ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
実は今日、投稿から半年目です。一周年記念とかじゃない所が中途半端ですねw読んで下さる皆様に、最大限の感謝を。
第三十八話 ホテル・ラルキア

 ――ホテル・ラルキア。

 フレイム王国王都ラルキアに本館・本部機能を置き、創業三百年という歴史を誇る大手老舗高級ホテルグループである。

 ホテル・ラルキアの『売り』は、大まかに二つある。一つは王侯貴族並の待遇が味わえるという、一種過剰なまでのサービス。お客様は神様ならぬ、お客様は王様並に接待を行う姿勢は、フレイムのみならず他国の要人にも人気である。特に、世界中を飛び回る商人の仕入担当の間では『ホテル・ラルキアでツケがきく』様になると一人前だ、という冗談すらある。

 もう一つは『フレイム王家御用達』の看板。

 実際問題、フレイム王家の外遊は存外に多い。国事行事もさることながら、元々は『おらが庭』なオルケナ大陸。一部の国は除いても、基本はフレイム王家の来訪を表面的に喜ばない国は無いのである。が、当然外遊ともなれば近衛騎士が詰め所におり、万全の警戒態勢を取る王城での警護とは訳が違う。何時もよりも厳重な警備が必要となるのだが……流石に、滞在先のホテルでまでその様な警護体制を布くとなると、今度は『我が国の事が信用できないのか』と難癖をつけられる可能性もある。フレイム国内への行幸にしたって同じ、いや、もっと性質が悪い。どんなに軽く見積もったとしても、良い気分はされないだろう。
完全な警備態勢を構築したい、でも関係性の悪化は招きたく無い。ある種、二律背反するこの問題に答えを出したのがホテル・ラルキアである。フレイム王国内の主要都市のみならず、世界各国の首都・主要都市に分館を置き同一のサービスを行い、セキリュティーも万全なホテル・ラルキア。フレイム資本であるこのホテルであれば、厳重な警備体制を取った所で文句は出ないばかりか、感謝すらされる。滞在先の安全確保に苦慮する王家・王府の思惑と、『上玉』顧客獲得を目指していたホテル・ラルキアの思惑は見事に合致。創業から五十年目に王家御用達の看板を頂戴して以来二百五十年、その看板を掲げ続けている。
「ホテル・ラルキアは名門中の名門。フレイムのみならず、オルケナ中の人間に一度は泊ってみたい、と言わしめるホテルだ」
 王城から北に直線に伸びる大通り。その大通りの終着点、T字路になった通称『ラルキア止まり』に位置する五階建の小奇麗な建物の前で立ち止まったシオンはそう喋り、傍らの浩太に振りかえった。
「そして、此処がその『ホテル・ラルキア』だ。三百年の歴史を誇る本館、どうだ? ちょっとしたモノだろう?」
「ええ、まあ」
 五階建と、相応の高さはあるもラルキアで一番、高い訳では無い。大きさにしたって、ラルキア王城に比べれば随分小さいし、贅の限りを尽くした装飾品なんてものも無い。どちらかと言えば質素だ。
「……ですね。否定はしません」
 にも関わらず、圧倒的に『荘厳』な印象を浩太に与える眼の前の建物。ちり一つ落ちていない、積み上げられた石一つ一つが丁寧に、心の限り磨かれたその空間は、まるである種の神殿の様な荘厳さを兼ね備えている。ただの商業施設が、である。
「……ホテル・ラルキアの本館に来た人間は皆コータ、お前の様になる。無論、ホテル・ラルキアは何処の分館も同じ様に綺麗に清掃され、顧客を気持ちよく迎える体制を取っているが、本館はやはり別格だ。此処で働く全ての人がホテル・ラルキアに愛と、誇りを持って働いているからな。静謐の空気とでも言うか……巧く言えんが」
「いえ、仰っている意味は大体分かります」
 そう言って、浩太はもう一度眼の前の建物に眼をやり、シオンにその視線を向けた。

