2008年02月28日

●<雪山(2)>

 
 ( ↑ こちらもクリックすると大きくなります ↑ )

 夕闇迫ったダンジ(ヂ)ィを眺める。
 ビルマでこんな雪山を拝めるとは。
 苦労した甲斐(笑)もあったもんだ、いたもんだ。
 

2008年02月27日

●<雪山(1)>

 
 ( ↑ クリックすると大きくなります)

 ラングーン(ヤンゴン)から遙か北へ1100キロメートル。
 雪を頂いたダンディジ(ヂ)ィが垣間見える。

 ジ(ヂ)ィとはラワン語で「山」という意味である。

2008年02月24日

●<タンシュエ議長>

 ここ最近の『毎日新聞』・『読売新聞』・『日経新聞』・『朝日新聞』の
 社説を(ウエブで)読んでいると、『朝日新聞』だけがビルマの
 ことを取り上げていた。

 「ミャンマー―民主化の空約束は通じぬ」(2月24日付)
 というタイトルだった。

 もちろん、取り上げないよりは取り上げた方が良い。
 
 でも、相変わらず「軍政 VS スーチー氏」という図式を描いている。
 やはり軍事政権のトップである「タンシュエ評議会議長」という具体的な
 名前を出した方が説得力のある内容になったのに、ちょいと残念だ。
 
 どう思います?(>さん?)

2008年02月23日

●<一服如何?(3)>

 
 タバコを挟む指が決まっているね。

 それに唇と鼻腔からはき出す煙の割合が、これまた芸術的(?)
 なのである。
 唸ってしまった。

 煙草の似合うオトナって少なくなってきているよね。
 (<・・・って、今の風潮では不人気だけど)

2008年02月22日

●<一服如何?(2)>

 このおばあさんはタバコではなくパイプを吸っている。
 その方が「サマ」になるのだ。
 

 こういうショットは「デジカメ」では深みが出ないのである。
 だからフィルム撮影なのだ。
 (とてもとてもサトルな違いだけど、ね)

2008年02月21日

●<一服如何?(1)>

 地方に行くと、女性も紫煙をくゆらせている光景によく出くわす。

 市場で売っているビルマタバコじゃなく、もうちょいちぃーと健康的(?)
 な煙草なのである。
 
 

2008年02月20日

●<街角の給油所>

 
 燃料費が高騰の折ですが、ガソリンはここビルマでも必需品ですね。
 タイ精製とビルマ精製では50K(だったと思う)の値段の差があります
 (透明色とワインレッド色)

 2007年7月時点で、1本(1L)=850Kです(約85円)
 日本より安いですね。
 

2008年02月17日

●<暗殺の眞相への推測(1)>

 2月14日に発生した、カレン民族同盟(KNU)の書記長パドォー・マンシャ氏暗殺への問い合わせが複数ある(3つほどだけど)

 で、自分なりにメモ書きで考えてみる。

 --------------------------------------------------
 14日のマンシャ書記長の暗殺も、簡単にSPDCやDKBAだとは
 言い切れない裏があるようだ。
 
 それはこの数年のメソット(ビルマとタイの国境の様子を感じれば、
 自ずと分かる)という町の雰囲気も変わり始めていることからも推測
 できる(カレン→ビルマ)
 
 今回のマンシャの暗殺は、2003年12月のボーミャ元議長による
 SPDCとの和平交渉を端に発すると思える(というか、延長)

 
 その頃から、KNU内部では、いわゆる抗戦派と和平推進派の間で、
 「静かに」綱引きが始まっていた(マンシャを最右翼とするとティンマウン
は最左翼かな)


 その綱引きに、外国のNGOの影響力(財政的な支援と国際世論)
 が加わった(外国はタイを含めた欧米)


 2007年1月に第7旅団の旅団長ティンマウン(将軍)による、
 (これまた当然の)単独和平交渉開始は、ボーミヤ以後のKNUに
 衝撃を加えた。

 ティンマウンの甥ラムーが襲われたのも(時間差はあるが)この頃である。

 KNUは元々、SPDCに対する抵抗組織という性格からKNUの
 軍事組織KNLA(カレン民族解放軍)が一番影響力をもっていた。

 だが、ボーミヤ元議長が引退する頃から、KNU内部では政治部へと
 その力のバランスがシフトし始めていた。


 2008年1月31日のKNUの「革命記念日」も異様であった。
 「革命記念日」は完全に、政治部の影響下でセレモニーが進められて
 いた。

 しかもその政治部の中でも、SPDCに対して○○を主張するグループが
 主導権を握っていた。その○○グループに対するもう一報のグループは誰一人
 として式典に公に参加していなかった。

 これは驚くべきことであった。実態としてKNUは完全に分裂している
 ではないか・・・(これに関して、そうではないと言う理由をあげることはできるが、それは完全に後付の理由でしかない)

 そう、この式典の前の月には、ラムー氏もまた殺されていたのだ。

 もともとメソットで殺人事件が起こる場合には、 メソットという町の
 成り立ちを考えるとそれは政治的な理由よりも経済的な利権争いが発端に
 なることが多い(と思う)
 
 ラムー氏の事件もその一部だと考えられる。

 
 私の個人的な印象では、メソットは従来、「タイとKNU」の支配力が強かった。
 だが、この十年ほど、KNUの力が弱くなるにつれ、相対的にタイ(の商工業者)
 の力が強くなり、ビルマ人活動家の流入も増え、「タイとビルマ人」の町へと
 変貌しつつある。

 簡単に結論を出すのは早急だが、今回のマンシャ氏の暗殺は、簡単にSPDCと
 DKBAの策略、KNUの内部分裂といったものより(もちろんそれらを加えて)、
 タイ側の動きをも含めた別の要因があるように思える。
 --------------------------------------------------
 が、それらはちょいと複雑で話す方もちょいつらいね。
 さて??

2008年02月14日

●<暗殺>

 カレン民族同盟(KNU)のマンシャ書記長が殺された。
 確かにマンシャ氏の家の出入りは自由だった。

 というか、KNU幹部の家の警備は全般的に、驚くほど手薄だった。
 反武装抵抗組織のだというのに。

 つい2週間前もマンシャの家に押しかけたのが嘘のよう。
 う~ん、KNU周辺に今後、今までのおおらかさがなくなって
 いくのだろうか。

 最近、メソットも物騒になってきたし。
 SPDC・KNU・DKBA・タイの商人、それぞれの思惑が弾けて
 ちょいと荒れるのだろうか?
 ふむ。

 冥福をお祈りする。

 
 第59回目のカレン革命記念日にて演説するパドー・マンシャ氏。
 (2008年1月31日撮影)

2008年02月10日

●<大阪アクション2・10>

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ビルマに平和と民主化を!大阪アクション2・10
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○日時:2月10日(日) 午後12時~2時

○内容:ビルマ民主化連盟日本支部名古屋のビルマ人が中心となり、
    大阪でビルマの民主化支援を呼びかけます。

○集合場所:大阪駅前、阪神デパート側交差点

○連絡先:BRCJ

●<国民投票・総選挙?>

先ほど(10日午前3時過ぎ)ネットでニュースを徘徊してたら、
うわ、びっくり。

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2010年に総選挙=5月に新憲法案の国民投票-ミャンマー軍政
2月10日1時0分配信 時事通信
【バンコク9日時事】ミャンマー軍事政権は9日夜、5月に新憲法案の国民投票を実施し、2010年に総選挙を行うと発表した。軍政が民主化に向けた具体的な選挙日程を公表するのは初めて。昨年9月の反政府デモへの武力弾圧を契機に国際社会の民主化圧力が高まる中、軍政独自の民主化行程の公表に踏み切った。ただ、予定通り総選挙などが実施されるかどうかは不透明だ。
 軍政は同日夜、国営テレビを通じ、国民投票などの日程を発表、新憲法案の起草が近く終わるとの見通しを示した。

--------------------------------------------------
というニュースが流れていた。
各新聞も一報を流している(バンコクからだと時差があるからね)

先日も、いろんな報告会や講演会で「最近、軍の中で動きがある」って
話したけど、やっぱり当たってた(普段の予想は外れるんだけど)

ビルマ取材に一息つけようと思っていたところなのに、またかぁ~。
なかなか休ませてもらえそうにないなぁ。
とほほ。

2008年02月09日

●<カレン革命記念日(4)>

 ビルマ国軍に抵抗闘争を続けるKNLAであるが、これまでに
 数え切れない犠牲者を出したし、現在も出し続けている。
 勲章を受ける兵士もいれば、もちろん、そうでない兵士もいる。

 自らの人生を「犠牲」にした人も多い。

 
 「革命記念日」にその「犠牲」を称えられようが、失った肉体と時間は、
 さらに言葉では表現できないモノは、今はもう戻ってこない。

2008年02月08日

●<カレン革命記念日(3)>

 昨年、軍政と和平交渉を再開し、KNUから戦線離脱した
 第7旅団の旅団長ティンマウン将軍に代わって新しい
 旅団長に就いたジョニーに勲章が授与される。
 

2008年02月07日

●<カレン革命記念日(2)>

 
 KNLAのトップを司る新しい司令官は、前任者のタムラボーに比べると
 やや迫力不足かな。

 タムラボーはそこに居るだけで存在感があったし、顔つきも怖かった。
 (笑うと可愛いけど)

2008年02月06日

●<カレン革命記念日(1)>

 毎年1月31日はビルマとタイ国境周辺を活動地域とするKNU
 (カレン民族同盟)の「革命記念日」である。

 今年(2008年)は、59回目だ。
 いよいよ来年で60周年か。
 1999年に50周年の取材をしたのがつい昨日のことのようである。
 
 今年の記念日は、やはり大きく様変わりしていた。
 一番の要因は、やっぱり昨年第7旅団の旅団長をしていたティンマウン
 将軍がいないからだろう。

 だが、それ以上に目に見えない形で大きな変化が見られた。
 しかし、それは公にできないけどね(<なら書くなよな?、ってか)

 
 KNLA(カレン民族解放軍)兵士の行進も一昔前に比べて貧弱かな。

2008年02月05日

●<頭に被りモノ(3)>

 
 頭に被りモノ-パオ(ー)の人びとです。

2008年02月04日

●<頭に被りモノ(2)>

 
 頭に被りモノ-カレ(ン)ニーの(ゲリラ)兵士たちです。

2008年02月03日

●<頭に被りモノ(1)>

 
 頭に被りモノ-ラワン(民族)の人びとです。

2008年02月02日

●<暖炉の端で(3)>

 山深い村では移動が大変。
 一日中歩いても隣村に到達することができない。
 そういう場合、山の中で野宿となる。
 
 が、ここ北ビルマの山中では英国植民地の置きみやげ
 であるロッジ(簡易宿泊所)が見られる。
 
 ロッジ守りの給与は多くはないが政府から出ているとか。
 でもそれだけでは生活できない。
 ロッジに荷を下ろす旅人に薪を売って生活費を稼ぐロッジ守り
 が多い。

 
 旅人の世話をした後暖炉の端で食事を取り、一日の終わりの静かな
 時を過ごす兄と妹。

2008年02月01日

●<暖炉の端で(2)>

 
 ラワン人の女の子が2人、暖炉の端で勉強してます。
 何を勉強しているのかな。
 英語だった。
 ここはラングーン(ヤンゴン)から遠く離れて約1100Kmも
 ある。
 
 おそらくは彼女たちには一生英語を使う機会などほとんど
 無いはず。
 
 でも、勉強するというのは役に立つとか立たないとか、そういう
 問題ではないんですね。

 この2人の真剣さはある意味、有用さだけで価値判断をしがちな
 人を嗤っているような(気がします)
 うん。

2008年01月31日

●<暖炉の端で(1)>

 
 カチン人の女性が暖炉の端で孫をあやします。
 時計のない生活がそこにはありました。

2008年01月30日

●<夜の帳が下りる頃>

 山あいの村に日暮れが近づいてきます。
 
 目に見えるほどはっきりと帳が下りつつあります。

 実は視覚より前に、体感温度も下がっていたのに
 後で気づくのだった。
 ふむ。

2008年01月28日

●<いろんなスーチー>

 6月19日はアウンサンスーチーさんの誕生日ですね。
 国民民主連盟(NLD)のオフィスではお祝いの会が開かれます。
 
 
 いろんなスーチー氏のTシャツやワッペンが見られます。

2008年01月27日

●<村(町)の駄菓子屋(3)>

 
 田舎町や地方の村やバス停で見られる駄菓子屋ですね。
 よく見ると、貸本屋も兼ねていますね。

2008年01月26日

●<町(村)の駄菓子屋(2)>

 
 町外れや田舎(村)で見られる駄菓子屋ですね。

2008年01月25日

●<町の駄菓子屋(1)>

 
 町中(都会)で見かける駄菓子屋です。

2008年01月24日

●<仕送り?>

 ビルマ人の若者が多い喫茶店で毒舌N氏とぐっちゃら。
 しっかし、この5年ほどで町の様子がすっかり変わった(他の国に
 比べれば、もちろんそのペースは遅いけど)

 エアコンの効いている喫茶店も増えたし、ショッピングセンターも
 あちこちにある(限られているけど、結構お客がはいってる)
 それに建築ブームだし。
 
 いったいそれだけのお金どこにあるんだろうか。

 やっぱり海外からの仕送りかな。
 ま、100ドルもあればいっぱしの生活はおくれるんだからな。
 
 
 涼しい喫茶店内。
 携帯電話のカメラで友達を激写(これも死語?)
 携帯の番号(チップ)は2000ドルくらいだけど、レンタルだと
 1ヶ月45~60ドルほどで手に入るとか。
 

2008年01月23日

●<大船小舟>

 「ヤンゴン」港の河をラングーン(ヤンゴン)から
 対岸のダラへと渡ります。
 
 

 と、目の前に「モルメイン丸」がどっかり、と目に入りました。
 よく見ると、そのすぐ横には手こぎの通船がえっちらとと漂っています。

 大きな船と小さな船、それぞれが社会にとって必要だもの。

2008年01月22日

●<仕事は大変>

 
 潮風の抜ける砂浜で魚醤(ンガピィですね)作りが進んでいます。
 魚醤の元で手がべとべとの母と娘。
 
 粘土遊びなら楽しいのかもしれないが、何せ仕事だものね。
 女の子はつらそう。
 半べそ状態。
 お母さんからもキツく言われているようだし。
 
 仕事の厳しさ、今から味わってるのか。
 うむ。

2008年01月21日

●<仲良しこよし>

 以前にも書いたことだが、ビルマ政府とUSDA(アメリカの
 農水省じゃあないよ)は仲良しこよし。
 
 
 何せお隣さんだものね(同じオフィスを兼用しているように見える
 ところもある)

 USDA=Union Solidarity Development Association

2008年01月20日

●<蛇肌>

 白象が近くにいるチャウトォージー・パゴダに行ってきました。
 と、境内に蛇のほこらがありました。
 で、中に入ってみると。

 
 うわ、本物の大蛇がおりました。
 接近して撮影。
 怖々さわってみました。
 ヌメッとしているかなと思ったが、それほどでもない。
 生暖かい(鮫肌ならず)蛇肌してました(本物だからトー然か)

2008年01月19日

●<お隣は何を話す人ぞ?>

 
 公衆電話では隣の話も筒抜け状態。
 ま、街角いたるところに電話があるので、
まあ、携帯電話とあまり変わりないかな(ほんとは、もちろん、
 天と地のほどの差があるんだけど)

2008年01月18日

●<大工の仕様>

 チャイナタウンをぶらついていたら家内業の家具屋さんに出会った。

 
 尺を使って測ってます。
 この尺、日本と(が)似てますね。

 が、
 
 鋸は「押し」てます。
 
 さらに、
 
 鉋も「押し」てます。
 
 日本と西欧のやり方は反対だとは知っていたが、中国方式とも反対
 だったのか。

 いや、そもそも日本のやり方が特殊なのか。
 ふむむ。

2008年01月17日

●<ガン黒顔>

 ↑ガン黒顔とはちょいとおかしいですね。
  ガン=顔だから。
  で、訂正。
 <ガン黒仏>と。

 
 やはりツルツルのお肌の保持には普段の手入れが欠かせないようで。
 がん黒気味の仏様。

2008年01月16日

●<夜明けのラングーン(ヤンゴン)港>

 
 
 はあ、そのまんま、タイトル通りの絵柄です。

2008年01月15日

●<行き当たりばったりの政策>

 
 これは新年早々の1月3日に町の喫茶店で偶然撮影。
 
 この日、衛星放送受信料の突然の値上げだった(とか)
 約6ドルの受信料がいきなり800ドルへ!
 
 でその後、50ドル~60ドルへと値下げ。
 行き当たりばったりの政策。

 なんでもDVB放送が毎日始まるのに対抗する処置とか。
 なんとまあ子どものお遊びのようなやりよう。

2008年01月14日

●<腐敗臭の消えた新聞>

 
 13日付けの "New Light of Myanmar" のトップ写真は
 マウンエイ副上級大将のゴルフコンペネタです。

 この日前後からラングーン(ヤンゴン)では、ほぼ毎日のように停電
 が頻発するようになっているというのに。

 そこまでして権力に阿ねなければならないのか。
 臭いを発するのさえ止んだ腐った新聞だな。

2008年01月13日

●<パヤポェ>

 12月からパヤポェ(パゴダ祭り)が増えてます。
 それほど余暇の多くのないビルマの庶民にとって、パゴダ祭りは家族
 や恋人たち、友達が揃って楽しめる時間となります。
 夕食後、みんなで揃って出かけます。
 
 
 日本の夜店のような露天がたくさん出ます。
 懐かしい趣なんだな、これが(わたしゃ、一人でカメラを担いでましたけど)


2008年01月12日

●<人人人人>

 週末のダウンタウンです。
 
 映画館の前は人でいっぱい。

 
 こちらは電車を待っている人びとです。

 ま、東京や大阪ほどではないですが・・・。

2008年01月11日

●<顔出し>

 海岸線を歩いていると、なにやらモゾモゾ動いています。
 なんだ?
 あれ、消えた。

 で、しばらく立ち止まって観察。
 

 赤褐色の点々が見えます。
 あれ、動いた。
 
 
 よく見ると、蟹が穴から顔出ししたり、引っ込んだり。
 
 海岸一杯に蟹の穴が広がってました。
  

2008年01月10日

●<ビーチへ>

 久しぶりにビーチに行ってきました。
 
 デルタ地域の最南端の「セマ」まで行ってきました。
 
 ここです。
 どうやって行ったかって? 
 まさか船で?
 ふふふ。それは内緒。

 勢いのなる波が砂を巻き上げているので、透明度は全くなし。
 濁ってます。
 泳ぐのには不適かな。
 で、普通の漁村です。

 
 真っ青な空の下、漁師が網を修繕してます。
 こちらをちょっと怪訝そうにみました。
 どきっ。

2008年01月09日

●<ロープ紡み>

 

 自転車のリムを使ってロープを紡ぎます。
 庶民の知恵です。
 なかなかのワザですな。
 うん。

2008年01月08日

●<カレン新年祭>

 

 


 今日はカレン新年祭。
 ド(~)ン踊りを3つ見ました。
 見るだけでドッと疲れる激しい踊りです。

 そいや昨年は国境側からカレン新年祭に参加したんだったっけ。
 あれから1年か・・・。

2008年01月07日

●<ただ今、警備中>

 明日はカレンの新年祭。
 多くの人が集まると思われる。

 だからだろか、銃を持った兵士がパゴダの警備にあたる。

でもそれほどの緊張感はない。
 物売りの人たちと談笑している。
 でも、彼の方向にカメラを向けると、スッと(撮影されないように)
 隠れる(ま、当然か)

2008年01月06日

●<そないにしてまで>

 修行は大変なもの。
 はい、そりゃわかります。
 
 
 ビルマでは時々、太陽をじっと見つめる修行をしている人に出くわします。
 
 ちょっと考えてみると(そうでなくても)、こんなこと眼には良くないはず。
 でも、そういう常識じゃないんだろうな、修行ってのは。
 でも、そないにしてまで、やらなあかんものかね。

 この女性は4時間もじっと太陽を見つめたままなんです。
 眼は真っ赤っか。

2008年01月05日

●<学校の帰りに>

 小学校の前の路上には、下校前の生徒を目当てに多くの露天商が店を
 並べます。
 
 学校帰りの買い食いや寄り道は、程度の差はあれ、どこも同じ。
 
 「これいくら?」
 カメラなんか全く意識せずに、小物の値段をたずねる男の子。

2008年01月04日

●<ただ今、警戒中>

 今日はビルマの60回目の独立記念日。
 
 がんばって朝陽とともにおきだし、町の中を歩いてみました。
 かなり期待はずれの町の様子でした。

 
 午後、YCDCの前に行くと、警官の姿がたくさん見かけられました。
 (蟻んこさんのように並んで歩いています)
 多分、デモを警戒しているのだと思います。
 
 ちょっと緊張しながら写真を撮りました。
 でも、フランス人の団体観光客がいたので、ちょっと危険度は薄めらたかな。

2008年01月03日

●<正月から>

 若いお坊さんたちは2008年の元旦から試験です。

 といっても、ここはビルマ、1月1日は関係ないですね。
 ビルマの新年は4月ですから。

 たとえば衛星放送(CNA)では、カウントダウンのニュースが流れていますが、
 ビルマではキリスト教徒(あるいは国際的な)1月1日は関係ないです。
 
 いつも肩すかしを感じる。
 実は、この国のこういうところが好きだったりして。
 ふむ。

2007年12月30日

●<そいや60周年>

 
 「マノォー祭り」の後、カチン独立軍(KIA)の若い兵士たちが
 ツーショットしてます。
 
 女性の方は堂々と、男性の方はちょっと恥ずかしげ。
 なんとなく、ほほえましい風景だ。

 お、2008年1月の「マノォー祭り」は60周年なんだった。
 行きたいなあ。

 お、そいや、ビルマが英国から独立したのも60周年目だ。
 1月4日の独立記念日の祝い事は、もちろんネピドーでやるんだろうな。
 ラングーン(ヤンゴン)では何かあるのだろうか?
 ふむ。

2007年12月29日

●<お馴染みの風景>

 
 渡ってますねえ、堂々と。

 そう、ここはタイとビルマの国境。
 もうお馴染み風景ですね。
 
 すぐ近くにはそれぞれの国の入国管理所があるのですけれど、
 まあ、それはそれとして。

 所詮、中央の管理はこの辺境までは及ばない、ということです。
 こういうユルさがあるのがいいですね。
 ある意味、うらやましい。
 うん。

2007年12月28日

●<肝を冷やす>

 ああ、肝を冷やしたぜ。
 
 別に、突進してくる牛車にひかれそうになったわけじゃない。

 ここはラングーン(ヤンゴン)から車で1時間半くらい走った、
 とある地域。

 バイクに乗ってビュンビュン飛ばしていた。
 と、目の前に、無線機を持った兵士が突然現れる。
 ちゅうか、正確に言うと、向こうとすれば、私が突然現れたのである。
 おお、それに自動小銃を担いだ兵士たちが約20人ほど整列している。
 えっ、と、走りながら思考停止に落ちる。
 
 すぐにまた別の兵士の集団が現れる。

 えっ、えっ、えっ。

 もしかして、ここは演習場?
 あ、写真を撮らねば、という考えが一瞬浮かんだ。

 が、何を考えてるんだ。
 今、ここで拘束されたら、最後、だぞ。
 背中がヒヤッとする。
 一刻も早く、この地域から出なければ。
 細かな砂を巻き上げながら、バイクを全速力で走らせる。

 さっき、最初に出会った無線機を持った将校(たぶん)は、
 突然現れたバイクにビックリしたに違いない。
 
 今も、「えっ」とした顔を思い出す。
 彼の方こそ、思考停止に陥ったはずだ。
 それにしても、追いかけられなかったし、手配もされなかったし、
 いつもギリギリのところで逃げ切っている。
 
 で、30分ほど走ったら、向こうから牛車がやってきた。
 なんか、ホッとした。
 しばらく無理な行動はやめよう。

2007年12月27日

●<ほんと寒いんだって>

 
 囲炉裏で談笑してます。
 だから、ほんと寒いんだって。
 
 漏れ入る太陽光線が、なぜか囲炉裏周りに集まるのは偶然?

2007年12月26日

●<寒いんだって>

 熱帯の国ビルマ(ミャンマー)という印象が強いが、
 それには誤解がある。
 
 北から南まで細長いところだよ。
 なにせ日本の1.8倍の国土。
 
 北はヒマラヤ山脈の東の端。
 山の奥は、寒い。
 寒すぎる。
 
 で、太陽の光を背に受け、ぽかぽか暖まりながらご飯炊き。
 
 ホント、寒いんだって。

2007年12月25日

●<染まって>

 流行の喫茶店では小僧たち(女の子は、まずいない)が
 ちょこまかと動き回って働く。
 
 客の注文を取り、コーヒーや紅茶、サモサや揚げ物の皿を持って
 行ったり来たり。

 地方から奉公に出てきている子どもが多いと聞く。
 おぼこい子も、ラングーン(ヤンゴン)という大都会に染まって行く。
 
  
 この子は、髪の毛まで染まってしまった(くさいオチだね)
 もちろん、栄養不良による脱色じゃないようだ。
 店のオーナーを見ていて、男たちにきつく接していないし、子ども
 たちに顔に笑みが見られるから、ま、安心して良いか。

2007年12月24日

●<バナナ運び>

 船着き場に着いたボートからバナナを運び出す男の子。
 

 ただでさえ重たい(幹付き)のバナナの房だが、さらに水に濡れて
 ズッシリとしている。
 それが毎日(?)の仕事とはいえ、重労働そうだ。

2007年12月23日

●<立ち話>

 まあ、そこは人間だよね。
 どこでも立ち話が好きです。
 これは古今東西問わずです。

 
 ラングーン(ヤンゴン)の街角です。

 --------------------------------------------------

 
 こちらはシャン州の州都タウンジーの中央市場の横です。

 男性は、やっぱり独特のお金(お札)の数え方です。
 私が写真を撮っているのも意に介さず喋るおばさんたち。

 実は、こういう日常を切り取ったカット、個人的に大好きなんです。
 現場に立っただけの「証拠写真」のようであり、実はそうではない
 から。
 

2007年12月22日

●<バスターミナルにて>

 ラングーン(ヤンゴン)には地方に向かう大きなバスターミナルが
 2つあります(それ以外にも中規模なバスターミナルがいくつもある)

 ダゴンエア・バスカーゲイとアウンミンガラ・バスカーゲイです。
 ちなみに、バスカーゲイとは、バス+カー(車)+ゲイト(gate)のこと。

 ここはアウンミンガラのバスターミナル。
 どこのターミナルでもそうですが、必ず売り子が寄ってきます。

 水・お菓子・果物・おしぼり、など。
 もちろん暇つぶしの雑誌も売りに来ます。
 
 ごめんね、私、ビルマ語読めません。

2007年12月21日

●<ささやかな抵抗>

 スーレーパゴダの前で「鳥を売ってる」男が目をつけられました。
 誰にって?
 どうやら相手は、政府関係者のようだ。

 路上で商売するにも当局に税金を払わなければならないらしい。
 彼は、その税金を払ってなかったのかな?
 (詳細はわからないけど)

 
 鳥かごを取り上げられるのに抵抗してます。
 そう、さすがに生活の糧を取り上げられるのに易々応じるわけには
 いかないようだ。
 ささやかな抵抗をしてます。

 市場の前の路上で取り締まりにあった露天商が、取り締まりの役人と
 喧嘩しているのを見たこともあります。

 政治的には完全に抑え込まれている人びとも、さすがに堪忍袋の緒が
 切れることもあります。
 お役人や取り締まり官は、そのさじ加減を間違ったら、また大変なこと
 になります。

 鳥かごの件は、軍のMIが出てきて一発で解決。
 もちろん、取り上げられました。

 で、時代が変わったと感じる。
 こういうやりとりを、10年ほど前は、カメラを持った外国人の前
 ではやらなかったのに。政府側の奢りが大きくなっているような。
 ふむ。

2007年12月20日

●<ホッとさせる笑顔>

 山のように積んだ材木の写真を撮ろうとしてたんですけど、
 その前に座っているおっちゃんは、自分が撮影されているもんだと
 勘違いし、やたらと笑顔を振りまくのであった。
 
 (クリックすると大きくなります)

 ちゃうちゃう、あんたじゃない、ってジェスチャアをしても通じない。
 まあいいか。
 ホッとさせる笑顔だからそのままシャッターを切っちゃろ。
 

●<子守り>

 弟(or 妹)を背負って子守をしてます。
 

 寒そうですね。
 そう、ここは雪が降るビルマの山奥です。
 ラワン民族の子どもたちです。

 ラワン民族と表記しようが、ラワン人と表記しようが、あまり
 意図するところではないけれど。

 そいや「ビルマの子ども」と言えば、今日(12月20日)発売の
 "DAYS JAPAN" (1月号)にビルマの子どもの写真を出してます。
 たまには掲載誌の告知をしないと、忙しぶっているだけで、
 ほんまに仕事をしているのかと疑われそうなので。
 へへ。

2007年12月19日

●<鳥インフルエンザ>

 たしか数日前、WHOの報告が出た。
 ビルマ・シャン州にて、ビルマで初めて人に感染した
 鳥インフルエンザが発生したとか。
 う~ん、今後拡大するのかな。
 
 
 これはラングーン(ヤンゴン)の鳥市場からの帰り。

 
 自転車に積んだ鶏からしたたり落ちた血をなめている犬も
 たいがい生々しいけど。
 (ちゅうか逞しい)

2007年12月18日

●<今どきの>

 昔の「タンリン大学」(たぶん)です。
 
 今の "University of East Yangon" です。

 正門を出入りする若者の多くは、ジーンズです。
 そう、今時の若者です。
 そんな言い様をするようになったら、もう終わりか。
 ふむ。

2007年12月17日

●<ありふれてますけど>

 パガンの遺跡を見飽きて、郊外をぶらついてみました。
 
 バイクで数十分も走ると、そこはもう田舎の暮らし。

 ビルマの地方ではどこにでも目にするありふれた農村でした。
 時間の流れが止まったような暮らし(と外部の者は勝手な感慨気ですけど)
 があります。

2007年12月16日

●<看板から>

 
 私の思い過ごしかもしれないが・・・。
 いつの間に、こんな看板が堂々と。

 シャンプーの広告はまあ許せるとして(女性が一緒でも)、堂々と
 お酒(RUM)の広告看板が出ているのは、時代の流れかな。

 さらにコンドームの看板まであるんだから。
 ふむ。
 

2007年12月15日

●<生活優先>

 

 僧侶もやっぱり生活優先。
 って、いうか、ビルマの町中で見かける僧侶の多くはドゥータマ派
 (川並センセイは「ツーダマ派」って書いてます)

 まあ、戒律の緩いドゥータマ派であっても、露わな女性ポスターで
 人寄せをしている宝くじ売り場前にて、袈裟姿の僧侶を見るのは、
 ちょいと興ざめ、かな。

2007年12月14日

●<今も昔も「米どころ」>

 
 米粉が濛々と舞うデルタ地域の精米所の倉庫で働いています。
 デルタは米所で有名ですね。
 
 -「大変な仕事だね」
  「そうだよ、日本に出稼ぎに行きたいよ」
 -「日本じゃあもっと大変だよ」
  「でも、ここより悪いところはないから、何でもするよ」
 -「ふむ」
 ( ↑ ちょいとぎこちない会話・・・ )

 その昔、ビルマの米の輸出は外貨稼ぎのトップだったのだがなあ。
 今はどのくらい輸出しているのだろうか<数字、当たれよ、な。
 
 そいやバーマネット(『BNN日本語ヘッドライン』)で
 --------------------------------------------------
 AFP: ミャンマーの天然ガス産業への海外投資が記録的な額
 (約4億7千万ドル)に 海外投資全体の60%を占める
 --------------------------------------------------
 てなような情報が流れていた。

2007年12月13日

●<光モン>

 ビルマの人って、金などの光モンが好きですね。
 パゴダの仏陀もキンキラキンの電飾ですし。
 
 
 明らかにパチモンですが、買ってしまいます。

 
 お祭りでは必ず見かけますね。
 で、やっぱり買ってしまいます(そういう人を見ます)

 
 最近見るのが、この光モンのチェーン(鎖)
 もちろん販売しているのは中国からの行商人。
 あれほど中国の進出をを嫌っているのに・・・、
 (やっぱり、買っている)

2007年12月12日

●<質屋>

 
 昔はそれほど気にならなかった質屋の存在。
 この数年、気になります。
 個人的な感覚だけど、その数、増えたのかな?
 
