第二十二話 プリンセスはナイトの夢を見るか?
「……ふざけるな!」
私の怒声が、さして広く無い執務室に木霊した。
「え、エリカさん?」
「何が『私のせいです』よ! 何が『もう一度チャンスを下さい』よ!」
言葉が。
「貴方何様のつもりよ! 何? 失敗したら、全部自分のせいだとでも思ってるの!」
こんな事を言ってはいけないと、そう思った言葉達が。
「此処が『テラ』じゃなければ、ソルバニアはそんな態度を取らなかったのよ!」
……ひとりでに、宙を舞う。
「そうよ! 此処がラルキアだったら! 此処がローラだったら! 此処がチタンだったら、ソルバニアはそんな態度を取らなかった! 『此処』が『テラ』だから! ソルバニアが、テラを、この領地は馬鹿にしても大丈夫だと思ったから! だから!」
もし、フレイム王国直轄地なら……否、もっと『テラ』に力があったなら。
「証書なんか、好きなだけ流通すればいいじゃないって言えた! そもそも、ソルバニアが戦おうなんて思わなかった! じゃあ、なんで? 何でソルバニアは、テラを『舐める』の!」
「……それは」
「はっきり言って!」
睨みつける、私に。
「……テラが、『弱い』からです」
「ええ、その通りよ! テラが『弱い』から! テラが『怖くない』から! テラなんて、どれだけ吠えても全然脅威じゃ無いから! だから、ソルバニアはテラの真似をして、引渡証書の流通なんてしようと思うのよ!」
絶対に、勝てるから。
絶対に、勝てると……舐められているから。
「それは……それは、貴方のせいじゃないでしょ!」
「……」
「貴方は何も悪くない! テラを、この貧弱な、国からも、国王からも、各領主からも――」
……そして……当の、『領主自身』も。
「――皆が見捨てたこの領地を、ここまで発展させてくれた! 此処まで大きくしてくれた! テラの発展は、全て貴方の……コータ・マツシロ、貴方の功績なのよ!」
「そんなことは――」
「あるの! 全部、全部貴方のおかげ! この領地が発展したのは、全て貴方のおかげなの! だから……だから、貴方は何にも悪くないのよ!」
……そう。コータは、悪くないんだ。
「……悪いのは、『私』よ! 貴方に、これだけテラを発展させてくれた貴方に、何の『武器』も与えずソルバニアに向かわして、下げたく無い頭を下げさせて、薄氷を踏む様な交渉をさせて、貴方の誇りに、貴方の想いに、貴方の夢に、貴方が為してくれた、その全てを踏みにじって、泥をかぶせたのは、全部『私』のせいなのよ!」
「それは違います! エリカさんのせいでは――」
「私のせいなの!」
……だって。
「私は『ロンド・デ・テラ公爵』なの! 『エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイム』なの! この領地は、ロンド・デ・テラは、私の領地なのよ!」
コータの顔が、滲んで見える。
「……だから!」
……自分が、泣いていると言う事を理解するのに、随分時間がかかった。
「テラが『舐められ』たのは、私のせいなの! だから、お願いコータ!」
どうか。
「……『私の責任』を、奪わないで――」
そうじゃないと……一体、私は『何の為』に此処に居るのか……分からない。
「お願いだから、私を足手まといだと思わないで! お願いだから、私を役に立たないと思わないで! 私は頼りにならないかも知れない! でも、お願いだから少しだけでも私を頼って!」
――私は。
「貴方の背中で、震えて守って貰うだけのお姫様じゃないの! 貴方の隣で、貴方の横で、貴方の、その一番近くで貴方と『戦い』たいの!」
滲む視界のまま、頭を下げ。
「……ごめん、なさい」
……此処までテラを導いてくれた貴方に。
「貴方に、コータに……そんな……惨めな思いをさせて……本当に……」
最後まで、言葉は宙を舞う事もなく、地面に落ちた。
「……」
「……」
「……その……すいません、エリカさん」
どれぐらい、沈黙の時間があっただろうか。
「――だから!」
ポツリと、コータの口から漏れ出た言葉に敏感に反応した私を手で制し。
「そうではなく……『貴方の責任』を奪った事に対する、謝罪です」
「……」
「……私は『調子』に乗っていたかもしれません。『政治は男子一生の仕事である』という意味合いの言葉が私の国にありますが……自分の施策が、自分の考えが、自分の想いがテラに浸透し、そして花開く事がとても『楽しく』、とても『嬉しかった』から……」
だから……『すいません』、と。
「貴方の仕事を、貴方の想いを、貴方の願いを……何より、貴方の誇りを蔑ろにしていたのかも知れません。エリカさんの仰る通り、何でもかんでも自分で出来る気になっていたのかも知れません。ですが……」
これだけは、覚えていて下さい、と。
「……決して、貴方の事を『頼り無い』と、『足手まとい』だと、そう思った事は神に誓って一度もありません」
「……ホント?」
「ええ」
「じゃあ……なんで、私には何にも教えてくれないのよ!」
そういう私に、コータが渋面を作って視線をこちらに向ける。何よ?
