某所で恋姫の二次創作を書いております。そこでも書いた事がありますが実は私、ゴキブリが大の苦手なんですよ。ええ、思わずゴキブリを題材にしてしまう程、ゴキブリが嫌いなんです。もうね、夏はマジでイヤなんですよ。あいつらが出て来るから。本当に、一体何処から入ってくるのか、マジで意味不明ですよ!!!
何が言いたいかというと、月曜日になったのはゴキブリのせいですよ、と。あやつが私のパソコン部屋に居座りやがったからですよ、と。パソコンが壊れた訳でも、書きかけのデータが飛んだ訳でも、急な出張が入った訳でもありませんよ、と。ゴキブリのせいですよ!!!
……ええ、すみません。言い訳です、ハイ。
第三十六話 世界に『愛され』た少女
「……なんで、分かったんですか?」
カップを落としたまま、数秒。大きく一つ息を吐き、アリアの顔に生気が戻り口を開き、言葉を紡ぐ。
「……半分は、カマをかけてみました」
座っていた椅子から立ち上がり、割れたカップの破片を集め部屋の隅のゴミ箱へ。
「ゴミの分別が必要で?」
「いいえ。そのままゴミ箱に入れておいてください」
アリアの言葉に頷きゴミ箱に欠片を放りこむ。
「……最初に感じた違和感は、アリアさんが私に話しかけて来た時」
「最初に?」
「貴方は私に『どんな感じか?』とお聞きになりました」
「そう……でしたか?」
「はい。それで『あれ?』と思ったんですよ」
肩を竦めて見せ。
「内容を知らない人なら、『どんな感じ』ではなく、『何と書いてある?』と聞くのが普通ではないのか、と思いまして」
浩太が古オルケナ語、『日本語』を理解できると知った時、シオンは鼻息も荒く『何と書いてある!』と問いかけたが、自分の知らないモノが書かれている文を見た時、問いかけとしてはこれが一番正しいであろう。
「それは、『どんな感じの事が書いてありますか?』という意味です」
「ええ。私も最初はそう思いました。ですが、その次。アレックス帝が三美姫を差し出せと言われていると言った時、貴方は『建帝紀でも書かれている名シーン』と言いました」
「……それが?」
「建帝紀『でも』です。では……建帝紀以外、この名シーンは一体何に書かれているんでしょうか?」
「それ……は……」
「所謂、『後記』と呼ばれるアレックス物には恋愛物も多いのでしょうから、他の後記物にも書かれている事が多い?」
「そ、そうです! 他のアレックス物も、建帝紀同様に恋愛がメインになる話が多いんです! ですから!」
「なるほど」
そう言って、手元の書物――アレックス書簡の背表紙に指を這わせ。
「――似た様な物が多い後記作品であるのなら、『ネタバレ』と指摘した時にそう言えば宜しいのでは? 『どれを見ても内容に大差なんて無い。だからネタバレにはならない』と」
「……あぅ」
「以上の事から、私は貴方がこの『アレックス書簡』を読んだ事が、読む事が出来ると推測しました」
「だから、カマをかけた?」
「ええ」
「……ふぅ」
諦めた様に、溜息。ついで薄い、諦観を込めた笑みをアリアは浮かべた。
「……まあ、カマに引っ掛かった時点で私の負けみたいな物ですが」
「別に勝ち負けではありませんが」
「そうですね。それに、今のお話ではどうも最初から私は『ドジ』だったみたいですし。勝負の土台にすら立てて無かったのでしょうね」
食器棚の中からカップを取り出し、もう一度紅茶を注ぎ、浩太の前に差し出しながら。
「……それでもカマをかけて確かめるなんて、意地の悪い人ですね、コータさんは」
「自分でもあまり自信が無かった、というのもありますが……」
そう言って、もう一度マジマジと本の背表紙を眺める。
「……これ、恋愛物ですかね? 本当に同じ本、読んでます?」
浩太目線で考えれば、どう考えても高校生の愚痴日記なのだが。
「『世界で一番幸せな、唯のマコトのお嫁さんにして下さい』」
「……まあ、そこだけ見れば恋愛物でしょうが」
「フレイアだけでなく、ユメリアやアレイアにもそうと分かるシーンがありますよ? それに気がつかないなんて……コータさん、言われませんか? 女心が分からない、って」
降参の意を示し、肩を竦めて見せる浩太。経験値ゼロでは無いが、全てを見通すほど経験値をカンストしてはいない。そもそも、女心なんて未知すぎる領域である。