 宝くじ屋を兼務している質屋の経営者は、なんだか中国系の人が
 多そうな印象でした(他意はないけど)

2007年12月11日

●<フミフミしながら>

 
 牛2頭が、ぐるぐる回りながら、踏み踏みしています。
 
 確か、豆をサヤから出している作業だったかな。
 牛が豆を食べないように、ちゃんと轡もされてるし。
 

2007年12月09日

●<お札でなぞって>

 

 ここは、とある地方のDVD(映画の)レンタル屋さん。
 朝早く、ちょうど店開きをしました。
 看板を出したところです。

 で、お客さんが来るようにと1000チャット(K)札で看板を
 なぞってます。
 おお、初めて見たよね、この行動(パゴダでは、動物の彫刻を
 なぞっているのを見たことあるけどね)

2007年12月08日

●<ハーレーよりも>

 
 ビルマのラングーン(ヤンゴン)の下町です。

 やっぱりここは、ハーレーよりも自転車の方が似合ってますね。
 
 ん?
 あれ?
 ラングーンにバイク?

 それも大型バイクやし。
 なんなん、これって?

2007年12月07日

●<アーノット風に>

 (穴の開いた)ジープで平原を走ってます。
 車内に大粒の雨が降り込んで来ます。

 でも、なぜか気分が良いんだな。
 ほっほっほー。

 そりゃそうだ、一大仕事をやり遂げた直後だからね。
 ま、自分で言うのもなんなんですが、ちょっと歴史的なことです。

 で、気分良く、エリオット・アーノット風な写真を撮ってみました。
 
 これで車中の横にお好みのの人が座っていればカンペキなのに
 (ってか、てへへ)

2007年12月06日

●<しゃがむ>

 
 ビルマではよく見る風景です。
 「立ち話」ではなく「座り話」です。
 しゃがんでいます、へへ。

 思わず、仲間に入れて~、って言いたいような感じかな。
 
 そいや、本多勝一『貧困なる精神』(すずさわ書店 第1集)の
 冒頭に「しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?」という一文がある。
 --------------------------------------------------
  背広だのエンビ服だのといったヨーロッパ式正装は、しゃがむと
 カッコ悪いようにできている。
 ・・・・・・。
 問題はかなりハッキリしてきた。ことは「しゃがむ」という姿勢自体
 にあるのではない。「背広を着てしゃがむ」こと、すなわち、重点は
 「背広」の方にあるのだ。
 ・・・・・。
  しかし、考えてもみよう。いったいどうして、逆の現象がないのだろ
 うか。すなわち、・・・、イギリスの紳士が日本のハカマだのハッピ
 だのを着たり、フランスのムッシュウがアラビア服を着たりしないの
 か。むろん例外的な好事家が、・・・。
 ・・・・・。
 以上の考察によって、服装もまた、支配する側とされる側の力関係に
 あることが明白になったと思う。
 --------------------------------------------------
 今更、本多氏を持ち出すことはないと思われるが、今読み返すと
 なかなか面白い。

 それこそ「写真民族誌」へのヒントになるかな。
 (こじつけかな?・・・ふむ)

2007年12月02日

●<彼女=彼、は>

 
 そう、彼女=彼は、ラングーン(ヤンゴン)のあそこで働いて
 います。時々、びっくりするような綺麗な人もいてはるし。

 でも、数年ほど前に比べるとその人数は減ったような(気がします)
 写真を撮られるのもフツーにしてましたし。
 嫌がっている様子もなし。

 一度、ビルマ(ミャンマー)のジェンダー(←ふふふ、便利な言葉
 だね)についてじっくり話を聞いてみたいものだ。
 

2007年11月30日

●<家の中には>

 ラングーン(ヤンゴン)から川を渡ってタケダ地区に行ってみました。
 ここは、キンニュン元首相の肝いりでできた「民族村」があるところ
 ですね。そう、民族を見せ物にした村が・・・。

 と、久しぶりに知り合いの家に行きました。
 ちょっと経済的に貧しい地区の中です。

 
 で、家の中にはやっぱり「アウンサン将軍」の写真が額入りで飾って
 ました。
 もちろん、家人の額よりも大切にされてたし。
 

2007年11月29日

●<啓発ポスター>

 ここはアウンミンガラ(ダゴンエアだったかな?)のバスターミナル
 です。

 バスの出発前に喫茶店で腹ごしらえ。
 と、壁に目をやると。
 ほぉ。
 
 「鳥インフルエンザ」の注意ポスターが貼ってました。
 その横には「HIV」のポスターもあったし。
 なかなかやりますね(←って誰のこと?)

2007年11月28日

●<洗卵>

 
 市場の店頭に並べる前にタマゴを洗ってます。
 ビルマの市場で初めて見ました。
 もしかして、「鳥インフルエンザ」の影響かな。
 

2007年11月27日

●<萬頭>

 
 お、ぬるったい雨期の雨の降る中、通りで萬頭を売ってますね。
 んでも、ここはマンダレーとちゃいまっせ。
 マンダレーなら中華系の食べ物は珍しくないし。

 で、萬頭の中には、主にお豆と豚肉が中に入ってます(時にチキンも)
 この町では、喫茶店の朝食のメニューにも並んでます。
 

2007年11月26日

●<出番前に>

 
 「ザッポエ」の出番前。
 舞台の裾でたたずむ女の子。
 
 寒さのため?
 或いは緊張のためか、ちょっと顔がこわばってます。

2007年11月23日

●<結構、重労働>

 トラックに荷物を積み込むビルマ女性たち。
 
 汗だくにはなってないけど、うっすら額に汗粒が見えます。
 どれほどの重たさ?
 
 ちょっと持ってみました。
 腰が抜けそうになりました(おおげさ?)
 でも、50kgはあるというこの袋。
 う~ん、としか表現のしようのない仕事だな。

2007年11月22日

●<朝の肉屋さん>

 6時も過ぎると市場は人でいっぱい。
 肉屋さんの前にも新鮮な肉を求めて人だかり。
 
 
 大きな包丁で骨ごと肉をより分ける。
 バッシバッシと、結構重労働みたい。

2007年11月21日

●<朝の薬屋さん>

 夜が明けて、市場が賑やかになってくる。
 週刊誌を読みながら、客待ちをしてます。
 
 

 もちろん手元にはラジオを欠かせませんね。

 新聞や雑誌といい、皆さん結構文字に親しんでます。
 で、通りで識字率の高いビルマのはずです(はず、ってどういう意味だ!)

 

2007年11月17日

●<やる気があるのか?>

 今日の "New Light of Myanmar" を読んでいると、「自治省(総務省)に日本大使が
 訪問」という記事が出ていた。

 
 ふ~ん、そうなんだ。

 で、ちょっと気になって外務省の「ミャンマー」のページを覗いてみた。
 で、びっくり。
 「ミャンマーにおけるデモを巡る情勢(日本政府の対応等)」の最終更新日が
 平成19年11月2日になっている。
 まあ、これはなんら問題はない、と思う。
 
 が、しかし、である。
 「基礎データ」のページに行ってみると、な、なんと7月から更新されていない
 ではないか。

 それほど大きな変更がなければ、いいのだが・・・。
 で、4.の政府のところを見てみると、な、なんと。
 
 (1)元首 タン・シュエ国家平和開発評議会議長
 (2)首相 ソー・ウイン
 (3)外相 ニャン・ウイン
 
 と、ある。
 首相のソーウィン氏は確か、10月初めに亡くなったはずですね。
 あれからもう1ヶ月半、未だに更新されていないビルマ(ミャンマー)のページ。
 
 とある大学の先生に言わせると、「学生のレポート以下の発表だね」と。

 ほんに、日本はビルマ(ミャンマー)に関して本気でやる気があるのか?
 <って、誰に向かっての発言だろ?

2007年11月13日

●<鈴なり>

 通勤時、乗り合いピックアップ(バス)は、人で鈴なり。
 

 家路を急ぐ人びとが夕日に映える。
 
 なんか神妙になってしまう。
 うん。

2007年11月12日

●<ラワン式じゃんけん>

 ここは北ビルマ。
 ラングーン(ヤンゴン)よりも中国国境が近い地域。
 まあ、それには関係なんだけど、山の中を歩いていて、ほぉ、と発見。
 発見ほど大袈裟ではないが・・・。
 
 
 <矢と蟹>


 
 <刀と蟹>


 
 <刀と矢>


 ラワン(民族)式のじゃんけんです。
 物事の解決にじゃんけんが使われる、そういうやり方は万国共通
 なんだろうか?
 ふむ。

 と、ぐぐって見た。
 ビルマ(ミャンマー)式じゃんけんがあった。
 http://www.netlaputa.ne.jp/~tokyo3/janken.html#ミャンマー

 「降参」は「大将」に勝つ。(両手をあげている者を大将たる者、
 攻撃できないからだろうか)
 これだと、タンシュエ上級大将はアウンサンスーチー氏に負けている
 はずなんだけど。
 うむむ。

 ビルマではこれ別に、鳥と虎と○のじゃんけんがあると
 聞いたんだけど。
 さて、それは?

2007年11月10日

●<火祭りですけど>

 「火祭り」と言えば10月の雨安吾あけのダジンジュですけど、
 ヒンズー教の人たちの「火祭り」は「ミニンポェ」です。
 火の上を走るお祭りですね(男のみ)

 
 火の上を走る男たちが順番を待ってます。

 ちょいとインドっぽい?
 でもここはタイに近いモン州。

2007年11月08日

●<よくあるパターンですけど>

 タウンビョンのお祭りに行ってきました(8月です)

 年に一度の無礼講の日、非日常ですね。
 なにせ、いわゆるゲイのお祭りだと言っていいくらいだから
 (って、それは言い過ぎ?、所謂、ナッのお祭りです、はい)
 
 で、よくあるパターンですけど、小僧がゲーム機で遊んでます。
 やっぱり子どもだからね。
 
 あまりにおきまりのパターンすぎて、ひとひねりできない。
 (単なる力量不足なだけか?)
 

2007年11月06日

●<郵便の配送車>

 ポストから郵便物を収集している光景を見たことはない(11月4日)
 が、
 郵便局間を動いている配送車を発見。
 
 やっぱり色は赤だ。

2007年11月04日

●<ベトナム VS ミャンマー>

 浅井隆+太田晴雄+ベトナム・ミャンマー投資調査プロジェクト
 『ベトナム VS ミャンマー』(第二海援隊、1997年)を
 読んでいる。

 1997年頃は、この「 VS ]の話題がちょっこら出たなあ。
 果たして今、どんなんだろ(分かり切った答えだが)
 ベトナムを知らないので、ちょっくら行ってきた。

 ま、大きな政治を語るのは無理なので、細かなところから。
 
 お、ベトナムのポストです。

 こちらはビルマのポスト
 

 木に張り付けた小型版もあります。
 
 ちょっと牧歌的でいいな(、ってのは訪問者の偏った目だな、うん)

 ちなみに、長年ビルマに住んでいるのだが、ポストから郵便物を
 収集している車を見たことがない。
 さて?

2007年11月03日

●<もしかしてインセイン?>

 昨日、イライライラ(@o@)しながら写真整理を整理していたら、
 刑務所の写真が出てきた。
 はて?
 ここはどこの刑務所だ?
 
 ちょいとインセイン刑務所っぽいんだけど。
 でもこんなにハッキリした映像撮った覚えがないんだけど。
 でも、歳のせいで物覚えが悪くなったこともあるし・・・。
 
 インセイン刑務所だったら、ミンコーナイン氏やココジー氏は
 まだここに閉じこめられているのかな(一説によると、別に移された
 とも聞いているが)

2007年11月02日

●<温度差>

 8月15日、ラングーン(ヤンゴン)では突然、燃料費が値上がった。
 それに伴い、ラングーンで「88年世代学生グループ」による抗議デモが
 起こった。
 
 が、ここは、中央の政治とは遙かに離れた山奥だ。
 
 この深いジャングルの中では、武装抵抗を続ける(でも、SPDCと
 和平交渉と平行して)カレンニー民族の兵士たちが集いました。
 
 旧首都ラングーン(ヤンゴン)とそれ以外では、人びとの政治に対する
 温度差はあまりにもでかすぎる。

 しっかし、雨は辛い。
 撮影も辛い。
 こういうときは、 リコーのカプリオが大活躍です。
 (Caplio 500G wide+22mmのワイドテレコンバーター)
 あ、前にもこれ、書いたか?

2007年11月01日

●<ハッピーワールド(?)>

 あの、流血を伴ったビルマ軍事政権によるデモ弾圧から2週間後、
 市民の間には諦めと怒りとの複雑な感情が入り交じっているようでした。

 
 家族連れで遊園地(ここは遊技は少ない)にやって来た。
 
 はい、じゃあ、軍事政権下のハッピーワールドでささやかな(?)
 時を過ごしましょう。
 
 書き方がちょっと斜めすぎる?
 ま、イラついているもんで、はい。

2007年10月30日

●<屋根の上には>

 いつも満員の路線バス。
 屋根の上にも人が座ってます。
 
 が、
 よく見ると、女性が屋根の上に乗ることは極めて希です。
 特に女性が頭上に位置する場所に座るのは、やはり仏教国では
 無理ですね。

2007年10月29日

●<父と息子(か?)>

 あの流血抗議デモから約2週間。
 スーレー・パゴダの扉も開きました。。

 親子(たぶん)と見られる二人連れが、スーレー・パゴダの2階の
 入り口に向かって歩いています。 
 
 父とそこそこの年齢の息子が手をつないで歩いているを見るのは
 日本では希なことだろうなあ。
 こういう光景を目にすると、思わず唸りながら(大げさ?)、
 シャッターを切ってしまうのであった。
 

●<市民への恫喝>

 あのYCDC(Yangon City Development Council) の前にずらりと
 並んだ軍用トラック。
 
 これは隠し撮りではなく、堂々と撮った(偉そうに言うのも変だが)

 たしか1996年か97年は(おぼろげ)は、戦車が並んでいた
 ような記憶がある。しかし、ビルマの権力の中枢とも言えるYCDC
 の前にそういうのを並べるのは、市民を恫喝しているのと全く同じ
 ことなんだけど。
 
 ま、タンシュエ上級大将の軍事政権なるが所以だな。
 うん。

2007年10月28日

●<ビビリなモンで(3)>

 ここは、アウンサンスーチー氏自宅に通じる「大学通り」の
 カバエー通り側です(この写真、いくつかのメディアに出しましたけど)
 

 おお、警備のバリケードがここまで出っ張ってますか。
 驚きだね。
 やっぱり9月22日のスーチー氏の姿見せは、よっぽど軍政側に
 刺激になったと見える。
 
 バリケードの向こう側には土嚢も見えるし。

 今回も隠し撮り(でスイマセン)
 何回かタクシーで通り、ようやくまともな写真を撮影できた。

2007年10月27日

●<ビビリなもんで(2)>

 デモ収束から数日後、そろそろ町中ではビルマ国軍兵士の姿が
 消えかかった頃だ。

 テクテク町中を歩き回る。
 と、「ヤンゴン中央病院」の角に来る。
 
 うわ、
 
 兵士と武装警官が警備中だった。 
 まだまだ息が抜けないのですね。
 それもまだ銃を構えたままですよ。
 
 そりゃ、怪我をした家族、犠牲者になった家族が病院に殺到する
 のを(たぶん)防ぐためなんだろうけど。

 ビビリなもんで、今回も隠し撮り。
 リコーのカプリオ(Caplio 500G wide+22mmのワイド
 テレコンバーター)が大活躍です。

 

2007年10月26日

●<あ、アルジャジーラが・・・>

 って、オヤヂギャグの典型ですが。

 
 あ、アルジャジーラのカメラマン(たぶん)が隠し撮りしてます。
 それをまた隠し撮りする私であった。
 (ま、テクテク歩いて近づいていって、「大バレだよ、気をつけて」
 と一言かけましたがね)

2007年10月25日

●<花の一つでも・・・>

 『ミャンマー軍による長井健司さん殺害に抗議する』ページに
 今日(25日)、「これから、ミャンマー大使館に行きます。」
 とのエントリーがあった。

 丁度、長井氏の葬儀が行われたその日、ビルマ(ミャンマー)・
 ラングーン(ヤンゴン)の現場に立っていた。

 まだ緊張があり、おおっぴらに写真を撮ることができず、隠し撮り
 するしかなかった。

 その現場は、すでに車と人が行き交う「日常」に戻っていた。
 

 日本で葬儀が行われている日だから、日本大使館から花の一つでも・・・、
 って思っていたのが甘かった。何もない。ビルマ政府は、国内的にも
 国際的にも、一刻でも忘れさせたい出来事だったかも知れないが、
 そうはさせてはならない。

 もしや、1日遅れで、って思って翌日、同じ場所に行ってみた。
 だが、昨日と同じ。何もない。

 

 同じように武装警官3名が談笑しているだけだった。
 このような事実があったことを、キチンと記録しておきたい。

 忘れてはならない。
 許してはならない。

●<跪く僧侶たち>

 『毎日新聞』(夕刊の写真ページ)、
 『朝日新聞』(朝刊のコメント・たぶん)
 『週刊金曜日』に 「跪く僧侶」の話を出した。
 
 私が目にした画像は、アルジャジーラ(英語放送)だった。
 日本ではこの画像流れたかな?

 

 
 
 僧侶が1~2人、跪いて、手を合わせている。
 はっきりした映像だ。
 相手は兵士ではなく武装警官(グレーの制服)だけど、ほとんど
 同じことだ。

 実際、武装警官たちは兵士の指示で動いたいたんだし。
 (動画を静止画に落としていたけど、誤って削除してしまった、あちゃ)


 
 タンシュエ上級大将(SPDC議長)が国軍記念日(3月27日)の
 閲兵式で胸張っています(たぶんこの映像は2007年か2003年
 のもの)
 で、彼の乗っている車の車種は何なんだろう??
 ビルマ製ではもちろんないね。
 西欧嫌いなのに、たぶん西欧の車に乗ってるよね、これは。

 
 これは真偽の程は分からないが・・・。
 27日のデモが最高潮に達し始めたとき、突然、(新品)レンガを
 満載したトラックが現れた。武装した警官や兵士に反撃するために
 (投げるために)登場したのである。


 わざと騒ぎを大きくするために、レンガを用意したのだ、と。
 だって、あの騒ぎのど真ん中に、トラックが入れるわけないだろ。
 軍に雇われたヤツが仕掛けたんだ、と。
 トラック側面の番号が分かれば、真偽の程が判明するんだが。
 フム。

 
 "New Light of Myanmar" も "Myanmar TV3" もVOA、FRB、BBC を
 激しく非難してますね。
 でも、ここには "DVB" の名前がありません?
 なぜって?
 それは『週刊金曜日』(11月2日号で説明してます)

 画像は、"Aljazeera" "ChannelNewsAsia" から。

2007年10月24日

●<あれ、デビッド・コパフィールドさん>

 
 あれっ、デビッド・コパフィールドさん、ビルマに来てたのですか?
 もしかしてあのデモの最中も上演してたとか?
 或いは、もしかしてこれから?
 
 それにしても、確か中国でも公演してたね。
 北朝鮮でも・・・あ、あれは女性の引田天功氏だったか。

 しかし、スーパーマジシャンはこういうお国が好きなのですね。

2007年10月23日

●<ビビリなもんで>

 流血のデモ弾圧から、数日後。
 シュエダゴン・パゴダ前を警備する兵士と武装警官たち。
 (映りは悪いけど、緊迫感あるね)
 
 さすがにこの時期、正面切って撮影する勇気はないね。
 雨の降る中、タクシーの中から隠し撮りするしかない。
 これでも精一杯の行動である。
 ビビリなモンで。
 タクシーの運転手が恐怖に顔を引き攣らせてるし。
 (他の人を巻き添えにしてしまうので、あまり無謀な事はできない)

 机の前だけでビルマの状況分析をしているのでは決して
 理解できないこの国の酷さを実感。
 ふむ。

2007年10月22日

●<ディペイン(ディベイン)2>

 

 この田舎町の道で2003年5月、アウンサンスーチー氏一行の
 車列がUSDA率いる暴徒たちに襲われたのである。
 で、「ディペイン大虐殺」の真相をタンシュエ軍事政権はキチンと
 検証したのだろうか?
 
 まさか。

 いつも通り、時間稼ぎをしてうやむやにしてしまったのである。
 

2007年10月21日

●<ウー・パパレイ>

 10月20日(土)にようやく外出禁止令が解除されたようだ。
 その2日前の18日(木)には、俳優でコメディアンの、
 ウー・ザガナー氏が拘束から解放されたという一報が入った。

 で、マンダレーのコメディアン、ウー・パパレイ氏は解放された
 のだろうか?
 心配である。

 
 < 今年8月撮影 >

●<難民情勢-まさか?>

 ビルマでは、インターネットが自由に使えるようになり、
 昨日はとうとう60日間の予定だった夜間外出禁止令が
 解除されました。

 で、映像ジャーナリスト長井さんの件もあり、日本の外務省の
 ホームページを覗いて見ました。

 外務省のビルマ関係ページでいつも気になるのが、「難民情勢」
 のページですね。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/nanmin/myanmar.html

 なんと「平成13年9月」から更新されておりません。
 意図的?
 まさか。

2007年10月20日

●<「ガンバリさん」 か「ピニェイロ(ピネイロ)さん」か>

 アウンサンスーチー氏とタンシュエ上級大将(SPDC議長)
 の間を行き来する国連事務総長特別顧問のガンバリ氏に
 期待が高まっている。

 が、ちょいと待てよ。
 
 そう、ピニェイロ国連特別報告官はどこへ行った?
 軍政側にビザも出してもらえなくて、入国もできないし。
 国連は、実のところSPDCに軽く扱われているんだけど。

 そう考えると、ガンバリさんはやっぱり軍政の時間稼ぎの
 役目と使われているに過ぎないのかな。

 やっぱり安全保障理事会じゃあないとダメなのかな。

 ふむ、む。

2007年10月19日

●<「ビルマ」と「ミャンマー」>

 最近、急激に増えたビルマ関係のニュースでから、またこの話題である。
 呼称にこだわって、本質的な問題から目をそらしてはならないが、
 見過ごしにできないこともあるのだ。特に、「そう書くことによって、
 あなたは何が言いたいか」をキチンと考えなければならない。

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「ミャンマー」派?「ビルマ」派? 政治的メッセージ帯びる呼称
10月15日15時8分配信 産経新聞

 軍事政権による過酷なデモ弾圧で、ミャンマーが久々に国際的な注目を集める中で、同国の呼び名の違いも鮮明になってきた。軍政下で「ビルマ」から変更された「ミャンマー」という国名を、軍政に近い中国はもちろん、ロシアや日本も使っているのに対し、米英両国などは軍政を容認しないとの姿勢から、「ビルマ」で押し通している。一国の呼称は、政治性を帯びることが少なくない。(外信部 犬塚陽介)
 そもそも、ふたつの呼称の違いはどこにあるのか。
 ミャンマー事情に詳しい根本敬・上智大教授は「ミャンマーは12世紀ごろの碑文にも刻まれている文語。ビルマは16世紀ごろには使われていた口語で、いずれも現在のミャンマー人口の約7割を占めるビルマ族を指す言葉だ」と解説する。
 国名変更は、クーデターで実権を握った軍政が1989年、「(ビルマは)多民族国家の名称にふさわしくない」として行った。約130の民族の総称として「ミャンマー」を用いる“新解釈”に立ったものだ。
 「中高年は文語を口語にすることに抵抗感もあるようだが、軍政の指導もあって若い世代は日常的に『ミャンマー』を使っている」と根本教授は指摘、「ミャンマー」は一般国民には受け入れられているようだ。
                   ◇
 だが、ある在京のミャンマー人は「名称変更に違和感はない」としつつ、「ただ」と言葉を継いで、「軍政による押し付けが引っかかる」とも語っている。
 民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チーさんが演説や記者会見などで必ず「ビルマ」の呼称を使うとされるのも、「ミャンマー」には軍政のイメージが染みついているとみてのことであり、ほかの民主化運動家たちも自国を「ミャンマー」とはまず、呼ばない。
 「米国人はビルマの状況に憤慨している」とデモ弾圧を非難したのは、9月25日に国連総会一般演説に立ったブッシュ米大統領だ。大統領以下、米政府が旧国名に固執するのは、「軍政は認めない」との考え方が根底にあるからだという。

 英国でも、政府はもとより、BBC放送やタイムズ紙などマスコミもおしなべて「ビルマ」を使用する。ミャンマーに対する旧宗主国意識、英国の名門オックスフォード大に学んで亡夫も英国人というスー・チーさんに肩入れする心情も背景にはありそうで、軍政への態度は米国よりも厳しい。
                   ◇
 こうした中、中露両国はともかく、日本が「ミャンマー」を使うのはなぜか。国連は「ミャンマー」を採用しており、「軍政の評価と関係なく、国連に登録された呼称を尊重し使っていいる」(外務省)という。
 さて、米国でも、メディアは大半が「ミャンマー」という国名を使っている。だが、国際紙、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンに最近載ったコラムによると、ニューヨーク・タイムズ紙の元編集主幹は「『ミャンマー』は今、あんなひどい連中と関連付けられている」とし、「私(の『ミャンマー』表記に切り替えた決断)はあまりに早過ぎた」と述懐している。
 あなたは「ミャンマー」派、それとも「ビルマ」派? 

--------------------------------------------------
September 29, Agence France Presse
What's in a name -- battle rages over 'Burma' vs 'Myanmar' - Frank Zeller

Burma or Myanmar? As the military regime has cracked down on pro-democracy
protests in the Asian country this week, a war of words has flared again
over what to call the troubled nation.

Political exiles, the United States and the BBC prefer the old name,
'Burma,' which stems from British colonial days, while the United Nations,
Japan and many other nations have adopted 'Myanmar' as the official name.

The country's ruling junta made the switch to 'Union of Myanmar' in 1989,
the year after its soldiers massacred some 3,000 activists supporting Aung
San Suu Kyi, the pro-democracy leader and Nobel Peace Prize winner.

The regime derived the English name from the traditional 'Myanma
Naingngandaw,' symbolically breaking with the era of the British Raj when
the colony was called 'Burmah' after the dominant Burmese ethnic group.

They made a host of other geographical name changes, turning what was then
the capital, 'Rangoon,' into 'Yangon' -- similar to changes made later to
Indian city names, such as the switch from 'Bombay' to 'Mumbai.'

But critics say the move lacked legitimacy because it was made by an
unelected junta and should be ignored by the world.

Some have even drawn parallels to the change from 'Cambodia' to
'Kampuchea' which was made by the murderous 1975-79 Khmer Rouge regime but
reversed after their overthrow by Vietnamese troops.

"A lot of exile groups still use 'Burma' because that was the name of the
country before they fled after the 1988 protests," said David Mathieson of
Human Rights Watch (HRW), whose group has stuck with the name Burma.

"The US and many organisations who call it 'Burma' made an official stance
saying they'll stick with the pre-1989 name. The UN, on the other hand, is
bound by what the sovereign government says."

White House spokesman Tony Fratto this week said Washington's refusal to
use the junta's term was "intentional" because "we choose not to use the
language of a totalitarian dictatorial regime that oppresses its people."

"And we have freedom of speech here, maybe they don't," he quipped.

US President George W. Bush -- and First Lady Laura -- have stuck with
"Burma" in line with the US State Department, which pointedly notes that
the 1989 name change never won approval from the country's legislators.

"The democratically elected but never convened Parliament of 1990 does not
recognize the name change, and the democratic opposition continues to use
the name 'Burma'," the State Department website says.

"Due to consistent support for the democratically elected leaders, the US
government likewise uses 'Burma.'"

Mathieson, a long-time expert on Burma/Myanmar affairs for the New
York-based group HRW, said the point is perhaps more hotly debated outside
the country than by its citizens, many of whom have got used to the
change.

"It would be great if the country was free and there could be an open
debate about it," he said.
____________________________________
■参考ページ■

http://www.uzo.net/notice/quo/b_m.htm

2007年10月18日

●<日本語の広告も>

 ここはチーミンダイの野菜市場の裏。
 
 なぜか広告に日本の文字もあるね。
 んでも、誰に向かって? 
 ビルマにいる600人ほどの在留邦人相手に?
 まさかね、ここに直接姿を現す日本の人はほとんどいないはず。

2007年10月17日

●<庶民の強さ>

 デモ隊を阻んだ鉄条網が巻かれたバリケード。
 デモ弾圧が終わった後は徐々に片付けられ、道路も解放され始めて
 います。
 

 ほお、ここシュエダゴン・パゴダ下では、洗濯物を乾かす台として
 活用されてます。庶民の強さ(ってこじつけ?)を垣間見た感じ。
 

 ふむ。

2007年10月16日

●<3人そろって、さて?>

 
 3人そろって、さて体重計の針はどこを指してるのか。
 路上で働く子どもたち。
 みんな、ガリガリだよね。

2007年10月15日

●<お財布>

 知り合いのビルマ人の多くは手ぶらで動くことが多い。
 男性は、ロンジーに財布を突っ込んでいる。
 
 女性は、といえば、これはおばちゃんに多いのだが、
 ちゃんと財布代わりを考えている。
 
 
 ほら、ここが私の財布だよ。
 
 
 この人も札束を突っ込んでます。

 ふむ。

2007年10月14日

●<オーロラビジョン>

 3週間ほどの留守の間にビルマに起こったことと言えば、
 そう、タンシュエ軍事政権による流血デモ弾圧。
 それと、
 ミニゴンにオーロラビジョンができていた。
 
 もしかして、ここがビルマ版「新宿オルタ」前となるのか。
 まさか。

2007年10月13日

●<またもやセブンイレブン>

 これまで菓子パンのパッケージでパチモノのセブンイレブン製品を
 見てきた。
 が、
 である。
 この間、Hレイダンをうろついていたら、これこそ正真正銘の
 パチモノの店を見つけた。
 
 ここまでやれば、ちょいと感動モノだ。
 うん。

2007年10月11日

●<撤収ですか?>

 シュエダゴン・パゴダ(南口下)で兵士の撤収が始まったようです。
 木枠で組んだ車止めをトラックに積み込んでます。
 
 車がひっきりなしに走るので、やっぱり隠し撮りだとうまく
 いきません。これ以上近づけないし。
 町中には武装兵士の姿を見かけることは、もうほとんどありません。
 
 もしかして、例の建築中のビルを根城としている兵士たちも
 いなくなったのかな。明日、一度、確認しにいってみよう。
 危ないかな?
 さて?

2007年10月08日

●<現場>

 10月8日(月)、東京では長井さんの葬儀が行われたようである
 (ホテルの衛星放送を見ていました)

 と、ここビルマのラングーン(ヤンゴン)では何かあるのだろうか?
 そう思って、長井さんがビルマ軍兵士の凶弾に倒れた現場に
 行ってみた。

 何もない。
 普段どおりの日常だった。
 この現場は、ラングーンでも(ということはビルマ国内で)最も
 交通量が激しい場所。
 いつものように人と車が行き交う。
 
 オレンジ色の発電機の陰には武装した警官が3人座っている
 のでこの位置からでしか写真が撮れないのである。
 写真を撮る自由もないのだ(って、ここはタンシュエの軍事独裁政権
 国家だった)
 困ったものだ。
 
 

2007年09月13日

●<またまた写メールされました>

 ビルマの山奥で「写メール」というのも可笑しいですが。
 きっちり撮られました。
 
 (撮影:Magic 氏)

 私の握っているのカメラは、リコーの Caplio500Gwide です。
 この一見、オモチャみたいなカメラ、雨の激しいジャングルでは
 威力を発揮しますね。

 で、上で撮したイメージはこんなんになります。
 
 さすが22mmの広角だわ。
 うん。

2007年09月09日

●<緑の眼をした・・・(3)>

 
 緑の目をしたビルマ人の男の子。
 今回は、緑色というより、どちらかというと青い目かな。
 ふむ。

2007年09月08日

●<えいやっ、と踊る(4)>

 
 タウンビョン(Taunbyon Festival)のお祭りです。
 
 御利益を求めて参拝するビルマの人びと。
 日本で言えば、まあ、商売繁盛の「えべっさん」みたいなもんか。
 
 それにしても、おばあさんも身体をいわさん程度に踊りなはれ。
 (いらんお世話か?)

