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次回! 次回には終わりますから、多分!
第四十四話 娘一人に、婿七人
 ホテル・ラルキア本館総支配人執務室は熱気に包まれていた。

「ベロア!」
「分かってる! 諸条件の詰めは俺がやっとく。ホテル・ラルキア側からの提案があれば早急に纏めといてんか!」
「ああ! コータさんの方は?」
「私の方は計画が承認された場合、この計画がどれだけホテル・ラルキアへ寄与するかをサマリーした資料を作るとします。客室の稼働率と、それに伴う収益の試算が必要でしょうか? 計画を『通す』だけなら、斜め上を向いた計画を作っても良いですが……どうせです。エビデンスを添付した、地に足がついた収支計画を作りましょう」
「そちらはお任せしても大丈夫ですか?」
「データの集計は本職ですのでお任せ下さい。ベロアさん?」
「ユナの顧客数に関する資料やな? ユナの方から貰って来てるから、それから判断してくれたらエエよ」
「ありがとうございます」
「他の資料は何が要るんや?」
「ほか、ですか……そうですね、カトのベロアさんぐらいの年齢の方の平均的な商人の収入を教えて頂けますか?」
「収入? そら、ええけど……なんで?」
「ある程度現実的な単価設定の為です。高過ぎても安過ぎても駄目でしょう?」
「ああ、成程。分かった、ほな後で計算しとくわ!」
 決して狭くは無い執務室を、視覚的に狭くするような大きな円卓を三人で囲み頭を突き合わせる三人。クラウス、ベロア、浩太である。
「皆さま。お話し中申し訳ございませんが、紅茶が入りました。少し休憩されてはどうですか?」
 カップを三つ載せたお盆を持ったまま、そう声をかけるエル。その姿にクラウスは何時もの柔和な表情を浮かべる。
「ああ、ありがとうエル。ソコに置いておいてくれるかい?」
「分かりました、お兄さま。ベロア様は? お砂糖はいれますか?」
「砂糖はエエわ。取りあえず、そこ置いておいてくれへんか?」
「畏まりました。コータ様は?」
「私もストレートで構いません。ありがとうございます」
 三人の言に頷き、エルは紅茶をサイドテーブルに置いて一礼。部屋の隅で壁に背を凭れさせて腕を組み壁の花に徹するシオンの下に歩く。面白そうにその様子を眺めていたシオンが肩を竦める仕草をするのを視界に留めて、エルはシオンの隣で自らも壁の花を演じる事にした。
「そういうのも出来るんだな?」
「『そういう』と仰いますと?」
「まるで、『しおらしい令嬢』みたいじゃないか」
「ありがとうございます」
 皮肉なのだがな、と苦笑を浮かべるシオンに対し、エルは素知らぬ顔で先程同様に熱い議論を重ねる三人に視線を送る。その顔に浮かぶは微笑。
「……珍しいな」
「何がですか?」
「『お兄さまの役に立ちたい』と言っていたお前の事だ。あの仲間に入り込んで一緒にわいわいやるのかと思ったが……珍しく、一歩引いた立場で見守るじゃないか。本当に深窓の令嬢みたいだぞ?」
「……何だと思っているのですか、私の事を」
「無愛想な妹分だと思っているが?」
 じろりとシオンを睨みつけるエルの視線もどこ吹く風。泰然とそれを受け流すシオンにエルは溜息を一つ漏らす。
「……初めて、ですので」
「なにが?」
「クラウスお兄さまが『自ら何かをする』というのは」
 少しだけ瞳を閉じ、何かを思い出すように。
「――昔からクラウスお兄さまはお優しかったですが、自らのご意見を言う事はありませんでした。何時でもニコニコと笑って、私やお父様の考えを尊重して下さっていました」
 閉じた瞳を開け、シオンに視線をやる。まるで、『違いますか?』と問う様な視線にシオンは首肯で答え――それでは不足と思い、言葉を継いだ。
「大学でもそうだったな、クラウスは。誰にでも優しく、誰にでも好かれ、誰からも愛されていた。そして、私達はそんなクラウスが嫌いでは無かったが?」
 お前は違うのか? と問う様なシオンの視線に、エルは首を左右に振る事で否の意を示す。
「それは私も、そうです。いつでも肯定してくれ、いつでも優しく、いつでも笑顔のお兄さまが大好きでした」