「御想像にお任せします、としか。少なくとも、得意な領域ではありませんね」
「人の話し方で粗を見つけられるんですから、女心も勉強して下さい」
「粗を見つけた訳ではありませんが――」
銀行に限った話では無いのであろうが、営業の人間は『アンテナ』が低いとお話にならない。『何かお金が要る事はありませんか~?』と聞いて回るだけの営業の人間など御用聞きと変わらず、銀行ではあまり良い顔をされない。顧客との会話の中に出た何気ない一言や仕草などから顧客の問題点と最適な解決方法を見つけ、それにファイナンスをつける事が出来て、銀行員は半人前と言える。
一人前の銀行員は『需資』の無い所に『需資』を作る。バブル期に悪し様に言われた『取りあえず借りて下さい』という、『晴れた日に傘をさす』スタイルでは無く、財務諸表や工場見学などで見つけた問題点、或いは業績を伸ばす事が出来るであろう新設備の導入、土地購入案件などを顧客に『提案』し、融資獲得に繋げて一人前と呼ばれるのである。
ちなみに、超一流の銀行員になると黙っていても顧客側からこの『提案』を受ける様になる。金利の高低に関係なく、『貴方から借りたい』と言われれば、銀行員としての一つの完成型であろう。座っていても案件が舞い込む様になれば殆ど無敵である。
「――まあ、仕事上の癖ですよ」
浩太がした事は半人前の銀行員のした事である。話の中で『おや?』と思う点について突っ込んでみただけの事、別段粗を探したつもりは無い。
「……それで、アリアさん? その、この本は……」
「ええ。読んだ事が、『読む』事が出来ます」
「つまり、古オルケナ語を理解している、と?」
「……そうです」
ほうっ、という溜息が浩太の口から漏れる。感嘆の溜息だ。
「あ、ああ! わ、私は別に浩太さんやアレックス帝の様な『召喚された』人間ではありませんよ!」
「……そうですか」
少しだけ、嘆息。或いはという期待が無かったかと言うと……まあ、嘘になる。
「それでは、アリアさんはコレを独学で勉強なされたという事ですか?」
そう言いつつ、本を片手で上げて見せる浩太。言語学に精通している訳では無いが、何にも知らない、誰も教えてくれない言語を一から学ぶなど、流石に途方も無い事なのは理解できる。
「……いいえ」
そう思い、ある種の尊敬の念を込めてアリアを見る浩太の瞳に映ったのは、首を左右に振るアリアの姿。
「……私は、古オルケナ語を勉強した訳では無いのです」
「……え?」
薄い、笑みを浮かべて。
「私は……古オルケナ語を『理解』出来るんです。見ただけで、何の勉強もせずに」
◆◇◆◇◆◇
アリア・バウムガルデンはフレイム王国の豪商、バウムガルデン家の分家の娘としてジョージ・バウムガルデン、シャルロッテ・バウムガルデンの次女としてこの世に生を受けた。
本家こそフレイムでも名うての豪商であるバウムガルデン家だが、アリアの生まれた分家のバウムガルデン家は傍系も傍系、父ジョージ、母シャルロッテ共にラルキア大学で教鞭を取っている事もあり、余所の庶民よりは少しだけ裕福な、それでも十分庶民の括りに入る家庭であった。
姉であるシオンとの歳の差が九歳ある事もあり、両親とシオン、その両方からの愛情を受けアリアはすくすく……とは言い難いも、順調に成長した。
「姉は優秀でしたから、ラルキア大学に十五歳で入学しました。当時の私は六歳ですし、一人でお留守番するのはまだ早い、という事で昼間は両親と姉のいるラルキア大学で過ごす事になったんです」
当時のラルキア大学学長は『ラルキア大学には学べない学問は無いと言われているが、まさか託児所まで併設することになるとはね』と笑って、二人がアリアを連れて来る事を認め、さらに『目の届く所に居た方が安心だろう』という事で、特別に『聴講生』として両親の講義に参加する事も認めた。
両親の講義を、最前列で一生懸命聞く幼子。
アリアの両親が尊敬に値する、人格者であった事もあり、ラルキア大学の学生諸君もこの光景を暖かく見守り、先達者である二人の教授の愛娘をまるでマスコットの様に可愛がった。もう一人の愛娘であるシオンが、余すことなくその『残念さ』を発揮していた事も一因にある。余談ではあるが。