2007年09月07日

●<えいやっ、と踊る(3)>

 
 タウンビョン(Taunbyon Festival)のお祭りです。
 ナッカドー以外の一般の参拝者も踊りまくります。

 コードージとコードーレーの兄弟(神話)に詣った参拝者も
 汗をふりまきながら踊りまくります。

2007年09月06日

●<えいやっ、と踊る(2)>

 
 タウンビョン(Taunbyon Festival)のお祭りです。
 ナッカドーは大活躍です。

2007年09月05日

●<緑の眼をした・・・(2)>

 青い眼、緑の眼、鳶色の眼をしたビルマ人がいます。
 で。
 今日も緑の眼をした子どもの写真です。
 
 (またまた今回もヘイゼル色っぽい?)

 続きはまた今度。

2007年09月04日

●<火を喰らう>

 
 いろんな人がいるけど、火を喰らう人は滅多にいないね。
 ま、タウンビョンのお祭りの一場面だけど。
 
 ココナツを頭突きで割るという人もいるらしい。
 ひぇ。

2007年09月03日

●<えいやっ、と踊る>

 (マンダレーでは噂になった廃止の)1000K札を全身に付けて
 踊りまくってます。
 
 ビルマで3本の指に入る、タウンビョンのお祭りです。 
 ナッカドーと呼ばれる祭司を務めるのは同性愛者が多いとか。
 このお祭りではあちこちで彼らの姿を見かけます。
 ちょいとビルマの文化を見直す良い機会です。

2007年08月29日

●<緑の眼をした・・・(1)>

 ちょっとスペシャル映像です。

 青い眼、緑の眼、鳶色の眼をしたビルマ人がいます。
 で、
 今日は緑の眼をした子どものイメージです(ちょっとヘイゼル色っぽい?)
 
 
 続きは今度また。

 

●<緑の眼をした・・・(1)>

 ちょっとスペシャル映像です。

 青い眼、緑の眼、鳶色の眼をしたビルマ人がいます。
 で、
 今日は緑の眼をした子どものイメージです(ちょっとヘイゼル色っぽい?)
 
 
 続きは今度また。

 

●<像の象さん その(2)>

 これは四方山話にはいるのかな?
 ま、固いことは抜きにして。
 
 押しても動かないなら、私が押してみましょう。
 って、絶対に動かないけど。

 (N氏撮影)

2007年08月26日

●<像の象さん>

 石を押す象(像)さん。
 
 或いは、石に押されている像(象)さん。
 さて、どっち。
 像の象さんです(ちょいとオヤヂギャグかな?<その通り)

2007年08月25日

●<田植えの予感(2)>

 田んぼに根を張った雑草を引き抜いています。
 
 この円るい跡は、耕耘機の走った後かな。
 
 ここでもまた、田植えの予感なり。

2007年08月24日

●<田植えの予感(1)>

 さすがビルマは米どころ。
 いつ来ても田植えをしている感じ。
 確か4ヶ月前にも田園に水が張られてたな。
 

 今回もそろそろ田植えの予感、かな。

2007年08月23日

●<飛び出し注意>

 

 仔牛ががはねられました。
 交通量の多い町の中にも時々牛が出没します。
 
 道路の穴ぼこ、自転車・バイク・サイカー・車、それに加えて
 牛や羊にも注意をしなくてはなりません。
 道路上にへたって動かない犬には腹立ちますけど。

2007年08月20日

●<山の中を歩いていたら、>

 テクテクと(いや、実は、ハァハァ、ウンウン言いながら)山を
 歩いていたら、前方に兵士を発見。
 
 カレン兵士でも、シャン兵士でもありません。
 、ということは・・・?
 ふむ。

●<とある戦争博物館>

 朝9時半頃(?)、電話へのメッセージ着信の電子音で
 目が覚める。
 ウトウト。
 ああ、もう10時前か。
 起きんとかんやないか。
 で、折り返し電話。

 SFでヘヴィー朝食(チキンバーガーと生野菜とアイスコーヒー)
 値段も3000Kくらいかな。

 さ、行こうか。
 ビュンと出動。
 ビュンビュン飛ばす。
 昨日に続いて気持ちいい。
 
 曇り空から青空へ。
 ひたすらコーナーを攻める。
 アスファルトもいいぞ。

 約1時間15分後、目的地到着。
 さて、そこからが問題だ。
 ガソリンも3000K分くらい入れる。
 電話で博物館の場所を確認。
 う~、わかりにくいぞ。
 でも、ちっちゃな町だし、すぐ分かるかな?

 あ、すぐ分かった。
 簡単すぎた。
 で、第2次大戦時の陳列物を見る。
 当時と今をどう対比させるか。
 -そう思うのは自己満足すぎないか。かつてタイの人は敗走する
 日本人を助け、今は脱出したビルマ人をかくまっている。
 
 この意味、ちょいと考える必要があるなあ。
 写真をパチパチ撮って、ビュンとおいとま。

 ビュ~ンと飛ばす。
 行きは1時間ほど。最高時速100kmが限界。
 だって、旧式だもの。
 でも、道路も空も森も格好のツーリング日よりだ。
 ウン。
 

 15時前、町に戻って、部屋でぐったり。
 さすがに飛ばしすぎた。
 一気に緊張がプッツン。
 ウタウタウタた寝。

 17時前、MK氏より電話。
 バイクを返して、おお、400Kでいいの?
 SFへ。
 ぐっちゃら。
 おお、ビデオはなんとまあかっちょいいんだろう。
 
 19時前、緑の食堂でお腹いっぱい。
 散会。

 ネット屋へ。
 
 今日もメールサーバがおかしい。
 ダウンロードできるのだが、アップロード(送信)ができない。
 なんでだ。

 ランドリー:3000Kくらいかな。

2007年08月19日

●<油断してたら、>

 最近、雨が降っていないと油断してたら、大甘だった。

 さすが山の中はビショビショ濡れだ。
 
 うわわ、地面が流れてるよ。
 
 写真撮ろうにも、暗いし、濡れるし。
 さすがにカメラを守らなアカンから気ぃ使うわ。

2007年08月18日

●<ねぇ、買ってよー>

 ビルマ国内を船で移動したら(短距離・長距離にかかわらず)、
 必ず売り子たちが寄ってくるね。
 外国人だと、何か買ってくれると思って、目に前に座り込む。
 
 
 横にいた友人が、「高いんだよー」って言う。
 ちなみに彼は自宅で、雑貨屋兼駄菓子屋兼タバコ屋をしているから
 売り子たちの商品の元値を全て知っているのだ。

 ま、ちょうどハッカのドロップが欲しかったんだ。
 150K払って買い求める。

2007年08月17日

●<求む兵士>

 ビルマ版ROTCっていう感じかな(ちょいと違うか)
    (↑全然ちゃうって?・・・フム)
 
 
 村の少年を強制的に徴用しているっていう噂があるけど(噂だけ
 じゃあなく、本当のことらしい)、こうやって、合法的に兵士を
 募集しているっていうこともあるんだ。
 知らなかった。

2007年08月16日

●<山の向こうは>

 山の向こうは・・・。
 
 そう、
 自分たちの祖国(郷土)があるんですね。
 いやいや、遠くの山向うじゃなく、彼ら/彼女たちが今立っている
 その場所こそも、彼らの土地なんだった。
 (国境線が分かりづらくて・・・)

2007年08月14日

●<物売り、物乞い>

 

 乗り合いバスの発車待ちです。
 待っている間に、物売りや物乞いが現れます。
 なかなか簡単にやり過ごすことは、慣れるまでできません。
 ふむ。

2007年08月13日

●<キレイにする>

 あ、見つかった。
 

 でも、とりたてて悪いことをしているという意識はありません。
 むしろ、キレイにしているという感覚なのかな。
 
 目の前からゴミが消えたらそれでいいという感覚、う~ん、
 かなり視野の狭い社会環境なのだろう。

 んでも、30年ほどの日本でも、ゴミをこんな風に捨てている場面に
 よく出くわしていましたし、自分も特別掃除の度に捨ててました。
 
 時代と共にいろんなことが変わるんだ(あたりまえか)
 

2007年08月12日

●<街角の油売り>

 街角で、油(ガソリン)を売ってます。
 
 1本(1L)あたり、地元価格で約750K~800Kかな。
 もっともマンダレーでは、、外国人と見透かされて、
 1000K~1200Kという高額でぼられたこともある
 (ぼったくりには、だいたい○○○○系の人が多いけど<勘違い?)

2007年08月11日

●<雨降りは大変>

 
 ジェッティ(船着き場)での客待ち。
 サイカーのマウンセヤ(運転手)は、雨が降るこの時期、大変です。
 待っている間も雨でびしょ濡れ。

 しかも、走り出したら、汗と雨でぐっしょぐしょ。
 
 
 最近は、バイクタクシーやトゥクトゥクとの競争も激しいし。

2007年08月10日

●<マニアには>

 
 たぶんクラシックカーマニアには垂涎の車であろう。
 ただ古いだけでなく、現役で走っているんだもんなあ。
 このシボレー。
 何年型だろう。
 しかし、モルメイン(モウラミャイン)で主流のこの型の
 乗り合いバス、他の地方ではあまり見かけない。

2007年08月08日

●<なぜか港町には>

 

 こ、こ、これはさすがにアカンでしょ。
 市場にて、新品で売っているのも困ったものだ。
 しかも、ビルマはイスラエルに軍の若手を百人規模で派遣して
 いるというのに。
 う~ん、イスラエルの高官は、ビルマのこの現状を知っている
 のだろうか。
 (ちょっと目くじらたてすぎ?)

 それにしても、以前も同じヘルメットを見かけたのはパセインだった。
 なぜか港町にはこの手の凹十が似合うのだろうか。
 フム。

2007年08月07日

●<ゴミ捨て場>

 ゴミ捨て場で1日働いて、2000Kから5000Kの稼ぎとか。
 ゴミ収集車が到着する度に、鎌を振り上げる人びと。
 

 
 50家族ぐらいのビルマ人が働いてました。

2007年08月06日

●<お好きなポーズで>

 なに、なんだって?
 写真撮るのか?
 
 こんなのでいい?
 
 ちょいとかっこつけすぎですよ。
 ま、お好きなポーズで。

 そう、ビルマのゲイです。

2007年08月05日

●<水汲みいろいろ(2)>

 夜も明けきらぬもやの中、ため池にやってくる。
 

 こちらは大型の井戸。
 
 落ちないようにね。

 こちらは筒式の井戸。
 
 地中深く(どのくらい?)金属製の筒を沈める。筒に入った水を
 引き上げる。

 
 ちょっと重労働だね。
 
 水汲みの形はまだいろいろあるけどね。
 また、次回。
 

2007年08月04日

●<おお、新空港>

 今回、ラングーン(ヤンゴン)の出国は新空港だった。
 おお、新しい(当たり前か)

 
 案内も液晶に電光掲示板だ。

 広いし、空港内にエスカレーターもある。
 

 

 おお、飛行機まで直接繋がっているぞ(ビルマで初めて見た)
 飛行機まで歩いて行かなくても良さそうだ(あ、Air Bagan だけか)

 ちょっと不便なのが、エアポートタックスを払う窓口と
 チェックインが離れていること。搭乗前の待合所への
 スロープが長く、階段も急でちょいとややこしいことかな。
 
 なんでも空港には冷蔵倉庫も完備していて、将来農産物の空輸も
 考えているとか。
 ふむ。

2007年08月03日

●<仲間が集まると>

 
 市場や路上で、リサイクルボトルなどを集めて生活の糧と
 する子どもたち。
 
 仲間が集まり、休憩となると、お遊びが始まる。
 学校は?
 野暮な質問でした。
 はい。
 

2007年08月02日

●<こうやって>

 元政治犯の彼にインタビューしてみました。
 計15年間、刑務所に入れられました。
 そのうち約10年は独房で、しかも見せしめ(罰)のために
 1年も足枷をさせられました。
 
 そう、足枷をしてこうやって、ずっと座らされました。
 
 (写真の背後をちょっと人口的な処理をしてます)
 
 40歳までの15年間。
 もう取り返すことはできない。
 厳しすぎる人生だ。
 コメントすることさえ憚られる。

2007年08月01日

●<共有物>

 

 この間、『はらっぱ』の原稿に書いたけど、上のような井戸
 という共有物の存在は貴重だよね。
 
 「自分のものであって、自分のものではない」(@平川
 『東京ファイティングキッズ』)
 まあ、これはたぶん孫引きだと思うけど。
 
 平川氏は続けます。
 --------------------------------------------------
 こういった自分のものであって、自分のものでないもの、あるいは
 誰のものではもないものに向きあうときひとはいくぶんかの遠慮と
 いくぶんかの貢献、いくぶんかの愛情といくぶんかの距離をもって
 それらを消費しようとするのだと思います。そこに暗黙の了解という
 ものが働いており、それが、汲みつくしてしまうといっった「共有地
 の悲劇」にブレーキをかけるベクトルとして働きます。
「法」ではなく、「法をまもろうという合意」でひとびとは動いて
 くれますので社会的なコストは安くつきます。
 --------------------------------------------------
 うん。
 分かり易い説明だ。

2007年07月31日

●<心の故郷(ふるさと)-2->

 パオ民族の心の故郷がカックー遺跡なら、カチン人(ジンポー人)の
 心の故郷は、これかな。
 
 もっとも、こちらの方は、パオ民族の集まりに比べると、かなりイベント化
 されてしまったけれど。
 
 手元に資料がないので、詳細に書けないけれど、この建造物、何て
 言いましたっけ? 
 
 この踊り(ちゅうか集い)は確か、マノーフェスティバルですね。
 ちなみに来年、2008年は60周年目に当たり、集会はでかいらしい。
 

2007年07月30日

●<心の故郷(ふるさと)-1->

 ビルマ人の心の故郷(ふるさと)は、パガン遺跡か
 シュエダゴン・パゴダになるかな。
 もっとも後者は、ビルマに住む人の故郷でもある。

 で、パオー民族の心の故郷と言えば、
 
 そう、カックー遺跡になるのだろうか。

 遺跡の中に入って、パゴダ周りをテクテク歩いて見ると分かります。
 あちこちで仏様の頭部が無くなってます。
 盗掘ですね。
 
 で、こちらは盗掘防止のために守られてます。
 んでも、仏像を守っている金網がちょいと頼んない。
 

2007年07月29日

●<失礼して>

 ちょっと失礼して(これを撮る私の方が失礼なヤツですが<すいません)
 
 そう、座り小便である。

 ロンジー(パソウ)を履いてオシッコをするのは(男性の場合)大変。
 まくり上げるか座ってするしかないからね。
 で、さすがに人の多いところでは、パソウをまくり上げるわけには
 いかない。
 で、自ずと座っての「立ち小便」ということになる。
 
 申し訳ない。

2007年07月28日

●<勇気あるね>

 アウンサンスーチー氏の誕生日にNLD(国民民主連盟)の本部前に
 行ってみました。
 ドキドキ。

 と、NLDの集会がほぼ終わりに近づいた頃、一人の青年が歩いて
 帰ろうとしてました。
 うわ、びっくり。
  
 スーチー氏の写真Tシャツを着たまま歩いているではないですか?
 
 「怖くないの?」
 「ぜんぜん」

 ほんに勇気あるね。

2007年07月27日

●<冬虫夏草>

 カチン州の最北部プータオから更に北の村で手に入れました。
 こんな「虫/植物」がいるからね、と。
 捕らえるのは難しいらしい。

 死んだ虫に植物が種を植え付けて、そこからにょきにょき芽が出て
 来るんだって。
 なんでも高価な漢方薬/精強剤としても売買されているそうな。
 
 このくらいの大きさだと、3000K(3000円)くらい。
 ポーターの一日分の稼ぎにもなる。
 
 で、こういうのに詳しい?田Bさんに聞いてみよう。
 --------------------------------------------------
 ずばり『冬虫夏草(とうちゅうかそう)』です。
 植物ではなくて菌類ですね。
 http://ja.wikipedia.org/ に詳しく出ています。
 これで見ると,日本で冬虫夏草と呼ばれる菌類は範囲が広くて,
 狭義の(中国で漢方薬にしている)冬虫夏草は,コウモリガという
 蛾の幼虫に寄生する特定の一種のようです。
 ちなみに「日本冬虫夏草の会(http://www.jscr.jp/)」なんて
 のも見つかりました。
 --------------------------------------------------
 で、菌類でした。
 田Bさん、ありがとう。

2007年07月26日

●<新聞紙は暖かい>

 ラングーン(ヤンゴン)のストランド通りをてくてく歩いてました。
 Strand Hotel から英国大使館、郵便局へ向かって。

 と、幼子が新聞にくるまって寝ていました。
 
 やっぱり新聞紙は暖かいのだろう。
 お姉ちゃん(らしき)子は本を読んでいる。お母さん(らしき)女性は
 段ボールを細かくちぎっていた(仕事だろう)
 
 カメラを向けても嫌がる様子はない。
 へー然としてた。
 ん?
 何か変だなこの有りよう。
 撮らされている、っていう感じ。
 それは勘ぐりすぎ?

2007年07月25日

●<オメェ、うりゃあ>

 雨期です。
 上ビルマは(今年)それほど雨は降ってませんでしたけど、
 下ビルマは、ジャブジャブ降ってました。

 と、そんな乾期のある日、多くのカレン人がの住む地方都市に行ってみました。
 と、早速、田んぼで田植えをしている若者たちに遭遇。
 さっそく、じゃぶじゃぶ歩いて田んぼに入り、写真を撮りました。
 

 で、一息ついたところで彼らにカレン語で話しかけてみました。
 (そこに居るのは、たぶんカレン人だろうと予想して、ね)
 「こんにちは」
 と、うわ、10人ほどいた人たちが、一斉にケラケラ笑い出した。
 
 う~ん、じゃあ今度はビルマ語で。
 「ちわ」
 「きゃはははは」
 ケラケラと一段と大きな声が上がる。
 困ったなあ。

 ふん、だ。
 もう一回、カレン語トライしてみる。
 「オメェ(ィ)、ウリャ?(ご飯食べた?=こんにちは)」と
 近くにいた男の子が、ニヤニヤしながら言った。
 「俺たち、ポーカレンだよ」
 あっちゃー。

 私はスゴーカレン語で話しかけてました。
 う~ん、ポーカレン語とスゴーカレン語は挨拶にも違ったのかな?
 中途半端に言葉を習得すると却ってややこしいなあ。

 ちなみに、ビルマ語でも「こんにちは」」の挨拶は、
 「サー、ピィビィラー(ご飯食べましたか?、ご飯済みましたか?)
 って言う。
 それ以外の挨拶表現として、「ベェゴートォワマレー?(どちらに行きますか)」
 とかも言う。

 でもすれ違いに「ベェゴートォワマレー?」は長すぎる。
 で、普通は短くして「ベレェ?」と言っている。

 時々、中国や東南アジアを旅した人の紀行文を読んでいて興ざめなのが、
 町や村で挨拶で「ご飯食べましたか?」って言われたので、正直に、
 「まだです」って答えて、お腹いっぱいごちそうになった、っていうのが
 よくある。
 ほんとよくある。
 
 これと同じように、ビルマの挨拶で「ベレェ?」と聞かれて、
 具体的に「市場まで」」とか「郵便局まで」とか「マウンマウンさんの
 家まで」」とか律儀に答える必要はない。
 単に「ホォベェマ(ほん、そこまで)」って答えていたらいいのである。
 
 日本でもあるでしょ、「どちらへ」「ほん、そこまで」という挨拶が。
 

2007年07月24日

●<軍部?公安関係者?>

 ったく、ええかげんにせえよ。
 目の真ん前におっ立って、堂々とオレの姿を写真を撮るなよな。
 ディーセンシィがないんだよな。
 
 しばいたろか、って思う。
 でも、多勢に無勢、しばかれるのは私の方だけど。
 なんかイラつくわ。
 でも、これが現地のビルマ人なら、その夜のうちに逮捕か拘束
 なんだろうなんだろうな。

2007年07月23日

●<アウンサウン>

 ラングーン(ヤンゴン)の西側にタケタ地区がある。
 偏見の強い人によっては芳しくない評をするようだ。
 
 お友達を訪ねてそのタケタ地区の外れにある家に行ってみた。
 トントントンと2階に上がると、おおやっぱり正面の柱には
 アウンサンの写真が飾られていた。
 
 独立の英雄だからね、この人は。
 経済的に厳しい生活をしている人びとほどアウンサン将軍や娘の
 アウンサンスーチー氏、さらにNLD(国民民主連盟)への支持が
 強いように感じる。

 ちなみに、「アウンサウン」と書いた方がいいのか、それとも単に
 「アンサン」か。後者だと発音が日本風だけどね。

●<古本屋街にて>

 ラングーン(ヤンゴン)市内にはいくつか古本屋街がある。
 それも、そのいくつかは路上での古本屋だ。

 スーレーパゴダを東に向かうとパンソーダン通りに出る。
 そのパンソーダン通りを南に向かう、あるいはインド大使館近くまで行く。
 その周辺に多く見られますね。
 
 それほど雨粒の勢いが強くなければ、露天の古本屋は店をたたまず
 そのまま営業している。

 個人的な印象だが、町で本を読んでいる姿は隣国タイよりもビルマの
 方が多いような気がする(テレビやコンピューターの普及度と関係が
 あるのだろうか?)
 
 
 小雨降る中、若いお坊さんが熱心に本読みに集中してました。

●<粋がってますね>

 ガロの「学生街の喫茶店」(古い?)を思い起こすような大学前の
 カフェに入ってみました。

 ずっしりと重い雲が垂れ込め、強い雨が降っているせいか、
 オープンカフェなのに店内は薄暗い。

 可愛らしい女子学生(この表現も古いか?)の周りに男子学生が
 群がっている(うん、とても分かり易い図でした)
 
 ちょっと粋がっているカップルを発見。
 
 「何で写真を撮るの」っていう視線ですね。
 でも、決していやがっていない。
 その反対に、いちゃいちゃを見せつけているっていう感じだ。

 ふん、だ(<って、負け惜しみかいな)

2007年07月21日

●<おまじまい>

 ラングーン(ヤンゴン)から車で約1時間。
 地下トンネル式の瞑想施設をもった、とあるヒンズー教の寺院に
 着きました。
 
 トンネルに入る前に、ヒンズー教のサドゥーがいろいろと
 おまじない(たぶん)をしてくれます。
 さらに、他宗教に気を遣ってくれます。

 「あなた仏教徒? これ(試)してみますか?」と
 灯のついたお皿から油を額に付けてくれます。
 
 
 んでもって、もごもごとヒンズー式のおまじない(きっと)を
 唱えてくれました。
 
 チィズゥ、アミャーヂ です。

2007年07月19日

●<椰子の実のお酒(或いは、タンディー)>

 まあ飲んでいけ、と勧められたのがタンディーから作られたお酒。
 どうやって作るの、って聞いたらすたすたと椰子(?)の木(?)
 に上り始めた。

 
 上で、バシッバシッとタンディの実を丸ごと切って、地面に落として
 ました。
 
 (これは、カレン州で書いたネタだったかな?)

2007年07月18日

●<エアコン>

 街ネタを拾うために、ラングーン(ヤンゴン)の下町をテクテクと
 歩きます。

 見慣れた風景の中に、おやっ? っていう生活を見ることがあります。
 
 別に衛星放送のお皿を言いたいのではありません。
 では、これでは。
 
 こちらは一軒家です。
 そうです最近、エアコンを据え付けている家が増えたような気がします。
 (ちっちゃな写真で見えるかな?)

 (家人の海外出稼ぎ収入か?)お金があるのだろうか。
 ふむ。

2007年07月16日

●<並ぶビルマ人>

 ビルマ人と(ちょっと前の)大阪人の共通点は、並ばない、という
 ところにあった。

 ま、最近の大阪人は地下鉄でも並ぶけどね。

 が、ここビルマでは、多くの人びとはまだまだ並ばない。
 周りの迷惑を顧みず、我先にと動く。
 我が我が星人(@鵺)とも噂される。

 が、この前行ったところ(とある地方)では、皆~んな並んでた。
 
 やっぱり並び方も特徴あるね。
 割り込みできないようにビッシリだもの。

 で、何を求めて並んでるのか。
 
 安いお米の放出でした。

 「あんな屑米、ヤンゴン(ラングーン)では人は食べないよ。
  ほとんどが飼料として利用されるのに」
 とは、一緒にいたビルマ人の友人の弁でした。
 
 都市と地方の格差が広がりつつ今日この頃(のビルマ)

2007年07月15日

●<澄み切った川>

 ここは北カチン州の山奥(の村)
 荷物運びを終えた男の子が、ボートを漕いで川を遡ってます。
 
 澄みきっている川だ。
 まるでアマゾン奥地の川のよう(行ったことないけど、たぶん)

 ドブンと水浴びしたいくらい(イヤ、昼間、実際にしました)
 冷やっこい水でした。
 全身が縮みあがりました。

2007年07月12日

●<裸足の(登)下校>

 気持ちよく田舎道でバイクを飛ばしてました。
 と、前方に学校帰りの子どもたちを発見。
 手を振ってくれます。
 気持ちいいですね、無邪気な子どもたちは。
 
 バイクを止めて振り返る。
 
 おお、裸足の子どもが多い。
 そりゃ、これだけ雨が多ければ履き物も役に立たない。
 ちゃんとお手々つないで。
 ほんまにぃ。

 
 これくらい大きくてしっかりした笠でないと、ビルマの激しい雨には
 耐えられないですよね。
 うん。

2007年07月11日

●<本気で怒ってた>

 とある地方都市。
 橋の手前で検問をしてました。
 いつになく厳しいチェックが入りました。
 

 いつもの調子で(ワタシ、お調子モンですから)カメラを取り出し、
 シャッターを切った。
 
 それを見ていた警官とMPたち、文字通り血相変えて飛んで来た。
 「(おんどりゃ~)写真撮ったらあかんやろうがぁ~」
 ってビルマ語で怒鳴っていたようだ。
 おお、こわぁ。
 本気で怒ってた。

 しばらくすると、真っ黒なシールド窓のVIPの4輪駆動車が 
 猛スピードで駆け抜けた。
 
 彼らも緊張してたんだな。
 何にもなくて良かった。
 ふぅ。
 しばらくお調子モンは控えねば。
 ウン。

2007年07月10日

●<雨宿り>

 雨期の雨は(って、雨季だから当然雨ですね)突然のスコールで
 前が見えなくなるくらい激しく降る。

 
 さすがのビルマ人も雨宿り。
 さすがの野良山羊も雨宿りである。
 (ビルマをうろついていると、誰が飼っているのだろうか?
って不思議に思う野良山羊や野良鶏を、よく見かける)
 

  --------------------------------------------------
 「雨期」と「雨季」の使い分けってどうしたらいいのだろうか?
 雨期は、雨の降る期間。
 雨季は、雨の降る季節。
 っていうのかな。
 雨季って書いて原稿を出すと、雨期って修正されて返ってくる
 ことがある。
 (遅い接続の)ネットで調べてみても、よく分からん。
 --------------------------------------------------

2007年07月08日

●<よく見ると>

 
 ため池で水汲みです。
 
 んんん?
 よく見ると。
 これは、なんと。


 右側の牛が水汲みのすぐ傍で、おやまあ、オシッコをしてますね。
 う、う、う、としか表現しようがないな。
 

2007年07月04日

●<学校j帰りのモヒンガー>

 学校の帰りに寄り道して買い食いするのは万国共通。
 それは、ここビルマでも同じ。

 カチン州ミッチーナでも、モン州モルメインでも、マンダレーでも
 よく見る風景。

 
 で、食べてるのは、どこでも、やっぱりモヒンガーだった。

2007年07月03日

●<飄々と>

 田んぼの向こうの林から
 カレン人(ロンジーから多分そうだろう)が一人
 雨の中を
 飄々と歩いて
 きた
 
 

 私に気づくと
 にやりと笑って
 そのまま
 あぜ道を
 歩いていった

2007年07月02日

●<電話事情>

 街中をテクテク歩いてたら目にしました。
 旧首都ラングーン(ヤンゴン)の官庁街のど真ん中にあった
 「モバイルショップ」
 

 携帯電話はまだまだ高い。
 電話番号は2000ドルくらいするという。
 まあ、巷では、1ヶ月40~50ドルくらいのレンタル携帯電話が
 あるそうだけど。

 普通の人は、街中の公衆電話(30K~100Kくらい)を利用する
 他ない。

2007年07月01日

●<こりゃ、本気だな>

 人間には喜怒哀楽がある。
 当然だよね。
 もちろん、ビルマの人にもある。
 
 が、表面上の当たりの良いビルマ人ばかりとつきあっていると、
 この人たち、本当に怒るの?って思うことがある。

 まあ、酔っぱらいの喧嘩やタクシーの運転手同士の喧嘩はよく目にした。
 が、今日はびっくり、女性同士が殴りかからんばかりの喧嘩をしていた。
 
 2人とも棒きれを手にして、気合い入ってますね。
 
 手前の女性の手をアップで見てみると。
 
 おお、力瘤が出てるよ。
 こりゃ、本気だね。

2007年06月29日

●<ビルマのラップ小僧>

アノヤタ通りを歩いていたら、面白い看板を見つけた。


おお、ビルマ式ラップ小僧の画ではないか。
こんなヤツ、本当にこのビルマにいるのかな、って思うけど。
(すぐ横にNLDの看板があるのも興味深いけど、ね)


お、本当に、おりました。


ズボンをズルズル、地面すれすれまでずらして歩いてますね。
ほぉ。

で、話をしてみる?
どこでそのファッション覚えたの?

「MTVで」

おお、やっぱりそうか。
でも、ロンジー社会ではそのファッションかなり浮いてますね。
んでも、そうやって社会は変わっていくのだな(って、落としどころのない
オチになった)

2007年06月28日

●<ドリアンのウエハス>

 昨日、部屋に戻りしなに駄菓子屋でドリアンのウエハスを見つけた。
 おお、ビルマ製だ。
 怖々(なんで?)買ってみた。
 
 タイ・バンコクのホテルじゃあ、エレベーターに張り紙がしてる。
 -エレベーターや部屋にドリアンの持ち込みは禁止だ-と。
 キツい臭いのはたまらんもんね。
 

 早速、パッケージを開ける。
 おお、この強烈な甘酸っぱい匂い。
 たまらんぜ。
 うう、強烈過ぎる。
 で、一口、パクリ。
 
 ん?
 なんだか、お味噌汁にマヨネーズを入れた感じ(どんな感じやねん)
 どうやら私の味覚には合わない、な。
 残念。

2007年06月27日

●<いい眺め>

パガンの展望台を望む。
歴史的な遺跡に「溶け込んで」建つ展望台。
(ちょっと意図的に撮りすぎ?)
 
展望台から見るより、展望台を見る方がいいかな。

2007年06月26日

●<警戒厳重>

 ラングーンの町をテクテク歩いているとよく見かける建物ですね。

 屋上にたくさんのお皿。
 そこそこ衛星放送を見てます。
 
 いえいえ、そのことではありません。

 一軒一軒よく見ると、ベランダに鉄格子がかかってますね。
 それは、最上階だけじゃない。
 つまり、警戒厳重、っていうことですね。
 ふむ。

2007年06月25日

●<知的所有権の話>

 25日付け "The NEW LIGHT OF MYANMAR"(『ミャンマーの新しい灯』)
 のメインは、'National duty to protect Intellectual Propeties"の
 論説であった。
 フムフム。
 知的所有権を守ろう、と。
 ん?
 何かおかしくない。
 たとえばその日の紙面をよく見てみる。
 
 ま、国内記事はほぼ全てが国営紙の独占記事だからいいだろう。
 でも。
 テキスト記事の出典には、MNA/Xinhua、MNA/Reuters、Internet、
 という記述がある。
 前者2つはまあ契約しているからいいだろう。でも Internet とは
 ないだろう。

 ちなみにこの日の『ミャンマーの新しい灯』に使われている写真を
 チェックしてみる。

 写真は全部で23枚。
 国内写真は8枚、国際写真が15枚。
 国際写真のなかで MNA/Xinha と明記されているのは2枚のみ
 13枚がインターネット上から(たぶん無断)使用されている。
 これって知的所有権の侵害なのでは?
 紙面の写真の56%が国内の法律違反?
 自ら?
 