「……それで、私は何で此処に居るんですか?」

◆◇◆◇◆◇

 浩太の壊した……というと語弊があるかもしれないが、とにかく不幸な事故で天に召された『アレイアの遺産』だったがアリアによる詳細な調査の結果、どうやら修理は可能であるらしい事が判明した。
『この部屋の部品の中を繕えば、直す事は出来るかも知れません』とはアリアの弁である。
 アリアの言葉に浩太は心の底からほっとし、胸を撫で下ろした。なんせ重要文化財級の遺産である。経緯はどうであれ、止めをさしたのは浩太だ。面の皮厚く『俺、わるくねーし』と言えない所が浩太の浩太足る所以である。アリアに深く頭を下げ、修理を依頼して一件落着と思っていた浩太に難癖がついた。無論、シオンだ。

 曰く、『物事は等価交換。アレイアの遺産を修理して欲しいならこちらの要求を一つ飲め』

 これには浩太は元より、アリアも大反対した。そもそもアリアが血溜りに足を取られ浩太を押し倒したのが原因であり、その血溜りだって元を正せばシオンの体内……鼻から噴出したものである。誰がどう考えても浩太には非が無く、どちらかと言えばアリアやシオンのせいであると言っても過言ではないのだが……それでも強引に自分の意見を通すから、シオンはシオンなのである。