「別段、秘密にしていたり、頼りがいが無いと思っていた訳ではなくてですね……その……申し訳ありません。私はどうも『人に頼る』というのが苦手な様でして」
「……はい?」
「なんと言えば良いのか……例えば、『これをお願いします』って私が言うと、エリカさんにもしてもエミリさんにしてもお手伝いをして下さるでしょう? そうすると、お二人の本来のお仕事の邪魔になるかと思ってですね」
「……」
「……その冷たい視線、止めて貰えません? 自分でも悪い癖だと思ってるんですよ? あちらの世界の同僚にも良く言われていました。『浩太は何でもかんでも自分で抱え込みすぎ。少しは人に仕事振れば良いのに』と。そう言われても、どうも人に自分の仕事を手伝って貰うのは気が引けるんですよ」
「……ばか。貴方の仕事じゃ無いわよ、これは。『私の仕事』よ? だから、『私が手伝う』訳ではないの! 私が『する』のよ」
「……申し開きもありません」
そう言って、頭を下げるコータに溜息一つついて見せ。
「……じゃあ……何かしら? 纏めると、貴方は別に私達が頼り無いと思っていた訳ではなく、純粋に人に自分の仕事を手伝って貰うのが苦手だった、と。だから何でもかんでも自分で背負って、自分で回して、自分で責任を取っていた、と……そう言う事かしら?」
「……概ね、そうです」
「……」
「……」
「……ナルシストね、貴方」
「そう言う訳ではありませんが……」
「そうでしょ? 結局、『誰の助けが無くても自分一人で何でも出来る』って、自分の能力に自信があるから出来るんでしょ?」
「……」
「……まあ実際、貴方一人で何でもかんでも回して来た訳だからあながち間違いでは無いのでしょうけど……」
……でも。
「……私は、イヤよ」
……それでも。
「……貴方一人を矢面に立たして、後ろで安穏としているなんてそんなの御免よ」
「……」
「私は『お姫様』じゃないの。ロンド・デ・テラ公爵、『エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイム』なのよ。ここは私の領地で、私はその領主なの。分かった? 貴方一人で何でもかんでもするのはもう辞めて。お願いだから……一生懸命、頑張るから……少しだけでも良いから、私を頼って」
「善処します」
「善処じゃなくて、約束よ」
「……はい」
苦笑して。
「……そうですね。すいませんでした、エリカさん。貴方の仰る通り、これからはまず貴方にご相談させて頂きます」
それでもこちらに何時もの優しい笑顔で。
「……一緒に、この『テラ』を良くして行きましょう。私だけではなく、エリカさんだけではなく、二人で、皆で……テラを、良くして行きましょう」
そう言ってくれる、コータに。
「……え、エリカさん! な、何で? 何で泣くんですか!」
「な、泣いてなんか無いわよ!」
心の底から、溢れる歓喜。
未だ、この人に認められてはいない。
未だ、この人の隣には立てていない。
今はまだ……この人の背中は見えず、影すら踏めず、遠く前を歩くこの人に守って貰うだけの『弱い』お姫様だけど。
「え、エリカさん? そ、その!」
「う、うるさいうるさい!」
この人は……コータは『一緒に』と言ってくれた。
「な、泣かないで下さい! そ、その……私、何か変な事言いましたか?」
「い、言って無いわよ、ばか!」
それが。
……その事が、堪らなく嬉しくて。
「そ、その……え、えっと……」
……待っていてね、コータ。
「泣いて無いって言ってるでしょ!」
「ど、何処がですか! 思いっきり涙が零れてますけど!」
何時か、必ず貴方のその背中を追い越して。
「き、気付かないふりをするのが優しさよ!」
「いや、その泣き顔で気付いて無かったら流石に眼科に行けと言われるレベル何ですが!」
ソルバニア王にも……ううん、オルケナ中の、世界中の誰にも貴方の理想を、貴方の夢を、貴方の想いを踏み躙られない程強くなって、貴方を『守って』上げられる……そんな立派な領主になるから。
「……ばか!」
「な、何がですか!」
……だから、今日だけ。
……だから、今だけ。
「な、泣き顔を見て困るのなら! 泣き顔を見なければ良いでしょう!」
「え? そっぽを向けと?」
「あ、貴方、ホントにバカじゃないの? 何で泣いてる女の子を眼の前にしてそっぽを向くのよ!」
「……どうしろというのですか」
「だ、だから……もう!」
今日だけ、今だけは……
「え、えい!」
「ちょ、え? え、エリカさん?」
貴方の。
このテラを、『私』を此処まで導いて、守ってくれた『騎士』の腕の中で甘える、ただの『お姫様』で……いさせて?