「……ラルキア大学の方々は皆優しい人ばかりで、毎日とても楽しかったです。新しい事を学ぶ事も、何より両親が皆さんに慕われているとそう分かる事も、とても誇らしく、幸せな事……でした」
そんなアリアの日常が一変する『事件』が起こる。
聴講生として『入学』して一年、両親以外の講義にも参加し出したアリアは、ある教授の講義に参加し、そこで疑問を覚えた。当時のアリアはまだ七歳。覚えた疑問は直ぐに口に出してしまう。
『せ、先生! そ、その……こ、これはこうした方が早いのでは無いでしょうか?』
物理学の講義だった。アリアの言葉に一瞬、虚をつかれた顔をした教授は笑って黒板に向き直り、その後顔色を赤くし、次いで青くした。
「……『天才児』と呼ばれました。幾つかの簡単なテストのあと、私はラルキア大学に『正式』に入学したんです」
「……」
「……私には『分かる』んです。どれほど難解な理論でも、どれほど困難な問題でも、どれほど難しい……『言語』でも。迷路をご存じですか?」
「ええ」
「ある先生は私を見て言いました。『私達が手さぐりで迷路を進んでいるのに、アリアは迷路を上から眺めている様なものだ』と」
問題を見た瞬間、アリアはその解答とソレに至る最短の道程が『見え』る。まるで上空から迷路を眺める様に、入口から出口まで俯瞰できる、そんな能力。
「その後、その先生は言いました。『アリア、君は世界に愛されているとしか思えない』って」
寂しそうに、そう笑って。
「……お姉様と、三角関係ですね」
シオンが世界に恋をし、世界の全てを『知りたい』と望んでいる傍らで、世界はアリアに愛を囁き続ける。自らの全てを余す事なく教え、知って欲しいと望むかの様に。
「……その事を、シオンさんには? 自分は古オルケナ語を読める、と、そう教えて差しあげ無かったのですか?」
「出来ると思いますか?」
「……」
「お姉様に、『私は古オルケナ語を理解できる』と、そういうのですか? 知りたいと望み、努力し、何日も徹夜をして解読に勤しむお姉様の隣で『分かった』と、『お姉様の努力は無意味です』と……そう言えと?」
「そういう意味では――」
「そういう意味ですよ」
ぞっとするほど、冷たい笑みを浮かべ。
「そういう意味なんですよ、コータさん。私のこの『チカラ』は学問を、真理を解き明かそうとする、全ての人を侮辱する、そんな『チカラ』なんです。皆さんがした努力を、汗を、涙を、その全てを無に帰す、最低のチカラなんですよ」
そう言って。
胸の前でパンと両手を合わせ、微笑む。
「……忘れて下さい」
「忘れて、と言われても……」
「つまらない話です。それよりも! 丁度良かったです!」
まるで、今までの話が幻であったかの様に、綺麗な笑みを見せて。
「丁度良かった?」
「ええ。どうやって説明しようか、悩んでいたんですが……」
そう言って。
アリアは、こくんと小首を傾げ。
「コータさん、元の世界に帰りたいですか?」
まるで何でも無い様に、そう言った。
◆◇◆◇◆◇
「古オルケナ語は有史以来、アレックス以外理解できない言語と言われていました。アレックス書簡に書かれている文字に規則性が無ければ、恐らく『古オルケナ語』なんて括りも無かったでしょう。アレックスの落書き扱いですね」
カツン、カツンと足音を立てて階段を降りるアリアの後を浩太が続く。
「ですが、実はアレックス以外理解できない、というのは誤りです。アレックス以外にも理解し、その言語を使っていた人がいたんですよ」
「アリアさんですか?」
「私は理解は出来ますが、使用はしていません」
長い長い、まるで地の底に続くかの様な階段を、降りる。
「では……誰が?」
「アレイア。学聖、アレイア・フェルトです」
「アレイア、ですか?」
「はい。恐らく、アレイア自身がアレックスから手自ら習ったのでしょう。一般的には『第二書簡』なんて呼ばれており、アレックスの作と言われていますが……古オルケナ語が読める人間なら一発でわかります」
なんせ、自分の名前が書いてありますから、と。
「アレックス帝のソレが『アレックス書簡』であるのならば……そうですね、差し詰め『第二書簡』はアレイア文書、と言った所でしょうか? 読みます? こう……恋する乙女の甘酸っぱい感情の羅列が」
一息。
「……正直、たまりません」