 ですがそれでも、と。

「――お兄さまには、もっと『自分』を出して欲しかった」
「……」
「我儘を言っている事は十分承知しています。承知していますが、私は自らを出して下さるお兄さまを……クラウス・ブルクハルトを見て見たかった」

 眩しいモノを見る様に、少しだけ瞳を細めてクラウスを見やり。

「だから……私は、今のお兄さまが凄く嬉しいです。自らの描く未来を掴もうと、その為に努力をし、意見を言い、動くそんなお兄さまが、お兄さまの姿が見える事が」

 本当に、嬉しく、そして、と。

「……少しだけ、悲しいです」
「エル?」
「私は、自分の能力を十分承知しています」
「……」
「私には、何も出来ない。ベロア様の様なアイデアも、コータ様の様な資料の整理のお手伝いもして差しあげられない。精々、紅茶を淹れて差しあげる事ぐらいです」

 それがとても悲しい、と。

「……シオン様?」
 伏し目がちに頭を下げたエルの頭の上に優しい感触。その感触に顔を上げたエルの眼に、自らの頭に手を置くシオンの手と笑顔が映った。
「イイ女の条件だよ、エル」
「イイ女の条件、ですか?」
「ああ」
 そう言って。
「男が頑張って仕事をしている時、女は黙って見守るモノだ」
 にっこりと、とても魅力的な笑みを浮かべ。
「……女は、何もするなと?」
「仕事が終わった後、『お疲れ様』と笑顔の一つでも見せてやれ。クラウスなら、お前のハグでも喜ぶさ」
「は、ハグって、ほほほほ抱擁ですか! そ、そんなはしたない事出来ません!」
「……取りあえず、お前はそのクラウス絡みですぐパニックになる所を直せ」
 自らの手の下で『あうあう』しているエルに苦笑を浮かべ、その視線を三人に向けて。
「それに……見てみろ」
「ほほほほほ抱擁なんて、お兄さま、喜んでくれるのでしょうかぁ! ああ、でも!『ありがとう、エル。疲れが取れるよ』なんてお兄さまが優しく微笑んで下さったらぁ! 私、私……もう、どうにかなっちゃいそうですぅ!!!!」
「……人の話を聞け」
「はあ、はあ……お兄さま、お兄さまぁ――って、痛い! 痛いです、シオン様」
 グギン、と音が鳴りそうな勢いでエルの頭と視線を三人に向けさせて。