「先程言った通り、ホテル・ラルキアは名門中の名門。世界中の人間が憧れる、一度は泊りたいと言わしめる地上の楽園」
 だが、と。
「そのホテル・ラルキアが、今危機に瀕している」
「危機?」
「危ういのだ、経営が」
「……」
「ホテル・ラルキアは超一流の格式と伝統、サービスを誇るが……同時に、お値段の方も相応に超一流だ」
「まあ……それは、そうでしょうね」
 所謂、『高い』と言うのは一種のステータスである。同じ様な材質、同じ様な形のモノであっても、そこに『タグ』が一つ着いただけで桁が一つも二つも跳ねあがる例のあの原理である。当たり前であるが、これはタグ代では無い。ブランドイメージの話だ。
「例の先物取引の影響もあって、参加した貴族も商会も少なくない損失を抱えている。加えてライムとラルキアの戦争だ。あの二カ国にある分館は軒並み大赤字、閉館まで視野に入れている」
「そうなんですか? むしろ儲かりそうなイメージがありますが……」
 商会、現代日本で言うなら『商社』と言うのは世界中の何処でも進出する。紛争、政治的不安定、内戦、他国との戦争地域。彼らはそこに商売のタネがあれば喰いつき、貪欲に食す。人の流入は大きい気もしないでも無いが。
「コータの言う通りだ。『戦闘地域』までは出て行かなくても、『戦争地域』は散歩感覚で闊歩するのが商会の人間だ。人間だが」
 一息。
「往々にして、そこに行くのは下っ端の人間だ。少なくとも、ホテル・ラルキアに泊れる程の財力と……言い方は悪いが『価値』のある人間は少ない」
「価値?」
「ホテル・ラルキアは世界中に分館を持つホテル・グループだ。世界の要人にもホテル・ラルキアを愛好する人間は少なくない」
「……ああ、成程」
「『ホテル・ラルキアには如何なる戦闘行為も仕掛けてはならない』は暗黙のルールだ。変な話だが、フレイム外交局の出所にいるより、民間企業であるホテル・ラルキアに泊っていた方が命だけは助かる可能性がぐんと跳ね上がる。良いか悪いかは別として」
「商会が、わざわざお金を払ってまでホテル・ラルキアに泊める程の『価値』のある人間は居ない、と?」
「気持ちは分からんでも無いが、イヤそうな顔をするな。私が思っている訳じゃない」
「命に値段をつけるんですね、商会は」
「しかも、大安売りの方らしいな」
「人が金を産むんですがね」
「金だって金を産むさ。しかも、不平も不満も言わず、腹も減らん。まあ、この話はいい。平行線になりそうだし、お前の機嫌がドンドン悪くなるからな」
 そう言って肩を竦め、ちらりとホテル・ラルキアの本館に眼をやる。
「此処の本館総支配人は私の旧知の人間でな。先日相談……と言うより、愚痴だなアレは。愚痴を言いに来たんだ。何とかしてやりたいとは思うが、私は経営・経済は専門では無い」
 だから、お前を連れて来たんだとコータに視線を向ける。
「テラを立て直したお前なら何かいい案が出ないかと思ってな。どうだ?」
「……いや、流石にそれは無茶ぶりもイイ所でしょう」
 シオンから視線を外し、コータもホテル・ラルキアに視線をやる。シオンからその話を聞いた後で改めて見やると、何だか儚げに映るのが不思議である。
「そうか……いや、いきなりそんな事を言われてもお前が困るのは良く分かる。申し訳ない。だが……それでも、話ぐらいは聞いてやってくれないか?」
 上目遣いで懇願するようにそういうシオン。その仕草に浩太も首肯で応える。
「いえ、話ぐらいは構わないのですが……良いんですか? 一発逆転する様な、そんな良い案が浮かぶとは思えませんよ?」
「構わんさ。聞いて貰う事によって、或いは意見を聞く事によって新たな視点が生まれる事も往々にしてある。感謝する、コータ」
「等価交換、ですからね。気にしないで良いですよ?」
「……なら、その言葉に甘えておく事にしよう。心配するな、アリアは必ず直すさ」
「随分信頼されていますね、アリアさんの事を」
「まあな。アレは天才だからな」
 何でも無い様にそういうシオンに、少しだけ……本当に少しだけ、浩太の心が疼く。
「少し、お聞きしても良いですか?」
「答えられる事なら」
「その……シオンさんは……嫉妬したり、しないんですか?」
「嫉妬?」
 浩太の言葉に、きょとんとした顔を浮かべるシオン。
「……アリアさんは天才でしょう。短い付き合い……というか、先日お逢いしたばかりでこういう事を言うのは何ですが……お話を伺っても、天才だと思います」
「神に愛されているとしか言えんな、アリアは」
「対してシオンさん、貴方は……」
 少しだけ、言い淀み。
「……天才では、無い」
「……随分はっきり言うな、お前は。少しは気を使え」
「すいません、悪気はないです」
「それは分かるが……」
 はーっと溜息一つ。
「……まあ確かに私自身、自分が天才だと思った事は無い。誤解を恐れず敢えて言えば、人より頭の作りは少しだけ優秀だと思うし、物事を知りたいという欲求も人より強く、それに向けて邁進している自負もある」
 そう言って、少しだけ視線を中空に彷徨わして。
「……その上で、『天才』に、『アリア』に嫉妬をしているかと問われれば答えは『いいえ』だな」
「それは、アリアさんが妹だからですか?」
「どう言えば良いのだろうな」
 そう言って、苦笑を浮かべ。
「……アリアと私は九つ年が離れている」
「ええ」
「私が生まれてから九年間、私は『姉』では無かったんだ」
 当たり前の事だがな、と笑って。
「アリアは生まれた時から『妹』だが、私の方はそうではない。九歳と言えば自我もあるし、ある程度は自分の事も自分で出来るようになる。『妹が出来た』という事実に、正直興奮もした」
「……」
「それから私は『姉』であろうと精進してきたつもりだ。姉で無かった私は、姉になろうとしてきたつもりだ」
 成功しているかはどうかは別としてな、と、もう一度苦笑を浮かべて。
「……だからアリアには、『妹』には嫉妬を覚えない。私の愛した妹が、成功する事を私は誰よりも望む。可愛い妹が、笑顔で在れる事と、笑顔で在れる環境を誰よりも望む」
「……」
「だから……ああ、そうだな。私は多分、アリアが可愛くて可愛くて仕方ないんだ」
「いい、お姉ちゃんですね」
「そうでもないさ」
 そう言って、薄く笑って。
「……アリアは古オルケナ語が読める」
「……知っていたんですか?」
「なんだ、コータも知っていたのか」
「知っていた、というか……」
 殆ど、罠にはめた様なものだが。
「ふむ? まあ良い。アリアは古オルケナ語を読め、そしてその事を内緒にしている。何でだと思う?」
「それは……」
「『私が古オルケナ語を読めるなんて言ったら、お姉ちゃんに嫌われる』」
「……そうですね。恐らく、当たらずとも遠からずです」
「そんな事ぐらいで私がアリアを嫌う訳無いのだがな」
 寂しそうに笑って。
「何でもかんでも相談して欲しいとは言わないが……それでも隠し事は若干『クル』物があるさ」
「それは!」
「ああ、アリアの気持ちもわかる。分かるが……まあ、仕方ないだろう。姉の我儘だ、コレは」
 肩を竦めるシオン。
「……そう言った訳で、別段アリアに嫉妬を覚えたりはしないな」
「……でも、それはアリアさんが『妹』だからでは?」
「どういう意味だ?」
「アリアさんではない、別の『天才』が居れば……シオンさん、貴方は嫉妬をするのでは無いのですか?」
 浩太の問いに、シオンは眉を顰めてマジマジと浩太を見つめる。どう言えばいいのか……
「……珍しいな。コータがそこまで突っ込んで聞いてくるのは」