 おそらくニュースサイトには ○+C でコピーライトマークが
 入っているだろうに。

 私も知的所有権に関してはそれほどリジッドな考え方ではない
 (実際、私も自分の写真が勝手に使われていても、それが常識の
  範囲内なら-って書くと、また何が常識?っていうこともあるが
  -それほどガアガアとがなり立てることはない)
 
 ビルマ国内で発売されている雑誌やジャーナルの多くは、その中に
 『ミャンマーの新しい灯』と同じようにインターネットから無断引用した
 記事や写真もよく見かける。
 
 でもこれはビルマの通信事情を考えるとやむを得ないことかな。
 情報統制が厳しいのだし、それに中小の出版社の発行だし。
 でも、『ミャンマーの新しい灯』はまがりにも国営紙なのに。
 
 ちょっと細かすぎる指摘なのかな(たぶん)

2007年06月22日

●<またまた出ました セブンイレブン(もどき)>

 前回は「セブンイレブン」もどきの店の看板にだまされました。
 が、今回は本物のパチモノです(ってのは矛盾してますが)


 パンケーキとは恐れ入った。
 ちゃんと "SEVEN ELEVEN" のロゴと(R)マークらしきものまで
 ついている。
 これって、もう冗談にはならないですね。
 うん。

2007年06月20日

●<通し番号>

 ビルマで主に流通している通貨は3種類ある(と言っていいか)
 まず国家通貨の KYAT(チャッ<ト>)。
 米ドル、さらにビルマでしか通用しない兌換紙幣のFRC(Foreign exchange
Certificate)
 
 いつもの二重為替の話は置いといて(公式レートが約6Kなのに、実質
 レートが1275Kですよ)、今回はFRCの話。

 米国嫌いの軍事政権だから、公にドルを使いたくない。
 一時期、ユーロを使うって言う話があったんだが立ち消えのよう。
 で、一米ドル=一FECのお金を刷っている(中国でだけど)
 で、時々、米ドル以上にFECの偽札が出回るようだ。
 そんなんするのは(刷るのは、に掛けてます)、国内の事情通だけ
 なんだけど。

 で、自分の国で刷っている兌換紙幣だけど信用がない。
 困ったもんだ。
 政府の窓口でお金を支払うとき、な、な、なんと、一枚ずつ通し
 番号を書いてから支払うのだ(ここでは)

 いやはや。

2007年06月19日

●<撮ったり、撮られたり>


 今日の誕生日は何事も起こらなかった。
 ほっ。

 しかし、双方、沢山の人が集まってた。
 軍の側は、かなりの(道路の両側に500人X2)の人を動員していたようだ。

 お互い、写真を撮り合ってました。
 まずは、軍政側から。
 

 次にエヌ・エル・ディー側から。
 

 途中で土砂降りとなりました。
 

 と、いうことです。
 
 

2007年06月17日

●<お誕生日>

 そいや明後日の19日はアウンサンスーチー氏の62歳の誕生日だ。
 昨年から今年にかけていろいろと集会やデモが起こっている。
 もしかして、誕生日の日にも何かあるかもしれない。
 ニュースを要チェックだ、な。
 うん。

2007年06月14日

●<ガサゴソ>

 とある瞑想場所へ行ってみました。
 地元の人も知らない地下トンネル瞑想所。
 トンネルの歴史は100年ほど。
 ぐるぐる回って、6マイル(9km)もあるそうな。
 全部歩くと4時間半ほどあるそうな。
 
 
 地下トンネルは狭い。
 真っ暗。
 息が出来ない。
 湿気で眼鏡が曇り、汗だく。
 が、案内してくれた師によると、お肉を食べないで瞑想修行を
 すると汗かかないよ、って。
 ほんと、一緒に行動しているとき腕を触らせてもらうと、
 その通り、さらさらのお肌でした。

 とガサゴソ音がしてた。
 ?
 真っ暗で何も見えない。
 懐中電灯をつける前にカメラのフラッシュでバシッ、
 うわ。
 ゴキブリさんでした。
 うわ。
 
 あちこち踏みつぶしてました。
 足の裏、ゴキブリだらけ。
 ううう。
 

2007年06月12日

●<脅しと非難>

 日(12)も国営紙 'New Light of Myanmar'(『ミャンマーの新しい灯』)は
 国家平和発展評議会の第一書記 Secretary-1 of the State Peace and
 Development Counil Lt-Gen Thein Sein の中国(訪問)関連記事が主な
 内容だった。

 論説部分は相変わらず、スーチー氏とNLDを非難する内容。
 太字で強調した部分がまたふるってる。
 --------------------------------------------------
 The Tatmadaw government abolished
 single party system and centralized socialist
 economy to adopt market economic system. It is
 building a democratic state through market
 economy and is implementing the 12 objectives. It
 has been holding peace talks with underground
 and above-ground organizations to strengthen
 national solidarity. It has been able to restore
 unity with 17 armed groups opposing the successive
 governments for many years. It has been building
 infrastructures tirelessly for building a new
 democratic state. The government’s words meet
 its deeds. It has been implementing the sevenpoint
 Road Map to set up a discipline-flourishing
 democratic state.
 --------------------------------------------------
 特に、'The government’s words meet its deeds.'の部分が。

 最後もまたいい。
 --------------------------------------------------
 In my view such biased demands will not bring any constructive
 results because Daw Suu Kyi and NLD are talking dialogue while
still insisting on 1990 election results and inciting civil unrest.
 --------------------------------------------------
 まあ、スーチー氏やNLDが1990年の総選挙の結果の履行を
 求めるのは当然だけど、彼らがいつ市民生活の安寧を乱そうと人びと
 を煽ったのだろうか?

 よくスーチー氏は頑固すぎて対話に応じないという話をする人が
 いるが、私が思うに(また、ビルマで生活して感じるに)、対話に
 応じないのは軍政側なんだけど。

 しかし、最近の国営紙の傾向を見てみると、軍政内に(タンシュエ
 上級議長)はなんとか憲法制定会議を終わらせ、総選挙に向けて
 一気に走ろうという考えのようだ。

 今の軍の体制はそのまま政権に就くことはなさそうだ。
 というのも、軍の傀儡組織USDA関係のニュースが増えてるしね。
 --------------------------------------------------
 Secretary-General of USDA meets Vice-Chairperson of China’s
 Standing Committee of NPC
 --------------------------------------------------

● <名古屋でのデモ>

 そいや、先先週名古屋に行っておりました。
 の新しい事務所開き、アウンサンスーチー氏の自宅軟禁延長への抗議、
 プラス2003年のディペイン虐殺追悼集会でした。

 ちょこっとした記事を今週号の『週間金曜日』の短信欄「金曜アンテナ」に
 書きました。
 写真が出てないのが、残念ですが・・・。
 また、こちらにもその時の様子をアップしたいと思います。

 http://www.kinyobi.co.jp/KTools/antena_pt?v=vol657

 あっ。
 自分で写真をアップしてて忘れてた。
 5月27日の「よもやま話」に、●<NLD名古屋事務所開設>として
 写真をいくつかアップしてました。


 

2007年06月11日

●<警告と脅し>


 ビルマ軍政のNO.5(でも、第一書記)が中国に行った。
 なにやら話し合ったようだ。

 その日(10日)との国営紙『ミャンマーの新しい灯』には、
 スーチー氏を非難する記事・・・ばかげているのが、トップに 'Open Letter ....'
 って書かれていたことだ。
 スーチー氏に反論の機会があるの?っていいたいけど。

 11日には、いわゆる88年の学生世代に対して強い警告があった。
 「これ以上活動を続けると・・・」
 警告というより、脅しだった。

 しかし、国営紙に目を通していると、ホンとよくわかる。

 
 

2007年06月10日

●<手間替え?>

 この間、MKさんと話をしていたら手間替え(京都では「たまがえ」
 というそうな)という言葉が出てきた。
 この言葉、全く知らなんだ。

 ビルマでいえば、こんな作業のことなのかな。
 
 みんなずらりと並んで田植えをしてます。

 あ、でも、みんな労賃をもらうはずだから手間替えとは違うか。
 ふむ。

 

2007年05月28日

●<花びら>

 マンダレー郊外をうろついていて、お昼ご飯のため食堂に入る。
 中華料理屋だった。
 
 とりあえず「タミンパウン」を注文する。
 
 この「タミンパウン(タンミンパウン)」は場所によっていろんな
 できあがりがある。最悪はインレー湖だった。最高はラングーン
 (ヤンゴン)のスーレーパゴダ横の食堂。
 
 で、ここは。
 
 う~ん、見かけは、もう一つだな。
 
 ん?
 でも、盛りつけをよく見ると。
 
 ニンジンを花びら形に切っているではないか。
 一般の食堂で、こんな細やかな隠しワザを見たのは初めてだ。
 
 が、いかんせん、味が良くない。ペチャペチャで水くさい。
 ああ、美味しいタンミンパウンを食べたい。

2007年05月27日

●<NLD名古屋事務所開設>


27日名古屋に200人近いビルマ人が集まりました。 

■NLD(LA)名古屋事務所開設
■アウンサンスーチー氏自宅軟禁への抗議デモ
■ディペイン虐殺事件追悼集会

の為です。

 

 

 

 

 
 
 

 

2007年05月25日

●<白い服を着た人たち>

 ある建物を通り過ぎて、ズンズンと進んでいく。
 と、行き止まりだった。

 お、遠くで畑仕事をしている人たちがいた。
 あれ?
 
 みんな揃って白い服を着ている。

 あ、もしかして・・・、囚れの人びと?
 さっき通り過ぎた建物はやっぱり刑務所だったんだ。

 おお、こんなところで写真を撮っているのを見つかったら
 エライことになる。
 とっととづらかろう。
 うん。

2007年05月24日

●<7-11>

 今年(2007年)5月初め、ラングーンの裏通りを歩いて、ふと見上げると、
 見慣れた(?)看板を目にしました。
 
 
 あれ?
 いよいよビルマにも「セブンイレブン」が進出か?
 あれ、あれって、イトーヨーカ堂とくっついてロゴが変わったんでは?

 近づいてみよう。
 お、やっぱり。
 よく見ると、ヤンゴンのみのコンピューターのお店でした。

 
 それにしてもよく似てる。
 っていうか、そのものやん。

2007年05月23日

●<メメントモリ>

 取材が上手くいかず(イミグレーションの係官と喧嘩だ)、
 時間が余ってしまい、プラプラとサイカーに乗って町を
 回ることになった。
 
 と、とある通りでテントが張ってる。
 あれ、結婚式?
 でもなさそうだ。
 
 びっくり。
 お葬式だった。
 

 通りから遺体が丸見えです。
 そんなのありですか?
 
 ビルマに長く関わっているけど、こんな形のお葬式を初めて見た。
 死が近すぎますよ。
 (日本じゃあ、遠すぎるけど)

 近所の人も、通りを歩く人も、フツーっていう感じ。
 じゃあ、私もおじゃまをして、写真を撮ることに。
 
 死を想え、か。
 メメントモリ。
 うん。

2007年05月22日

●<ヘリポート>


 ある地方都市をめざして車を飛ばしていたら、
 お、なんか急に道幅が広がった。
 
 よく見ると。
 あ、これ、ヘリポートじゃないですか。
 3つ並んでました。
 

 こちらは、テクテク歩いて山奥へ。
 やっぱりヘリポートがありました。
 

 一度でいいからチョッパーで移動するルージーの姿を
 見てみたいものだ、うん。
 

2007年05月21日

●<田植え>

 今年の雨季は早いようだ。 
 4月末、カンカン照りの天気だったが、5月に入ると突然、
 激しい雨が降るようになった。

 
 ここはマンダレー郊外の田圃。
 雨が降りはじめる前に、みんな揃って田植えをしてます。
 
 「お兄さんも手伝ってよー」って声かけられました。
 

2007年05月20日

●<街角>

 
 ビルマの街角。
 ちょっと見する限りでは、日本のそれとあまり変わらない。

 
 家の前でマンゴー獲りをしてるけど、日本じゃ琵琶獲り、かな。

2007年05月19日

●< 「5」 >

 カチン州の奥深い山の中。
 泊めてもらった家の壁に走り書き。
 
 お、「5つ」ずつ数えてますね。
 その数え方は、もちろん「正」ではない。
 これは「中国式」かな。
 (って、中国が全ての基本じゃないけど)

 --------------------------------------------------
 (追記)
 Wさんから、「数の数え方ですが、縦に4本引いて、
 5本目を斜めに引く方法は、アメリカでもやりますよね。」
 っていうメールを頂きました。
 確かに米国でもそうですね。
 --------------------------------------------------

2007年05月18日

●<お買い物>

 カチン州の山の中。
 15歳の男の子がちょっと近くに買い物に行きます。
 
 ちょっと、って言っても、約30kgのお豆の買い出しです。
 重たいです。
 ちょっと、っていっても、約2週間山の中を歩きます。
 (私から見たら)厳しい生活です。

2007年05月17日

●<抵抗のNLD>

 
 マンダレーの国民民主連盟(NLD)のオフィス。
 看板に黒いスプレーが塗られています(2007年4月)
 嫌がらせが続きます。
 昨年暮れから特に圧力がかかっているようです。
 それでも抵抗運動は続きます。

 ちなみにこちらは2003年8月頃の写真です。
 

2007年05月16日

●<所謂、交通安全週間ですね>

 
 
 これは4月24日のラングーンの様子。
 何かおかしい?
 そう、停電で信号が消えていて、車が右往左往。
 危ないよね。

 と、同じ頃、ラングーンの某ホテルではセミナー(ちゅうか)、
 会合が開かれてました。
 

 これは、4月24日付けの『ミャンマーの新しい灯』です。
 軍政のマスターピースでもある国営紙ですね。
 なになに。
 「交通安全週間」なるものが始まった、と。
 ホテルの外と中とでは大違い。
 
 これが現実。
 ふむ。

2007年05月15日

●<ターバンだー>

 
 昨日に引き続き、パオ人の群衆です。
 ターバンを巻いたこれだけ多くのパオ人を見たのは初めてです。
 
 このターバン、ちょいとしたバスタオルにしか見えないのだけれど、
 ちゃうみたい。
 
 このターバンの由来を知りたいものだ。

2007年05月14日

●<パオの人で埋め尽くされた>


 3月初めの満月の日、ところどころでお祭りがある。
 そう、ここシャン州でもお祝いがあった。
 
 
 通りを埋め尽くすパオ民族の人びと。
 これだけたくさんのパオ人がいると迫力あるなあ。
 
 ちょいとだけアップしてみると。
 
 こりゃすごいわ。
 うん。

2007年05月13日

●<ヘルメットを、>

 YZWさんが真ん中で、ヘルメットを被りましょうと注意を
 促していますよ。

 

 まあまあ、そないに言わんでも。
 タイでも、カンボジアでも、もちろんビルマでも、そんなに堅苦しい
 こといわんでも。
 へえ。

2007年05月12日

●<気合いの入ったお坊さん>


 気合いの入ったお坊さんを見かけました。
 
 一眼レフカメラ(「デジカメ」)の持ち方も「サマ」になって
 ますね。手ブレしないようにちゃんと脇も閉まってるし。
 いったいどういった写真を撮っているのか見たいもんだ。

2007年05月11日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(29)>


 大切なカメラ、濡れたら大変。
 望遠レンズで、こわごわ撮影。
 

 こんな風に、間近で水を浴びながら撮影できるのも防水「デジカメ」
 のおかげです。
 
 
 しかし、ペンタックスさん、「デジカメ」のモデルチェンジ早すぎるよ。
 、ったく。
 あ、今はHOYAとの合併問題でてんやわんやですね。
 さて、ペンタックスは今後、どうなるのかな。

2007年05月10日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(28)>

 こうやってホースの水はかけられてもいい。
 それが、女の子からならなおさらだけど(その反対もあるけど)
 

 曲者はこれ。
 
 そう、氷水。
 これを背中からかけられると、全身が縮こまる。
 で、ブルッと身体が震えカゼをひいてしまう。
 おもわず、し○○○○かという気持ちになる。

2007年05月09日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(27)>

 4日間、連日お堀から水を吸い上げます。
 この水、はっきりって、ゴミが浮いているし・・・。
 
 大丈夫かなあ(<何が?)

 さすがに、広大なお堀も、毎日じゃあ水位も下がってきますね。
 (水位が下がった跡がくっきりと残ってます)
 

2007年05月08日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(26)>

 激しく水をかけられると、トー然、故障する車も続出。
 
 他の車やバイク、人が楽しそうにしている中で、ちょいと興ざめ。
 

 うへ、疲れた。こちらは人が故障気味。
 

 こちらはポンプが故障だね。 
 

2007年05月07日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(25)>


 マンダレーはラングーンと違って、舞台と舞台の感覚が開きすぎ。
 それに車の数が多すぎ(ラングーンもたいがいだけど)で、水を
 かけられる小休止も多い。
 
 
 しっかし、道路に水が溢れて川状態だね。

2007年05月06日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(24)>

 うわ、祭りの期間中、ドライバーにはお酒の販売は禁止では?
 
 商売熱心にもほどがある。

 こちらは、車に店の宣伝をくっつけてるよ。
 
 さすがに中華系(?)

2007年05月05日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(23)>


 うへうへ、儲かった。今日の売り上げはいくらだろうか、っていう感じ。
 

2007年05月04日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(22)>


 そうさ、オイラも祭りそっちのけで商売だよ、っていう感じ。
 

2007年05月03日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(21)>


 いいなあ、楽しそうで、っていう感じ。
 

 集めたペットボトルや缶はこちらで引き取ってもらえます。
 
 

2007年05月02日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(20)>


 水かけ祭りで浮かれる人がいる一方、冷静な人びともいますね。
 (そのほとんどが子どもたちだけど)
 この缶もリサイクルだな、うん、っていう感じ。
 

2007年05月01日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(19)>


 また、こういうオヤヂもいます。
 
 若い女性の胸だけを狙ってるよ。
 ったく。

2007年04月30日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(18)>

 
 みずかけ祭りの4日間は何でもあり。
 こういうオヤヂは世界中共通ですね(すぐにハダカになりたがる)
 

 こんなのも。
 
 どちらも日常生活では見たかないですよね(って、)

2007年04月29日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(17)>


 こちらは、ナンバープレート隠し+ファッションだとか。
 
 

2007年04月28日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(16)>


 ラングーン(ヤンゴン)と違って、マンダレーではバイクの運転が
 許されてますね。さすがに水対策もばっちり。
 

 

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(15)>

 
 「ションベン小僧」の「水」をかけるのですか?
 果たしてこの水で1年の汚れが落ちるのか?
 疑問だなあ、さて。
 

2007年04月26日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(14)>


 お、シャンの旗がヒラヒラと。
 初めて見ましたねシャン系のマンダ(舞台)を。
 

2007年04月25日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(13)>


 おお、これは。
 
 よく見るとフロントグラスが無いじゃないですか。
 この状態でバシャバシャ水をかけられながら運転するのですか。
 

2007年04月24日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(12)>


 うわ。こりゃたまらん。耳に水が入ると後が大変。
 

 うひゃ、あひゃ、これは水の勢いが強すぎるわ。
 
 やめておくれ、って、手で止めても、もう遅い。
 
 おもいっきしかけられます。
 あれほど消防用のホースはダメだよ、っていわれているのに。
 
 これは勢いが強すぎる。
 うう。

2007年04月23日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(11)>


 う~ん、舞台が高く、道路から離れているし、植木が遮って
 いいアングルで写真が撮れんよ。
 

 ちょいとトリミングしてみました。
 

2007年04月22日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(10)>


 息子よ、お父さんが守ってやるから、っていう感じ。
 なら、初めから連れてこなきゃあいいのだが。
 
 そういったら、身も蓋もない、そやね、はい。

2007年04月20日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(8)>


 パンクの若者も踊り疲れ、水かけられ疲れ、の模様。
 

 こちらのパンクはまだまだ元気。
 ちょいと猫踊り。
 
 ニャオ、と。

2007年04月18日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(6)>


 そう、警備は大変。
 
 水をかけられてもちっとも楽しくなさそう(トー然か)
 

 

2007年04月17日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(5)>

 オイラたち3人組もこれから、水をかけられに出発します。
 
 、っていう感じ。

 おいおい、そのうちの一人は警備の制服を脱ぎ捨てましたよ。
 
 さて、それは誰でしょう(靴を見れば一目瞭然)

2007年04月16日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(4)>


 うう~、エンジンが水を吸ったかな。
 プルプルと止まりかけてるよ。
 
 必死で押します。

2007年04月15日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(3)>

 おっと、水の勢いが弱いね。それにタイミング外しているよ。
 やっぱ子どもだな。
 

 やっぱりこちらのお兄さんは年季が入ってる、ずばり命中。 
 

 

 こちらもビシッと命中。
 
 隣国タイではソンクラン(タイのみずかけ祭り)の期間、
 バイクの事故で死傷者が多発するとか。
 ビルマでも気をつけてね。

2007年04月14日

●<みずかけ祭り 百態・・・じゃなく五十態(2)>


 これだけ水を浴びせられると写真も撮れんよ。ったく。
 

2007年04月13日

●<みずかけ祭り百態・・・じゃなく五十態(1)>


 マンダレーらしく。お堀の傍のマンダ(舞台)から水をかける。
 

2007年04月12日

●<何を祈り、拝み、願う>

 
 パオ民族の日である。
 パオのパゴダは参拝客でいっぱい。

 異なった諸民族が同じ仏教でまとまる日でもある。
 う~ん、言いたいことが上手く伝えられん。
 どう説明したらいいのかな。
 民族、宗教、国家の関わり合い、こんがらがってくるのだ。
 
 いづれにしろ 何を祈り、拝み、願う、のか。

2007年04月11日

●<すやすや、と>

 
 すやすや眠っていますね。
 ホント、すやすや、の一言に尽きます(年長者に対して失礼?)

 ほんのり微笑んでいるのは、夢のせい。
 思わずその笑顔に誘われます。

2007年04月10日

●<現代の王子様>

 仏門に入る得度式。
 シンピュー式とも言います。
 この日ばかりは、普段のガキっちょも王子様になります。
 
 これが現代のシンピュー式といえるんだな。
 (んでも、サングラスのシールを剥がしておくんなさい)

2007年04月09日

●<カギにカギ>

 
 カギも立派な売り物(トー然)
 で、カギのかかるディスプレイに仕舞われます。
 (って、今回の写真も、何が言いたいのか?<いよいよネタ切れ?)

2007年04月08日

●<僧侶に座られると>

 
 
 偉い(はずの)僧侶。
 お金の入った小鉢を前にして、そうやって座られると、
 ついつい穿った見方をしてしまう。
 そこまでしなくても・・・、と。
 
 やっぱり宗教的な背景も違う社会ですし、はい。
 (<って、今回は何が言いたいのか?<ちょいと歯切れが悪い)

2007年04月07日

●<客待ち>

 
 川岸で客待ち。

 
 同じ川岸で、これまた客待ち。
 馬車と3輪タクシー。どちらに軍配?

 
 と、これは市場で客待ち。
 荷物運びの子どもたち。

2007年04月06日

●<乳白色に染まる>


 村の朝は早い。
 太陽の昇る前から人は動き出す。
 朝靄、いや朝霧の中人が現れた。
 
 乳白色に染まった村の一日が始まる。

2007年04月05日

●<鍬を打ち下ろす(2)>

 
 (昨日に続き)こちらも鍬を打ち下ろす。

 お、でもよく見ると刃が逆を向いてますね。

 ここは、畑じゃありません。
 

 おろっ、一体全体、ここはどこだ。
 

 よく見ると、ここは露天掘りの銅山でした。
 掘り出した土を砕いてます。

 乾期のせいか、地面が乾ききってますね。
 
 そこに鍬を入れ、シャベルで掘り返してます。

2007年04月04日

●<鍬を打ち下ろす(1)>

 炎天下、真夏のビルマ、乾燥地。
 キャベツ畑に鍬を打ち下ろす。
 
 農作業に季節はありません。
 そう、毎日が労働日。

2007年04月03日

●<新・空港>

 「ヤンゴン国際空港」のリノベーションが終わりに近づいてますね。
 新・空港はなんでも、輸出用の野菜(果物?)を保管する冷蔵・冷凍
 設備も完備しているとか。
 
 到着ロビーもピカピカになりました。
 
 庶民は生活苦だというのにこのお金の使い方(どこかからの援助?)、
 いったい、誰のための政府なんでしょうか(いらんお世話? はい、そうです)

2007年04月02日

●<きびきびと>

 
 
 ボージョー・アウンサウン像の前を歩く交通警官。
 さすが大手を振って、キビキビ歩いてますね、うん
 (感心している場合か、おい)

2007年04月01日

●<ニコニコ象>

 
 こわごわと子象に手を伸ばします。
 そりゃ、母親象がすぐ横にいるから恐いです。
 (おのりゃ、我が子に手を出しよってに、って急に暴れ出すやも
 しれませんから)
 
 片手でちゃんと写真を撮れるかな(オートフォーカスよ頼む)
 怖々。
 
 と、届いた。
 
 なんだー、嬉しそうな顔して応えてくれたやんか。
 (象にも表情があったんだよね<てか、こっちの勝手な思いこみ?)

2007年03月31日

●<YCDC>

 
 
 悪名高き(?)YCDC(Yangon City Development Council)の
 建物ですね。ラングーン(ヤンゴン)のど真ん中にあります。
 反政府系のビラまきもこの付近でありますね。
 最近、(観光地の中心でもあるのに)この建物を写真に撮るのにも 
 チェックが入るとか。
 
 MI(military intelligence)さん、何でそこまでして規制する?
 あんたたち、そりゃ過剰反応だよ。
 

2007年03月30日

●<さっぱり水浴び>

  
 一日の終わりが近づきます。
 さ、さっぱりしましょう。水浴びにやってきたようです。
 夕日を浴びながら身を清めます。
 平穏な日々が訪れますように。
 シャッターを切りながらそう祈ります(<勝手な思いこみだけど)

2007年03月29日

●<舟渡し>

 大型トラックが川岸で立ち往生?
 
 さて、どうする。
 
 いえいえ、渡し船が迎えにきました。
 え、トラックごと?
 まさか。
 いえ、そのまさかです。

 
 トラックの舟渡しです。
 しかも船は手こぎです。
 さすが(<って、なにが?)

2007年03月28日

●<インド人もびっくり>

 ナイトバザールをブラブラしてたら、おろっ、ちょっと毛色の
 変わった唐辛子(チリ)を見つけた。
 
 形もカクカクしてるし、色鮮やかだし。
 
 知り合いのビルマ人に、何このチリ?って聞いてみる。
 「これはね、インド人もびっくりのチリだよ。
  ずばり名前も Indian Shouting Chili!」だとか。
 インド人もその辛さ(あつさ)に叫び出す?
 (チリの名前、ビルマ語でも教えてもらったけど、
 ちょっと書けないよね)
 
 知り合いもこのチリを食べて(食べ過ぎて)お腹をこわした、
 とか(おお、チリ好きのビルマ人がですよ)

●<「国軍記念日」だとか>

 ビルマ「国軍の日」の昨日、新首都ネーピードー/ネピードー
 (Nay Pyi Taw)でパレードがあった(とか)

 まあ国威掲揚のための式典だけど。
 国栄えて民滅ぶ、ってか。

 いや、もっと正確には、国ボロボロ、でも国軍(の一部だけ)が
 美味しい蜜を味わう、てのが本当なのかも知れない。

 例えば、ラングーン(ヤンゴン)からマンダレーへと。
 マンダレーからラングーン(ヤンゴン)へとバス移動してみます。
 
 新首都ネピードー近くを通ると電気が煌々。
 
 あ、ラングーン(ヤンゴン)やマンダレーでは停電が今まで以上に
 頻発すると思っていたら、電気はこっちにきてたのか。 
 ま、軍のお偉いさん(?)のために国民は我慢しているのよね。

 そいや、シンガポールに入院しているソーウィン首相の容体は
 どうなのかな。

2007年03月27日

●<黄金色に染まる頃>


 川辺の村。
 一日の終わり。
 水浴びを済ます。
 河の水面が黄金色(こがねいろ)に染まる頃、
 バケツに水いっぱいにして家路につく。
 

2007年03月26日

●<茜色に染まる頃>

 山奥の村。
 生活環境は、それはそれは、とても厳しい。
 年齢は関係ない。
 誰もが働き手となる。
 
 山が茜色に染まり始めた。
 
 両手に水いっぱいの容器を抱え家路を急ぐ。
 水の重さで右に左に身体を揺らせる。
 一歩一歩、歩を進める。
 おいっちに、おいっちに。

2007年03月25日

●<睨み合い>


 
 鶏と子犬の睨み合いが続いてます。
 原因は、私の投げたお豆を巡ってです。
 (すまないね)
 で、勝負は身体の大きさではないようです。
 気合いのようです。
 さて、軍配は?

2007年03月24日

●<変わり果てまして>


 なにやら異臭がしてました。
 
 とマングース(系)の小動物が捕らえられ、焼かれてました。
 おお、変わり果てた姿に。
 
 と、ほんの半時間後、もっと変わり果てた姿になりました。
 
 鍋の中でグツグツ煮られております。
 
 食べたか、って?
 その昔被った「山猫のたたり」が恐くて口にせず、です。
 (ぢゅるぢゅる)

2007年03月23日

●<見慣れた僧院>


 
 ガイドブックによく出てますね。
 ここはインレー湖の近くの僧院です。
 私も同じようなパターンで写真撮影してみます。 
 しかし、ここまで同じパターンになるか、のう。

2007年03月22日

●<仏様もいろいろ>

 何千体とある仏様を見てまわってました。
 と、ふとよく見ると・・・。

 
 おお、こんな顔の仏様が。
 まさに、吉本新喜劇の「チャーリー浜」っていうような顔を
 してますね。
 仏様もいろいろですね。

2007年03月21日

●<ギロリ>


 (昨日と今日のエントリーが入れ替わってしまいました)
 
 
 警備中のビルマ軍兵士の写真を撮ってしまいました。
 まさにギロリ(ジロリではない)と睨まれてしまいました。
 おお、こわい。
 こちらは隠し撮りではなく、広角レンズで近づいて、バシャッ 
 すたこらさっさ。

2007年03月20日

●<何か動きが?>


 ここ数日、"New Light of Myanmar" の論調がやけに迷走気味だと
 思っていた。
 今日の午後、知り合いのビルマ人と、もしかしたら上層部で何が動きが
 あるのかも?、って話をしていた。
 
 ら、ニュースが流れてましたね。
 「ソー・ウィン首相がシンガポールの病院に入院していると」

 本当に分かりやすい政権内部ですね。

●<おお、指が>

 じゃあ、こんどは隠し撮り(ってのは普段しないけど)
 これも(<って、何の続きだ?)警備中の国軍兵士です。
 
 さすがです。
 酷暑であろうが、雑踏であろうが気を抜いていません。
 いざ、というときのために引き金に指がかかってますね。
 カメラを向けるのが躊躇われますね。
 うん。

2007年03月19日

●<ついでに干しましょう>

 
 天気が良い日には洗濯物を干して。
 お、ついでにお肉も干しましょう。

2007年03月18日

●<ひしめく>


 ビルマの道路は危険がいっぱい。 
 穴ぼこや地割れはそれほど問題ではない。
 頭が痛いのは牛や水牛の群れに出くわしたときである。
 
 大きくクラクションを鳴らしても動こうとしない。
 「な~んだ、何か音がするなあ~、よっこらしょ、振り向いて
 見るか。な~んだ、車か」
 道路の真ん中で動かない。

 そいや、牛+牛+牛と漢字で書くと犇=ひしめく、だった。
 まさに文字通りです、はい。
 
 「おらおら、どこで写真を撮ってンだ」っていう感じ。
 
 「フン、煩せえ車だ」っていう感じ。
 

2007年03月17日

●<宗教の自由>

 ビルマにはいくつも新年があります。
 1月1日、2月の春節祭、4月のティンジャン(水祭り)
 その他、各諸民族、諸宗教の新年です。
 
 これは中国系の新年、春節祭ですね(2007年)
 と、獅子舞をヒンズー寺院の前でやってます(本当は寺院の前に
 建つ中国人経営のお店に向かって)
 ヒンズー系の人もおもしろがってみてます。
 これこそが宗教の自由ってヤツすね(<こじつけ?)

2007年03月16日

●<新興住宅地>


 飛行機が「ヤンゴン国際空港」」に着陸します。
 お、その寸前、見えました。
 
 お、また新しい住宅団地が出来たようだな。
 いったい誰が入居するのかな。
 インフラはちゃんと整備されているのかな。
 ちょいと不安。
 ふむ(<オマエには関係ない、って?)
 