「……な?」

「……はい」
 その視線の先で、喧々囂々と意見を出し合いながら、それでも笑みすら浮かべつつ議論を行う三人を視界におさめ、徐々にエルの頬が緩む。

「……あんな『イイ男』達を特等席で見る事が出来るんだ。中に入ってしまうのは勿体ないだろう? 外側から、楽しませて貰おうじゃないか」

 そう言って微笑むシオンに、それ以上の笑みを見せてエルは頷いた。

◆◇◆◇◆◇

「必要な資料自体はそれぐらいでしょうか?」
「集客率の見込み、ホテル・ラルキアから出る経費の合計額、人材の派遣計画、収支計画と妥当性……そやな、これぐらいのもんか?」
 指を折りながら確認するベロアに、クラウスは首肯で答える。顔には疲労が浮かんでいるも、心なしか満足そうに見える。
「……そうだね。実際に計画が走り出せばもう少し手を加える必要もあるとは思うけど、現状ではこのぐらいかな。どうです、コータさん?」
「本来であれば事業計画も必要でしょうが……そうですね、当面必要な資料はこの程度でしょうか?」
 サイドテーブルに置いてあった紅茶に口をつけ、視線を資料に向けたまま浩太はそれに答え……やがて、思い出したように顔を上げる。
「資料自体はまあこれで良いとして……どうなのです?」
「どう、とは?」
「そのままの意味ですよ。幾ら資料を作り、完璧に近いプレゼンをしたとしても、このビジョンを形にする権限は私達に無い。つまり、『上』の許可が必要という事です」
「仰る通りです」
「そして、ビジョンはビジョンのままでは意味が無い。承認を取り、『形』に残すことで初めて意味を持つと私は思います」
「……随分、手厳しいですね」
「結果が全て、ですよ」
「過程を評価しては頂けないので?」
「お金を貰っている以上クラウスさん、貴方は『プロ』だ。そして、『プロ』なら努力でも過程でもなく、『結果』で示して頂きたい」
 そこまで喋り、喋り過ぎたと思ったか少しだけ照れたように浩太は頬を掻く。
「……私の知っている政治家が、こういう言葉を残しています」
「拝聴しましょう」
「『白い猫でも黒い猫でも、ネズミをとってくる猫が良い猫だ』」
「……なるほど、一理ありますね」
「お考え違いをされると嫌ですので言っておきますが、別に努力や過程を評価しない訳でも、無論馬鹿にしている訳でもありません。ありませんが、努力とは、努力をした事に対する賛辞ではなく『努力をする事が出来る』才能に対しての賛辞であるべきで……と、まあこれはどうでも良いですね」
 そう言って、浩太はクラウスを見やる。
「結局の所、見通しの方をお聞きしたいんですよ、私は」
『どうなのか?』という色を色濃く映した瞳に見つめられたクラウスは、肩を竦めることでそれに答えた。
「ホテル・ラルキアでは三十日に一度、経営会議というモノを本館大講堂で行います」
「経営会議、ですか」
「ええ。前回が十日前に行われたので、次は二十日後ですね。参加メンバーは九人。ホテル・ラルキア会長であるアドルフ様を筆頭に、副会長、財務部長、営業部長、分館統括部長、仕入部長、調理部長、広報部長、人事部長です」
「クラウスさんは?」
「私には会議の参加権はありません。そこまで高い役職ではありませんので、本館総支配人というのは」
 ホテル・ラルキアの『総支配人』とは各本館・分館のトップの役職だ。それ相応の地位も名誉もあるが、それでも『経営会議』に口を出せるほどの影響力は無い。
「『本館』の総支配人なのに?」
「むしろ『本館』だからこそ、ですかね。他の分館と違い、上に沢山偉い人が居ますから、此処には」
「そう言われれば、そう言うものですか、としか言い様がありませんが……ですが、それでは」
「心配は御無用です」
 浩太の言葉にウインク一つ、口元に微笑を湛えてクラウスがその言葉を遮る。どうでも良いが、そのクラウスの仕草に『はひゅーん!』と謎の言葉を残しエルがぶっ倒れた。本当に、どうでも良いが。
「総支配人クラスには議題提案を行う権利があります。今朝方、会長に直接申し込み、承認を頂きました」
 クラウスの言葉に、浩太は一つ頷く。
「取りあえず、土俵には立てたという事ですか……それで? 承認の見通しは?」
 浩太の視線に頬を掻きながらクラウスは苦笑を浮かべる。
「大丈夫です! と、力強く言い切りたい所ですが……正直、良くいって五分五分と言った所でしょうか?」
「五分五分、ですか」
「少ないですか?」
「いいえ、むしろ多い方でしょう」
「そうですか?」
「ええ。会長に『駄目』と言われてチャンチャン、まで最悪有りうると思っていましたから」
 浩太の言葉に、顔に疑問符を浮かべるクラウス。やがて、その意味に気付き納得したようにポン、と手を打った。
「ああ、その説明がまだでしたね」
「と、言うと?」
「ええ。ホテル・ラルキアでは会長が『駄目』と言っても、他の会議参加者が『良い』と言えば議案が承認され、実行されます」
「……本当の会議、という訳ですか」
「伝統やからな、ホテル・ラルキアの。通称『木偶』やもんな」
 椅子をギコギコと漕ぎながら、ベロアの茶々が入る。クラウスが否定をしない所を見ると、どうやら当たらずとも遠からず、といった所なのであろう。
「『木偶』?」
「ウチの商会でもそうやけど、普通経営の大事な所ちゅうんは経営者が決めるもんや。ほいでもホテル・ラルキアのそれは他と違って合議制で決めてはる」