 そう、『珍しい』だ。

 シオンと浩太の付き合いは決して長く……というより、本当に短い。
「……そうでしょうか?」
「まあ、私の勝手な想像だが。もう少し淡白なのかと思っていたが」
 にも関わらず、シオンにとって今日の浩太は奇異に映る。なんせ、自らが勝手に召喚をされたにも関わらず『まあ、仕方ない』と笑ってすます人間だ。それが、他人の……それも、出逢って数日のシオンの事を此処まで聞こうとするその姿が。
「……色々、思う所があるんですよ」
「ほう。是非、拝聴したいが?」
 興味深そうに浩太を見やるシオン。その視線に、少しだけ居心地悪そうに頬をかき、浩太が口を開いた。
「……なんとなく、シオンさんと私は似ている気がしまして」
「……ふむ」
「私自身、大した才能がある人間では無い。どちらかと言えば、努力で何とかして来たタイプです」
「テラを発展させた人間の言葉では無いな。『魔王』、だったか?」
「茶化さないで下さい。それに、アレぐらい誰でも出来ます」
「経済は門外漢だが……そんな事は無かろう?」
「いいえ。結局、私は『向こうの世界』で出来る事を持って来ただけに過ぎません。何でしたか……ああ、そう、『チート』というやつです。ズルをしたんですよ、私は」
「ズル、か……それでも十分凄いと思うが……」
 そう言って、再び視線を中空に飛ばし。
「では……逆に聞こう、コータ。お前は『天才』に嫉妬するのか?」
「……質問に質問で返すな、とはフレイムの学校では教えないのですか?」
「茶化すな」
 溜息、一つ。
「私は、『諦め』ています」
「……」
「これは決して努力を否定している訳ではありません。努力をすれば、いずれ報われる事もあると思います。ですが」

 だが所詮、そこまで。

「圧倒的な才能を……天に愛された才能を持つ人間の前では、努力なんて無意味なんですよ」

 それは、アリアの言った言葉か。

 圧倒的な、『理解できる』という才能。

 彼女の前ではシオンや浩太などの凡人がどれ程努力をし、どれ程力を尽くしても、到底辿りつけない領域。

「……だから、私は『諦め』ています」
「……」
「自分に大した才能がなく、自分に大した力がなく、自分に大して誇る物が無い私は……」

 ……最初から、全てを『諦め』ている。

「……嫉妬、なんて覚えようが無いですよ」
 空を飛ぶ鳥を見て『何故自分には飛べないのか』と、地中の土竜が嫉妬を覚えないのと同様に。
「生きてる次元が違うんです、『天才』と私は」
「……ふむ」
 浩太の独白を聞き、シオンは顎に手を当て何かを考える様に瞑目。
「……ラルキア大学は、フレイム王国の最高学府だ」
「……シオンさん?」
「元々が帝国の大学であった為、ラルキア大学にはフレイムのみならずオルケナ中の国々からも様々な学生が入学してくる。アリアは殆ど規格外だが……それでも、俗に言う『天才』と呼ばれる人間には数多く出逢ったと思っている」
「……」
「だが、私は彼らに嫉妬を覚えた事は一度として無い。コータ、君は生きる次元が違うと言った。確かにアリアと私では次元が……見えている物が違うだろう。無論、コータの言ってる事は分かる。ああいう風に出来れば、と思わないでも無い。だが、それは『嫉妬』ではない。そうだな、強いて言うなら……」