2007年03月15日

●<お猿様>


 
 仏様には猿がお似合い。
 (深い意味は無いけど・・・あ、あるか・・・、って不謹慎だな)
 

2007年03月14日

●<エネルギー不足の折>

 
 マンダレーはラングーン(ヤンゴン)よりも停電が多し。
 エネルギー(電力)不足はココまで来るか、っていう感じ。
 で、未だに薪が重要となる。
 
 一束いくら? って聞く。
 200K(約20円)、っていう答え。

2007年03月13日

●<テラシンたち(2)>

 みんなで寄進を集めに回りました(っていう表現も変だけど)
 
 で、ちゃんと山分けしやすいように(っていう表現は不適切)、
 屋台のお兄ちゃんに頼んで小額紙幣に両替してもらいます。

2007年03月12日

●<テラシンたち(1)>

 
 
 テラシン(尼僧)っていっても女の子たち。
 やっぱり自然な写真は撮りにくいです。
 ここは下からカシャ、ですね。
 

2007年03月11日

●<罰当たりにも程がある>


 仏様も盗掘に遭います。
 
 首から上が刎ねられていますね。
 罰当たりにも程がある。
 (アンコールワット付近でもよく見かけましたが)
 で、これ以上盗掘に遭わないようにちゃんと保護されています。
 

2007年03月10日

●<パオ民族解放戦線兵士>


 おおお、停戦したとはいえ、これはパオ民族解放戦線の兵士では
 ないか。もちろん、現役の兵士だ。
 ちょいと近寄って写真を撮っておこう(ドキドキ)
 
 さすがに顔が知れるとまずいから、目隠し線ではなく強めの
 モザイクをかけることにしよう。

2007年03月09日

●<キャラバン隊>

 
 キャラバン隊が行く。
 馬一頭に付き、ポーター二人分(22kgX2)の荷物を運ぶとか。
 もっとも4人分の荷物を背負っている馬もいるよね。
 どういう訳か、首をうなだれ、トボトボあるいている印象を
 受けてしまう。

2007年03月08日

●<山の中を進んで>


 谷を渡り、山を越えて、沢を下り、丘を上がり、崖をよじ登り、
 斜面を滑り降りる、岩を這い上がり、森をゆく、林を抜けて、
 川の中を進み、霧を通り、泥濘に足を取られ、ああ、ここは
 ビルマの山の中。
 と、ようやく歩き易い道に出て、ふと前を見ると、
 
 おお、シダが壁面いっぱい。
 ったく、なんちゅう所だ。

2007年03月07日

●<「ミスカチン」>


 欧米嫌いの軍事政権ですが、世の中の流れには逆らうことは
 できません(程度に寄るけど)

 で、カチンのお祭りで夜を徹して「ビューティーコンテスト」
 なるものがありました(「ミスカチン」なるものを選ぶとか)
 
 おお、カワイイ、綺麗、ゴクン(生唾飲み込んでどないすんねん)
 
 背後から撮るとちょいと官能的(オヤヂだね、ったく)

2007年03月06日

●<最近、どうも>


 街角で新聞や雑誌を読んでいる光景をよく見かけます。
 
 と、最近どうも若者にピアス(男女問わず)茶髪も増えてきました。
 
 子どもにも茶髪がいます。
 
 これはどうやらおしゃれというより栄養不足かな。
 (さて?)

2007年03月05日

●<水汲み( )>


 夕暮れ間近、川に水汲み来た男の子。
 

 
 身体をエビのように曲げて水を汲みます。

2007年03月04日

●<霜化粧>


 山の朝は寒いです。
 朝起きると、一面、雪化粧・・・じゃなくて霜化粧です。
 
 ブルブル寒いけれど、確かに綺麗です。
 歩を進めようとする前の小径も一面霜が降りてます。
 
 一歩一歩、サクサクと音を立てながら歩きます。

2007年03月03日

●<独立記念日の夜>


 独立記念日(1月4日)の夜、街はお祭り(っていうほどでもないが)
 騒ぎになる。
 住宅街の通り(下町)は閉鎖され、サッカーや駆けっこ、プチ運動会、
 コンサートなどが催されている。

 と、ふらふら歩いていると、おおここはまたまたおかしな催しだ。
 身体に油を塗りまくったラグビー(サッカー)だ。
  
 おいおい、そんなに剽軽にならなくて良いから。
 おまえさんは、ゴールキーパーだろうが。

2007年03月02日

●<我先に>


 赤信号はトー然無視される。
 車が来ようが、一瞬の間を狙って道路を横断する。
 そのたびに車の流れがストップする。
 
 信号を守れ、っていっているのではない。
 なにか無秩序的な動きに時に、なんでそんなに?って思う。
 そうやって個々人が勝手に道路を渡ろうとするから車が流れない。
 だから交通渋滞を引き起こしている。
 「なんでそこまで我先に」」っていう感じ。
 何かしら余裕がないのだな(<オマエに言われたくない!)

2007年03月01日

●<黒い煙>

 
 刈り時前の稲穂と青空にモクモクと黒いケムリ。
 非常に絵になる光景です。
 写真家的にはありがたいですけれど。

 で、いったい、何の工場なのだろうか。
 と、ビルマには公害に対する、あるいは環境保全のための
 法律ってどのくらい有効なんだろうか。
 さて?

2007年02月28日

●<広告がじわじわ>


 広告に占拠され始めた空間。
 ラングーン(ヤンゴン)、マンダレー、タウンジー。
 大きな街はどこも空間が商用利用され始めてきた。
 
 ああ、いいな、って思える光景も、この通り。
 そのうちネオンギラギラになったりして(あ、電気がないか)

2007年02月27日

●<幻想的な光景だけど>

 
 夜が明けると人びとは動き出します(何回も書いたフレーズだな)
 特に川辺では幻想的な光景をよく目にします。
 その全体像をなんとか写真に収めようとしているのだが、
 未だかつて満足のいくイメージに仕上がったためしがない。
 
 単なる力不足なだけにすぎないが。
 うう。

2007年02月26日

●<なにやら絡み合っているような>


 デルタ地域をうろついていたら、田植えの場面に出くわしました。
 ん?
 よく見ると子どもたちだけで田植え。
 で、ビルマ語がよく通じない。
 そばにいた男性によると、子どもたちはポーカレン人たちだとか。
 それもキリスト教徒のポーカレンだった。
 
 胸から下げた十字架をみて、さもありなん。
 スゴーだろうが、ポーだろうが、同じように見えるのだが。
 (そう思うのは私の勝手ですね、はい)

 スゴーカレンとポーカレン。
 仏教徒とキリスト教徒。
 ちょいと絡み合ってますね。

2007年02月25日

●<えいっ!>

 デルタ地方に行ってきました。
 川が多いですね。
 田植えをしていたり、漁をしていたり。

 ほどほどの大きさの川で(どのくらいやねん)、投網で漁を
 してました。
 
 えいっ!
 っていう感じですね。

2007年02月24日

●<ぐぴぃ、と一気のみ>

 ラングーン(ヤンゴン)港で荷役をする男たち。
 汗だくになって、コメ、木材、などを運びます。
 一休みして、水をごくり、ぐぴぃと一気飲みだ。

 
 仕事が終わればフツーの若者に戻るのだろうか。
 汗とピアスが光ってます。
 うん。

2007年02月23日

●<国旗、本当に変更?>

 なにやら、(この間休会した)国民会議では新しい国旗を制定する
 という話だ。

 憲法も新しくして、USDAも政党化して、軍色を薄めて今の
 独裁体制をごまかすようだがなあ。

 
 この旗のデザイン、どこが悪いのだろうか。
 と、この国旗、どういういきさつ(背景)があるのだろうか?

2007年02月22日

●<さて、何にしようかな?>


 

 ラングーン(ヤンゴン)のお昼時、屋台でおかずをのぞき込む。
 お腹いっぱい食べて約1500Kくらいだな(モノによるけど)
 チャイナタウン(中華街)は安くてメニューが豊富。

2007年02月21日

●<YMBA>

 
 YM「C」Aではありません。YMBAです。
 これは、Young Men's Buddhist Association の略ですね。
 植民地独立闘争当時、頑張って運動してました。
 
 ラングーン(ヤンゴン)市内に残っている建物(現役)を撮りに
 行きました。と、なにやら催し物をしてました。
 中からオジサンがでてきて、嬉しそうに話しかけてきました。
 で、これ、あげるから、とおみやげをくれました。

 
 YMBAの帽子です。
 これもレアものですね。

2007年02月20日

●<塀の外-竹利用(1)>

 
 ここは、ビルマの、とある刑務所の外です。
 警戒はそれほど厳重ではないような感じ。
 近くで白い服を着た人も働いているし(望遠レンズで撮影済み)

 と、よく見ると・・・塀の外にぐるりとなにやらありますね。
 拡大してみましょう。
 
 おお、竹ではないですか。
 逃走防止に竹(槍)が利用されているのだな。
 わお。

2007年02月19日

●<夜明け前から(2)>

 
 とある地方の、夜明け前の港です。
 静かなたたずまい。
 
 
 しばらくすると、人びとが動き始めます。
 ザワザワ。
 また、荷役の人が働き始めると、港は活気づきます。
 

2007年02月18日

●<夜明け前から(1)>

 
 とある地方の市場です。
 薄暗い朝焼けの中を人びとはやってきます。

 
 野菜の売買、品物のチェックもロウソクの灯の下で行われます。
 ほどなく夜が明けて、市場は活気づきます。

2007年02月17日

●<さて、その対応は>

 
 外国人の観光客の多い所には多いです。
 ま、これはビルマに限らないけれど。
 その時の対応にちょいと困ります。
 で、この場合の原則は、その昔、書いたっけ。

2007年02月16日

●<ほっかほか>

 
 鍋でご飯を炊きます。
 ここではこのやり方が一般的です。 
 20歳のこの男性も、薪の火の強さをよく知ってます。
 グツグツ煮たお湯にお米を入れて、さらにグツグツ。
 水を加えて、ちょいとトロトロになったら、火から下ろします。
 後は鍋のふたの上に真っ赤になった炭を置いて蒸します。
 
 おお、ほっかほかのご飯のできあがり(って、写真を撮るのを
 忘れてしまいましたが)

2007年02月15日

●<薪拾い>

 
 牛車を使って薪拾いにきました。
 といっても山に来たのではありません。
 岸辺にやってきました。
 流木のカケラを拾い集めます。
 からからに乾いた流木は結構火の付きが良いようです。

2007年02月14日

●<朝の街角>


 ここはとある地方都市。
 
 朝の街角、喫茶店。
 のんびりと朝のお喋りを楽しみます。

2007年02月13日

●<サトウキビ畑>


 サトウキビ畑で働く女性たち。
 突き刺すように猛烈に強い太陽光線を避けるために、長めの手袋、
 帽子、頬被りは必需品です。
 
 
 過酷な労働者という雰囲気はありません。
 カメラを向けるとけらけら笑うし。
 
 
 仕事は16時過ぎには終わるし。
 
 日当はどれくらい?
 何度聞いてもみんなケラケラ笑い通し。
 ったく。
 そうなりゃ一緒に記念撮影だ。
 
 意味ないか、うん。

2007年02月12日

●<風選(2)>


 これも風選の一つですね。
 極めて原始的。
 
 シャベルを使います。
 
 風が吹いてきたら、エイッって空に籾を投げます。
 これで上手く選別。
 なるへそ。

2007年02月11日

●<ブルンブルン>


 長めの鎌をブルンブルンと(音がしてますよ)振り回してます。
 
 ザッザッザッザッと刈り残した部分を切り取っていきます。
 ブルンブルン。
 さすがに広角レンズで近づくには恐いです。

2007年02月10日

●<搾る相手が違ってますね>


 エネルギー不足のため、政府あげてのキャンペーンですね。
 physic nut(tree) があちこちに植えられています。
 

 都会でも田舎でも。
 

 で、この実からそんなに油が取れるのでしょうか?
 テレビでやっているデモンストレーションはヤラセだという噂が
 ちらほら聞こえてくるのですが。
 たぶん、そうなんだろう。
 ま、人民(っていう表現は古いですが)を搾り取っているのは
 事実のようですが。

2007年02月09日

●<麻薬撲滅>

 
 
 麻薬撲滅のために政府は頑張っています(そうです)
 空港で、麻薬犬を使って荷物検査です。
 本当に検査しなければならないのは政府高官の荷物ではないかと
 思うんですが。

2007年02月08日

●<ドゥータマ系かな?>


 
 お坊さんだって、音楽は聴くし、いい時計は欲しいし、サングラスは
 必要だし、サッカーは好きだし。
 きっと、ドゥータマ系のお坊さんなのだろう。

2007年02月07日

●<MPPE>


 ガソリンの給油場面を写真に撮ろうとしたら、幾度となくカメラの
 前に立ちふさがられたか。
 ったく、なあ。

 じゃあ、給油所の写真ならいいでしょ。
 それも、ピカピカに新しくしているところなら。
 
 これならネガティブキャンペーン(?)に使われる虞はないでしょ。

2007年02月06日

●<宗教の自由?>

 
 
 仏陀像のポスターの横に半裸の女性のポスターが。
 でも、ここはビルマです。
 宗教に寛容なんです。
 政府も、宗教の自由を認めてる、っていってるし(ちょっと、
 意味が違うか・・・)

2007年02月05日

●<ラジオを握って>


 
 何を聴いているかって?
 そりゃ、BBCだよ。
 さもありなん。

 
 何を聴くかだって?
 そりゃ、RFAだよ。
 やっぱりそうか。

 自国のニュースが全く信頼できなってこの国の悲しい現実。

2007年02月04日

●<水汲み>


 ビルマでは、朝夕と水くみ姿をよく見かける。
 (このブログでもたくさんのイメージをアップしてますね)

 女性や子どもは自宅用に。
 男たちは商売用に水くみをしているように思えた。

 
 夜明けの太陽の光が反射し始めたため池から水を汲む。

2007年02月03日

●<グツグツご飯>

 夜が近づきました。
 船で働く人が陸に上がってきました。
 で、夕食の準備です。
 
 薪に火をおこしてグツグツご飯を炊き始めました。
 30分もすればほっこりご飯のできあがり。
 上手い(美味い)

2007年02月02日

●<モヒンガーといえば>


 ビルマの朝食といえばモヒンガーでしょう。
 モヒンガーといえば、ここヒンダダのモヒンガーでしょう。
 

 「おじさん、それも(←なんだろ?)入れてね」って、寝起き顔で注文する
 女の子。

2007年02月01日

●<中はどない>


 乗り合いピックアップバスはいつも満員。
 これは十数年変わらない。
 変わったといえば、ロンジーからジーンズ姿が増えたことかな。
 
 と、このバスの中はどないなってんだろ?
 ちょいと覗いてみると。
 
 さすがにギュウギュウ満員ですね。
 うへ

2007年01月31日

●<荷下ろし>


 ラングーン(ヤンゴン)港です。
 いくつもある突堤に船が着くと、荷下ろしが始まります。
 
 白い米袋を担いだ男たちが数珠繋ぎ。
 まだまだ機械化されない労働形態。
 機械化されてしまったら、仕事が無くなる?っていうのもあるかな。

2007年01月01日

●<夜明け前のお使い>


 朝6時過ぎ。
 まだ太陽は昇っていない。 しっとりと濡れる朝の空気。

 
 はっきりと目の前が見えない朝靄の中を、女の子が先を急いでいた。
 足の向いたその先は、朝食の揚げ物を売っている喫茶店。
 
 イチャーグエ(細長いナン)を袋に入れてもらって、また足早に
 もと来た道を戻っていった。

 シャン州の朝の出来事でした。
 絵画のような風景を、毎朝眼にしてました。

2006年12月31日

●<それでは皆さん>


 それでは皆さん、良いお年を。

 
 (撮影G氏)

 ここはどこだ?
 スキップ(?)しながら撮影に精を出してます。

2006年12月30日

●<寒い寒い>


 
 ここは朝靄が濃いシャン州の町。
 おお、寒い寒い。
 さぶい、さぶい。
 市場が開くのを待って、おもわず靴下を買ってしまった(700K)
 

2006年12月28日

●<水中寺院?>

 湖の中を突っ切ります。
 エンジン付きのボートは水飛沫をあげて進みます。
 
 お、ちょっとした水中寺院もどきだね、これは。
 (意図的な撮影でクサイですが・・・)

2006年12月27日

●<背筋をピンと>

 子どもといえどもお坊様。
 歩く姿もサマになってます。
 
 
 背中もピンと。
 デューク更家もどきだね。

2006年12月26日

●<時代の変わり目>

 ビルマ国内で60年近く武装抵抗闘争を率いてきた
 カレン民族同盟(KNU)のボーミャ元議長が12月24日の
 未明に亡くなった(さすがに日本でも報道された)

 遺体が安置されている家にコソコソ入り(堂々としろよな)、
 チャッチャと写真を撮った。

 
 カレン民族旗に包まれて横たわるボーミヤ元議長。
 (今はこれ以上、お見せできない)

 KNUという組織が動いているときだけに、一つの時代の
 変わり目という気がする。
 うん。

2006年12月25日

●<なんで離れて?>


 丘のってっぺんで乗り合いバス(ピックアップ)を待ってる
 パオ民族のおじいさん。
 
 
 
 なんでちょこんと置いたカバンと離れて立ってるんだろ。
 別に意味ないかも知れないが、なぜか気になる。

2006年12月24日

●<顔を洗って、出直す>

 ここはタイ・ビルマ国境の小学校。
 ビルマ(ミャンマー)からタイに働きに出てきた「移住労働者」たち
 の子どもが通っている。

 とりあえず生きていくために生活を成り立たせないといけないから、
 子どもたちの教育は後回しになっているのが実情。
 主に海外のNGOの支援を受けて学校が運営されている。

 暑い一日、大声を張り上げて勉強したら(暗唱)したら、汗いっぱい。
 
 (2004年撮影)
 備え付けの水道で顔を洗って、さ、さっぱり。
 さ、勉強を続けるぞ、っていう感じ。

2006年12月23日

●<子どもの世話は子ども>

 
 自分の身長ほどの子どもをだっこ。

 
 そりゃ、自分より年下だけど、子どもが子ども(ってか、赤ん坊)
 の世話をしてます。
 その昔、日本でもよく見る(「た」)風景ですね。

2006年12月22日

●<す~い、すい>

 
 さすがデルタ地方です。
 鴨追いも水路を使って、す~い、すい。

2006年12月21日

●<回って、回って、ほい>

 パゴダに行くと、普通は、自分の干支(とその方角)の前に座って拝みます。
 
 でも、これ(↓)は「変形(?)」だね。
 
 これは回る干支。
 私の場合、月曜日生まれだから、虎。

 
 お賽銭(?)、いや、お布施をカップの中へめがけて投じます。
 上手く入ったら、いいことあるの、かな。

2006年12月20日

●<もう拝眉できない>

 ラングーン(ヤンゴン)では今もあちこちに飾られている高僧、
 タマニャ僧正(Thamanya Sayadaw)
 

 僧正のこのイメージは、よく見かける写真です。

 98bur003.jpg
 
 が、これはかなりレアもの。

 
 タマニャ僧正が(自分の)父母と一緒に写った写真。
 これになると、レアを通り越している。
 
 
 そしてこれは、超超レアですね。
 そのうち、ビルマに出回るかも・・・。
 って、・・・どういう意味だ?(分かる人には分かる、うん)

2006年12月19日

●<ふうせん>

 
 いわゆる、風選(漢字、間違ってない?)というやつですね。
 これで籾殻を飛ばします。

2006年12月18日

●<看板増えて>

 シュエダゴン・パゴダの西、人民公園前に
 国威掲揚(?)の立て看板が立っている。

 
 昔はこれ一つだった、のに。

 いつの間にか、
 
 が立ち、

 さらに、
 
 が立ちました(2005年くらいかな?)
 
 次はどんな看板が登場するのだろうか。
 ふむ。

2006年12月17日

●<まだまだ現役空港>

 ビルマ(ミャンマー)の首都はネーピードー(ネェピィドー :Naypyidaw)に
 移ったとか。公式行事はすべて新首都で行われているようだ。
 政府首脳・高官もネーピードーから動いている。
 が、外国からの要人は、まだまだ「ヤンゴン国際空港」を主に利用
 しているようだ。

 
 (2005年撮影)

 そうだね。せっかく空港の拡張工事が数年前に始まって
 いたんだものね。

 でも、噂によると、ビルマ(ミャンマー)政府はタイ政府に対して
 大使館を新首都に移すよう要望を出したとか(11月中旬)

2006年12月16日

●<余裕だね>

 ラングーン(ヤンゴン)のバスはいつも満員。
 が、日本の満員電車ほどでもないけどね。
 が、車につかまって乗るのは、ちょいと力量がいる。

 

 カメラを向けるとピースサイン。
 余裕だね。

2006年12月15日

●<ロンジー、いろいろ>

 ロンジーの柄は、人それぞれ、民族それぞれ。

 

 で、ちょっと見方を変えると、男の人のロンジーも結び方もいろいろある。
 

2006年12月14日

●<一昔前は、・・・>


 

 ほんの10数年前にはあまり見かけなかった飲み屋の看板。
 今は、ラングーン(ヤンゴン)に限らず、地方都市でも見かけるね。
 ちょっと前までは、おおっぴらにお酒を飲まなかったような記憶が
 あるのだが(だからといって・・・)

2006年12月13日

●<ここはカレン州です>

 そういえば昨年(2005年)の今頃(12月)、カレン州内を放浪して
 たっけ。

 で、で見つけたのが、これ。
 

 漢字?
 象形文字?
 いえいえ、これはカレン文字の一種(レーケー文字<だったと思う)
 です。

 汎ビルマ化や汎スゴーカレン化が進むと、そのうちこんな文字も
 見られなくなるかも。

2006年12月12日

●<3人そろって>

 3人そろって、顎に手を当てて、肘ついて、何見てるの?
 
 偶然にしても、できすぎた場面だ(ほんと偶然だよ)

2006年12月11日

●<サルウィン河 3>

 (一昨日の続き・昨日の続き)

 
 夜明け前の河を下る。
 雨期直前の乾季(撮影は4月)でも、水量が豊富である。

 
 船を使って、自由に移動できる(荷物もたくさん運べる)
 ダムの影響はどんな風に出るのだろうか。
 その環境評価はまったく考慮に入れられないと聞く。

 ↓<クリックすると拡大します>
 
 サルウィン河の河口(モン州・モルメイン)を遠くに見る。

2006年12月10日

●<サルウィン河2>

 この河(昨日の続き)で生活の糧を得る人びとがいる。
 
 

 

 彼らはいったい、ダム計画の事を知っているのだろうか。

2006年12月09日

●<サルウィン河1>

 ビルマ領をさかのぼって数時間。ふと後ろを振り返る。
 と、おお、あれに遠く見えるのは、サルウィン河ではないか。
 
 東南アジアで唯一、ダムのない川(河)としても知られている。
 今、ここにダム建設が計画されている。

 サルウィン河を見下ろすこの場所に、河の支流が流れ出ている。
 そこでは、すでにビルマ政府によって、調査が進められている。
 

 水深を測ってます。拡大すると、
 

 どういう調査なのか、その調査をしてみたいもんだ。

2006年12月08日

●<裏通りに生活>

 街の裏通りを歩くと、どこにでも見かける(もちろん日本やタイでも)
 日常生活がある。
 
 

 必死になって国営紙(『チョーモン』)に見入る男性。
 政府発表の主張は信頼できない、という人が多い、と聞いた。
 そりゃ、そうだろう、な、だって、その理由を書くのも疲れるわ。

2006年12月07日

●<伝統薬剤>

 
 伝統薬剤の効用や利用が謳われています(新聞でも)
 
 これだけの天然物があれば、見るだけで効きそうですが。

2006年12月06日

●<物言えず>

 身なりのいい男の子が、トウモロコシが焼けるのを待っています。
 
 あら、ちょっと焼きすぎたかしら(っていう感じの苦笑い)
 ちょっとそれは焼き過ぎじゃないの。
 だが、物言えず、ひたすら待つ男の子。

2006年12月05日

●<乙女は、>

 
 着飾る乙女は一心不乱ん!(って書けば、偏った表現?<だろうな)

2006年12月04日

●<朝を告げる鳥群>

 マンダレーのイラワジ河畔。
 
 川沿いに住む人びとの一日が始まる。
 人の動きにあわせてか、太陽の昇るその直前、
 一斉に鳥が飛び立った。

 

2006年12月02日

●<エーチャウンアウンミエ>

 

 エーチャウンアウンミエ、っていう有名な仏陀像ですね。
 これを(大金を払って<いくらぐらいかな?)借り出し、
 家に飾る。
 で、人をお招きしてもてなす。

 写真はあちこちで見かけるが、実物を見る機会は
 あまりない、と思う(私はラッキーだった)

2006年12月01日

●<伝統薬剤>

 
 伝統薬剤の効用や利用が謳われています(現地の国営紙でも)
 
 これだけの天然物。さすが。
 見ているだけでなにやら効きそうですね。

2006年10月31日

●<国境模様2>

 メソット(タイ)~ミャワディ(ビルマ)を結ぶアジアハイウェイ。
 

 もう日暮れだというのに、タイからビルマ(ミャンマー)に向かって
 多くの車が走る。
 
 メソットからバンコクに向かう長距離バス。
 
 3列のVIPバスにも、国境超えのビルマ人をチェックするタイ軍の
 兵士が乗り込みパスポートチェックをする。
 (このネタは以前、アップしたかな?-たぶん)

2006年10月29日

●<国境模様>

 ここはタイ・メーサイとビルマ・タチレクを結ぶ国境。
 
 えらいどでかい建物ですね(タイ側)

 
 ビルマ(ミャンマー)の入り口でタイの観光客が記念撮影。
 日本からのバックパッカーも目立ちました。

 
 ここは、タイ・メソットとビルマ・ミャワディを結ぶ国境。
 
 これもどでかい建物ですね(タイ側)
 
 こちらはビルマの入国側。トラックが荷物を満載して入国待ちして
 おります。
 

2006年10月26日

●<独立記念日の朝>

 1月4日は独立記念日。
 ここシャン州の州都、タウンジーでその日を迎える。
 乾期の爽やかな朝。真っ青な空に赤い国旗が映える。
 

 
 人が動き始める前に、ちょっと街の様子を撮影。
 静かすぎるその様子にうろたえてしまう。

2006年10月25日

●<「しっかり」勉強>

 ここは田舎の、高床式の小学校。
 
 教室の壁なんてありません。
 ワイワイガヤガヤ。

 鉛筆の芯が短くなった。
 
 シャ、シャ、シャと、ナイフで削るなんて簡単なこと。
 とても手際がよい。

 
 「しっかり」勉強しています。

 手前の子どもの筆箱を覗いてみると、おろっ、ちゃんと鉛筆削り
 が入ってました。
 

2006年10月24日

●<魚捕り>

 ラングーン(ヤンゴン)の対岸、ダラに行ってみる。
 川沿いの街は、肌の色の濃い、インド系の人が多い。

 
 ため池の水を抜いている。

 池の泥の中から魚をすくい取る。
 
 なかなか大変な魚捕りである。

2006年10月23日

●<狛犬、狛獅子、狛寅(虎)>

 ザガインには多くのお寺がある。

 
 ◎印がザガイン管区の中心ザガイン

 お寺の前の入り口にはフツー、てっきり竜か、狛犬か、獅子が
 両側にデンと鎮座ましまししているものだと思っていた。

 が、ここザガインで、狛寅(虎)なるモノを見つけた。
 

 ちなみにピィでは、パゴダの入り口には、ワニ(虎?)を口に
 咥えている狛犬がデンと座っている。
 

2006年10月21日

●<路地裏の行商人>

 華やかな大通りよりも裏通り、路地裏を歩き回るのが好きだ。
 と、マンダレーの下町の路地裏を歩き回っていた。

 
 お、野菜の行商台車に出くわした。

 この台車だと、細い路地を動き回るのも苦にならないだろう。
 ちょい前の、日本のお豆腐屋さんににているなあ。
 
 日本では、ぷぅ~っとラッパを吹いて売り歩くお豆腐屋さんの
 姿なんて、もう映画の世界だけだな。
 ああ、懐かしい。

2006年10月20日

●<お金の数え方>

 マンダレーの市場をウロウロしてた。
 時々、売り上げのお札(札束)を数える場面に度々出くわす。

 
 これは「きくらげ」屋(?)だったろうか。
 で、お札を数えている。
 やっぱり掌にお札を立てて、指ではじくようにカウントする。
 独特だよなあ、この数え方。


 
 こちらはヤンゴンの両替商。
 やっぱりお札を立てて、指ではじいて(挟んで)数えている。
 
 100ドル札1枚を両替すると、ぶ厚い札束がもどってくる。
 なにやら大金持ちになった気分(だけ)

 (これは以前のネタへの追記 <のはず> です)

2006年10月18日

●<投網>

 チェンマイのM&Jさん宅を訪れた。
 と、Jさんのパソコンの壁紙にモノクロのイメージが使われていた。
 
 気に入った写真をこういう風に使ってもらえると何だか嬉しい。
 
 これはイラワジ管区パセインの郊外で撮った写真。
 


 そういえば、タニンダイー管区のダウェでも投網の写真を撮ったっけ。
 
 
 
 2つのイメージ共に、(海が近いというのに)、ため池に向かって
 網を投げてた。
 

2006年10月17日

●<お坊さんも一服>

 喫茶店でコーヒーを飲んでいると、隣にお坊さんが2人座った。
 コーヒーをゴクゴク飲んで、タバコを一服してた。

 
 
 ピント張り詰めた空気に、のんびりとした時間が流れてた。
 

2006年10月16日

●<貴重な水>

 
 乾期のまっただ中、土地は干上がりカラカラとなる。
 水を汲むため、近くのため池まで行ってきた。
 
 蛇口をひねれば当たり前のように水が出る社会がある。
 スーパーやコンビニに行けば、じゃぶじゃぶと水を売っている
 社会もある。
 それもいびつな値段で。
 
 このいびつな水の配分システム、何かおかしいんだが、日常
 生活の中にあまりにも深く組み込まれてしまって、そのおかしさ
 さえも気づかなくなってしまっている。
 
 おかしな日常から逃れるためには、こちらもおかしくならなければ
 ならないのか。

2006年10月10日

●<庶民の楽しみ>

 

 映画は今も庶民の娯楽。
 週末ともなると、映画館の前は人だかり。
 チケットを売るダフ屋もちらほら。

 通りすがりに、おもわず映画のポスターや写真に見入っている。
 
 おっちゃん、ボケ~として口開いてるよ。
 

2006年10月09日

●<けったいな仏塔(仏像)群>

 昨日、ビルマ帰りのUさんからチャイティーヨ・パゴダの写真を
 見せてもらった。懐かしいなあ。1回しか行ったことがないし、
 しかも10年以上も前だ。

 現地に今度、いつ行けるのだろうか。
 ああ、行きたい。

 と、ビルマにはけったいな(といっては失礼だが)仏塔がたくさん
 ありますね。

 
 はカレン州でした(確か、以前にもアップしたかな?)

 
 これはモン州。現地のカレンダーでも時々見ますね。

 
 これはシャン州。お初にお目見えですね。
 ビルマ国内でも、たぶんほとんど知られていないはず。

 
 オマケの仏陀群。これは圧巻。
 でも、これだけあったらちょい不気味。
 (『アエラ』に載ったのは別角度の写真)

2006年10月06日

●<山歩きは気をつけて>

 前線へ移動中、ティムタの兵站地で休憩。
 夜、ザワザワと騒がしい。

 なんだと思って起きると、地雷を踏んで右足を吹き飛ばされた
 男の子が担ぎ込まれていた。男の子は、痛み止め(?)がきいている
 のか、平然とした顔をしている。さっそく、カレン軍の兵士が手当を
 始めた。
 

 傷を負った男の子を担いで山を降りてきた男たちの頑強さに敬服。
 
 次の日、同じ山道を歩いて行くのかと思うと、ちょっとビビってしまう。
 地雷には気をつけねば。

2006年10月05日

●<雨季の難民キャンプ>

 学校が終わった。
 小雨が降っている。
 濡れないように大きな傘をかぶって家路につく。
 
 これだけ大きければ、身体全部がすっぽり隠れるね。
 うん。

 しばらくして本降りになる。
 地面をチョロチョロ流れていた水の筋が次第に大きくなる。
 雨も激しくなる。
 
 男の子が喜びはしゃぎ回る。
 う~ん、元気すぎる。

2006年10月04日

●<10年ひと昔>

 写真ファイルを整理してたら、10年前のイメージが出てきた。
 ちょうど1997年に撮した写真だ。
 
 当時、ビルマ軍に加勢されたDKBA軍によって焼き払われた村を
 訪れ、インタビューをしていた頃。ちょうどマナプロウが陥落して
 から2年後、カレン軍が劣勢になり始めていた。
 
 (なんかこのネタ、以前にもアップしたような・・・?)