「一応、最終決定は会長が出すんだけどね。まあベロアの言った通り、重要な議題は皆で話し合うっていう風土があるんですよ、ホテル・ラルキアには」
「当たり前やけど、経営のいっちゃん偉い人が決めた方が早い事、ぎょーさんある。なのに、ホテル・ラルキアでは会議を開いて皆の意見を聞きよるから、その意思決定の速度が極端に遅いんや。せやからついた渾名が『木偶』。大男、総身に智恵が回りかね、ちゅう奴や」
「それに関しては色々否定もしたいが……概ねベロアの言った通り、ホテル・ラルキアは意思決定の速度が極端に遅いんです」
「クラウスが会長になったら廃止してしまいーな、そんな風習」
「これで巧く行っている以上、廃止は出来ないよ。それに……今回は、これがこちらに有利に働きます」
「有利に?」
「会長の一存で決定しない、という事は一定数以上の味方を付ければこの議案は会議を通過する、という事です。そして、この『議案』に賛成しそうな人が居るんです、今回は」
 浩太の疑問に首肯で返し、クラウスは言葉を続けた。
「今回の重要議題の一つに、今ライム・ラルキア戦争で総攻撃を受けているダニエリにある分館の業務縮小案が出ています。分館統括部長は反対していますが」
「それが――ああ、なるほど」
「分かりますか?」
「既得権益を荒らされる、でしょう?」
「そうです。議題を出したのは財務部長。表向きは人命重視ですが、分館の業務縮小による経費の削減は、大きな利益をもたらしますから」
「ホテル・ラルキアに? それとも、自分に?」
「両方です。先達に対してこの言い方は失礼でしょうが……だからこそ、性質が悪い」
 肩を落とすクラウスに、浩太は首肯で返す。なまじ『組織』としての正論を混ぜると本論がし難い。特にお題目が『人命重視』となると、その裏にどれだけ利益拡大が透けて見えても表立って非難は難しいだろう。
「それでは現状、険悪な仲なのでは?」
 人が三人集まれば派閥が出来る、とはよく言われる言葉であるが、クラウスの言を信じるならば、二人の仲は壊滅的に険悪でも可笑しくないが。
「ご心配無く。元から最悪なので」
 クラウスから返ってきた言葉はこれである。大きな組織も大変なのだ、色々。
「大丈夫なのですか、それは。主に、組織的に」
「これもホテル・ラルキアの『伝統』ですので。まあ、それは良いです。問題はこのユナ・ラルキアホテル案を誰に支持して頂くかですが……分かりますよね?」
「分館統括部長、ですね?」
「その通りです。分館の業務縮小案は前回も出ています。持ち帰りになりましたが、感触としては悪く無かったと聞いています。分館統括部長は焦れていますが……同様に、他の部長達だって焦れていますよ」
「財務部長が力を持ちすぎるから?」
「その通りです。財務部はホテル・ラルキアでも重要な部署ですが、あまりに力を持ちすぎるのは好まれません。特に仕入部長などは、殆ど財務部長を敵視していますからね。一気に力を付けて貰うと困るんです、何かと」
 お金を使う仕入部と、お金を使わせない様にする財務部。仲が悪いのは道理と言えば道理である。
「それで分館統括部長に?」
「案件の性質上、分館統括部長が管轄するのが一番向いている、というのもあります」
「建前でしょう、それは」
「ご名答です」
 ユナ・ラルキアホテルという新しい『箱』が完成し、それを箱という括りで見るのであれば、『分館』を統括する分館統括部長の専管事項になるであろう。だが。
「ダニエリ分館から人材を派遣して指導させるんやったら人事部長の専管、新しい営業活動としてみるんやったら営業部長の専管、一種の広報活動やったら広報部長の専管やな。分館統括も財務も当然、専管を主張しても可笑しくないし……全然関係ないんは仕入と調理ぐらいか?」
「仕入にしても調理にしても権益が欲しいから、どんな理由でも付けて来るだろうね」
「娘一人に婿七人、かいな。モテモテやな」
「そういう事。でも、部長達のパワーバランスを考えた場合、権益が減る分館統括部長に任せるのが一番良い、という考え方もある」
「なるほどな。せやけど一々面倒くさいな、ホテル・ラルキアちゅうのは」
「仕方ないさ。これも『伝統』だ」
 肩を竦めて見せるクラウスに、ベロアも苦笑で返す。
「三つ、質問を宜しいですか?」
 そんな二人を見ながら浩太が手をあげた。どうぞ、と視線で促すクラウスに目礼し、浩太は口を開く。
「一つ目。このアイデアを分館統括部長に任せる事については問題ないのですか?」
「と、申しますと?」
「ヤラしい話、このアイデアが成功すれば巨額の利益をホテル・ラルキアに生み出します。その権益を分館統括部長に渡してしまって良いのですか?」
「背に腹は変えれない、と言った所でしょうか? やらずに死ぬより、やって死んだ方がマシでしょうしね。それに、アイデア自体を出したのは私……というか、ベロアとコータさんですが……まあ、私の『手柄』になりますしね」
 実際の権益という『実』と、その権益をもたらしたという『花』。どちらも取れるのがベストだが、両方取れないのであれば、片方だけでも取っておくのがベターである、という現実的な判断である。
「それに……分館統括部長で無くとも、最終的には誰かにこのアイデアを実行して貰う必要はありますし。本館総支配人程度では荷が勝ちすぎます」
「……分かりました。では、二つ目。逆に、このアイデアを『誰も』持ってくれない時はどうしますか?」
「どういう意味ですか?」
 クラウスの疑問を浮かべた瞳に、真摯な瞳を返し。