はうっと艶めかしい吐息がアリアの口から漏れる。心持頬を上気させうっとりするその姿は、容姿の割には色っぽく映る。映るが。
「……遠慮しておきます。それと、帰って来て下さい。こっちの世界に」
「……こほん。前半部分はアレイアの恋心が綴ってありますが、後半は違います。後半部分にはアレイアの……この言い方は正確ではありませんね。アレックス帝の『発明品』の数々が記されています。詳細な設計書から製造過程、材料から原理まで全て、古オルケナ語で」
「古オルケナ語で、ですか?」
「はい」
アリアの返答に首を捻る浩太。その姿を見て、アリアが言葉を継ぎ足した。
「……アレイア文書に書かれている兵器の数々は、現在の技術すら置き去りにしている『未来の兵器』です。掌に乗る様なサイズでラルキアが跡形も無く消滅する様な兵器まで乗っているんです。原理的には恐らく、可能でしょう」
「……」
「何故アレイアが古オルケナ語で記したかは分かりませんが……」
「想像はつく、と」
「どれ程便利な道具であっても、使う人によって毒にも薬にもなりますから。それでも、アレイアはその全てを『無かった事』にしてしまうのは余りにも惜しいと、そう思ったのかも知れません。借り物の発想であっても、アレイアが突き詰めた原理を――」
そこで、一息。
「……いえ。アレイアはアレックスの生きた『証』を残したかったのかも知れません。アレイア文書の序盤は、本当にアレイアのアレックスに対する感謝と思慕で埋め尽くされていますから。どれほどアレイアが深くアレックスを愛していたか……もう! 涙なしでは読めないんですよ! 特にフレイアとアレックスが結婚を発表する日! 『恐らく、巧く笑えていたと思う。誰が選ばれても、笑顔で祝福しようって決めてたから。今日はユメリアと二人で飲もう。そうして、明日はフレイアも入れて三人で飲もう。いっぱい、おめでとうも言う。心の底から祝福もする。だから、お願い。今日だけ、二人で泣かせて』なんて書いてあって! 大体、アレックス帝は皇帝何ですから妾の一人や二人抱えるぐらいの甲斐性は持っても良いと思うんですよ! 別に、アレイアは正妻なんて望んで無いんです! 例え二番でも三番でも、最後でも良いんです! アレイアはアレックスの側にずっと居れるだけで幸せだったのに! それをフレイアばっかり贔屓して! ねえ、コータさん! ずるいと思いませんか!」
「ストップ! 戻って来て下さい!」
拳を握りしめ、『ぐぐっ!』と主張しそっちの世界にダイブしようとするアリアを浩太が必死に引き留める。話が進まない。
「……はっ! ま、またやっちゃいました……こ、コホン! とにかく、アレイアはそれほど愛したアレックスが何時か『元の世界に戻りたい』と言いだした時の為に、異世界に戻る為の機械を発明しました」
階段を降り切った所で足を止め、眼の前のドアをゆっくり開く。
「――どうぞ、お入り下さい」
促されるまま、浩太は足を進め――眼前の光景に、絶句する。
「こ……れは……?」
コンピューター制御室、を思い浮かべて欲しい。
決して狭くは無い部屋に、所狭しと並べられた機械の数々。浩太自身、文系であった為に、決してこんな光景を見慣れている訳では無いのに……それでも、良く見知った光景であり、このオルケナ大陸におよそ『似つかわしく無い』光景。
「驚きましたか?」
呆然とする浩太に笑顔を浮かべ。
「これが、『アレイアの遺産』です。アレイア文書にはこの『遺産』の動かし方が書いてあり、私達はそれを実践したに過ぎません」
「……」
「……」
「……コータさん?」
「……え? あ、ああ! す、すいません、つい」
そう言いながら、もう一度浩太はマジマジとその機械を眺める。なんというか……とにかく、凄い。
「詳しい原理のせつめ――」
「おっと、アリア。そこまでだ」
不意に背後から聞こえた声に、びくりと体を震わし浩太は後ろを振り返り。
「――なんですか、その鼻!」
眼前にあるシオンの顔を見て膝から、崩れ落ちた。
「鼻血が止まらなくなってな。応急処置だ」
両鼻にちり紙の様な薄い紙を詰めて、若干通りの悪い声でそう喋るシオン。綺麗系のお姉さんであるシオンのその姿は、綺麗系であるが為に逆に『残念さ』が半端無い。
「お、お姉様! 血が止まらないなら安静になさって下さい!」