 雨季の鬱陶しい天気の中、毎日毎日、カレン軍と行軍していた。
 あの頃は体力も気力もあったなあ(・・・、って昔を懐かしんだら
 終わりかな、ふん)

 
 休憩中のカレン兵士たち。11人の兵士が護衛に付いてくれた。
 私は、休憩中もシャッターを切らねばならぬ、ヒィヒィ、息切れや。

2006年10月02日

●<ビュンビュン>

 ヤンゴンから約2時間、イラワジ河近くの町に宿をとる。
 さて、移動しようかなと、バス停へ。
 と、重装備(風)の自転車が停まってる。
 (荷台に取り付けている「板」の椅子が特徴だわ)
 

 おお、これはあれですね。
 都会ではあまり見かけない自転車タクシーですね。

 
 乗り心地はあまり良くないけど、ビュンビュン速い。
 うひ。

 

2006年10月01日

●<ナンバープレート>

  ビルマ(ミャンマー)でよく見るサイカー(リキシャ)。
 (またこの話題-よくお世話になったからね)

  
 ここはデルタ地帯イラワジ管区のヒンダダという町。
 ちなみにモヒンガーがとても美味しい所。


 
 よく見るとサイカーも登録制、ナンバープレートが付いている。
 個人営業者に加えて、親方から車(サイカー)を借りて、借り賃を
 差し引くと、手元にはそれほど残らない、とか。

 ラングーン(ヤンゴン)で若い運転手に訊いたことがある。
 1日働いて1000K(90円くらい)の実入りだとか。

 普通は(・・・って、何が普通なのかは分からんが)どのくらい
 稼ぐんだろうか。今度、データを集めてみよう。
 

2006年09月30日

●<そろそろ寒くなってきましたが>

 日本では朝晩寒くなってきましたね(ですね?)
 
 イラワジ河の傍の町、ビルマの真夏前(2月末)の乾期。
 インバーターの外灯がまだ見える夜明け前。

 
 ちょっと肌寒い。
 長袖が必要なくらい。
 手にはお弁当を持ち、お喋りしながら、仕事に向かう(?)

 通りは静かなたたずまい。
 うん。

2006年09月29日

●<鎚の音>

 ラングーン(ヤンゴン)の中心に建つシュエダゴン・パゴダ。
 北出口の裏に回る、
 そこには、ツウ(?)の入る喫茶店(や食堂)やお土産屋が並ぶ。
 
 プレイン(喫茶店では「コーヒーミックス」をこう呼ぶのがツウ)を
 啜りながら一休み。

 横では、カツカツ、カッカッツと鎚の音がする。
 
 丸太から仏像を彫り上げる工房がいくつも並ぶ。
 荒削りも機械を使わずに、大ノミを使ってた。

2006年09月28日

●<前向き? 後ろ向き?>

 便所に入ってみた。
 まずは、首都ラングーン(ヤンゴン)。人の出入りが多い
 ボージョーゼー(市場)の2F。

 
 公衆便所なので、お世辞にもキレイとはいえない。
 
 一時期、ビルマ関係と話題になったのだが、トイレでしゃがむときは
 出入り口(扉)に向かって前?後ろ?

 結論は、前向きにしゃがむということだった。
 そいや隣国タイも出入り口に向かって前向きだった。
 米国も、基本的に扉に向かって前向きである。
 ま、コトの最中はかなり無防備。
 だから、防御態勢を取っているのかな。
 ふむ。

 ちなみにイラワジ管区の田舎を訪問。
 とある村でお世話になり、トイレを借りた。
 水瓶と共に竹べらがあったような(記憶がする)
 とてもキレイに清掃されていた(おお、蓋付きだ)

 
 確かココも前向きだったような(記憶がする)

 日本の和式は確か、扉に向かって後ろ向きだな。

 トイレから見る文化もこれまた興味深い。
 ふむ。

2006年09月27日

●<逮捕の裏に、さて?>

 10時過ぎ、直通電話あり。
 ミンコーナイン(Min Ko Naing)さん、ココジー(Ko Ko Gyi)さん、
 テ(ィ)ーチー(Htay Kywe)さんが逮捕(拘束された)とか?
 詳細がわからない。すぐに問い合わせてみる。

 
 ("Irrawaddy Magazine" より)

 国連安保理公式議題、タンシュエ議長引退、憲法制定会議再開、
 さらに今回の逮捕(拘束)。
 
 う~ん何か裏で動いているのかな(もちろん米国も)
 
 『読売新聞』と『毎日新聞』は、この件を報じている
 が、読売さん、Htay Kyweをテー・キュエと表記している。 
 それはさすがに無理があるのでは? ちゃんと確認しましょうね。
  -ま、もっとも私のテ(ィ)ーチーもちょいと怪しいが。
 
 
 1988年当時のミンコーナイン氏。
 この絵はもちろん非売品(分かる人には分かる、うん)

2006年09月26日

●<さすがチェ・ゲバラ>

 ビルマは88年まで「ビルマ社会主義」を標榜していた。
 結局、国作りとしては破綻した(って書けば失礼か?)

 
 おお、ここにもチェ・ゲバラが出現か。
 さすがに革命的精神は失われていない)ということか。
 (2004年撮影)

 それにしても、こんな店構えを許しているこの地区の
 評議会(軍)は太っ腹なんだな。

2006年09月25日

●<くんくん>

 日本では23日、ビルマ軍のトップ・タンシュエ国家平和発展
 評議会(SPDC)議長が、軍のトップを退く、と報道された。

 その日(23日)の現地国営紙のトップは、タンシュエ議長が新しい
 委員会(Special Projects Implementation Committee holds....
 No 1/2006)で挨拶している様子を載せてますね。

  ( クリックで ↓ 拡大します)
 

 ビルマが国連安保理の正式議題とされたのに引き続いて、
 タンシュエの引退。
 10月10日に再開される予定の「憲法制定会議」
 何か臭いますね。
 くんくん。
 
 ラリー・ジャーガン氏が予想していた通りになりそうだ。
 
 「将来的に、さらに強まる国際社会からの圧力を念頭に、
 軍のトップタンシュエ上級大将は、軍服を脱ぐかも知れない。
 つまりそれは、憲法制定、議会招集のあかつきには、再び
 文民としてビルマを支配しようと企てているからだ」
 
 2003年、タンシュエ議長とアウンサン・スーチーが握手を
 したような国営紙の紙面は、もう夢物語なのか?
 (きっとそうなのだろう)

 ( クリックで ↓ 拡大します)
 

 ほんの3年前のことなのに。
 フム。

2006年09月24日

●<サイカーに乗ること>

 ビルマに住んでいると、なにかとサイカーにお世話になることがある。
 ま、時には値段交渉が鬱陶しく感じることもあるが、便利である。

 この乗り物、ビルマだけでなく、インドやバングラディシュ、中国
 にもあるらしい。

 
 一人で乗る分にはいいかもしれないが、夜が明ける前から3人も
 乗られた日には運転手も大変だ。

 それに晴れた日ばかりが仕事ではない。
 
 雨降りでもサイカーの運転手は必死でペダルを漕ぐ。

 
 サイカーに乗って、写真を撮ってみる。
 ファインダーの視野が狭くなるなあ。

 と、
 時々、紀行文を読んでいて、サイカー(或いはリキシャ)に載った
 記述を読むことがある。

 歳のいった老運転手(だけとは限らないが)が額に汗をし、喘ぎ
 ながらペダルをこぐのは申し訳なく、横に座っているのに罪悪感
 にさいなまれる、と。

 なんかおかしいね。だったら乗らなきゃいいのにと思う。
 そういうのは自己満足の優しさって思うのだが。
 踏む。
 いや、
 ふむ。

2006年09月23日

●<勇ましくないよぉ>

 ラングーン(ヤンゴン)の下町をうろついていたら、迷路のような
 長屋横町に入ってしまった。

 
 と、路上で魚をより分けている人びとにであった。
 写真を撮ってて、ふと気づいた。
 この男の人の背中の刺青が気になるのだ。

 
 なんだこれ?
 ちょっとチンケすぎないか(ほっといてくれってか?)

 全然勇ましくない。それにデザインとしてもなあ。
 う~ん、人それぞれだからなあ。
 それとも、何か意味あるのかな。

 こういう刺青は却って記憶に残るものだ。
 ふむ。

2006年09月21日

●<兵士たちの移動>

 とある地方でのこと。

 首都ラングーン(ヤンゴン)に戻るべく、バスの発車までターミナル
 の近くの喫茶店で時間をつぶしていた。
 
 すると、軍用トラックが3~4台ドドドとやって来た。
 幌付きのトラックの荷台から、国軍兵士たちがドワドワと下りてきた。
 
 鍋や釜や行李を担いでいる。
 これから全線に向かうような雰囲気だ。

 さすがに目と鼻の先、望遠カメラを向けるわけにはいかない。
 ちっちゃなカメラ(T2)で隠し撮りをするのが精一杯だった。
 (後日、NLDのオフィスを撮したフィルムごとそのT2は
 盗まれたのであった。嗚呼)

 これだけ多数の兵士の移動を見たのはその時以来ない。

2006年09月20日

●<こちらも MI >

 地方を移動中、道路脇の喫茶店で休憩する。
 と、隣のテーブルで男たちがガヤガヤと、何やら話し合っていた。

 何してるのかな?
 ふと気になって覗いてみた。
 向こうも外国人が横に座ったので興味津々のよう。
 
 ・・・・・。

 -オレたちはね、政府の人。軍の警察だよ、と。
 
 おお。
 
 付き添いの人がこっそりと説明してくれた。
 
-彼らは、ある村に誰が入り、誰が出るか、逐一村人の動向を
  チェックしているんだよ。

 彼らの一人がたち上がった。
 胸の前に下げたシャンバッグがガーガー鳴っている。
 おお、通信用のウオーキートーキーのアンテナが突き出てるじゃ
 ないか。
 
 

 ほんに、この人は軍の公安関係者だったんだ。
 いつでもどこでも見張られてるんだ。

2006年09月19日

●<見張られている>

 今から10年前。
 週末のアウンサンスーチー氏自宅前。
 
 スーチー氏の演説を聞くために人びとが集まって来た。
 
 そんな人びとと監視する軍政側の MI(Military Intelligence) が
 集会への参加者の動向を見張っている。
 (写真やビデオを撮ったりしてるし・・・それだけで脅しになるしね)


 

 いかにも見張っているぞ!という目つきの男たち。
 やべえ。

2006年09月18日

●<お坊さんは偉い3>

 僧侶と比丘尼が出会い、すれ違う。
 
 もちろん比丘尼が道を譲り、すれ違う際に手を合わす(中央の女性)

 僧侶、比丘尼とも、歩く際は「がに股」が似合うのである。
 内股気味で歩く僧侶を、あまり見たことはない。

2006年09月17日

●<ある者は、>

 目が痛いくらいの真っ青な空の下、イラワジ河の土手で働く男たち。
 
 
 ある者は、全身汗まみれになりながら、船からドラム缶を降ろす。

 
 ある者は、空になったドラム缶から残油を取り出す。

 お、これらの写真はどこかで・・・。
 今月号の Irrawaddy に(他の写真と共に)出てますね。
 要チェックなり。

2006年09月16日

●<市場の周辺>

 マンダレーで一番大きなゼージョー市場。
 その周辺にもまたさまざまな市が立つ。

 
 器用にタマネギをより分けている女性。
 
 
 ほいっと、カゴに投げ入れる。
 上手い。
 このイメージ、個人的に、結構気に入っているのである。

2006年09月15日

●<その理由が分かった>

 子どもたちが一斉に駆け出す。
 各自の手には、先っぽにスポンジの付いた棒を握っている。
 

 
 
 停止したばかりのトラックには、既に大人の男たちがよじ上がっている。
 で、懸命にドラム缶の底に残った重油(?)を吸い上げている。

 子どもたちも負けじと必死で働く。
 彼らの身体が油と泥で汚れている、その理由が分かった。
 

2006年09月14日

●<恐るべし Google Map >

 今年の春、タイからビルマに入国するときに飛行機から撮影。
 たぶんモン州からヤンゴンに入る間際だと思う。

 
 これは一体、どの辺りになるのかなあ。

 これじゃあ分かりにくい。180°回転させて、と。
 

 
 でもって、Google Map で確認してみよう。
 

 ちょいと引いて、
 

 さらに引いて、
 

 う~、位置関係がよく分かった。
 恐るべしグーグルマップなり。

2006年09月13日

●<寄せ集め>

 カレン軍(KNLA)兵士をよく観察してみると、彼らの身につけている
 装備が寄せ集めだと言うことがよく分かる。

 
 長靴はタイ製(だろう)、リュックはUSAとペンとされてるし。
 軍靴はシンガポールから入ってきているとか。

 
 上衣とズボンは、タイ・ビルマ国境のアーミーショップで売っている
 カンボジア製だ(おいおい、カンボジアのワッペンがついたままだよ)

2006年09月12日

●<揚げ物、いろいろ>

 ビルマの食べ物の一つにいろんな揚げ物がある。
 
 これだけで6種類。
 ご飯のおかずに、おやつにと人気がある。

 朝食は一般的にモヒンガーだが、時には揚げ物で朝食を摂る
 ところも多くあるようだ。
 

2006年09月11日

●<目合い、ってか>

 <目・合・い>

 カメレオンの看板がある。
 
 何かな?ってよくよく見ると、コンドームの宣伝なのである。
 カメレオンのアゴの下、男女のシルエットのイラストはよく見る。

HEALTH / AIDS
February 20, Financial Times
A chameleon enlists in war on Aids ?
Amy Kamzin
...
PSI identified a brand name and image acceptable in this conservative milieu. It chose "Aphaw" - "trusted companion" in Burmese - and designed a package with the silhouette of a couple at sunset under a palm tree. "It is easy to use soft porn (to sell condoms) but that would be against our policy and values," Mr Stallworthy says.
...
Three years ago, PSI developed its own advertising mascot: a chameleon - or pothinnyo in Burmese - wearing a traditional man's sun hat. In Burma, chameleons are common, and young boys who see one often watch for the reptile to move its head, while chanting: "Pothinnyo, nod your head if you want a girl".
...
Three years ago, PSI developed its own advertising mascot: a chameleon - or pothinnyo in Burmese - wearing a traditional man's sun hat. In Burma, chameleons are common, and young boys who see one often watch for the reptile to move its head, while chanting: "Pothinnyo, nod your head if you want a girl".
PSI coined the slogan: "Pothinnyo, nod your head if you want an Aphaw". The advertising campaign was a big success, striking a chord with consumers and furthering the acceptability of condoms. Today, 82 per cent of urban Burmese recognise PSI's pothinnyo and nearly all link it to HIV/Aids.
...
<上記の記事は、抜粋>

 
 ちなみにラングーン(ヤンゴン)の通りで堂々と売られているコンドーム。

 ビルマの人の性意識は、思っていたより進んで(特に若い人)いて、
 ビックリすることがある。
 いや、ホント。

2006年09月10日

●<3つの影>

 ビルマで友人に聞いた話。

 


 仏様の影、お父さんお母さんの影、木々の影。

 この3つの影に感謝、と。
 暑さの厳しいかの国ならではの話。

 何かに見守られている安心感を失った、今日この頃。
 

2006年09月07日

●<遅くて早い>

 一日の終わり、ぎっしゃに乗って家路を急ぐおじさん。
 (急ぐったって、この牛の歩みだけど)
 
 

 牛は、前へ、右へ左へ揺れながら、ゆったり進む。
 (ゆっくりしているようで、実は早い)

 牛の歩みは、早い?遅い?
 見ているとゆっくりしてるんだが、一緒に並んで歩くと、
 かなり早い。

 写真を撮ろうとカメラを構えると、ズンズンと迫ってくる。
 体感速度は、う~ん、よく分からん。

 で、後ろからみると。
 
 おお、奥さん(だろう)がちょこんと乗ってる。
 ふむ。

2006年09月06日

●<頭部>

 新しい僧院とパゴダが建設中です。
 建設中の建物の屋上に上がると、新しい仏像も制作中でした。
 
 
 型枠から取り外された真っ新な仏像。
 やっぱり、頭部だけは別注なのですね。
 

2006年09月05日

●<ウー・ベイン橋>

 
 観光客は必ず訪れる橋ですね。
  
 私も例に漏れず、夕暮れ時に行ってみました。

 
 1キロメートル以上の木製の橋。
 庶民の足でもありますね。
 うん。

2006年09月03日

●<お豆摘み>

 
 (カゴかぶって)どこに行くんですか?

 - 畑で、お豆摘みだよ。
 ついて行っていい?
 - いいよ。

 

 炎天下で、明るく、畑仕事。お豆を取ってました。

2006年09月02日

●<未だ現役>

 
 1920~30年代とおぼしき英国製のバスが現役で走ってる。
 乗り心地は余り良くない。
 2006年5月で20K(kyat)の料金。
 かなり格安。庶民の足(ちゅうか選択肢が無い場合もある)

 
 車内はこんな風になってます。
 もちろん木製の部分もあります(同じ型のバスだった、と思う)

2006年09月01日

●<敬礼の仕方>

 2000年の12月25日のクリスマス、カレン州でのこと。
 カレン軍の閲兵式(って大袈裟か)を見物した。
 
 普段はフツーのオジサンなのだろう(制服からはみ出たシャツが
 それを物語っている)、キリキリとした顔をしてカレン旗に向かって
 敬礼をしている。
 
 この敬礼って英国式なのだろうか。
 軍隊の形式(様式)に詳しくないので、よう分かりません。

 ちなみにビルマ国軍(Tatmadaw)はどうだったかな?
 資料を探してみたけど、手元に国軍兵士の敬礼写真がない。
 ふむ。
 次回の訪問時にでも撮らしてもらおうか、ハハハ。

 って、思ってたら、資料からマウンエイ副上級大将(Vice-Seninor
 General Maung Aye)の写真を見つけた("New Light of Myanmar")
 
 これを見ると、カレン軍とやっぱり敬礼の仕方が違うようだ。
 これは米国式?(仏式でないのは確かだけど)
 ふむ。
 

2006年08月31日

●<孤児院にて何を?>

 ラングーン(ヤンゴン)の郊外の孤児院、兼 僧院です。
 
 テラシン(比丘尼)となって修行する女の子たちが勉強してます。

 さて、一体何を勉強しているのかな?
 
 英語でした。
 
 通りで、ビルマでは英語の使い手が多いのか。
 ふむ。

2006年08月30日

●<懐かしい風景>

 イラワジ河が流れるイラワジデルタの小さな町を訪れた。
 太陽が昇る朝早く、河岸に立ってみた。
 
 朝靄の中を人が動き回っている。
 人の息吹を体感できる。

 
 川を遡る船。

 
 舫を解いて出航の準備をする人と船。
 遠目にかすかに見えるだけ。

 
 濃い靄の中から船が現れた。対岸からの通船だ。
 
 写真整理をしていて懐かしい風景に触れると、ああ、と
 ため息。

2006年08月29日

●<ちょっと変わった市場 2>

 この日は政府関係(団体?)から食料品や日用品が安く放出される
 日だそうだ(案内してくれた人によると)

 奪い合いにならないように、並ばされて、座らされる人びと。
 
 周りは制服を着た軍の人でいっぱい。
 さすがに真っ正面に、カメラを構える度胸はない。
 
 外国人の姿が珍しいのか、みんなこっちをじっと見る。
 あわわ。

 市場を歩き回る振りをして、こっそりとシャッターを切ってたら、
 またたまあのセリフを言い放たれた。

 「あっち行け」、だとさ。
 ちぇ。

2006年08月28日

●<ちょっと変わった市場>

 庶民の生活がにじみ出る場所といえば、市場だな。

 ここは政府バックアップの公認市場(?)のようだ。
 いわゆる公設市場っぽい。野菜やお肉が安い。
 
 買い物をした後、市場の出口で、それぞれの店での計量が
 正しいか計量をやり直す。
 
 写真を撮ってたら、「あっち行け」、だとさ。
 フン。

2006年08月27日

●<ジーンズ>

 
 今では珍しくなくなった若者のジーンズ姿。
 (ほんの10年前じゃあ、ホント珍しかったのに)
 しかも、手なんかつないじゃって。
 
 背後の若草色のロンジーは(悪名高い?)YCDC(=Yangon
 City Development Council=市役所)で働く女性の制服。


 
 アウンサンボージョー市場横の古着屋。
 そこには、ジーンズが大量に売られてました。

2006年08月26日

●<この先心配>

 
 閑散とするボージョーゼー(市場)2Fの宝石売り場。
 ここは、ラングーン(ヤンゴン)で一番の市場だとされるが、
 この市場が新首都ネーピードー(Nay Pyi Taw) に移るそうな。
 
 が、(いらんお世話だけど)果たして、移転後、この市場の
 存続はどうなるのだろうか・・・移った先も含めて。
 

2006年08月24日

●<ムキムキマッチョ>

 
 健康増進のため始めたワークアウトが、ここまでになった。
 今はプロティンも摂っているとか。
 しかし、50歳を過ぎたビルマ(ミャンマー)の人とは思えない。
 (というのは先入観が強すぎ?)

2006年08月23日

●<ラングーン(ヤンゴン)を見下ろす>

 ビルマ(ミャンマー)の旧(?)首都ラングーン(ヤンゴン)を
 見下ろす。
 
 1997年の経済危機から途絶えていたツインタワーの建設も
 再開されたようだ。今年中に完成するのかな。

   ↓ クリックすると拡大します。 ↓
 

2006年08月20日

●<ロンジー、たくし上げて>

 一日の終わり、下町のどこかで、サッカーかチンロンに興じる
 男たちをよく見かける。

 チンロン邪魔になるのがロンジーである。
 で、太股も露わにロンジーをたくし上げることとなる。
 
 写真左のオジサンは、たくし上げたロンジーが緩んだのか、
 締め直している。

 と、ここはモルメインの市場。
 荷物運びのオジサンもロンジーをたくし上げてます。
 仕事の邪魔になるもんね。

 で、お財布は、というと。
 
 ちゃんと定位置に挟んでますよってに。

2006年08月19日

●<只今、警戒中>

 北の道路側、入り口近くで爆弾事件(らしきもの?)が起こった
 トレイダーズホテル(Trader's Hotel)
 
 その北側(レストランが見える側)では、ちゃっちぃ柵をして警戒中。
 
 って、なんら役に立たない警備なのだが。
 ふむ。

2006年08月18日

●<はあと ♡ >

 年末のアウンサンボージョーゼー(市場)
 
 舞台の上で出し物が演じられてます。
 子どもたちは目を「キラキラ」させて見入ります。
 
 君ははあと ♡ マークの涙を流すのか?

2006年08月17日

●<ハフハフ>

 喫茶店で一休み。
 
 熱いお茶を飲むときは、こうやってお皿に移して啜ります。
 ハフハフしながら飲んでます。

2006年08月16日

●<これも発展(進歩)?>

 とある雑誌が記事でエネルギー特集するというのでいくつか写真を
 送った。

 そのオマケに、こんな写真も。

 ラングーン(ヤンゴン)のアノヤタ通りとセイカンダー通りでは、
 夜になると野菜、生鮮マーケットが開かれている。
 
 2003年頃、路上市場を照らす明かりは、ほとんどがロウソクであった。

 
 が、2006年には、ロウソクの代わりにポータブルの蛍光灯が
 使われていた。

 これも一つの発展(進歩?)かな。

2006年08月15日

●<ドキドキ、パコパコ 2>

 離れた所からビルマ国軍兵士たちの写真を撮ってたら、
 
 うわ、
 見つかった。
 
 こっちに歩いてくる。
 
 ああ、どうしよう。なに言われるかな?
 ドキドキ。パコパコ。
 
 こちらから話しかけた。
 
 「今日のお仕事終わりですか?」
 -「ホゥケッ」

 通り過ぎた。
 ホッ。

2006年08月14日

●<謝意、っていうこと?>

 シャン州の、それはそれは山奥の、小さな村の教会に招かれました。
 と、ミサにアカ民族の女性が来てました。
 
 写真を撮ったら、「はい、お金」と手が伸びてきました。
 ああ。
 カチン人の牧師さんが「その人はお客さんだから」と慌ててました。

 教会の帰りに、「私たちの写真撮ってね」と強引にシャッターを
 切らされました。
 町ではシャイな人たちも、自分の村ではここぞとばかりだ、はい。
 
 「ありがとう」って謝意を告げられたけど、私はアカ語(?)は
 わかりません。
 

2006年08月13日

●<バス待ち>


 バス来ないかな~。
 
 大木と比丘尼の僧衣、その色の取り合わせ。
 しっとりとしてました。

2006年08月12日

●<中国なんか

 カチン州ミッチーナに来ました。
 米問屋の軒先で、お米を袋詰めしてる。どうもご苦労様。

 で、袋をよく見てみると、中国向けか。

 ビルマは昔、英国の植民地となったとき、隣国インドへの穀物庫
 の役割を担わされた(それによって米の生産が増えたという面も
 あるが)

 シャン州チャイントンに来ました。
 お、パゴダの前に止まっている運搬車をよく見てみると。
 
 え、「雲南」で走ってた車?
 辺境はもう「Yuan(元)」経済圏なのだな。

 とりたてて中国脅威を煽りたてたくはないのだが、こういう現実
 もあるのだ(って、遅すぎるか)

 「中国南下」を世界に知らせると、「中国軟化」が期待できるかかな、
 そんなことはあり得ない。だから、「中国なんか!」と言われるのだ。
 (ああ、オヤヂギャグだ)

2006年08月11日

●<え、エアーズロック?>

 シャン州のチェイントン(*)から郊外へビュンと1時間ほど走る。
 と、出くわした。
 何これ?
 
 まるでオーストラリアのエアーズロックみたいやん。

 横から見ると、そうでもない(クリックすると拡大します)
 
 そろそろ刈り入れ時。黄金の稲穂が目に眩しい。

 なんだろうか。
 ぐるりと回って、上がってみる。
 
 なんだ空港か。全然神秘的じゃない。
 
 (*)チェイントンは、チャイントン、ケントン、ケントゥンと
  いろいろ呼ばれている(Kengtung,Kengtong,Kyaingtong)
  ラングーン=ヤンゴンほど簡単ではないようだ。
 

2006年08月10日

●<集団移動>

 日が暮れ始めた。
 シャン州チェイントンの町から1時間半ほどの農道を急ぐ。
 村人も帰路につく。

 アヒル飼いも家路につく。
 
 おお、集団移動だ。
 
 そのままこっちに来い、ススメ、ススメ、アヒル隊ススメ。
 が、不審者(私)を前にして隊列が崩れ始めた。
 ああ、それじゃあ写真の構図が崩れちゃうよ。
 

 アヒルの隊列にも(どこかに、先頭?に)リーダーはいるのだろうか。
 それとも自然に固まって、集団で進むのか。
 その形態を、なぜか人間の集団に重ねてしまうのは、悪いクセ。

2006年08月07日

●<やっぱり移動は列車>

 ここはカチン州の州都、ミッチーナの中央駅。
 駅前にトラックで兵士が乗り付けました。

 出発時間まで、水の出ない噴水の周りで兵士たちが
 時間つぶし。正面切って、写真撮らせてね。
 

 流石、ラングーン(ヤンゴン)から遠く離れたこの地では、
 兵士も列車移動が多いようですな。
 うん。
 

2006年08月05日

●<タマニャ僧正と>

 写真整理をしていたら、その昔、タマニャ僧正(Thamanya Hsayadaw)
 と一緒に写した写真が出てきた。

 特別のツーショット写真3連発である。
 今となったら、これはなかなかレアな代物である(はずだ?)
 