「自分のモノにならない『娘』なら、殺してしまえ。別の誰かの『良妻』になりそうな娘だったら、余計に」

「……」
「私なら、そうしますが?」
「物騒な話やな、コータはん」
「そうでなくとも、そもそも『娘』に人気が無い可能性もあります。言ってみれば、妾腹の子でしょう、これは」
「ま、その通りや。『伝統』と『格式』を重んじるホテル・ラルキアなら、正妻の子やない娘なんぞ嫌がりそうやな。特に、財務部長辺りから出そうやん、それ」
「……副会長もそんなに好きじゃないかな? 正直、会長だって分からないし、そもそもそんな事言ったら全員嫌いそうだよ」
 そう言って、クラウスは浩太の方に向き直り頭を下げる。
「だから……コータさん、どうかお願いします」
この『娘』に、綺麗な化粧をしてやって下さい、と。
「……」
「……コータさん? 一体、どうし――」
 そこまで喋り、顔を上げたクラウスの眼に。
「……面白いじゃないですか、それ」

 笑みを浮かべた、浩太の顔が映る。

「コータ、さん?」
「やれる事、全てをやりましょう。綺麗な化粧も、美しい衣装も、持参金も沢山持たせましょう」

 ですが、と。

「それだけでは、足りない」
「足りない、ですか?」
「ええ。足りないです。全然、足りないですね」
 クラウスに向けていた視線を、ベロアに移す。その視線に射竦められたベロアの身が、思わず強張った。
「ベロアさん」
「な、何や?」
「一つ、お願いがあるのですが」
「お願い? そら、聞ける事なら何でも聞くけど……」
 ベロアの承諾の意を聞き、浩太が口を開いて。

