報告書の概要
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はじめに |
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1944(昭和19)年12月7日午後1時に発生した東南海地震は、海洋プレートの沈み込みに伴い発生したマグニチュード7.9の地震で、授業・勤務時間帯に重なったこともあり、学校や軍需工場等を中心に死者1,223人の被害が発生した。その37日後、1945(昭和20)年1月13日午前3時に内陸直下型の三河地震が発生し、死者は2,306人に達した。 |
第1章 東南海地震の災害の概要 |
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1944年東南海地震は、歴史上繰り返し発生してきた駿河トラフと南海トラフ沿いを震源域とする地震であり、震度6弱相当以上となった範囲は、三重県から静岡県の御前崎までの沿岸域の一部にまで及び、津波は伊豆半島から紀伊半島までを襲った |
第2章 東南海地震の被害と救済 |
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三重県においては、熊野灘沿岸の津波被害、愛知県においては、埋立地である軍需工場が集中する地区での被害、静岡県においては、軟弱な泥質からなる沖積平野地区において住家被害が見られるなど、被害の様相はさまざまであった。 |
第3章 東南海地震のインパクト |
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東南海地震は、宝永地震や安政東海地震の震源域と比べると、地震空白域があることが指摘され、割れ残し部分(想定東海地震域)について地震予知を前提とした対策が進むこととなった。当地震の震源の広がりについては、想定東海地震に備えるために今後とも検討を要する課題である。 |
第4章 三河地震の災害の概要 |
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三河地震は、プレート内活断層から発生した地震の典型例で、明瞭な地表地震断層の出現、多数の前震等が確認されており、岡崎平野南部や三ヶ根山地周辺に最大震度7の局地的な大被害をもたらしたが、東南海地震と同様、「隠された地震」であった。 |
第5章 三河地震の被害と救済 |
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戦時下であったため、行政による援助物資は数量的にも乏しく、被災後の生活を支えるには不十分であったこともうかがえる。軍用物資の輸送路の確保が急がれたため、復旧を支える緊急輸送路の確保は早く、軍による倒壊家屋の処理等も実施された。被災状況を撮影した写真が残されており、立て続けに起こった地震による被害を知ることができる。 |
第6章 戦時下での地震 |
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東南海地震及び三河地震による被害は甚大で、軍需生産力にも大きく影響したため、地震に関する資料は極秘とされ、戦時報道管制の下、被害に関する報道は厳しく規制された。地元紙においては、物資配給・住宅対策といった被災者の生活支援に関する記事についてできうる範囲での報道が行われた。 |
おわりに |
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・東南海地震での諏訪の被害等のように、震源から遠方であっても軟らかい堆積物が厚く積もる地域では、大きな揺れに見舞われることを物語っており、長周期地震動による高層建築物などの被害と共通の課題である。 ・三河地震による地表地震断層は、ほぼ原状のまま残っている地点が残されており、地形・地質・測地・地震学的データを検証できる数少ない実例のひとつであるので、研究対象としてだけでなく、大地震発生を示す貴重な題材として今後、活用が期待される。 |
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報告書(PDF)
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表 紙 |
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口 絵 |
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目 次 |
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巻 頭 言 |
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第1章 東南海地震の災害の概要 |
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第2章 東南海地震の被害と救済 |
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第3章 東南海地震のインパクト |
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第4章 三河地震の災害と概要 |
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第5章 三河地震の被害と救済 |
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第6章 戦時下での地震 |
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資料編 |
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災害概略シート |
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謝辞 |
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奥付 |
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