[戻る]2013年11月18日(月)  [ホーム]
▼伊勢エビが値上がりしている。市場卸値が一週間で三割高。BSE(いわゆる狂牛病)問題当時の松阪肉を思わせる。生産地厳格化の動きが出たが、今回も「ロブスターを伊勢エビと称して売っていた業者が慌てて本物の仕入れに動きだした」と市場関係者。歴史は繰り返す

▼鳥羽の老舗旅館「戸田家」で四、五年前、会席料理コースを食べたことがある。近海で取れた食材ばかりの触れ込みだったが、近くの海産物店で買った伊勢エビに比べ小ぶり。味もいまいちだった。「一部の加熱調理メニューにつきましては、外国産の伊勢海老を使用しております」という、戸田家の説明と関係があるのかどうか

▼「外国産ではございますが、イセエビ科の伊勢海老。メニュー表記との間に齟齬(そご)はございません」とも。問題企業にはつきものの釈明ではある

▼鈴木英敬知事の先の記者会見―。ブラックタイガーもバナメイエビも「あれみんなクルマエビ科ですから、妻が買ってきて食べましたけど、しっかりとした味なのです。不適切表示が悪いということで、そこは誤解が広がらないように」。「県の食に対する信頼を損なう行為で遺憾」という発覚当初のコメントと、こちらは温度差があるが、戸田家の釈明には近づいた気もする

▼コメの産地偽装事件も、ミスを含めそう珍しいことではない。五年前に大阪の精米製造・卸売業者が猶予刑を受けている。社長が女性なのはたまたまだろうが「ここらへん全部やってますよ」と会見で言い放って話題になった。巧妙で、DNA鑑定の必要もうたわれたが今、また話題になっている。

  [戻る]2013年11月17日(日)  [ホーム]
▼県教育功労者に選ばれた元県教育長の宮本長和氏が、民間勤務を経て引退を決意した話は以前書いた。入院した病室で清掃の女性から「おじいちゃん、どこがお悪いの」と聞かれたからだ

▼「家で孫らにそう呼ばれることはあるが、外ではなかった。しかも年上のような女性に」とショックぶりを語った

▼歌舞伎界は孫でも「おじいさん」「おばあさん」とは呼ばせないが、高井有一著『夜の蟻』に若い看護婦が老人の患者に「おじいちゃん」と話し掛ける場面があり、甥(おい)の主人公が注意する。「名前を呼びなさい。お爺ちゃんなんて侮辱だよ。それくらい解らないのかね」。看護婦はけげんな顔をするばかり

▼女性はどうか。店員が同行の知人を「おばあちゃん」と呼ぶのにヒヤッとしたというのは小説家の岩橋邦枝さん

▼アカの他人に「おばあちゃん」はない、外国では、どこへ行っても「マダム」。岩橋さんは「奥様」と呼ぶようにしているが、電車で老婦人に席を譲ろうと呼び掛けても反応がない。隣の人が助け船を出して「ほら、おばあちゃん」。すぐ通じた

▼女性の方が、男性より不快な思いをせずに暮らしている人が多いのだろうが、理由をたどると「女は三界に家なし」の伝統文化に行き着く。世界経済フォーラム(WEF)の男女格差報告で日本は対象百三十六国中百五位。伝統いまだ健在なりだが、犯罪白書は二十年間で女性が倍増。高齢者の八割は万引という

▼社会のひずみが一番弱いところへ出ているか、それとも欲界への女性進出の表れか。どちらなのでしょう、女性重視政策提唱の安倍首相殿。

  [戻る]2013年11月16日(土)  [ホーム]
▼本年度の県教育功労者に、六十一歳と六十歳の元県立桑名工業高教諭、学校歯科医に並んで、七十九歳の元県教育長の宮本長和氏が選ばれた

▼四十人学級実現、総合学科設置、県営鈴鹿スポーツガーデンや県営サンアリーナ、県総合文化センター整備など、輝く業績の教育者として「尻がこそばいぜ」などと品のないことはまさか言わなかったろうが