「……本気かいな、ソレ」

 浩太の言葉が耳朶を打ち、その言葉が脳に届き意味を理解して、呆れた様な表情をベロアは浮かべた。
「本気ですよ。思いつかなかったのですか?」
「普通、思いついてもやらへんわ。後が怖いし」
「私ならやりませんね。それに、ベロアさんだって……まあ、出来ないでしょう。ですが、クラウスさんなら?」
「……そら、クラウスなら出来るかも知れへんな」
「でしょう?」
「ほいでもな? そんなんしたらクラウスだって悪評立つで?」
「でしょうね」
「でしょうね、って……コータはん? 自分、何言ってるか分かってるか?」
「無論。私が言っている事は一つです」
「一つ?」
「出来る事は全部やるべき、です」
「そら……まあ、その通りやけど」
「道義的に問題があるかも知れない。道徳的に褒められた行為では無いかも知れない。でも……成功率は高まるでしょう?」
 浩太の言葉に、ベロアは腕を組んで黙考。
「……まあ、せやな」
 やがて、眼を開けて浩太を見やり。

「――やるんやったら、徹底的やな?」

 不敵な笑みを、見せる。
「問題は……全く、『無い』可能性がある事ですが」
「『無い』訳あらへんわ。絶対にある」
「それ、見つける事は可能ですか?」
「誰に言うてんのや? こう見えてもサーチ商会の御曹司やで?」
「性質上、二十日ギリギリでも全然構いません。ですので――」
「なるだけ多く、やな? 分かった。俺の持ってるもん全部使って必ず見つけたる」
 視線を、クラウスに向け。
「クラウス、エエか?」

 意思の籠った、その瞳を。

「良いさ」
「こんなんしてたら、悪評ばっかになるで?」
「構わない」
「これから会長になった後でも、ずっと言われ続けるんやで?」
「それでも、だ」
 大きく息を吸って。

「どれだけ悪評が立っても、どれだけ格好悪くても、どれだけみっともなくても……やるさ」
「……」
「コータさんも言ってただろう? 白い猫でも黒い猫でも」

 ネズミを捕ってくるのが、良い猫だって、と。

「……エエ眼するようになったよな、ホンマ」
 苦笑を浮かべ、肩を竦めて。
「コータはん」
「はい?」
「なんて言うか……やっぱり、アンタは敵に回したらあかん気がするわ」
「買いかぶりです。私は、出来る事しか出来ませんよ?」
「その出来る事は躊躇なくやるやろ?」
「それで案件が巧く進むのでしたら、ね」
 はーっと溜息、一つ。


「やっぱ『魔王』やな、アンタは」


 そういうベロアに、浩太は笑顔で答えた。


◆◇◆◇◆◇

「お疲れ様。ホレ」
「と……ああ、シオンさんですか? それは?」
「エル特製の暖かい紅茶だ。砂糖たっぷり、甘いぞ?」
 疲れた時には糖分が良いんだ、と何処かで聞いた事がある言葉を言いながらシオンは持ってきていたカップを浩太に差し出す。ありがとうございます、とそれを受け取った浩太の隣に、シオンが腰を降ろした。
「……何ですか?」
「何、先程まで数字とにらめっこをしていた男性を少し癒してやろうかと思ってな。どうだ? 取って置きの美女が隣にいれば、疲れも吹っ飛ぶだろう?」
 そう言ってにこやかな笑みを浮かべるシオン。その笑顔に、思わず癒される物を覚え、浩太も顔に笑みを浮かべて。