「む、そうやってこの姉だけを仲間外れにするつもりか? そうはさせんぞ、アリア。しかも『アレイアの遺産』の説明だ! これは、これこそは私がしなければならないだろう! さあコータ、傾聴! この装置はだな、なんと――」
「ああ、説明は結構ですよ」
「――太陽からの……何だと?」
「聞いた所でどうせ理解できませんから」
高校は文系コース、大学は経済学部の浩太だ。詳細な説明など聞いても分かる訳が無い。
「い、いや! そ、そうは言ってもお前を召喚した機械だぞ? 気になるだろう!」
「あー……すいません、別に気になりませんよ、原理は」
「き、気にならないだと……お前、知りたくないのか?」
「あまり」
今度はシオンが膝から崩れ落ちる番。両手両膝を地面につき、俯きながら『説明……せつめい……させて……』と怨嗟の声。その声が浩太の耳朶を打つ。正直、ちょっと怖い。
「えっと……原理はともかく、聞きたい事はあります」
「っ! 聞きたい事! なんだ! 何でも聞いてくれ!」
膝から崩れ落ちていたシオンが一瞬にして立ち上がり、鼻息荒く浩太に迫る。普通ならドギマギする所だが……なんせ、両鼻に詰め物だ。ドギマギの前にガックリ来る。
「……まず、一点。私が記憶している所によると、確か召喚された時は床に魔法陣……って言うんでしょうか? とにかく、幾何学的な模様が書いてありました。てっきり魔法かと思ったのですが」
当然と言えば当然の疑問。それを聞いたシオンは、とても冷めた視線を一つ浩太に送り。
「魔法? 何を馬鹿な事を言ってる、コータ。魔法などこの世にある訳無いだろう。頭は大丈夫か?」
人の神経を逆なでする様な事をのたまう。これには流石に温厚な浩太も、ちょっとだけカチンと来てしまう。
「……鼻に詰め物をしながら偉そうに語ってる人には言われたくありませんが……まあ、イイです。では、魔法では無い、と?」
「ああ。純粋な科学だ」
「床の模様は?」
「特に意味は無い。強いて言うなら演出だ。何も無い所に召喚するより、魔法陣っぽい所に召喚した方が絵になるだろう?」
「……本気ですか?」
「大本気だが、何か?」
今日、一番大きい溜息を一つ。シオン、浩太の常識で測れる人間では無い。
「……まあ良いです。それで? 先程アリアさんから『送り返す事が出来る』とお聞きしましたが?」
「……なに?」
浩太の言葉を聞き、ちらりとシオンがアリアの方を見やる。それも一瞬、直ぐに視線を浩太に戻す。
「まあ……原理的には可能だな。呼ぶ事が出来たんだ、その逆をやれば帰す事も出来るだろう」
「…………え?」
「どうした? 鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔をして」
「いや、だって! え? そんなアバウトな感じなんですか? 逆は真ならずって言葉、知ってます?」
「だから、『原理的には可能』と言ったのだ。そんな実験はした事が無い」
そう言って、再度アリアに視線を送る。
「……アリア。確証の無い事を言って、希望を持たせる様な事をするな。出来なかったらどう言い訳をするつもりだ」
「……はい。申し訳ございません、コータさん」
そう言って、頭を下げるアリアと浩太の視線が一瞬重なる。その、何かを訴える様な視線に気付き、浩太は胸中で一つ頷く。
「……なるほど、そういう事ですか」
「どうした?」
「いえ……」
アリアの中では、浩太を送り返せる事は出来る確証がある。それは、アレイア文書の中に書いてある詳細な実験データに基づいての事であるが、古オルケナ語が『読めない』事になっているアリアは、その事実をシオンに伝える事が出来ない。
「……難儀ですね」
「……本当にどうした?」
「いえ、何でも無いです」
当たらずとも遠からず。シオンにバレ無い様にこっそり頷いた浩太に気付き、アリアがあからさまに安心した顔を浮かべた事で、浩太の中で想像が真実に近いであろう確信を得た。
「……まあ、それは良いです。それよりコレ……凄いですね?」
「だろう? 私も最初にこれを見た時は驚いたさ。ここは王国学術院でも長らく立入禁止区域になっていた場所でな」
「立入禁止区域?」
「ああ。帝国学術院時代からずっとだ。『開かずの部屋』、というやつだな」
「……ああ、何かもの凄くイヤな予感がするんですが……ちなみに、開けたのは?」