『憧憬』だ、と。

「どう……けい?」
「ああ。天才という、彼ら彼女達に憧れを抱く事はあっても、その才能を嫉み、僻む事は無い」
「……」
「天才たちが、天に愛されたその才で遥かに高い場所から見下ろしているのであれば、私は私に与えられた才能に、努力という翼を生やして天才たちの高みに昇る。そこに壁があるのならば、その壁を乗り越えようとするさ。なんせ、憧れているからな、私は」
「それは……」
「コータの言う様に、諦めてしまうのも良いかも知れない。眼の前の壁が駆けあがるのが困難であるのなら、それを避けて通るのも悪い方法ではないさ。無理にその壁を越えなくても、横にも後ろにも、地下にも道はあるかも知れない。そもそも、その道が正解かどうかも分からないしな。その考えを……『他の道を探す』という思考を放棄して、ただ眼の前の難題を自分の力量を鑑みずに努力だけで切り抜けようとするのは……もしかしたら、一番怠惰の方法かも知れないな」
 そう言って、苦笑を一つ。


「だがそれが、シオン・バウムガルデンという生き方だ」


「……」
「……参考にならなかったか?」
「……いいえ」
 シオンに合わす様に、浩太も苦笑を一つ。
「……考え方が違い過ぎて、全く指針にならない事が分かりましたよ」
「そうか」
 浩太の言葉に、シオンも苦笑を深め。
「それで良いじゃないか。私とコータ、考えが違うからこそ見えるものだってあるさ」
 そう言って、再びシオンは視線をホテル・ラルキアに向け。
「……ここの総支配人はどちらかと言えば私同様、難題に立ち向かうタイプだ。まあ、立ち向かって粉々にされたから私に泣きついて来たのだがな」
 だからコータの『視点』に少し期待している、と。
「ご期待に添えれば良いのですが」
「ああ、期待している」
「あまり過度な期待はちょっと……ああ、そうだ。ちなみに此処の総支配人とはどういったお知り合いなのですか?」
「大学の同窓だ。先程の言葉を借りるなら典型的な『秀才』タイプ……要は、凡人だ」
「……随分な言い草ですね」
「コータが言ったんだぞ?」
「私は別にそこまでは……同窓、という事はまだお若いのですか?」
「二十六……もう七、か? 同い年だ。二十七が若いかどうかの議論は今度にして貰えれば助かる」
「するつもりは無いですよ」
 浩太だって二十六だ。若年寄、なんて呼ばれているが、自身はまだ若いつもりでいる。
「その若さで、名門ホテルグループの本館総支配人ですか。相当優秀なんでしょうね」
「優秀は優秀だな。少なくともペーパーテストの点数は良かった。だが、優秀なだけで総支配人になれるほどホテル・ラルキアは安くは無い」
「と、なると……縁故、ですか?」
「そうだが……これがなかなか、厄介でな」
「厄介?」
「まあ、そこの所は直接本人から聞いてくれ。私が口を出す所でもないし、口に出していい問題でも無い」
 そう言いつつ、シオンは扉を押しあけて。



「……お帰り頂けますか」
「何でやねん! 俺、来たばっかやん! 今回は『まだ』何もやってへんし!」
「当、ホテル・ラルキアではソルバニア語を喋る、女癖の悪そうな男性はお帰り頂くようになっておりますので……悪しからず」
「俺! それ、ピンポイントで俺の事やん! 後別に、女癖が悪いわけちゃうわ!」
「申し訳ございません、それ以上騒がれるのは少し……衛兵でも呼びましょうか?」
「どんだけ厄介な客扱いやねん!」
「……客? はて、お客様はどちらにおられますのでしょうか?」
「感じ悪!」
「さて、それでは塩……は厨房に行かないと無いですね。面倒ですが、取りに行きましょうか」
「撒くつもりかい! エル、お前ほんまええ加減にせーよ!」
「さあ、お出口はあちらです」