「チェンジで」

「……失礼な奴だな、お前は。幾ら私でも、そろそろ泣くぞ?」
「むしろ大泣きしてみて下さい。少し見てみたいです、ソレ」
「本気で泣くぞ? 良い大人が恥も外聞も無く、わんわん泣くぞ?」
「……流石、同級生。ベロアさんと言ってる事が一緒ですよ?」
「一緒にするな、失礼な」
「貴方も大概失礼ですよ、ソレ」
 苦笑をして見せ、浩太はカップの中の湯気の立つ紅茶をすする。疲れた体に糖分が染みわたり、シオンの言う様に疲れが吹っ飛びそうなその感覚にしばし浸り。
「……これで、隣がシオンさんじゃ無ければ最高なのですが」
「本当に失礼だぞ!」
「ああ、すいません。少し本音が出てしまいました」
「本音か、それなら仕方な――本音!?」
「冗談ですよ」
「お前、私の事嫌いだろう!」
 絶叫するシオンを、珍獣でも見る様な眼で浩太は見つめ。
「そんな事、ある訳ないでしょ?」
「……え?」
 浩太の不意打ちに、思わずシオンの口から間抜けな音が漏れた。
「ええ。私、シオンさんの事好きですよ?」
「そ、そうなのか? そ、その急にそんな事を言われても……そ、その……」
「甘いモノの次くらいには」
「判断基準がわかりにく――違う、もの凄く分かりやすいぞ! お前、そんなに甘いモノ好きじゃないって言ってたよな!」
「ですから、その程度には好きですって」
「それ、嫌いってことだよなぁ!」
 立ち上がり、がーっと吠えるシオンをちらりと見やり、暖かい紅茶に再度口をつける。
「座ったらどうです? それに、夜も遅いですし騒ぐと迷惑ですよ?」
「お前という奴は……」
 人も殺せそうな程の形相で浩太を睨みながら、それでも浩太の言に一理ある事を悟り、黙って隣に腰を降ろすシオン。
「……聞きたい事がある」
「なんですか?」
「ベロアに言った事だ! その後、ベロアが『悪い』顔をしてた!」
「悪い顔って……酷いですね、それ」
「長い付き合いだからな。そして、ああいう顔をする時のベロアは大抵碌でも無い事を考えている時だ! さあ吐け! キリキリ吐け!」
「ですから声が大きいですよ、シオンさん」
「ああ、すまな――ではなく!」
 素直に謝りかけ、『何か違う!』と思いなおしたシオンが先程よりも大きな声をあげる。その姿を面白そうに眺めて。
「本当に面白いですね、貴方」
 そして、声に出して言う。この辺りが浩太クオリティ。
「私の人生で初めての評価だぞ、それは!」
 最後に一吠え。流石に夜も遅いのでシオンもトーンダウンを選択する。純粋に、怒りつかれたというのもあるが。
「……まあ良い。いや、全然良くないが……まあ、良い。それで? ベロアに何言った……いいや、頼んだ、だな? 何を頼んだんだ?」
「別に、大した事は頼んでませんよ?」
「大した事で無いのなら言えるだろう?」
「それは興味本位ですか?」
「『はい』と答えたら?」
「興味本位であれば教えられませんね」
「では、『いいえ』で」
「それでも教えられませんね」
「……どのみち、教えるつもりは無いという事か? 問答をしているつもりは無いが?」
「私もですよ。ですが、言わばこれは『企業秘密』ですので」
「仲間にも?」
「仲間だからこそ、です」
「信用していないのか、私の事を」
「そう言う訳ではないのですが……」
 困った様な笑みを浮かべ、シオンを見やる。
「……まあ、あまり『褒められた』方法では無いので。嫌われたくない、という事で一つ納得して下さいませんか?」
 浩太のそんな言葉と、視線。その二つを肩を竦める事で受け止め、シオンははーっと長い息を吐く。
「……危険な事では無いのだな?」
「心配なんですか?」
「茶化すな」
「……少なくとも、生命に関わる事はないですよ」
 浩太の返答に、少しだけ満足したようにシオンは一つ頷き。
「ならば、これ以上は聞かない」
「ありがとうございます」
「イイ女の条件だからな」
「なにがです?」
「男の仕事を一々詮索しない事が、だ」
「……」
「おい。なんだ、その間は」
「…………いいえ。ただ、一体どの面下げてイイ女とか言うのかな、と」
「……オッケー、分かった。お前は喧嘩を売ってるんだな?」
「下着からキノコ生やしていた人が、まあ……面の皮が厚いって、言われません?」
「段々、お前の扱いが分かって来たよ。そうだな、怒ったら負けだ」
 呆れた様に溜息一つ。やがてさっぱりした様な笑顔を浮かべて。