「……女の子が泣いてるのよ? 胸の一つぐらい貸すのが……礼儀でしょ?」
「……そういうモノですか?」
「……そうよ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……えっと」
「……なに?」
「ここで背中に手を回したら、流石に不味いですか?」
「……ばか」
「……ですよね」
……そうじゃないわよ。
「……そういう事を聞くのが、バカ。黙って……強く、抱きしめて」
その私の言葉と、同時。
「……あ」
ぎゅっ、と。
壊れてしまうんじゃないかと思う程力強く、コータの腕が私を抱きしめてくれる。コータの香りが鼻腔一杯に広がり、とくん、と一つ、心が大きく高鳴った。
「……すいません、慣れていないもので」
「……何処がよ」
口で、鼻で、胸で。
全身でコータの香りを吸い込み、お返しに自身の香りをコータに擦り付けるように、コータの胸に顔を埋める。
『これは私のモノだ』と主張するように……強く、きつく。
「……小さいですね、エリカさんは」
……。
………。
…………なんだと?
「……まさか、胸の話じゃないでしょうね? なに? 喧嘩を売られているのなら、高値で買って差し上げるわよ?」
「そうじゃないですよ」
不満も露わに顔を上げてそういう私に、苦笑を一つ。そっと抱きしめていた右手を抜き、私の頭を撫でる。
「こんなに小さな体で、テラの領地を守っていたんですね」
「……どういう意味よ?」
「私がエリカさんの年の頃は何をやっていたかな、と思いまして」
「……なに、してたの?」
「うーん……勉強ばっかりしてた気がしますね。大学生なのに」
「……大学は勉強をしに行く所じゃないの?」
「本来はそうなんですが……まあ、人によっては人生の夏休みとも言いますし。もう少し遊んでおけば良かったとも思いますね」
「そんなものかしら?」
「そんなものですよ」
「……」
「……」
「……ねえ」
「何ですか?」
「……その……貴方、こういう事、結構慣れてる?」
「……何故、そう思うのですか?」
「最初はちょっと痛かったんだけど……こう、今は凄くいい力加減で抱きしめてくれてるし……頭を撫でる手も、その……」
と、いうか……こう、髪を梳く様に指を通すの、や、やめてくれる?
「嫌でしたか?」
「い、イヤとかではなくて! そ、その、頭がぽーっとなる――って、何言わせるのよ!」
「エリカさんが自分で言ったんですが?」
「……その余裕な態度、そこはかとなく腹が立つわね」
珍しい、のだろうか。
「……私の方がエリカさんより五つ程年上ですからね」
何時になく。
何だか、ちょっとだけ意地の悪い……それでも優しい、コータの笑顔。
「……関係あるの?」
「多少は格好もつけたいモノなんですよ、『年上の男の子』は」
それとも……これが、コータの『本当の姿』なのだろうか。
「……ふん、だ。どうせ私には経験がありませんよーだ」
「良いじゃないですか。貴方はまだ若いのですから」
「……何よ、偉そうに。この若年寄」
「酷くないですか、それ?」
……ああ。もう駄目だ、私。
「酷くないわよ」
「私、まだ二十六歳ですよ? 流石に年寄扱いはちょっと……」
だって、ホラ。
「これから貴方の渾名は『若年寄』ね」
「勘弁して下さいよ」
こんな下らない、『普通の』会話の一つ、一つですら。
「それがイヤならもっと頑張りなさいよ」
「……何を?」
「そ、その……い、色々! 色々よ!」
「なんてアバウトな……」
……堪らなく、愛しい。
「……ねえ」
「はい?」
「……強く、なるわ」
「……」
「貴方に負けない程、貴方に頼られる程、貴方に……必要とされる人間に、私はなってみせる」
貴方が気負わなくても。
貴方が、全てを背負わなくても。
今日の様に、ただ『下らない』会話を貴方がしてくれるほど……貴方に認められる様に。
「待っていて、とは言わない。貴方が進む速度を、無理に私に合わせて欲しい、とも言わない。貴方は貴方の思う様に、ただ進んでくれれば良い。そんな貴方の背中を追い、何時か追い越して……貴方を、私が守って見せるから」
何時の日か、必ず。
貴方が、このテラに来た事を心から『良かった』と、そう思える様に。
「……守られっぱなし、というのは私の性分ではありませんが?」
「あら? 誰が『守ってくれなくても良い』なんて言ったかしら?」
私が貴方を守るから。
「勿論、守られっぱなしは私の矜持にかけてイヤよ。でも……」
何時も、では無くても良い。
「もし、私が戦う事に疲れて、支えて欲しくなったら」
その時は……貴方に、私は『守って』貰いたい。
「……何よ、その顔」
「いいえ。何と言いますか……エリカさん『らしい』と思いまして」
「……褒めてるの?」
「褒めてますよ、勿論」
……そんな良い笑顔で笑わないでよ。
「……ばか。もっと見たくなるでしょ、その顔」
「え?」
「何でも無いわよ。いいから、貴方はさっさっと頭を撫でなさい」
「……はいはい、我儘お姫様」
「あら? 何か聞こえた気がしたけど?」
「空耳じゃないですかね?」
そう言いながら、先程同様に私の頭を優しく撫でてくれるコータのその胸に。
「……見てなさいよ。何時か、私から離れられなくしてやるんだから」
「何か言いました?」
「空耳でしょ、若年寄」
「だから、ソレは辞めて下さい」
何時の日か……コータに本当に頼られ、信頼される、そんな人間になってやる、と。
そう思いながら、『お姫様』な今日の私はコータの胸に先ほどよりも深く、顔を埋めた。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。