▼言ったのは、県初の定年除外対象者として一年ごと計二回、定年延長になった六十二歳の時だ。県重要政策会議(部局長会議)が後輩ばかり。何となく居心地が悪くなっていた

▼もともと人事畑が長く、昭和六十年の行革大綱策定の実質総責任者。痛みを伴う改革を指揮したことで定年前に辞める決意だったが、余人をもって代えがたく、定年延長して教育長を務めたのは本意だったかどうか

▼先の輝く業績はまあ業績として、宮本氏の真骨頂は県教職員組合(三教組)が既得権を持っていた教員人事を県教委に取り戻したこと。職員会議で教頭を推薦したり、その高校の教頭からの校長昇格などの慣行を廃止。広域人事を促進した。三教組との間で円満に進めたのが長年の人脈形成の成果で、余人をもって代えがたしのゆえんだ

▼自身の抜てき人事を嫌い、同期を前に押し出した。平成十八年の叙勲も、カラ出張で傷ついた同僚を気遣って辞退し続けたが、その汚名がそそがれたこと、後輩が受章しにくいなどの説得に押し切られている

▼教育長経験者の教育功労者表彰も、ここ何年か出ていなかったのではないか。遅過ぎる表彰に、宮本さんの苦笑が目に浮かぶ気がする。

  [戻る]2013年11月15日(金)  [ホーム]
▼この人が言うと、隠れた実態が浮き彫りになる感がある。「首相が原発をゼロにすると毅然(きぜん)と言えば(自民党は)反対できない」という小泉純一郎元首相だ。就任前は「変人」、就任後は強大な「抵抗勢力」を抱え、退任前は続投支持が圧倒的。権力というものと、それに群がる周辺の腹の底を見透かしているに違いない

▼「原発ゼロの方針を出せば必ず知恵のある人がいい方針を出す。専門家の知恵を借り、その結論を尊重して進めるべきだ」の発言も、さすが「人生いろいろ」と国会答弁した人という気がする

▼自身、経済学者の竹中平蔵氏を使ったが、安倍政権でも、六十人の有識者・専門家が消費税増税の可否を六日間論じた「集中点検会合」はじめ産業協力会議や教育再生実行会議など、やたら多用する「有識者会議」が、首相の考えに少しでも待ったをかけるのを見たことがない。多少の異論が出ても、首相の意向に沿ったより強力な新見解が出て、たちまち覆いつぶしてしまう

▼人選に露骨に安倍カラーは聞かないが、それでもこうなるのは有識者・専門家の生態、本質をよく表している。小泉元首相の原発ゼロ宣言で一番戸惑っているのは安倍首相ではないか

▼小泉元首相はいわば師匠筋=B特に国際関係では「日米基軸、国際協調」の小泉路線を追っている気がする。米国が求める規制緩和には国家戦略特区で応え、軍事的協力の拡大には積極的平和主義を唱えた。国家安全保障会議の設立、特定秘密保護法成立を目指すのもその流れだろう

▼「変人」の真骨頂を、改めてかみしめているかもしれない。

  [戻る]2013年11月14日(木)  [ホーム]
▼「合議は乗り降り自由」という裁判官の原則を教えられたのは、裁判員制度開始前に開いた啓発シンポジウムの打ち合わせの場だった。「自分がある意見を述べても、別の意見が正しいと思えばそちらへ乗り換えていいということです」と、津地裁判事が言った

▼綸言(りんげん)汗のごとし、などと思ったことはないが、ころころ変わる政策を「猫の目行政」などと批判してきた。一度言ってしまうと体裁や体面にこだわってなかなか素直に修正ができないさがの持ち主には新鮮で、素人である裁判員が合議に臨む緊張感をほぐすのにも最適と敬服したが、判決にまでその精神が発揮されては無責任、混乱に拍車をかける

▼国営諫早湾干拓事業の潮受け堤防排水門開門差し止めの仮処分申請を、長崎地裁が認めたことだ。開門を命じた福岡高裁の確定判決と真っ向から対立する。片や漁業者が、片や農業者がそれぞれ国を相手にした異なる要求の司法手続きで、どちらも要求通りの判断を下してしまった。「乗り降り自由」ではないが、敬服したのもどこへやら、たちまち気楽な稼業という気がしてくる