 入った瞬間に聞こえたのはソルバニア方言。しかも、言い争いである。
「……えっと」
 所謂『高級ホテル』のフロントで言い争う様な事態は……まあ、まずない。しかも、会話の内容や店員の態度は、どこからどう見てもホテル側の人間が煽っている様にしか見えない。本当に高級ホテルだろうかと、困った様に視線をシオンに向ける。
「……」
 向けられたシオン、額に手を当てて天を仰いでいる。どうやらこの事態はシオンに取っても想定外であった様子だ。
「……済まない、コータ。おい、エル! ベロア!」
 シオンの言葉に、客・店員の両方がこちらを振り向き――浩太は息を飲む。
 男の方も男前である。端正な顔立ちに、均整の取れたスタイル。道を歩いていれば女性が見とれる男ぶりであろう。が、浩太が息を飲んだのはそちらではない。

 年齢は、浩太よりも少し下であろうか。腰まで伸ばした黒髪は、どういう手入をすればそうなるのか、まるで宝石の様にキラキラと輝き。

『理想な女性の顔のパーツの配置を書きましょう』と問われれば、恐らくこれしか正解が無いであろうという程、理想的に配置された顔のパーツ。

 しかし、何よりも注目を引くのはその眼。オルケナでは珍しい、黒曜石の様な漆黒の瞳。つり目がちでありながら、幼さの残るその顔立ちの中では、そのつり目すら、アクセントとして活きている。

 ――要は、美少女である。それも、飛びっきりの。

「……シオン? シオンやないか! どないしてん、こんな所で!」
「シオン様? どう為されたのですか?」
 きょとんとした表情を浮かべながら、異口同音に疑問を口にしつつシオンに向かってくる二人。二人がこちらに到着すると同時、シオンが溜息交じりに口を開いた。
「……仮にもホテル・ラルキアのフロントで、まさかあんなみっともない光景を見せられるとは思わなかったぞ。特に、エル。他に客がいなかったから良かったものの、ホテル・ラルキアの評判を落とす様な事はするな」
「……申し訳ございません」
「次にベロア。お前もお前だ」
「いや、ちょい待ち! 俺、普通にチェックインしようとしただけやで? そしたらエルが――」
「……声が大きいから五月蠅いんだ、お前は」
「――急に出て来てって、扱いが雑やな!」
「とにかく! 私にも今日は連れが居るんだ。あまり恥をかかすな」
 そのシオンの言葉に、二人は浩太に視線を向ける。
「……紹介しよう、コータ。こちらのソルバニア語を喋る男、こいつはベロア・サーチ。ラルキア大学では私達と同窓で、現在はソルバニアで商いを営むサーチ商会の後継者だ」
「サーチ商会……というと、マリアさんの?」
 浩太の言葉に、ピクっとベロアの眉が動く。
「……マリアの事、知ってはるんかいな?」
「ええ。テラでお世話になっておりました」
「……へえ。テラで、な~。ホンでさっきシオン、自分の事『コータ』言うてたな。ほな、もしかして……アンタが『魔王』コータ・マツシロさんかいな?」
「……『魔王』は言い過ぎですが、ええ。コータ・マツシロと申します。いつもテラではマリアさんにお世話になっておりました」
「へえ! アンタが例の『コータはん』かいな! いや、どうもどうも! いつもテラではマリアがお世話になっとります! 私はマリアの兄でベロア・サーチと申します! 以後、宜しくお願いします!」
「え、あ、え、ええ。こちらこそ、宜しくお願いします!」
 急にフレンドリーに手を握り、ブンブンと上下に振るベロア。ついて行けていない浩太はされるがまま、だ。
「ベロア、そろそろ手を離せ。コータが困ってるだろう。コータ、こちらの女性がエリーゼ・ブルクハルト、通称エル。現在のホテル・ラルキアの会長の娘さんだ」
「エリーゼ・ブルクハルトと申します。以後、お見知りおきを」
 スカートの端をちょこんと摘まんで、頭を下げる女性に、浩太もつられて頭を下げて……気付く。
「えっと……シオンさん?」
「なんだ?」
「ホテル・ラルキアの会長のお嬢さんという事は……」
「ああ、それは勘違いだ。私達に用事があるのは彼女では無い」
 シオンの言葉に、少女が少しだけむっとした表情を見せる。
「……私には用事など無いという事でしょうか、シオン様」
「そういう意味では無いのだが……今回は別件でな。クラウス――」