 <これは1998年度>
 

 

 <これは2000年度>
 
 山頂の個室で撮りました。

2006年08月04日

●<破顔一笑>

 タナカを顔中に塗りたくった女の子。
 びっくりするほど表情が変わる。

 
 怪訝な顔です。

 で、こっちがニコッとするとそれにつられて破顔一笑なり。
 

 えっ、これが同じ女の子?
 信じられねぇよ。

2006年08月03日

●<のっしのっし>

 難民キャンプもいろいろ。
 キャンプといえど、長年暮らすと、そこは一つの村が形づくられる。
 タイの村から、接触もある。
 生活物資を売買する姿も見受けられる。

 険しい山奥を行き来するので、もちろん移動手段は、丈夫で器用な
 象ということになる。

 

 のっしのっしと歩く様は頼もしい。
 確かカレン州の山奥で象一頭の値段は60~100万円くらい
 だったような記憶がある。

2006年08月02日

●<すやすやと、は不要か>

 ここはラングーン(ヤンゴン)郊外。
 日本人の寄付によって造られた孤児院兼僧院。
 

 仏教の経典を読んでいるか、外で遊び回っている子が多いのに、
 女の子がひとり、それこそ、すやすやと寝息をたてて、身体を
 丸めて寝ている。
 こういう場合、身体を丸めて、という記述は不要かな。


 青空の下、犬と遊び回る子どもたちもいる。
 
 

2006年07月29日

●<菜食主義>

 カレン州タマニャ僧正と一緒の部屋で食事をしたことがある(98年)
 今思うと、なんと畏れおおいことだ。
 その時はそれ程偉いお坊さんだとは思っていなかった。
 ちなみに僧正は菜食主義者。

 それに、何かの弾みで一週間ほど、掛かり付けの写真屋さんになって
 しまったのである。奥の間とか山上の個室内で写真を撮ったりした。
 とても貴重な写真を残すことが出来た。

 タマニャ僧正の影響下の地域にはいるときは、一週間前から肉食を
 絶つのが建前である。
 
 で菜食(いわゆるベジタリアンね)だといっても料理の品数は多い。
 (もちろんえらいお坊さんだから、それだけ準備してもらえるのだけれど)

 山菜やキノコ、豆腐をうまい組み合わせ、テーブルの上をテーブルの
 上を華やかに(といえば言い過ぎか)彩る。

 

 ああ、あの食事が懐かしい。

2006年07月27日

●<地雷>

 23日にYさんを迎えての「勉強会」で見たビデオにビルマ
 カレン州で埋められている地雷の場面が出ていた。

 地雷はホント怖い。
 だって、見えないんだもの。

 
 これはビルマ軍が使っている中国製地雷。

 

 中国製の地雷の信管を抜いて defuse し、使える部分は再利用
 しているカレンの部隊。
 
 このオジサン、指のない手を使って(地雷処理に失敗したのかな?)、
 目の前で地雷処理するからヒヤヒヤもんだよ。

 ちなみにここのカレン軍部隊は、竹と木材を使ったオリジナル、
 エコ地雷(環境に優しい?)を作ってる。
 雨季がすぎると、雨が浸透して使えなくなる、とか。
 ほんまかいな(ほんまだろう)

2006年07月26日

●<護送車2>

 ラングーン(ヤンゴン)の町を、ダウンタウンからインセイン方面
 に向かってタクシーで走っていたら、目の前に護送車が走っている
 のに気づいた。

 
 換気窓の柵をしっかり握っている手を見ていたら、ちょっと気が沈む。
 彼らはいったい、どんな罪を犯したのだろうか。
 
 政府発表のニュースは信頼できないので、事件事故、犯罪のニュース
 に関しては、よけいな気を回してしまう。

2006年07月25日

●<物音一つ立てずに>

 「くねくね塹壕」の近くで野営。

 早朝、日が昇るに目が覚める。
 うう、べとっと湿気が身体にまとわりつく。
 数十メートル前は濃霧でハッキリ見通すことができない。

 小用のため、ちょっと草むらへ行こうとしたら、目の前に、
 スッと人影が現れた。
 物音一つしなかった。

 
 おお、びっくりした。それこそちびるやんか。

 歩哨で一晩中起きていた兵士のようだ。
 それにしても、動物的な動きでビビったわい。

2006年07月23日

●<くねくね塹壕>

 KNUのかつての総司令部からボートと徒歩で約1日。
 KNLAの前線基地にたどり着く。

 山の上から見ると、尾根にくねくねと続く塹壕が見える。

 
 左側がカレン軍側、右側がビルマ側(だったと思う)
 
 
 これはまた別の塹壕。
 雨季の間、ジャングルの中、塹壕に籠もるってホント大変だよね。

2006年07月20日

●<コートレイ(kawthoolei)>

 今から10年ほど前、ビルマとタイ国境でもあるサルウィン河を
 下ると、そこにカレン民族同盟の(KNU)の総司令部マナプロウが
 あった。

 カレン語でマナプロウが何を意味するのか諸説がある。
 
 文字通り、暗い(暗黒の)土地、あるいは、平和な土地、
 花咲く大地。
 
 一番通りがいいと思ったのは、「プロウ」と呼ばれる植物が咲き
 乱れる土地はカレンの地で、そこには争い事がない、転じて、
 平和な土地、というものである。

 
 夜明け前の軍事練習に向かう少年である。

 マナプロウはまた、ビルマ全土の「少数民族」から軍事演習の為
 の兵士を受け容れていたのである。

 
 真っ暗なうちから点呼を受ける。
 肩章と胸章を見ると、シャン軍の訓練兵だというのがわかる。

 
 割竹をM16自動小銃に見たてての演習。
 若い彼らは、ブッシュや丘を自由に走り回る。
 私は、それについて行くのがやっとだった。
 はぁはぁ。

2006年07月18日

●<朝の太陽光線>

 ここは、チン州の、とある田舎町。
 家の中には、(もちろん)水道も電気もない。

 
 家の竹壁、その隙間から早朝の光が差し込む。
 学校に行く前、大きな声を出して教科書を暗唱する女の子。

 太陽の光は、分け隔てなく降り注ぐのに、なあ。

2006年07月17日

●<漁師は朝から、万国共通>

 夜明け前から漁に出る人びと(現地時間6時45分頃)
 
 こういう漁師の姿は万国共通ですね。ここビルマの西、
 ラカイン(ヤカイン)州のシットウェ(シットゥエ)でもね。


 
 で、捕らえた魚を朝市で競りにかける(7時半過ぎ)
 
 シットウェ(シットゥエ)はやっぱり港町。
 魚やエビが、激安でした。

2006年07月16日

●<朝日(陽)?夕日(陽)?>

 空気中の塵の加減だろうか、ビルマでは一見すると、
 朝日(陽)か夕日(陽)か分からなくなることがある。

 


 


 どちらも夕日(陽)だとも言える。
 朝日(陽)だとも言える。
 
 でも違う。

2006年07月14日

●<暗い街角で>

 夜の帳が下りると、もう町は真っ暗になる。
 煌々と灯が付いている建物は、パゴダか、お寺かである。

 
 お寺の入り口で炒りピーナツを売る女性。
 いったいこんなところで商売になるのかな、と思っていると、
 三々五々、参拝に訪れる人がいるのである。
 参拝の帰りに、ふとそのピーナツを買ったりして。

 日中は騒がしいほどの街が、夜になるとシンと静まりかえる。
 地面の凸凹につまずきながら、くらい街角で、電気がないのも
 いいかな、と、そこで生活する者の視点ではない、不遜なこと
 を考えてしまった。


 
 ここはヤカイン(ラカイン)州の田舎町。
 電気の灯らない部屋。
 そこで見たチン女性の横顔は、美しすぎた。
 、って、フン、詩人気取りだな(反省)

2006年07月13日

●<柔らかい朝陽のもと>

 

 柔らかい朝陽のもと、
 大人は朝食の屋台を出し、
 子どもは遊び、
 犬はうろつく。
 
 ここはビルマの西の端、ヤカイン(ラカイン)州。

2006年07月12日

●<絵はがき的風景>

 雨季の始まりを告げるにわか雨。
 モルメイン(モウラミャイン)の郊外をうろついていたら、
 極めて「絵はがき的」な風景に出くわした。

 
 牧草(?)を高く積んだ馬車。
 パゴダの尖塔。
 ロンジーを身にまとったビルマの人びと。
 
 これで夕日が差し込んでいたらできすぎだけどね。

 一方、雨が降っていたとき、私は近くの軍の詰め所で雨宿り。
 歩哨の兵士にじっと見つめられ、ドキドキ。
 さすがにそれは写真に撮れなかったし。

2006年07月10日

●<指折り数えて>

 ゆったりと流れる河の船上。
 おばあさんと孫娘(だろう)が肩寄せ合ってる。

 何かを読みながら指折り数えてる。
 

 声に出して、数え続ける。
 

 一体何を。

2006年07月09日

●<この線、いずこへ通じる>

  

 サルウィン河に架かる送電線。

 この川の上流に、3つのダムが新たに建設予定。
 その目的は発電。
 が、発電された電気はタイに売られる。

 慢性的な電力不足に陥っている(ビルマ側の)都市にはもちろんのこと、
 地元にも恩恵はない(と思われる)
 
 河川も送電線も、自然の地形を抜きにして、政治的に、どのように、
 どういう風につながっているのか。

●<鳥氏送別会>

 5時過ぎ、朝刊を読んで、寝る。
 うへ(*_*)

 10時過ぎ起床。
 なんや今日も天気やん。
 ふとん干し。

 13時過ぎ、ビュンと外出、六甲道へ。
 Jモールにて、スイカと桃とPお茶を買って仏塔氏宅へ。
 14時15分到着。
 ええ、何?
 14時集合とちゃうかったん。誰も来てへんやん。

 15時前、軍団登場。
 ぐちゃら。

 う~、暑いですね。雨季特有の蒸し暑さ、っていう感じ。

 16時から辺治足案インドカレーに取りかかる。
 みなさんかいがいしいですね。

 
 おお、美味しそう。
 で、今日はナンの会?
 インド料理の会?
 あ、鳥氏の壮行会でした。
 
 
 自分の壮行会で自らカメラを持って撮影する鳥氏。

 デューク更家のウォーキングDVDを所蔵している仏塔氏は、
 おお、歩き方の実演を始めるではないか。
 
 来週には日本を離れる鳥氏に贈り物。
 有りあまるほどの「ふりかけ」とおしゃれな風呂敷セット。
 涙する(?)鳥氏は笑顔を振りまく。
 
 食後のデザート群も豪勢につきる。
 

 おっともうこんな時間か。
 21時半、一足お先においとま。

 ビュンとR道へ。ツタヤで『大統領の陰謀』『インソムニア』
 'No Man's Land" を借りて帰る。

 う~、疲れたね。やっぱり寝不足?
 ちょいと仮眠。

 23時前起きる。右半身コリコリです。特に肩から肩胛骨にかけて
 ガチガチになってる。
 グリグリ棒でマッサージ。
 
 で、ちょいと仮眠。

2006年07月08日

●<男の子だって>

 カレン州の田舎を移動中、畑のそばの井戸の端、男の子たちが
 遊んでいる。

 

 そう、男の子だって、おはじき遊びをするのだ。

2006年07月07日

●<タナカさん>

 「タナカ」を塗るのは、日除け、虫除け、と言われる。
 そう、12月末のマンダレーといえども日差しは強い。
 歩き続けると、目の前がクラクラになる。
 そんな炎天下、建設現場で働いている女性たち。

 
 タナカはこういう時にやっぱり必要だ。
 
 
 建設現場で働く女性を初めて見たとき、ちょいと違和感を感じたが、
 (やっぱり外国人の目だね)、慣れてくると、そうでもない。
 幼い顔をした女の子もいる。

 
 個人的な印象だが、男性/女性にかかわらず、ビルマの人は
 年齢よりも若く見える。子どもだと思っていたら、うわ25歳と
 いうことも。

2006年07月05日

●<ドラム缶>

 ビルマでは2005年10月頃、急激にオイルの値段が急騰。
 ガソリンは1ガロン160Kくらいだったのが1500Kにまで
 になった。

 ここマンダレーのイラワジ河のほとり。
 空になったドラム缶の再利用場がある。
 

 おおこれだけよく積み上げたものだ。
 力仕事は男たちの仕事。
 空っぽといえどもドラム缶は少々重たいもの。

 
 
 働く男たちの中に、男の子の姿が見える。
 その重たいドラム缶を背中に担いでいる彼の姿を見ると、
 なにかやるせない。

2006年07月03日

●<写真民俗誌>

 写真から生活文化を読み取る。
 写真民俗誌なるものがあるらしい。
 
 で、それって何?
 いろいろと読んでいたら、民俗誌には余り関係ないけど、
 ビルマの今と昔を比較できる写真が結構出てきた。

 
 ↑は、2003年に撮った写真。
 
 
 ↑は、1993年に撮った写真。
 11年の歳月を経ているが、あまり変わっていない(ように見える)


 
 ↑は、2003年の薬局。

 
 ↑は、1993年の薬局。
 場所は違えと、これもあまり変わっていない(ように見える)


 
 ↑は、2003年のマンダレー、バッファローポイント。
 
 

 
 ↑、は同じく、1993年バッファローポイント。
 やっぱり変化がないようだ。
 
 ただ単純に、撮り続けているという、それだけであるが。
 芸がないので、たぶんこれからも撮り続けるだろう(しょぼん)


 ちなみに写真民俗誌にもいろいろな系統があるらしい。
 宮本常一の場合、シャッターを切る際、いかに「見ているか」
 が重要だとか(間違ってたら、すいません)

●<ようやく会えました>

 初めて電話連絡を取って早や3年が経ちました。
 ジューさん、あなたにようやくお会いできました。

 その日、いそいそと事務所を訪れました。
 で、ビルマの女性のこといろいろと尋ねました。
 
 
 2005年8月11日のブログに次のように書き抜きをしました。
 かなり長い文章ですが、帰国後、再読してみました。
--------------------------------------------------
 『ミャンマー現代女性短編集』に寄せて

 ジュー

 【本書を流れるもの】
 本書には現代ビルマの女性作家二十一名の作品が収められて
 います。それはビルマの女たちの胸の中から発信された声の
 さまざまです。

 作品は形式も表現も技法も内容もさまざまです。そして、個々
 の作品の醸し出す芸術性もそれなりに優れています。しかし全
 作品を通して、その底に流れる共通のものがあります。

 それは芸術や技法を超えて、読者をある場所へいざなう力です。
 その場所とは、男性優位社会のもとで抑圧された女たちの証言
 の記録です。そこには話し手も聞き手もいます。では判決を下
 す裁判官は不在です。

 作品の女主人公は裁判官の存在を要求していません。法的公正
 というものは、誰かに要求したからといって獲得できるものでは
 ありません。自らの努力で打ち立てるべきものなのです。です
 から、女たちは感慨を分かち合い、励まし合い、助け合いながら、
 姉妹的、同志的精神で手を携えて歩むのです。


 【女たちの苦しみのもと】
 人類の文明は発展してきました。しかし二十一世紀の今も、世界
 各地で女たちはさまざまな抑圧に苦しんでいます。

 その一つは女性に対する家庭的、社会的、文化的抑圧です。それ
 には、言葉による抑圧、感情的抑圧、経済的抑圧、肉体的抑圧、
 夫による妻への抑圧、政治的抑圧、性的抑圧などがあります。
 
 もう一つは性的侵害です。この問題では男性が加害者、女性が
 被害者となります。それは、女性が男性より体力が劣り、幾多の
 時代にわたって女性が男性の所有財産とみなされ、女性の肉体が
 男性の性的慰みとなり、女性への性的侵害が男性の権力欲、支配
 欲を満足させてきたなどといった理由によります。

 性的侵害にもさまざまな段階があります。軽度のものとしてセク
 シャル・ハラスメントが挙げられます。女たちは自宅周辺で、
 職場で、バスや列車で、ハラスメントを受けています。中度の
 ものには、男性が女性を誘惑して関係を持ったあとで、責任を
 取らずに遺棄するケースが見られます。重度のものとしては
 レイプが挙げられます。レイプにもさまざまあります。

 第一は、顔見知りでない者によるレイプです。ここには、国家や
 民族間の戦闘後、戦傷側の男性による敗戦側の女性へのレイプも
 含まれます。監獄では拷問として女性へのレイプがよく生じます。

 第二は、顔見知りによるレイプです。旧知の間柄の男性、近所の
 男性、職場の上司・・・・・彼れらは見知らぬ男性より女性に
 信頼されていますから、ずっとレイプのチャンスに恵まれています。

 第三は、恋人によるレイプです。女性がノーというのはイエスと
 いう意味だと曲解して、自分の欲求を通す類の男性が少なくあり
 ません。

 第四は、夫によるレイプです。ビルマ語には性的所有者たる夫
 (カーマバインヤウチャー)という語があります。それは、性的
 生活において妻が夫に必ず妥協しなければならないという意味と
 して受け取られています。


 【作品の問いかけるもの】
 ビルマの女たちは本当に、このようなさまざまな抑圧と侵害に
 苦しんでいるのでしょうか。

 この短編集は、ビルマ社会において世間が女性というものをいかに
 とらえているか明確に提示した、いわば社会規範の陳列室ともいう
 べきものです。

 ビルマの女たちは自由でしょうか。ビルマの女たちは無能でしょ
 うか。ビルマの女たちが主として直面する抑圧は何でしょう。
 ビルマの世間は女性をどのようにとらえているのでしょうか。
 ビルマの女たちに希望はあるのでしょうか。ビルマの女たちに
 勇気はあるのでしょうか。

 そのような問いを、それぞれの作品が問いかけてくるでしょう。
 そして、その答えもまた作品の中に潜んでいるのです。

 短編集の編者で役者のマ・パンケッ(みどり)は、本書を五部に
 分けています。読者のみなさんは、娘としてのビルマ女性、妻と
 してのビルマ女性、母としてのビルマ女性、女性としてのビルマ
 女性の生きざまを、そこに見出されることでしょう。

 さらに、彼女たちに直接かかわる男性の実態の一部も、理解される
 ことでしょう。


 【ビルマの女たちは無能か】
 ビルマの女たちは自由でしょうか。この問いを発する前にビルマの
 女たちたちは無能かという問いについて、まず検討しましょう。

 ビルマの女たちは無能ではありません。なるほど彼女たちは貧しい
 かもしれません。高等教育を受ける機会を逸したかもしれません。
 でも彼女たちは無能ではありません。例えばニョウニョウティンフラ
 の「鬱積」では、年老いた男が良かならぬことと知りながらそれ
 を実行に及ぼうとします。でもお手伝いの娘には、それを良くない
 ことだと認識して撃退する意気があります。

 ビルマの女たちが軟弱だとおっしゃるなら、それもまた、彼女
 たちの苦労に耐え忍ぶ精神と自己犠牲精神のなせるわざだと言
 わねばなりません。ニョウケッチョーの「荒野の荒れ」のように、
 貧困や病気にあえぐ親の苦境を見かねて、親のため苦痛に耐える
 娘を軟弱だときめつけられましょうか。

 ビルマの女たちの中には、決定権を持つ地位にある者たちもいます。
 それは、ミチャンウェーの「麻酔薬」のように事業を仕切る女たち
 たちや、キンフニンウーの「つかの間の夢が見たい」のように高い
 教育を受けエリート生活を享受する女たちたちです。

 でも大多数の女たちは、決定権者たる男たちに抗うことができま
 せん。性行為に及ぶか否か、その場合コンドームを使用するか否
 か、そのような問題の決定権は男性側にのみあります。その結果
 女性が妊娠します。男性がその責任を取らない場合、女性が汚辱
 にまみれ尊厳を失う事態に直面することになります。

 父親のない子を出産するか、あるいは密かに子どもを闇に葬るか。
 ビルマの世間は、夫のいない女性が妊娠すれば、女性側に非難を
 集中します。主犯である男性は罪を免れるのが常です。女性を
 妊娠させ遺棄した男性でも、その後の結婚の道は女性よりはるか
 に開かれています。

 彼の体内には、ある女性を性行為によって妊娠させたという罪の
 証拠は何も残留しないからです。一方妊娠したまま遺棄された
 女性のほうは、もはや結婚する道が閉ざされたうえ、彼女のおかげ
 で親や親戚までが世間の非難にさらされます。そんな時、妊娠した
 娘たちは、世間に顔向けできない人生よりむしろ死神への接近を
 選択するほかありません。密かに中絶します。闇の堕胎が増加して
 います。母体の死亡率が増加しています。

 マ・チュープィンの「傘係」では、ゴルフ場の中年男性客に付き
 添って傘をさしかけ、キャディーがいない時にはゴルフバッグも
 運ぶ娘たちのことが書かれています。ある娘は、おしゃれをした
 りご馳走を一杯食べたい誘惑に打ち勝てず、下心で接近してきた
 役人に期待を抱き、彼の欲求に応じてしまって妊娠します。

 役人は所帯持ちで、娘に責任を取りません。ですから娘は中絶
 します。ビルマでは中絶は非合法です。ですから普通の診療所
 の大半が処置できません。そこで娘は地元の、何も理解もせず
 技術にも長じていない人物のもとで中絶します。不潔な器具を
 やみくもに生殖器に挿入して掻爬しますと、敗血症に感染します。

 血液中に化膿菌が侵入して、最近から分泌する毒素で急性炎症を
 起こします。病院に入院しても手遅れです。そうして娘は死ぬの
 です。

 スエーイエーリンの「海の中の小さな帆船たち」でも同様の問題
 が見られます。さらに、夫からの性行為の求めに応じられない妻
 が、夫の恨みを買い殴られる話しも語られます。彼女は、夫から
 感染した梅毒による傷の炎症のため夫を拒絶したのです。


 【ビルマの女たちが主として直面する抑圧は何か】
 それは家庭内における女性への暴力(ドメスティック・バイオ レンス)
 です。

 ビルマ人の家庭に関する一般的な調査からは、離婚率がかなり
 低いことが判明します。離婚率の低さは家庭が平和で円満であ
 るからだと考えるむきもあるでしょう。しかし現実はそうでは
 ありません。離婚率の少なさは、次のような理由が見られます。

 ビルマの世間では、出戻り女性(タクラツ)は非常に不名誉で
 恥ずべきものだとみなされます。一方、男性離婚者は女性離婚者
 よりも、世間に受け入れられ優遇されます。男性離婚者が再婚
 する場合は、相手に不自由しません。女性離婚者が再婚する場合、
 相手はきわめて限られます。「立派な女性が飾る花は一輪」と
 いうビルマの格言があるのです。

 夫と離婚した場合は、妻だけでなく子どもたちまで肩身の狭い
 思いをします。妻が離婚を申し出ても、夫のほうはなかなか
 離婚を承諾しません。夫が承諾してくれなければ妻はお手上げ
 です。逆に夫のほうが離婚した場合は、妻が承諾してくれなく
 とも問題ありません。

 夫が経済的に豊かであり、状況さえ許せば、好きなだけ妻を娶る
 ことが法律的に許されています。このことでは「立派な男に女官
 千人」という格言があります。これは現代にもあてはまる格言な
 のです。

 ニョウケッチョーの「荒野の流れ」では、独身を騙る男と結婚
 させられた、貧困の申し子たる若い妻の状況が芸術的に描写さ
 れます。多数の女の存在を知った時、彼女は親の家に帰ります。
 しかし彼女の母親自身が、「女というものは夫を次々と取り替
 えちゃいけない。我慢して添い遂げなさい」とか、「経済援助
 の大樹の陰を出るとは、親不孝で利己主義者だ」とか、なだめ
 すかしたりさまざまに説得して、彼女を夫の元へ送り返すのです。

 世間が出戻り(タクラツ)女性を非難し軽蔑するのを目にした
 一般の妻たちは、夫と離婚したくてもそれを飲み込んでこらえ
 ます。自ら事業を率いている女でさえ、時には夫に殺意を抱く
 ことがあっても、離婚することはできません。

 ミチャンウェーの「麻酔薬」は、抑制された結婚生活の苦悩に
 エビの輸出事業の経験や感慨を混入して描き、技法的にも優れ
 た小説となっています。


 【ビルマの世間は女性をどのようにみなしているか】
 ビルマの世間は、女性の価値を処女性や純潔性や貞節を基準に
 算定します。その女性の学歴や世間への貢献度を基準に算定する
 のではありません。

 ビルマの世間はまた、妻の価値を家庭維持能力を基準に測ります。
 彼女の結婚相手である夫の経済力や地位を基に測ります。

 ビルマの女たちは人間関係における自分の位置を、自ら男性の
 一段下に定め、その位置に甘んじてきました。さらに一段上が
 ることなど想像だにせず、自分の人生に不満も持たず、「息子
 を主人、夫を仏と心得よ」という格言に従ってきました。

 女たちは男性の威徳というものを信じています。自分たち女は
 前世の行いの結果である果福(ポン)が男より低いと信じています。

 自分のロンヂーや足など、下半身にかかわるものが、男の使う物に
 触れてはいけないと考える女たちは今もいます。男のロンヂーと女
 のロンヂーを一つの石鹸で洗ってはいけない、洗濯機で一緒に洗っ
 てはいけない、同じロープに干してはいけない、同じアイロンでア
 イロンかけをしてはいけないといったタブーを守っている主婦たち
 はまだまだたくさんいます。


 【ビルマの女たちに希望はあるか】
 ビルマの女たちは法的公正や自由に希望を託そうとします。しかし
 彼女たちは規範を覆すことにはまだ躊躇しています。ですから当面
 は、自分たちになりかわって自分たちの感慨を声として表現して
 くれる作家芸術家を頼みとします。彼らを応援します。頭脳明晰な
 女主人公を尊敬し模倣します。自分の人生に妥協したい気持ちが生
 じたような時には、わが子の人生に希望を託します。

 ティンティンターの「マイル標識を立てて」では、一人の女性が
 娘に万全の希望を託して、自分の人生に立ち向かうさまが見られ
 ます。自分の血を分けた子が娘である時、主人公の心の中では、
 希望がより鮮明となっていきます。「自分の娘だけは自分の被っ
 た苦悩を感じさせてはならない」という誇り高い希望が、より堅固
 なものとなっていくのです。


 【ビルマの女たちに勇気はあるか】
 ビルマの女たちに勇気はたっぷりあります。ただ、これまでの
 人生で刷り込まれた「規範への反逆は罪である」という通念の
 ゆえに、それを打ち破ることの適否を逡巡しているのです。

 ビルマの女たちは間違いを間違いと言える勇気があります。
 多数が苦い雨水を飲んでいる時に、それを飲むことを拒否する
 勇気があります。例えばケッマーの「小説にあらず」では、
 精神の強靱な一人の娘と一人の男の興味深い対戦が語られます。
 これは読者をとらえて離さない小説の一つです。
 
 本書は、短編の文学性がたっぷり堪能できる単なる短編集にとど
 まるものではありません。むしろ、ビルマの世間の中で女たちが
 直面し、苦悩する多くの抑圧について著述された研究調査報告集
 だというべきかもしれません。

 本書を読み終えられた時、ビルマの女たちが真に自由であるの
 だろうかという問いに対する答えを手にされることでしょう。

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 ジューは1958年生まれ。マンダレー医科大学在学中の
 1979年から短編小説を書き始め、卒業後医師として病院勤務。
 1987年、発の恋愛長編『思い出に』で医学生の非婚同居生活
 を描いて文学界を揺るがす。以後強い自我を持つ男女を主人公と
 した恋愛長編多数がベストセラーとなり、映画化、ビデオ化される。
 中流知識人青年層に強く支持され、若手女性作家への影響も大きい。
 1991年より専業作家となり、1993年に出版社も興し、現在
 に至るまで長編十一編、短編五十編余、エッセー多数を執筆。
 一九九七~九八年米国留学。『ミャンマー現代短編集1』に
 「漂流果実」(一九八三)を収録している。
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 周縁からの発信-あとがきにかえて

 【ビルマ女性作家との出会い】
 訳者がビルマ文学の研究を始めたのは、激動する社会における
 知識人の役割への関心からであった。なかでも、反植民地闘争
 や抗日闘争、ビルマ式社会主義建設にかかわった男性作家テイン
 ペーミンを、主に研究してきた。その過程でビルマ女性の政治
 参加が意外に低調で、女性政治家も皆無に近かった事実を見出
 した。しかし一般に、ビルマ女性は婚姻や財産所有においては、
 男性と対等の「恵まれた権利」を持ち、家庭外労働への進出も
 著しいといわれていたので、女性の問題は長らく訳者の関心の
 外にあった。

 八八年の新たな軍事政権の登場後、ビルマ女性や女性文学に
 ついて翻訳や解説を依頼されることが多くなった。女性作家
 たちの発信するものを受け止めるにつれ、ビルマ女性に対する
 訳者の従来の印象はくつがえされていった。・・・・・。
 個我の存在に苦悩し、自虐的までに自己を追いつめる女性像
 の背後に、男性には寛容でありながら、女性には厳格なビルマ
 社会の規範の二重構造がおぼろげに窺えた。

 なるほど小説世界は、言語による創出される虚構世界にすぎない。
 しかしそれは、社会的、文化的意識を内在させつつ現実世界を
 生きる、一個人としての書き手が構築する世界でもある。その
 行間には、調査や統計記録からは窺い知れない個人の心の営みが
 溢れている。とりわけ表面と水面下の落差の著しい言論統制下の
 社会では、文学が文学本来の役割を凌駕する使命を帯びざるをえ
 ない。

 ・・・・・。
 ・・・・・。
 ・・・・・。

 八三年の国勢調査では、作家・ジャーナリスト・ライターは男性
 一四四二名に対して女性二百八十名。・・・・・。

 ・・・・・。
 ・・・・・。
 ・・・・・。

 このように男性に寛容で、女性に厳格な二重規範の浸透した社会
 は、女にとって危険に満ちている。独身女性の価値はその処女性
 にあるから、年頃の娘を持つ母は愚母の謗り免れるべく娘の管理
 を強化する。「傘係」の母は、・・・。

 ビルマの世間は長幼の序を尊び、僧侶、教師、親への絶対服従を
 求める。成人しても所帯を持っても、親子関係を重んじるのが子
 の努めである。賢明な娘たちは、「麻酔薬」の娘のように母の有能
 な片腕として危険な男社会で働き、「荒野の荒れ」の娘のように母
 の理不尽な命令に屈して一家を支える。
 
 ・・・・・。
 ・・・・・。
 ・・・・・。

 ビルマ社会主義時代、権力は仏教徒慣習法の保障する「恵まれた
 女性の権利」の存在を盾に女性対策を特に講じなかった。一方
 現政権は、「既得権に甘んじて国家建設から遠のいていた」女性
 の動員に積極的である。彼らは、「南伝上座部仏教伝来の文化的
 慣習に裏打ちされた愛国精神に満ちた女性」を求め、彼女たちが
 家庭生活を向上させ、それを基礎に国家建設に参加すること期待
 する。

 女性団体が結成され、女性向け機関誌が創刊され、そこに一部の
 女性作家も動員されている。

 世間から有徳の女性と評価されるべく、ビルマ女性は家庭維持に
 邁進し、社会秩序を支えてきた。そして家庭は長期にわたる二重
 規範継承の場でもあった。軍事政権はこの家庭を国家建設の重要
 な単位と位置づけ、日常的空間に国家的、政治的意味づけを導入
 した。

 それは日常描写の政治的意味合いが再認識されたことをも意味する
 のであろう。権力が家庭という戦略を掲げたことで、女性をめぐる
 認識が矛盾の焦点の一つとして表面化し、女性作品への検閲の網の
 目がよりきめ細かくなる可能性も考えられる。つまるところ、この
 ようにして、女性作家の発信は、文学界の周辺から中心に向かい
 つつあるのかもしれない。

 ・・・・・。
 ・・・・・。
 ・・・・・。
 二〇〇一年九月

 南田みどり
 南田みどり編訳『ミャンマー現代女性短編集』
(財団法人大同生命国際文化基金、2001年)
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 確かにジューによるビルマにおける女性観はとても参考になる。
 だが、一度彼女自身と話し後で感じたことは、社会の仕組みに目を
 向けることの注意深いジューでさえ、扱っている題材が都市に住む
 ビルマ族中心の女性観である。

 「少数民族」として差別され、さらに女性として差別されている
 多くの人びとを扱っていないのか?
 
 、と聞くと。数ヶ月間チン州を訪れた時のことをエッセーにして
 書いているそうだ。残念なことに日本語の翻訳はまだだ、とか。
 それは今後の楽しみとしよう。

2006年06月30日

●<ミャンジングー僧正>

 カレン州パアン市内にある一番大きなパゴダに、ふらりと足を
 踏み入れてみる。まあ、ビルマ国内、どこにでもあるフツーの
 パゴダだ。
 
 が、よく見ると、右上にあの有名なミャンジングー(Myaing Gyi Ngu)
 僧正(U Thuzana)の写真が飾っているではないか。
 
 ミャンジングー僧正は、あのDKBO(DKBA)の元締めでも
 ある、KNUから宿敵とされている僧正でもある。
 
 パアン市内の隠れ家(?)を探り出し、インタビューに行ってみた。
 が、言葉数は少ない。写真撮影も断わられた。
 (おみやげの冊子とブロマイドはもらったけど←マニアには垂涎?)

 が、タマニャ僧正のところでブラブラしていたら、おお、びっくり、
 ミャンジングー僧正がお見舞いに来たではないか。ここでなら写真
 撮影は拒否できないだろう。

 で、すれ違い様、シャッターを切る。
 
 なんとか写っていたわ。

 パアン市内からミャンジングーへ向かうバスも走ってるね。
 

 これから数年はカレン州(カイン州)が大きく動く予定(?)だ。
 ちょいと目が離せない。

2006年06月29日

●<宝くじ>

 社会問題(=当選金を目当てにして働かない)になっている宝くじは、
 ここビルマの西の外れ、ラカイン(ヤカイン)州の市場でも見かける。
 
 

 

 もっともこれは「合法的」なくじでした。

 非合法宝くじは、タイの宝くじの当選番号、下2桁3桁を利用して
 いるそうだ。

2006年06月28日

●<水汲みは、>

 あれれ、オジサンたちは眺めているだけ?

 水汲みは、
 
 女、子どもだけの仕事かな?
 
