小諸、子育て、小林じゅうたろう。どうなっているんだ!

小諸市議会議員の小林じゅうたろうです。 シングルファーザー歴も、もう10年以上。
だから、議員として、子育て教育問題に執念を燃やしています!
ところが……病院移転で大揺れの小諸市政、ドタバタの議会、そして大苦戦の子育て。
あ~あ、すっかり白髪が増えました。


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9月28日の投稿「闘いは孤独。学校でのいじめ。そして市議会」と重複するところがあります。

長女が小学校4、5、6年で"いじめ"にあった時、私は、PTAの役員をしていた。6年の時は、会長だった。地元の育成会長もしていた。

だから、先生も保護者も地域の人たちも、
知り合いはいっぱいいた。

しかし、"いじめ"にあっている子どもの父親としては、まるで異次元の世界にいるかのように「孤独」を感じた。

みんな、心配はしてくれた。見守ってくれた。

ただ、体を張って、共に闘ってくれる人は、誰もいない。

「闘いは孤独」

小諸市議会のことに移ります。

6月以降、議員定数の大幅削減、本当の議会の成立のための言論活動をやって来た。

この闘いも、"孤独"でかまわない。

小諸市議会(あるいは一部の議員さん)から、私の言論活動に"待った"がかかっている。

しかし、私は、立場も可能性も捨てた。
(チラシ第4弾で"予言"した通り)

だから、怖いものは、ない。

例え、小諸市議会が、私の一連の言論や行動(抗議のサボタージュを含む)に対して、問責決議や辞職勧告決議をしてきても、なんでもない。

そんなことは、騒ぐほどのことではない。

むしろ、市民の皆さんのために闘った勲章だ。

解釈の違いあるいは感情的な問題はあるかもしれないが、
私は、法律やルールを犯しているとは、考えていない。(辛辣な表現はある。しかし、批判を許さない議会などありえない。)

なお、私は、議会を"軽視"しているのではない。

二元代表制、地域民主主義、市民の代表……
議会の機能を"重視"しているからこそ、現実の議員を"批判"しているのだ。

ここを間違ってはいけない!

市民意向調査『議会は機能を十分発揮していない』81%。

この驚異的な結果を、議会は真摯に受け止める姿勢をもつべきだ。

言論の自由を掲げる私と、議会ルールなどを言う議会(あるいは一部の議員さん)との間に、感覚の違いがある。

私は、自分を捨てて、市民の皆さんのための言論活動を続ける。

議員の言論活動(チラシ、とくにブログ)が
公式な議会(委員会、全員協議会)の場でとりあげられたことについて、私は、
憤り、怒りを感じる。許せない。

非公式な場ならば、内容への批判はもちろん、悪口だってかまわない。

しかし、今回の事件は、公式な場における議員活動と言論活動への介入、ブログについては、人格と人権の侵害、と「私は」
とらえている。(必ずしも法律的な遡求までは問わない。)

議会(あるいは一部の議員さん)の解釈は、違うようだ。

だから、『審判』は、市民の皆さんに任せればいい。

私は、こ の事実や個々の議員さんの発言を市民の皆さんにお伝えして、その是非を問う。(議事録は、当然公開できる。市民の皆さんは、自分たちの選んだ議員さんの発言を知る権利がある。)

(もちろん、すべて法律の範囲内でだ。)

一方、議会(あるいは一部の議員さん)は、問責決議や辞職勧告決議をして、「小林重太郎議員のやっていることは、よくない。」と、
市民の皆さんにアピールすればいい。

お互い、「市民の皆さんに向けて」、
情報発信、主張、言論合戦をすればいい。

密室の"いじめ"ではなくて、白昼堂々の
ケンカをすればいいのだ。

そして、『審判』をくだすのは、市民の皆さんだ。(次期市議選)

もちろん私も、その一人として、「徹底応援」と「半沢直樹」(ただし、もちろん選挙ルール内)を明確にした行動をするつもりだ。

『市民運動』として、議会の情報を発信。
再来年1月に、"真に市民の皆さんのために機能を発揮しうる議会"を成立させることを目指すこともいいかもしれない。

私には、ワクのある議員より、"市民"としての闘いの方が、合っているのかもしれない。

私には、怖いものはない。

「議員辞職願」は、すでに書いてある。
日付は未記入。

明日、使うか、再来年1月の任期満了まで使わずに終わるか、まったくわからない。

私は、「自分の立場」より、小諸の子どもたちの未来が大切だ!











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