この調査、興味深いですね。

「年上」というだけで敬意を払う? 若者の答えは概ね「イエス」 | ニコニコニュース


「年上である」という理由で年上の人に対して敬意を払うべきだと思う?

「『年上である』という理由で年上の人に対して敬意を払うべきだと思う」という質問を内定学生にしたところ、「強くそう思う」が19.1%、「そこそこそう思う」が65.1%となったそうな(フレッシャーズ調べ、内定学生378名)。就活終えた学生の8割以上が、「年上であること」を誰かに対して経緯を払う理由にしている、というわけです。

で、ぼくは「全くそう思わない」。リサーチでいえば、3.4%に当てはまるマイノリティです。なぜか。

年長者だからという理由で誰かを尊敬することは、何より自分に対して、将来的な「甘え」を生み出します。

「私は年長者を尊敬する」という人は、高い確率で「だから、私が年老いたとき、若者たちは私を敬うべきだ」と考えるのです。その行動規範を他人に押しつけなければいいのですが、現実社会を見ると、概ね押しつける方向に傾いているように見えます。まぁ、なんでもそうですね。自分の正しさを人に無意識的に押しつけるのが人間です。

あなたが年長者を、「年長者だから」という理由で尊敬しているとしたら、あなたが年長者になったとき、「私を尊敬しろ!」という圧力を下の世代に押しつける可能性があります。尊敬するのはいいですが、そういう傲慢に陥らないよう、8割の人には注意してもらいたいところです。


おっさんが甘える

さらにいえば、若者がそういう盲目な尊敬を与えてしまうと、年長者があぐらをかきます。「私は年長者だから、尊敬されてしかるべきだ」と考えている人は、自分の能力不足を顧みることも減り、尊敬されなかったときに逆切れすることになります。

いますよね、「オレの親切なアドバイスを無視しやがって!」みたいなおっさん。少なくともぼくの周辺には大量の生息しております。会社では表面的な尊敬を受けているかもしれませんが、残念ながら、ぼくは年長者だからといって尊敬することはありません。

尊敬というのは、ただ年を重ねるだけで得られるものではありません。人格を成長させていくためには、「年を取れば尊敬されるようになる」なんてあぐらをかいてはいけません。尊敬を勝ち得たければ、尊敬される人間になるよう努力をする必要があります。

儒教的な教えには反していますが、若者が「年長者だから」年長者を尊敬するということは、かえって社会に悪影響を与えると思うのです。そういう若者は年老いたとき、若い世代に無条件の尊敬を求めますし、またそういう若者が増えれば、何の努力もせず「私は尊敬されうる存在なんだ」と甘える年長者も出てきます。


みなさんは年長者を「年長者だから」無条件に尊敬しますか?それとも、そこには条件が付くと考えますか?儒教的な教えの意味は何だと思いますか?ぜひお考えをお聞かせください。