 そう思っていたら、男の人も水汲みにやって来た。
 
 
 んでも、あちこち地方を訪れてみて、
 水汲みの仕事をしているのは、女の人と子どもたちが多い、
 ようだ。

2006年06月27日

●<修行はつらそう>

 雨でも托鉢は休めない。
 なにせ、それで喰ってんだから(生活してるんだから)
 
 冷たい雨の後、裸足はつらいね。

 ビルマに3ヶ月も住んでいると、パナッ(草履)をはいていても
 すぐに踵がガチガチになって割れる。
 ハダシのお坊さんはどんな足してんだろ。

 やはり修行慣れか、お坊さんたち、サササッ、と、ハダシでも結構
 早足、テクテクッ、歩く。ちょいと脇見をしてたら、もうあそこまで。
 

2006年06月26日

●<もひとつ違いが分かりません>

 タマニャ山詣での尼僧(?)たち。
 
 背中を向け合っているけれど、たまたまそういう座り方をしただけ。
 決して、ケンカをしているわけではありません。

 それはさておき。

 ①nun(尼僧)、②bhikkhuni(比丘尼)、③ thilashin(テラシン)、
 オレンジ、橙色の僧衣をまとっている女性たち。
 
 修行形態や行いや、あるいは服装自体違うのかな。

 この3つの違いがよく分かりません。

●<教えて、ベジタリアン>

 どなたか、ビルマ(ミャンマー)語でベジタリアンを意味する言葉、
 タタロー/タタルウの英語表記を教えてください。

 ググってるのですが、見つかりません。

2006年06月25日

●<雨降り>

 シトシトと降る雨は、日本もビルマも、やはり鬱陶しい。
 
 でも、雨(水)は天の恵みだし、もちろん文句は言えない。
 それは仕方ない。

 雨が降っていると、タクシーの値段交渉も難しい。
 こういうときは運転手が強く出ることがある。
 それは仕方ない。
 
 
 左のオジサンも、交渉しては車を離れ、再び運転手に話しかけてた。
 それを2度3度。
 雨降り時の値段交渉を繰り返してた。

 その一方、雨が降ると、サイカーに乗る客も激減。
 
 雨の中、客待ちをするサイカーの運転手たち。
 
 こういう情景を見ていると、見る側の心の中も濡れがちだ。
 
  

2006年06月21日

●<さらにのっしのっし

 ジャングルを続ける。
 急な斜面を、斜めに登っていると、うわ、再び象に出くわす。
 
 おいおい、その巨体で横滑りしないのか。
 結構器用な動物である。

 山の頂付近。
 今度は象の群れ(5頭)に出くわす。
 子どもは子象に乗ってる。
 
 そのバランスの良さに思わず苦笑。

 こちらはかつてのサルウィン河支流。
 KNUの総司令部マナプロウが陥落するまで、メーサムリップ
 (タイ側)~マナプロウ間には数多くの製材所があり、数え切れ
 ない程の象が働いていた。
 
 KNUの支配地域からタイ側へ「輸出する」木材を運んでいる。

 地域はずずず~っと南に下がる。
 タイ側カンチャナブリからビルマ側へ渡る。かつてKNUが大きく
 支配していた第4旅団区。
 
 そこでも象がのっしのっしと闊歩していた。

2006年06月18日

●<情報戦>

 ビルマの辺境。

 ジャングルの中のゲリラ戦は過酷なり。
 んでも、体力ばかりが勝負ではない。

 
 旅団の司令部から前線に指令が飛ばされる。
 
 敵味方入り乱れての情報戦。
 
 時間ごとに変更される周波数と指令内容が伝えられる。

2006年06月17日

●<それぞれの夜>

 戦闘のあった日は、少々興奮しながらも、みんなお疲れ。
 キャンプ内はなぜか忙しない。

 
 栄養剤の注射を打つ者。

 
 本部向けに、その日の戦いの報告書を書く者。
 
 
 仄かなろうそく光のもと、お喋りに花を咲かせる者。
 
 それぞれの夜。

2006年06月16日

●<隣り合わせ>

 
 敵の武器を奪って再使用する。
 ちゃんと作動するかな。ガシャンガチャンと確認中。

 
 あちこちいじり回して、熱心に手入れする。
 万一の時不発だと危険だからね。

 生活と戦闘とが隣り合わせの人生。
 それが日常になると、せっぱ詰まったところが感じられなく
 なるように感じる。
 
 彼らの人生って、なんなんだろ。
 そう一方的に思いこむのは、本当に私の勝手な感傷かな。
 でも、こういう生活があるのも一つの現実。

2006年06月15日

●<カサッ、キャシャ>

 
 配給されたお米から混じりモノをより分ける。
 身体は動かさず、手首のスナップだけで米粒を空中へ。
 カサッ、キッャシャ、カサッという音だけが難民キャンプの
 家の中にコダマする。
 
 

2006年06月14日

●<バナナ>

 
 ぶっ太い幹を担いで家路を急ぐ男の子。
 
 何を担いでいるかって?
 これはバナナの木。
 
 山の中や難民キャンプの中に、元気よく生えてますね。
 これを鉈(山刀)で薄くスライスして、豚の餌にするのである。


 テクテク歩いて川にたどり着くと、子どもたちが遊んでいる、
 洗濯している、水浴びしながら泳いでいる。
 

 のどかな風景に、あぁ、とため息。

2006年06月13日

●<山の中のキャンプ>

 
 難民キャンプをつなぐ吊り橋。
 これとは別に最近、新しい橋が出来たとか。


 
 ユラユラと揺れる橋はスリルだね。
 
 この難民キャンプができた1995年、まだこの橋は架かって
 いなかった。

 年毎にキャンプは大きくなり、ビルマ側から逃げ入る人も増え、
 キャンプというより、もう一つの村となっている。
 ビルマの国内情勢を机上で語るよりも、現場は現実が先行している。
 
 難民帰還だって?
 そこに住んでいる人を再び、根こそぎ動かそうっていうのかい。
 銃声の届かない山の中で静かに暮らしている人びとの胸の内なんて
 関係ないのだろうなあ。

 
 目には眩しい緑の山。
 美しい自然と厳しい自然にはさまれての生活。
 
 そんな風に書くこと自体、ごまかしかな。

2006年06月08日

●<アイスキャンディー いかが?>

 暑い暑い。真夏だ。
 暑い日々が続く。こんな日はアイスキャンディーが美味しいね。
 
 (モン州、2006年4月)
 
 キャディーはどう?
 
 って、言うけど、ちょいと怖いのよね、その氷が。
 (ヤンゴン、2004年1月)

 さあ、寄った、寄った、買った、買った。
 昔懐かしい、っていう感じ。
 
 (ヤンゴン、2004年1月)

 あ~、売れないよ、疲れた、っていう感じ。
 
 
 アイスキャンディー売りも、こもごも。

2006年06月06日

●<ま、焼きカエルでも食べて>

 さ、山越えだよ。
 
 ビルマの夏。一年で一番暑い3月。
 この時期にジャングル行きは正気の沙汰じゃないよ。
 草履履きで毎日、山越えしていると身体がボロボロになるよね。

 
 ま、焼きガエルでも食べて、力つけなきゃ。
 (カエル丼というのも食べたな)

 うっそうと木々の茂る森にはいると、空気がヒヤ~っとしてる。
 急斜面を上るのも青息吐息、息切れや。
 で、
 
 「ふたばがき」の木の根元で休憩。
 
 あの時の苦しさを思い起こせば、今の苦労なんて合羽だね。

2006年06月05日

●<鍬起こし>

 
 ほろっ、何だこの後ろ姿は?
 
 
 息子を(重し代わりに)乗せての鍬起こしでした。

 
 乾ききって固まった大地に鍬入れするのは大変。
 牛も力を出し切るぞぉ、モォッ~っと。
                (↑すまない、オヤヂギャグだ)
 
 そいや黒岩正幸『インパール兵隊戦記』にビルマ牛についての
 記述があった。
 --------------------------------------------------
 だが、(インパール作戦に連れて行った)ビルマ牛が歩かない
 のにも理由があった。ビルマ牛特有の、首のつけ根にあるコブ
 で支えて牛車を引いた経験はあっても、背中に荷物をのせて
 運搬する訓練はうけていないから、振り分け荷物を積載する
 だけでいやがり、暴れて振り落とそうとした。まして、大陸の
 草原で草をはみ、のんびり育った牛である。いきなり険しい山脈
 の中に連れてきても、歩くのが精いっぱいで、重い物資を運ば
 せるのは無理であった。
 (P.53)
 --------------------------------------------------

2006年06月04日

●<その仕草、何?>

 雨やどりのため喫茶店に入る。
 好物のぺーケーキを食べてたら、おろっ、托鉢中の小坊主が横に
 立ってた。
 

 小坊主サン、近寄るでもなし(本当はこちらが近寄ってササゲ物
 をわたさなければならないが)、じっとこちらを見ている。
 この距離ビミョーだよな。

 と、ふと、考え込んだじゃないですか。
 
 と、その様子を見て、私も考え込むじゃないですか。
 なんなのか、この仕草は?
 ふむ。

2006年06月01日

●<旅気分>

 
 ゆっくり見えて、結構ビュンと走る鉄道(本当はのろいけど)

 ん?急にスピードを落とした。
 何だろうと窓から顔を出す若い兵士たち。
 あれ、何?、っていう顔。
 

 そうそう GOKTEIK 渓谷にかかる鉄橋に近づいた。
 対面の列車が通り過ぎるまで、ちょい待ち。
 
 実際、橋を渡るときはゆっくりと、ゴトンゴトンと列車は進む。
 ああ、このゆったりさ、旅気分全開(<仕事しろよ)

●<最後は真打ち、ウー・パパレイのジョークです>

   
       →■
 ビルマ語で ↑ 約8MBあります。
  (ちょいと重たいです)

2006年05月31日

●<今日はルーゾーのジョークです>

 
     
→■
 (ビルマ語で約2MBあります)

2006年05月30日

●<ルーモーのジョークです>

   
       →■
 (ビルマ語で約2MBあります)

2006年05月29日

●<タニシで一杯>

 シャン州、チャイントンから約1時間の田舎道。
 一日の終わり、日が傾き始めた頃、道ばたで
 一杯やっている男たちがいました。
 (ほんのり赤ら顔だね)
  

 何食べてんの?
 近寄って見ると、おろっ、田螺(タニシ)を食べてました。
 
 ビルマ語でなんて言うの?
 -「カユュー」だって。

 お前も喰うか、って差し出されたけど、ちょいと遠慮したわ。
 

2006年05月26日

●<そろそろ田植え>

 雨が降り出したね。
 雨季にはいると、ジメジメジトジト。
 旅行者にはかなわん季節。
 けど、田植えを待ちかねていた人々には恵みの雨、かな。

 
 ここはカレン州。手で田植え。

 こちらは ↓ クリックすると 大きくなります。
 
 こちらはイラワジ管区。道具を使って田植え。

 いずれにしろ、穂が実るのが楽しみですね。

2006年05月25日

●<そろそろ雨季ですね>

 4月の終わりから、雨が降り始めた。
 今年の雨季の始まりは早いようだ。

 ↓ クリックすると大きくなります。
 
 ここは、首都ラングーン(ヤンゴン)の中心地アノヤタ通りの角。
 トレイダーズホテルやサクラタワーができる1993年の様子。
 ついこの間見た、雨宿りする風景も、14年前と全く変わっていない。

 ビルマで雨季を一シーズン過ごすと、ちょっとした雨粒は気に
 ならなくなる。小雨で雨に濡れるのも気にならなくなる。
 (ビルマで傘は1年中使われてますね。夏は日除け、雨季は雨よけ)

 あ、傘を一本も持っていないことを思い出した。
 明日にでも、買いに行こう。
 

2006年05月24日

●<サトウキビジュース>

 ビルマ語でなんて言ったっけ、サトウキビ・ジュースって?
 暑い中、絞ったサトウキビに氷を入れたジュースは、喉ごしが良い。
 う、うぅ、美味い!っていう感じ。

 
 必死でサトウキビの皮を剥く男の子。 

 ちなみに、ビルマでは喫茶店でちょこまか働く子どもたちを見かける。
 ま、昔の日本の丁稚奉公、っていう感じか。
 ヤンゴンだと1ヶ月7000K(時にはただ働き)くらいのお給料。
 果たして、この子は幾らぐらいもらっているのかな。

2006年05月23日

●<小坊主の水浴び>

 夕暮れの僧院、小坊主たちが水浴びをしている。
 暑い日の最後、気持ちいいだろうなあ。
 

 シンピュー式(得度)を終えたばかりの新人小坊主たちだろうか。
 僧衣をどう身につけていいのか分からないようだ。
 先輩僧が着方を手伝っている。
 
 なんか微笑ましい。

2006年05月22日

●<ズゥエカビン>

 カレン州訪問、最後の日。
 カレン州のシンボル、ズゥエカビンを見に行く。
 曇り空が続いてたのに、その日だけ、ちょっとだけ日が差した。
 
 穏やかな湖面の向こうにそびえ立つズゥエカビン。近所の人だろうか、
 散策している人がいる。平和な時間だと感じる。
 
 この州の東の山の中では今、ビルマ軍の侵攻が続いているとは信じ
 られない。
 
 

2006年05月21日

●<"People's Desire" だっていうけれど>

 先月末、ラングーン(ヤンゴン)の中心地、トレイダーズホテルの
 前にある政府が立てた看板 "People's Desire" がすっかり隠れて
 いることに気づいた。
 

 ちなみにこれは3年半前の写真。
 
 政府のやる気(のなさが?)一目瞭然だよね。

 と、今日の新聞をチェックしてみよう。
 と、政府の新聞 "New Light of Myanmar" は相変わらずだ。

 ↓クリックすると大きくなります。
 

2006年05月20日

●<夕暮れ>

 夕暮れ。
 一日の終わり。
 仕事を終えて、家路を急ぐ人びと。
 
 まだまだ暑く冷たい雰囲気。
 
 (カレン州)

 ほどなく、暖かい柔らかい雰囲気。
 
 (モン州)

 やはり、首都ラングーン(ヤンゴン)とは異なった趣なり。
 

2006年05月18日

●<雨宿り>

 雨宿りの続き。
 強い雨がおさまり、ちょっと小降りになる。
 シュエダゴン・パゴダを出て、近くの喫茶店に駆け込む。
 プレ~ンとペ~ケーキを食べながら、雨宿り。

 

 と喫茶店の奥を見ると、雨宿りのオジサンがいてました。
 売り物の新聞を濡らさないように、撥ねる雨粒をじっと見てました。

2006年05月17日

●<やっぱりシュエ(金)ですか>

 急な雨。
 慌ててシュエダゴン・パゴダに駆け込む。
 雨音を聞きながら、ふと前を見ると。お、駒犬(獅子)が後ろ姿で

 
 ドデンと座ってますやん。「おいど」をこちらに見せて。
 さすが、ビルマですな。
 お、「おいど」もシュエ(金)ですな。

2006年05月16日

●< 暴れ馬かと思えば >

 田舎道を飛ばしていたら、あ、前方に人だかり。
 なんだ、と見てみると、馬が踊っている(いや、踊らされている)
 村祭り?
 

 ビールを飲まされて、泡吹く馬もいる。
 踊っているより、酔っぱらって暴れている。
 
 ああ、かわいそう。

 よくよく見てみると、シンピュー式でした。
 
 着飾った「をのこ」たちが行列を作って僧院に向かってた。
 そうか、もうそういう時期なのか。

2006年05月15日

●< ため池 >

 昨日、ダムの写真をアップしたら、早速、ゆきさんがコメントを
 書いてくれた。いつもながら早いチェックだ。
 ビルマ国内のダムの写真
 www.myanmar.com/build/photo.htm
 しかし、写真で見る AZIN DAM はほんの一部分で全体が見えないなあ。
 ビルマ軍政府もキチンとした写真データをアップして欲しいものだ。
 私が代わりに・・・。

 今日は、ダムというより、ため池(reservoir)の写真。

 ↓クリックすると大きくなります。
 
 ビルマのあちこちをうろついていたら偶然でくわしたため池。
 これは完全に潅漑用だろうなあ。

2006年05月14日

●< ダム拝見 >

 モルメインの南へ車で約30分、Mudon 郊外にある AZIN ダム。
 立ち入り禁止だと思っていたが、肩すかし。
 ダムを見下ろすオフィスは、もぬけの殻。
 地元の若者(2人)が水浴びをしていたに過ぎなかった。
 (そのうち一人は、ビルマ語通じず、モン語のみ)

 ↓ クリックすると大きくなります。
 

 このダム、いったい何の為に造った?

2006年05月13日

●< タウンカレー僧正 >

 パーンに戻って、偉いお坊さんに謁見。
 通称タウンガレー・サヤドォ(タウンカレー僧正)だ。
 正式なお名前は、Ashin Pyinya Tha Mi だとか。
 もちろん日本のKセンセともお知り合いでした。
 
 汗だくになって写真撮影。
 

 2002年、マンダレーに一緒に旅行した時に撮した I さんの
 風貌に似てるなあ(体格はそっくりだし)
 
 う~ん、撮影がパターン化してるよな。
 もうひとひねり半の写真が要るなあ。

2006年05月12日

●< ああ、のんきだね >

 カレン州パーンを出発して、サルウィン河を遡る計画だー、って
 (そんなに気合いを入れなくていいのだけど)

 カママウン近くで、それ以上、ボートは出せないと言われる。
 なんでなの?
 滝あり、渦巻きあり、落差あり、ボートでは行けない、と。
 仕方ない。

 じゃあ、バイクに乗って、ビュンと走る。
 約1時間。サルウィン河の支流でどん詰まり。
 おお、美しい滝じゃないですか。

 ↓ クリックすると大きくなりますからね。
 
 兵士たちに見守られ、記念撮影。
 
 サルウィン河の本流に戻って、それ以上、行けないの?
 道が悪いし、ダメだよ、って。
 う~ん、ここまで来たのにのになあ。
 
 ダム建設の予定現場、ハジーまでもう少しだったのに。
 がっくりしていると、兵士たちが元気づけるかのように、ほらっ、
 見て、と。

 文字通り(一肌脱いだ)兵士が一人、滝壺に飛び込んだ。
 おれたちこうやって遊ぶんだ、って。

 ↓クリックすると大きくなりますからね。
 
 のんきなもんだ。
 ちょっと離れたところでは軍事作戦が進行中だというのにね。
 昨年11月に始まった作戦で、11,000人の国内避難民が出てるのに。

2006年05月11日

●< どこまで行くの? >

 田舎の一本道を走ってたら、激しい夕立。
 慌てて雨宿り。
 雲の切れ間に、再スタート。
 
 ふと前を見ると、小僧とその友だちがテクテク歩いてる。
 
 一緒にいたビルマ人の友人が、その友だちの方に話しかけた。
 が、ビルマ語が通じない。
 小僧の方が、通訳しているようだ。

  
 怯えた顔をした2人、またテクテク歩き始めた。
 
 
 おっとバイクが通りかかった、
 あぶないあぶない。
  
 
 スタスタと歩き続ける2人。
 荷物と人を満載したトラックが追い越した。
 
 
 ひたすら歩く。

 
 ちょっとした勾配の向こう側も、道が続く。
 2人そろって歩く。
 
 晴れてきた。暑い日差しが差し込みそうだ。

 えっっ~。
 えっ。

 
 丘の向こう側は、一直線。
 一体どこまで歩くのか。

2006年05月10日

●< NLD(国民民主連盟)バッシング >

 この数週間、国営紙にてNLDバッシングが続いている。
 ついこの間、「悲しき看板」で書いたように、特に地方都市
 では風当たりが強い。

 ちょいとまえ、首都ラングーン(ヤンゴン)にあるNLDの
 本部を訪れてみると、おろっ、門が開いて、人の出入りが
 あるようだ。

 
 NLD本部のポールには国旗に加えて党旗も掲げられて
 いるようだし(本部だけは旗の掲揚が認められている)、
 まだまだやる気満々のようだった。

 マンダレーでは、筋金入りのNLDの闘志(?)たちが
 民主化を求めて継続的に活動すると宣言してたし。
 彼ら/彼女たちの責任感はすごいとしかいいようがない。
 ふむむ。

          ↓ クリックすると拡大します ↓
 

2006年05月09日

●< 新バスターミナル >

 昨日(5月8日)の "New Light of Myanmar" を読んでると、
 お、モルメインに新しいバスターミナル完成の記事が出てた。
 ついこないだ、自分の目で見てきたばかりの建物だ。
 もちろん、写真も撮ってるし。

 

 まっさらな建物ですが、ま、すぐに・・・(あ、言わま)
 記事によると、98のバスオフィスが収容できるそうな。
 
 鉄道といい、今回のバスターミナルといい、徐々に隣国タイと
 の結びつきを強めていくような感じがしますね。

          ↓ クリックすると拡大します ↓
 

2006年05月08日

●< 悲しき看板 >

 最近、軍政によるNLD(国民民主連盟)に対する風当たりは厳しい。
 情報(通信)大臣 チョーサン氏はNLDの非合法化もあり得る、と
 強い調子だ。

 ビルマ第4(5?)の歳を訪れた先々週、いつものようにその地域の
 NLDオフィスを訪れてみようと計画していた。
 
 だが、街中探せども、オフィスらしき看板が見あたらない(地元
 の人に尋ねるわけにはいかないし)
 数日間探し回って、諦めていた。が、滞在の最終日、タクシーに
 乗ってふと横を見ると、あ、あった。

 
 う、悲しい姿だ。

 タクシーの運転手によると、数年前から活動していないらしい。
 もともとビルマ族ではない他民族の土地柄(確か90年の選挙でも
 地元民族の政党が議席を獲得した?)、NLDの活動はそれほど
 活発ではなかったのかもしれない。

 それにしても、である。
 活動停止なら、朽ちかけた看板をそのままにしているのがなんとも
 悲しい。
 
 まさに今のNLDの状態を表しているようだ。
 
 < 他の街のNLDの看板 >
 →(1)http://blog.uzo.net/index.php?blogid=153&archive=2006-1-3
 →(2)http://www.uzo.net/asia/burma/burma1/burma1.htm

2006年05月07日

●< お菓子問屋 >

 
 わお。
 お菓子好きの私には堪えられない風景。
 バイクの後部座席から溢れるお菓子の山。
 (ま、あまり美味しそうなお菓子ではないが)
 
 村から村へと移動する、「動くお菓子問屋」です。
 プゥープゥーとホーンを鳴らすと、村の駄菓子屋の
 主人たちが買いに来る。

2006年05月06日

●<ビール飲みたい? (2)>

 
 「ミャンマービール」宣伝の新しいポスターを見つけた。
 やはり →前回(2005年7月21日) と同じように女性の
 コップにはビールは注がれていなかった。

2006年05月05日

●< 新駅オープン >

 モルメインとモッタマをつなぐ橋(ビルマで最長)がオープンして
 1年半(?)あまり。
 
 
 道路と鉄道の併用。
 
 先々週、モルメイン側で新しい終点駅(ターミナル)のオープン式典
 が催された。早速、見に行ってみる。
 

 
 (式典用の仰々しい飾りは翌々日撤去)
 
 終点駅のすぐそばには、これまた新しいバスターミナルが建設中
 だった。
 
 モルメイン付近をうろうろしてみると、どうやらタイと道路&鉄道を
 結ぶ計画が進められているのが感じられる。
 この数年のうちに利権を巡って、嫌な争い事が暴発しなければいい
 のだが、な。

●< アウンサン廟 >

 そいや先週、てくてく歩いてシュエダゴンに向かってたら、
 近道に通じる場所を発見。
 
 

 入り口に守衛さん(?)がいたが
 堂々と通過。
 
 と、見えてきたのが「アウンサン廟」へ通じる場所だった。
 入り口の警戒しているオジサンに「写真撮らせてぇ」と頼むが、
 さすがに許可してくれなかった。

 ま、仕方ないとあきらめ、そのまま歩き続けると、おお、廟に
 通じる横道を発見。するすると歩いていくと、おお、廟の正面に
 出てしまった。

 で、シャッターを一回切ったところで、警戒の兵士が飛んできた。
 "NO PHOTO! NO PHOTO"
で、やんわりとその場を追い出された。
 
 後で画像をチェック。
 
 おお、ちゃんと写っていた。
 
 前回の撮影(2006年1月29日アップ)よりもかなり近づいたな。
 本丸まで、もうあと少し(何やってんだか)

2006年05月04日

●< これも一つの発展? >

 ラングーン(ヤンゴン)の下町、SEIKKAN THAR ST. 夕方から
 市が立つ。

 
 2年前までは、ろうそくの光が通りを照らしていた。

 
 この間行ってみると、ろうそくがインバーターを使った蛍光灯に
 変わっていた。

 これも一つの発展といっていいのだろうか?
 

2006年05月03日

●< 何の税? >

 たまには良いモンを食べよう。
 中華街(14thX15th)にできた「刺身亭」に行く。
 
 
 トンカツセット(3200K)とカッパ巻き(1500K)、
 計4700Kだとおもったら、それに税が10%ついてるよ。
 で、5100Kなり。
 
 う~ん、この税はちょいといただけないよな。
 これは一体、何の税?

2006年05月01日

●<サイクロンが来た>

 いや~、今回のサイクロン(Cyclone Mala)は激しかった。
 一気に雨季がやって来たのかと思った。
 思わずシュエダゴン・パゴダに逃げ込み、雨宿り。

 

 椰子の木も強風で撓っているのがうっすらと見える。
 一瞬、雨がやんだ。
 近くの喫茶店でぺーケーキを食べ、SPリンを飲みながら再び雨宿り。

 「政府発表」では4名死亡、31人負傷というサイクロンだった。

2006年04月08日

●< 若かりし頃の、>

  
 
 おお、これは40代前半のアウンサンスーチー氏と
 ウー・パパレイの姿ではないか。
 
 この写真の内容は、今月末発売の『週間金曜日』(4月28日)
 に詳しく書いてます。

●< 相も変わらず >

 
 ここはビルマ(ミャンマー)の首都ラングーン(ヤンゴン)の街角。
 まあ人混みに混じっててくてく歩く。
 
 
 と、人通りが途絶えると、目立ちますね。
 そう、発電機が。
 相も変わらず停電が多いね。
 
 長時間の停電は慣れるけど、かなんのは、電気が来たり止まったり
 頻繁にその繰り返しが起こること。
 いらいらぽっちじゃ。

2006年04月02日

●< ありふれた風景 >

 ここはラカイン州のとある村の朝の、ありふれた風景。

 
 朝食用に揚げ物を売る店、回りでは子どもたちが遊び回る。

 

 カメラのシャッターを押すことさえも忘れてしまう。
 ありふれた風景。
 
 ビルマと日本、何が違うのだろうか。
 民族、言葉、風習。
 暮らしは、人の営みは全く同じなのに。

 カメラでは写しとることの出来ない現実を前にして己の
 非力を痛感するのみ。
 うう、う。

2006年04月01日

●< 西と東の港町 >

 

 

 

 モッタマからモウラミャインヘ。
 朝日の下、漁をする人の姿が見える。
 このサルウィン河を超えると、ほんの目と鼻の先の土地なのに、
 これまた違う国に来た印象を受ける。

 西のラカイン州/シットゥエと東のモン州/モウラミャイン、同じ
 港町だが、これもやっぱり違う。

2006年03月31日

●< 肉プルプル >

 

 ここは、ラカイン州の田舎町。
 町のはずれの鍛冶屋さん。
 
 振り下ろす大槌。波打つ筋肉はプルプル。

2006年03月30日

●< 明々と >

 頻繁に停電がおこるのは、首都ラングーン(ヤンゴン)ばかり
 でなく地方都市として同じこと。

 月がなければ、真っ暗闇。

 

 が、仏像は明々と照らされている、ここピー(PYAY)の町。
 発電機かな。その燃料はもちろんディーゼル石油のはず。
 その費用はお布施からかな?
 右後方に見えるパゴダ(仏塔)も明かりが見える。

 苦しい生活を圧してまで、一体全体、仏教に何を求める/捧げる、
 ビルマの人よ。

2006年03月29日

●< 勇ましい軍人さん >

 
 これはダウェで見た像。もちろんビルマ兵である。
 
 確か、日本軍と戦ったビルマ軍の将校という説明を受けた。
 で、手にはちゃんと日本刀を持ってますね。
 
 日本軍が作ったといってもいい、その昔のビルマ義勇軍。
 やがてその軍が、圧政を敷く日本軍側に抵抗するようになった。
 ま、当然の話か。
 
 やがて国の独立のため、人のために武器を取った勇ましい軍人
 さんは、トー然の如く軍の存在のために存在するようになる。
 ま、これも自然なことか。

2006年03月28日

●< サヤーサン(サヤサン) >

 
 1930年代、英国に反旗を翻した農民運動指導者サヤーサン
 
 

 イラワジ管区ターヤワディの町の入り口に彫像が建つ。
 
 -伊野憲治 「彼らが『たちあがる』とき」 (田村克己/根本敬編
  『アジア読本 ビルマ』、1997年、河出書房新社) 参照


 しかしその像の前には、現在の軍政のスローガンがけばけばしい。
 
 
 えっえっ、ここターヤワディの町は、愛国者の土地だって?
 ま、歴史的に見ればそうかも知れないな。

2006年03月27日

●< ウー・オッタマ >

 あ、ウー・オッタマ僧正はラカイン出身だったのね。

 

 何の踊りを披露してるのかな?
 ウー・オッタマ像の前で遊ぶ子どもたち。
 
 *ウー・オッタマ:「反英僧侶ウー・オッタマと日本」
 (田辺寿夫/根本敬『ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー』、
 2003年、角川ONEテーマ21)参照

2006年03月26日

●< 冷える土地 >

 1年の中で、暑さのピークでもある3月。
 それでも夜明け直後は寒を感じるラカイン州。
 暑いという期待を裏切って、かなり底冷えする。

 

 火をおこして暖をとる子どもたち。
 
 
 
 海のそばの家、やはり冷える。
 モノは多くなく、豊かではないが、生活はキチンとしている。
 寝起きに身だしなみを整える。

2006年03月24日

●< 国内避難民 >

 ビルマのカレン州内には30万人を超える「国内避難民」がいる
 とされている(ビルマ全土では推定60万人~100万人)

 彼らに会うには至難の業。

 
 いくつもの山を歩いて超える。
 ふぅ~、大変だぜ。

 護衛のカレン民族解放戦線の兵士と一緒に行動。
 
 証拠のために一緒に記念撮影。

 
 河原沿いに2ヶ月逃げ隠れしているカレン人たち。
 ビルマ軍事政権の兵士から迫害を受けているため。

 

 雨季が始まる前にジャングルの中に家を建てる。
 山道からは見えない位置に建てる。

 「国内避難民」の存在は、ここ数年、ようやく注目され始めた。
 その存在が確認できない難しさがある。

2006年03月23日

●< 丸太で >

 

 シャン州の田舎をフラフラしていると、あれ、家の軒下に丸太
 を吊ってる。
 
 オヤジさんがトントンとその丸太を叩いてる。
 何だろ?

 近づいてみると、おお、ブ~ンと蜂が飛び出してきた。

 

 あ、蜂蜜を作ってんだ。
 丸太で蜂蜜作り、初めて見た

2006年03月22日

●< おんぶにだっこ 2 >

 
 前に抱っこ。

 
 後ろにおんぶ。

 
 お父さん(?)は、こわごわだっこ。

 そいや、子どもは子どもを横に抱えてたな。
 あの写真、どこに埋もれてる?

 (あれ、このネタ、以前アップしたかな・・・?)

2006年03月21日

●< 資源、少ないし >

 天然ガス、宝石、チーク材。
 外貨獲得のため、資源を切り売りするビルマ軍事政権(SPDC)
 State Perfect Deterioration Council = 国家完全悪化評議会
 とでも名前を変えたらいいがな。

 
 「少数民族」地域で切り倒され、製材されるチーク材。
 観光で行ってもこんな事実は見ること出来ないよね。
 
 何を見たのを報告するのではなく、何を見ることが出来なかった
 のかを、あれやこれやしながら伝えるのもまた大事。
 
 (自分にとって)新しいもの、物珍しいものだけにこだわって
 ちゃダメなんだ(自戒を込めて)

2006年03月20日

●< ギリギリまで >

 線路きわまで市場が広がる(マンダレー)

 
 うわ、電車が来た。
 目の前まで電車が接近する。
 が、誰も動こうとしない。さすが、車両の幅を知ってるんだ。
 あ、電車がバックし始めた。
 それにしても、なにもかもギリギリの生活だな。

2006年03月19日

●< 対岸から見れば >

 ビルマの首都ラングーン(ヤンゴン)から、川を渡って対岸の
 ダラに行く(現地の人は通船で20K、外国人はパンソーダン通
 から1ドル=約1000Kかかる)

 時に、現地の人に交じって通船に乗り込むが、最近は監視が
 厳しくすぐに見つかりおろされる。

 現地の人用の通船の乗降桟橋から対岸、首都の町並みを眺める。
 なかなかよろしおま。

 
 ↑クリックしますと、大きくなりますよってに。

2006年03月18日

●< おやつの定番 >

 
 
 ビルマの喫茶店、おやつの定番。
 コーヒー、ナンビャ(手前)、イーチャーグゥエ(左奥)。
 (↑コーヒーミックス=注文時には「プレ~ン!」と告げる)、
 これにサモサがあれば、ぐー、ね。

 コーミーミックス=100~150K、
 ナンビャ=150~200K
 イーチャーグゥエ=100~150K、ぐらいだったかな。

●< 公衆便所 >

  ビルマの首都ラングーン(ヤンゴン)の町中を歩いていると、
 (非常に歩きにくい「歩道」だ)、時々地下に降りる階段に
 出くわすことがある。

 降りる階段は、だいたいが対になってる。
 で、ちゃんと男と女の印もある。

 

 そうこれは公衆便所である。

 最初、ヤンゴンにも公衆便所があると知ってびっくり。
 (男の方の写真も撮っているはずだが、ファイルに埋もれて
 見つからない)
 
 地方に行くときにバスの休憩所でもよくこのマークは見かけるね。

2006年03月16日

●< 鳥インフルエンザ発生 >

 ビルマで初の「鳥インフルエンザ」確認とか。

 ビルマでは(カンボジアでも、タイの田舎でも)、

 鶏は、
 
 お友だちであり、

 
 食い扶持である(変な日本語?)

 さて、このインフルエンザの広がりと当局の対応が心配だ。

2006年03月14日

●< お遊びにしろ、伝統にしろ >

 ビルマ国内では、身体に刺青を入れている男をよく見かける。

 
 これはタケダ地区の街頭、刺青屋さんで入れてもらっている。
 まあ、おしゃれ用だな。
 
 
 これはインレー湖畔で見かけた。
 文様からして、決しておしゃれではないな。


 これはイラワジ管区で撮影したカレン人の伝統刺青。
 
 
 おお、これはカンボジアで撮影した刺青。
 南方上座部仏教国には共通の文様、っていう感じ。

 しかし、おしゃれ用にしろ、伝統にしろ、痛そうである。