「シオン! シオンじゃ……って、ベロア? ベロアまで、どうしたんだい?」

 不意に、後ろからかかる声。

「……ああ、話が早いな」
 振り向いた浩太の視線の先。
「やあ、シオン、ベロア! 特にベロアは久しぶりだね! 元気に――」
 年齢は、浩太と同じ位。ベロアに比べれば幾分男ぶりは落ちるが、それでも目元と口元に浮かぶ柔和な笑顔は見ている者を安心させる様な、そんな笑顔。
「――えっと、シオン? そちらの方は……」
「クラウス・ブルクハルト。ホテル・ラルキア本館総支配人を勤める、我らの同級生だ。クラウス、こちらの御仁はコータ・マツシロ。お前も聞いた事ぐらいはあるだろう? テラの話は」
「……コータ・マツシロさん……ああ、あの有名な! テラの『魔王』!」
「……その呼び方は辞めて頂ければ助かるのですが」
「これは失礼。以後気をつけます。ですが……敬意を表してですよ、コータさん?」
 にっこり微笑み手を差し伸べるクラウスに、コータも苦笑交じりに手を握る。
「ご配慮に感謝を、と言っておきましょうか?」
「是非、そうして下さい」
 繋いだ手を離しながら、静かに微笑む二人。
「……それで? シオン、どうしたんだい?」
「先日、愚痴を言いに来ただろう、クラウス」
「愚痴って……ああ、アレ?」
「そう、アレだ。残念ながら私は経済や経営は詳しい分野では無いしな。だから」

 そう言って、ずいっと浩太の腕を引っ張り。

「連れて来た」
「……は?」
「だから、経済とか経営に詳しそうな人間を連れて来たんだ」
 どうだ、凄いだろうと言わんばかりに胸を張るシオンに、浩太とクラウスは目を見合わせて。

「……えっと、シオンさん? つかぬ事をお伺いしますが」
「どうした?」
「その……私を連れて来る事ってクラウスさんにお話、通したんですか?」
「話? 通して無いが?」
「……」
「……」
「な、なんだ、二人してそんな微妙な表情を浮かべて」
「……シオン」
「……シオンさん」
 二人して溜息をつき、残念な子を見やる目でシオンを見やる。
「な、なんだその眼は!」
 慌てるシオンを無視し、申し訳なさそうに浩太がクラウスに視線を向ける。
「……えっと、クラウスさん。済みませんが……」
「いえ、シオンに口止めしていなかった私も悪いです」
「この話は聞かなかった事にしておきますので……」
「ああ、構いません。それに、むしろ僥倖です。此処に来て頂いたという事は、何かしらのアドバイスを期待しても良い、という事でしょう?」
「期待に添えるかは自信がありませんが」
「これは御謙遜を」
「いえ、本気ですよ?」
「ちょ、ちょっと待て! なんだ? どういう事だ!」
 騒ぎ出すシオンに浩太は、深く深く溜息をつく。
「……あのですね、シオンさん」
「なんだ?」
 一息。

「……同意も得ずに、勝手に人の会社の経営状況をペラペラ喋るのは……ちょっと、どうかと思いますよ?」


「…………あ」


 ようやく気がついたか、きょとんとした後に顔面を蒼白にさせるシオンに、浩太とクラウスはもう一度視線をあわし、深く深く溜息をついた。



+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。