tentaの日記

2005-03-01 酒見賢一 諸葛孔明の虚像に迫る


酒見賢一 諸葛孔明の虚像に迫る

――『泣き虫弱虫諸葛孔明』には、これまでの「軍神」「英雄」というイメージを真っ向から覆す、とんでもない諸葛孔明が登場します。奇怪な服に身を包み、妄想じみた宇宙哲学を語り、自らの名を高めるために策謀をめぐらし、そして、不細工な奥さんと日がな一日イチャイチャする……。

酒見 この作品は、作者である私すら孔明をこういう人物とは思っていない、というところから出発したんです。本来、歴史小説のオーソドックスな書き方というのは、作家の頭の中にこの人物はこういう人だという像がまずあり、その人を中心にして当時の状況を眺め、資料を調べ、世界を作っていくものだと思います。もちろん、私の頭の中にも、自分なりの、歴史上に実在した人物としての諸葛孔明像というものはあるんですが、今回はあえてそれを無視して全然違う孔明にしてしまった。こんなやりかたで果たして歴史小説が書けるのかという興味もありました。

 まあ、正史の「三国志」を読むと、孔明は職務をまっとうすることに忠実な、きわめて勤勉で真面目な人だったんだろうと思いますよ。内政の面でも蜀(しょく)の法律を整備しただけでなく、みずから裁判実務もみていた。働きすぎるくらい働いていたようですし、出師(すいし)の表を見ても誠実な人柄が偲ばれます。

――そういう孔明像があるのに、なぜ、あえて虚像としての孔明を描こうと思われたのですか。

酒見 何といっても「三国志」はこれまで多くの先人によって書かれてきていて、十指に余る作品があります。今さら私が書いてもなあ、という気持ちがあったことは確かです。

 作家が「三国志」に取り組む場合、物語の中の誰に焦点をあてるかを決め、三国志世界に対するスタンスを定めていくわけですが、どこに足場を置くにせよ「三国志」をシリアスに描くことは、大過なくやればまず面白い小説になる。

 昔、今東光人生相談で、「今まで読んだ本の中でいちばん面白かったのは、吉川英治の『三国志』だ」という男の子の葉書を読んで、「三国志は元が面白いんだ。読んで感動するのはいいが、吉川の手柄じゃねえんだ。それでわかった気になるな!」みたいなことを、いつもの今東光節で説教する場面があったんですが、日本作家が「三国志」を扱うのにはそういうリスクが伴うわけです。やるからには面白くて当然。万一、面白くなかったらひとえに作者の責任という。

 だから、私の場合、ある人物に焦点をあて、男たちのロマン溢れる三国志世界を描き出すという試みは、ハナから捨てています。あえていえば、「三国志」自身を主人公にしたらどうなるかをやってみた、ということでしょうか。

――講釈師による語り口調で書かれているというのも、とてもユニークなところです。冒頭からいきなり「わたし」という作者が顔を出して、孔明について講談調に語っていくという体裁が取られていますね。

三国志演義」の系譜を継ぐ

酒見 最初は何も考えず書き始めたんですが、書いていくうちに講釈師、講談師の視点を意識するようになりました。

三国志」というのは、そもそも講談だったり、俗講だったり、庶民の口承文芸なんですね。講釈師が聴衆を集めて、机をバンバン叩きながら劉備孔明のお話をしていたわけで。

三国志演義」成立以前の三国志ばなしのことを「説三分(せつさんぶん)」と呼ぶんですが、これは最低限、ストーリーラインの基本はあるにしても、講釈師たちが好き勝手にどんどんオリジナルな解釈を加えていったり、聴衆の反応を見て話を改変していったりする、無数の物語なんです。口承文芸というのはライヴですので、話をしていて聴衆の受けが悪かったら、「その頃、曹操はこんな悪巧みを……」というふうに、場が盛りあがるように話を作ったりすることもあったはずです。受けるように受けるようにと話は延びていったと思うんです。もちろん、その時代の現代語、はやり言葉などもどんどん取り入れ、世情や、大事件も織り込んだでしょうし。