浩太の言葉に、シオンはその豊かな胸を張り。
「当然、私だ」
「……でしょうね」
「だってコータ、開かずの部屋だぞ?」
「そうですね」
「それも千年だぞ?」
「ええ」
「開けるだろう、普通」
「……どういう化学変化が起きたらそこで『開けるだろう、普通』に繋がるのですか?」
「千年もの時間をかけた前振りだぞ? 開けてやらないと失礼だろう。まあ、個人的に中が見て見たかったのもあるが」
『押すなよ! 絶対に押すなよ!』という芸人のノリである。
「……何と言うか……本当に、シオンさんは全力でシオンさんですね」
「おや? 言っただろう? 私は、自分の欲望に素直に生きる人間だ」
「……でしたね」
諦めた様にそう言って、浩太が何気なく視線を機械に向ける。計器やスイッチがゴテゴテとしたその装置は、何だかSFチックな香りがして少しだけ浩太の童心を擽る。
「……凄いですね。何だかちょっと……その、ワクワクします」
「原理に興味は無いのに?」
「……SFが嫌いな男の子は居ないんですよ。原理は別として」
浩太とて勉強ばかりして来た訳では無い。未来から来た青狸型ロボットの話に心を踊らした事だってあるし、そんなロボットが発明されたら良いなと思った事もある。そもそも、『研究』や『実験』、『発明』なんていう単語には男のロマンがある。
「見るのは構わんが、触れるのは厳禁だぞ? 装置の全てが解明できたわけでは無いし、何が起こるか分からないからな」
そう言って、やれやれと首をコキコキ鳴らすシオン。もの凄くおっさん臭い仕草ではあるが、シオンは綺麗系のお姉さんである。見た目は。
「少し疲れたな。アリア、部屋に帰ってお茶にしよう。何だか血が足りない気がする」
「それは……あれだけ鼻血を出したらそれはそう――って、お姉様! 血!」
「血?」
はて? と首を傾げるシオンのその鼻から、ポタポタと血が零れ出す。ティッシュ的な紙で吸い取り切れなかったそれが、シオンの白衣を深紅に染め上げている。
「……深紅の白衣を持つ女、というのはどうだろう?」
「深紅だったら『白』衣じゃないって、何言ってるんですか! 出血多量で死にますよ!」
「鼻血で死んだ、なんて斬新な死に方だな」
「言ってる場合ですか! ほら、早く行きま――はぅ!」
――アリア・バウムガルデンは俗にいう『天才』である。頭が良いであるとか、発想が凄いであるとか、そういうレベルでは無い、文字通り『天から与えられた才能』を持つ人間である。
「アリアさん!? だ、だいじょう――うわぁ!」
――同時に、アリア・バウムガルデンは『ドジっ娘』でもある。そのドジっ娘ぶりは、こちらも天に愛されたとしか言い様の無い、完全無欠のドジっ娘である。それがどれくらいドジかと言うと――
「こ、コータさん! よ、避けて! よけ――」
慌てて駆け寄ったシオンの足元の鼻血に足を取られ、思わず浩太の方に倒れ込む程度には、ドジである。
「ちょ、あ、アリアさ――」
例えばこれがアリアの部屋、であったなら良かったのだ。アリアに押し倒される形になる浩太。その上にちょこんと乗ったアリア。ラブコメ漫画であるのなら、唇と唇が重なる、なんてイベントがあっても良いかも知れない。が。
「きゃ、きゃーーー!」
――ここは、『アレイアの遺産』が置いてある部屋であり、浩太は興味深げに機械を眺めており、それに対してアリアが倒れ込み、そして浩太は反射的に手を伸ばし、伸ばした先には機械があり――
「あ、ああーーーー!」
最初に聞こえたのは、『ガンッ!』という鈍い音。続いて、何かが起動する様な、低い機械音。その音は段々高くなり、勢いを増すかのようにグングンと音を大きくし、ついには。
ボン、っと断末魔の音を立てて。
「……」
「……」
「……」
『アレイアの遺産』と呼ばれたその装置が、煙を上げて天に召された。
「……」
「……」
「……」
「……こ」
「……」
「……こーわした、こーわしたー、せんせーいにいってやろー」
「子供ですか!」
虚ろな目をしながら、手を叩きそんな事をのたまうシオンに、同じく虚ろな目をした浩太が思わず突っ込んだという。
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