▼「裁判官は弁明せず」とも言うが、何と仮処分は弁明をしている。高裁判決の根拠である漁業被害を国は主張しなかったので考慮できなかった、というのだ。欠陥判断を自ら認めているとも言えなくはない

▼背景にその都度変わった国の方針があるが、国、司法とも「乗り降り自由」では、国民はたまったものではない。先に愛知県知事が唐突に長良川河口堰開門を公約に掲げた。ご都合主義で過去の主張をひっくり返す体質は同じだ。

  [戻る]2013年11月13日(水)  [ホーム]
▼お騒がせ続きの津市の建設事業に、また新たな話題が加わった。参加者辞退で一度入札中止になった「市産業・スポーツセンター」の建設工事が、内容を改めて再公告した結果、またも参加者が辞退して中止になった。二度の不調は全国的にも珍しいのではないか

▼市の不手際を指摘する声が上がるのは当然。市は前回「予定価格は適正。(辞退)理由は分からない」としていたが、東日本大震災の復興需要などで資材単価や人件費が高騰し、価格で折り合いがつかなかったのは半ば公然。市も、だから工事量を減らし、共同企業体(JV)の構成数を緩和するなどして再公告に臨んだとばかり思っていたが、どうもそうではなかった

▼「次の発注に向けて今回の結果や全国の事例を分析する」と市調達契約課。二度失敗して、初めて世間の動向、常識を学ぶ気になったということらしい

▼津市は新斎場建設で、落札企業グループの中核業者が国際協力機構(JICA)などから、別の一社が県から、それぞれ指名停止処分を受けていたが、市の失格要件ではないとして契約した。給食センター建設では、入札参加業者十一社のうち九社が失格・辞退。失格業者と僅差の最低価格ぎりぎりの落札を受け入れた。昭和三十九年の県の本庁舎建設で、似た状況に県議会は契約を拒否した

▼美杉の最終処分場建設でも建て屋設備で特定業者を指定したなどと、相変わらず業界に憶測のタネをまき散らしているが、これらを市の有力幹部らの深い意図≠ネどに結び付けるのは誤りかもしれない。井の中の蛙。単に無知のなせる業かも。

  [戻る]2013年11月12日(火)  [ホーム]
▼名古屋国税局から個人事務所の申告漏れを指摘されて約一年。タレントの板東英二さんが時期外れの会見をして謝罪したと思ったら「許されるなら仕事をするチャンスを」。涙を拭いていたが、田舎芝居を見せられた気がする

▼釈明も、無知だったというだけで、具体的には経費として「カツラは落ちたが、植毛は落ちなかった」。これまで説明を拒んできたことについては気持ちや会社の未整理を上げるとともに「野球人としてシーズンが終わるまで待とうとも思った」。笑えぬこともない

▼平成元年に国税庁の確定申告PR用ポスターに起用されて以来、確定申告の顔として啓発活動を続け、感謝状まで受けたが「恥じ入るばかり」。国民年金のCMをしながら本人は未加入だった女優の江角マキコさんを思い出す。国税庁も社会保険庁(当時)も、自分たちの顔≠ニして国民への呼び掛けを託しながら、人選はイメージ程度で、その人がふさわしいかどうか調査などしないらしい

▼NTTの前身電電公社がCMを始めたころのこと。独占企業なのになぜ、という疑問に、職員の子どもらがCMに出ない企業はあまり立派な企業ではないと、肩身の狭い思いをしているから、という理由が挙げられていた。見識ある俳優が商品の宣伝に一役買うのを敬遠していたころから一変、その数を競い、ペニーオークションの詐欺商法などに多くのタレントが協力する時代

▼放射能廃棄物の地層処分のPRに人気俳優、著名人らが理解を示し、福島原発事故で消えたのは記憶に新しい。税金を使って国民を裏切ることはほどほどに。