 こうして世に溢れていた無数の「三国志」を、十四世紀、明代になって羅貫中(らかんちゅう)が決定版として全百二十回の物語に整え、「三国志演義」をまとめるわけですが、「演義」の中には実在しない登場人物が何人かいるんです。これも講釈師が「そこで現れた○○が……」などと、ほんとうはそんな奴、現れてなんかいないのに、適当に調子のいいことを喋っているうちに、物語として定着してしまった結果ではないか。

 ですので、まあ後付けの理屈なんですが、そういう意味でも『泣き虫弱虫諸葛孔明』は、「三国志演義」の系譜を継ぐものである、くらいは言えるのではないかと思っています。

――講釈師のスタイルを採用したということが、虚像を描くということともつながってくるのでしょうか。

酒見 講釈師の場合、聴衆にうけなかったら生活できないですからね。私もけっこう嘘ばっかり書いてますよ。正史の「三国志」や「演義」などですでに書かれてしまっている事柄は、なかなか勝手には変えにくいものですが、その場その場で融通無碍(ゆうずうむげ)にやっているところもあります。

 たとえば、まったく無実績、経験なしの若者だった孔明がなぜ「臥竜」と呼ばれるのか。まだ二十七、八歳の若者に、なぜ劉備は三顧の礼を尽くすのか。このあたり、「三国志演義」では謎でも何でもなく当然のことのようにサラリと書かれているのですが、どう考えてもおかしなところだと思うんです。ところが文献にはその理由が書かれていない。この謎は今回の作品の大きなテーマでもあるんですが、自分が講談師になったつもりで、興味のおもむくままに謎を解いてみようという気持ちがありました。講談のようなことを、果たして小説でできるのかということですね。

司馬作品からの影響

――デビュー作である『後宮小説』(新潮文庫)以来、酒見さんの小説には、どこか講談的なところが共通してあるようにも思われます。

酒見 私の表現法はまあ異端なものかも知れません。歴史小説の王道というと、司馬遼太郎さんを思い浮かべる人は多いと思います。でも、昔、司馬さんの『空海風景』(中公文庫)という作品を読んで、これはギリギリのところにあるな、と思ったことがあるんです。膨大な史料を駆使されていて、論文なのかエッセイなのか評伝なのか小説なのか、もうわからない。

 司馬遼太郎作品の特色のひとつは、時折、作者の顔が覗くというところだと思うんですが、覗くにしても『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』などは、作者が主人公に寄りそう形で、物語になっている。けれど『空海風景』になると、顔を覗かせる作者が果たして空海に寄りそっているのか、突き放しているのか、よくわからない。空海のやっていることの半分はオカルトで、司馬さんの好みとはそぐわないような気もしますし、まあ、非常に実験的な作品だと思ったわけです。

 こういう司馬さんの実験的手法を用いると、嘘八百がまるで史実であるかのように表現できる不思議さがある。ではそれをもう一歩進めてみたらどうなるか。そんな小説は成立するのか。そういう個人的なテーマはいちおうあるんです。

 そもそも歴史小説を書くということ自体が、ウソをつくことというか。歴史上の人物が何を考えていたのかなんて知ることは不可能で、仮に本人の手紙という一次資料があったとしても、違うこと考えながら書いていたかもしれないし。

――さて、改めて内容に戻りますと、孔明の奥さんとなる黄氏のキャラクターにも驚かされます。「一目見た男は千里の果てまで逃げ走る」天下の醜女(しこめ)であり、奇怪なロボットを生み出す発明家でもある。孔明の嫁取りの場面にも、長い紙数が費やされています。

酒見 まあ、実際書いているうちに、自分も聴衆のひとりとして講釈師の話を聞いているような気分になってくるわけですが、この話をもっと聞きたいな、と思ったところが原稿でも長くなってしまいます。孔明の奥さんは、醜女というだけで、名前すら明らかでない謎の女性ですから。

――本書では孔明の出廬までが描かれます。今後、まだまだ我らが孔明の活躍どころは多いと思いますが、すでに「別册文藝春秋」で連載が始まっている第弐部では、どこが見所となるでしょうか。

酒見 どうなるかわかりません。

http://www.bunshun.co.jp/jicho/nakimushi/nakimushi.htm