「……色々、迷惑をかけるな」

 いつになく、素直に頭を下げる。その姿に面食らった様に、浩太は一瞬言葉に詰まった。
「……どうしたんですか、急に」
「いや、一度きちんと詫びを入れようとは思っていたんだ。お前を振り回し、今回はこんな事にまで付き合わせて……すまない、迷惑だっただろう?」
「何か悪いモノでも食べました?」
「私は、真面目に話をしているつもりだが?」
 真剣な瞳を浮かべるシオンに、今度は浩太が溜息をつく番。
「……嬉しいんですよ、私は」
「嬉しい?」
「私が元居た世界では『銀行員の限界』という言葉があるんです」
「『銀行員の限界』?」
「職業柄、銀行員は色々な企業さんにお邪魔して融資の相談、資産運用の相談、それに経営改善の相談を受けます。人にもよるのですが……私個人としては、経営改善のご相談を頂くのがとても嬉しい。情報を開示して、私の智恵を求めてくれるのは銀行員として幸福な瞬間でもあるんです」
 あるのですが、と。
「……それでもやはり、何処まで行っても『銀行員』は『銀行員』何ですよ。その会社の人間で無い以上、どうしても自らの職場との利害が絡みます」
「それは……しかし、仕方の無い事ではないか?」
「ええ。給料を銀行から貰っている以上、銀行員は銀行の立場で物事を言わなければならないと思います」
 曲がりなりにも『プロ』ですからね、と。
「……ですが、それでも、顧客との間に『壁』があると思うのは……辛いモノですよ」
「……なら、その『銀行』の立場が無い場所で意見をすれば良いのではないか? 利害の絡まない、そんな場所で――」
「銀行の『看板』が無ければ、誰も私に相談なんて持ちかけませんよ」
「――っ」
「銀行員であるから、頼って貰える。ですが、銀行員であるから、一歩踏み込んだ話は出来ない」
 難儀な職業です、と笑って。
「……ですが、此処では違う。『銀行員』としてではなく、一個人として私を頼ってくれる。必要とされるのはやはり、嬉しいモノですから」
「……そうか」
「ですから、私個人としては現状に不満はありませんよ? 大体、どうしたんですか? 天上天下唯我独尊、誰に迷惑をかけても気にせず自らの知識欲の為に他の何物も犠牲にするのがシオンさんでしょう?」

 つまらない話は、これでお終い、と。

「お前という奴は……本当に、私の事を何だと思って――」
 そう言わんばかりに、話題を変える浩太に感謝しつつ、それに乗ろうとシオンは口を開きかけ。
「はい?」
「ならば、私も遠慮はしない。いいか? 絶対に、『勝て』」

 クラウスの為に。

 エルの為に。

 ベロアの、シオンの。

「『お前自身』を頼りにしてくれる人の為に、絶対に勝て」


 何より、浩太自身の為に。


「……心配無用ですよ、シオンさん」
 自信満々の感情を、その笑みに乗せて。
「私は、勝ち馬にしか乗らないんですよ?」
「……上等だ。ならばお前が勝った暁には、私がハグでもキスでもしてやろう」

 そんなシオンの、不敵な笑みに。

「チェンジで」
「お、お前という奴は!」


 何時も通り、浩太も笑顔で返した。


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