睥睨し。
「――ホテル・ラルキアの『誇り』とやらを、どうか私にご教授願えますか?」
ひらひら、と。
「もっとも……」
手元のペーパーを振って見せ。
「ご教授出来るのであれば、ですが?」
――反撃の狼煙が一筋、上がった。
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