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この章から少しばかり作品の空気が変わり、ダンジョン意外の世界へと視点が移っていきます
もちろん、ダンジョンがメインなので、いずれはそっちに行きますが、しばらくはダンジョンに行かなくなります

第三章:取り残される者と、嘲笑う者と、前を向く者
プロローグ


 カチュの木騒動が終わりを告げてから、二か月程の月日が流れた。蒸し暑かった日々も移り変わり、すっかり空風が吹く季節となった。おかげで、ベッドから出るのに気力を使う毎日だ。
 けれども、館の住人たちの顔に嫌な色は一つも無い。なぜならば、彼女たちの肩に圧し掛かっていた、金と言う名の鎖から解放されたからだ。依然、生きる為に金を必要としていることには変わりないのだが、気持ちの面ではずっと良い方向を向いていた。

 そして、色々な意味で今までよりも自由になった女たちは、それぞれの方向へと動き始めた。技能を持っていた女は、様々な働き口を見つけていった。ある者は料理屋の下働きに行き、皿洗いから始めている。
 驚くことに……ラビアン・ローズの警備を務めていたシャラに至っては、なんと鍛冶師を目指して、以前から目を付けていた鍛冶師へと弟子入りしたのであった。

 曰く、『子供の頃の夢だった』とのことらしい。なんでも、今は亡き父親が腕の立つ鍛冶師だったらしく、幼い頃は自分が跡を継ごうと、子供だてらに金槌を振るっていたらしい。
 その父が病に倒れて、母親が男と一緒にどこかへ消えてから、色々あって探究者の世界に足を踏み入れざるを得なかったが、こうして再び鍛冶の世界に足を踏み入れることが出来たのも、『マリーたちのおかげだ』とシャラは言った。
 まだまだ見習いも見習いで、炉に触れることはもちろん、金槌一つ持たせてもらっていない。けれども、親方から『お前は天性のモノを持っている。今は見て覚える段階で、いつか、必ず腕の良い鍛冶師にしてみせる』と言われたことが嬉しくてたまらないらしく、笑顔を浮かべることが多くなった。
 そして、エイミーを含む数名の女たちは、カチュの木とは別の栽培を、新たに始めた。残った収益を館全体で等分したのだが、それを元手に薬草の栽培を始めた。
 なんでも『作る人が少ないし、足りなくなることはあっても、売れ残ることはまずないから』ということらしい。他にも様々な理由があるらしいのだが、一番の理由はラビアン・ローズで作れるものだから、とエイミーは言った。

『この際だから言っちゃうけど、ラビアン・ローズって、マリー君たちのおかげで、一種の不可侵領域みたいな感じになっているのよ。おかげでシャラも自分の道を歩き始められたし、私も安心して栽培できるわ』

 と打ち明けられた時、マリーはなるほどなあ、と感心した。利用されているのは事実だが、使える物を使わないのはバカのすることだと思っているマリーにとって、そういった理由で使われる分には何も言うつもりは無かった。一応とはいえ、館の主なのだ。面倒を見てやれる内は見てやろう……というのが、マリーの正直な気持ちである。
 薬草はカチュの木ほど栽培は難しくないらしく、しかも一度種を付ければ続けて作れることもあってか、商人(イシュタリアの知り合いであり、カチュの実を取引した人)もけっこう注目しているのだとか……先が楽しみだというのが、マリーの本音でもあった。
 他にも、まだ仕事が見つかっていない女は居るには居るが、皆の目に曇りは無く、毎日を明るく過ごしている。その中で、笑顔を向けられたマリーは……悪くない、と一人微笑んでいたりするのは、彼だけの秘密であった。

 ……ちなみに、ナタリアの件だが、紆余曲折の末、なんとか和解することが出来た。
 ナタリアが本当に申し訳ない気持ちで謝ったのもそうだが、イシュタリアの取り成しが最後の決め手となったからであった。

 曰く『無意識の中に溜めこんでいた鬱憤が、性欲という形で表に出た』らしい。それを聞いたところで最初はマリーも納得出来なかった。理由は何であれ、精神的、肉体的苦痛を被ったのはマリーなのだ。
 けれども、ナタリアが無垢(というより、無知)であったことと、日に日にナタリアの目から獣色が無くなっていくのを目の当たりにして、いちおうは年上……という意識があったマリーは、少しずつではあるが、ナタリアを受け入れることにした。
 元々、マリーは物事を深く考えない性質である。さすがにケツを掘られた時は動揺もしたし苦しみもしたが、よくよく考えたら、それ以上に辛い経験を味わった身だ。

 まだ、あれよりはマシなんじゃないかな。そう考えるようになった辺りで、ナタリアに対する態度を、マリーはごく自然と軟化させていった。

 それに、ナタリアにも変化はあった。イシュタリアに連れられて男娼館を3日連続でハシゴしたが、『なんか、そういう気持ちが無くなった』という理由で四日目は止めたことが、一番の切っ掛けだろうか。
 イシュタリアに連れられて男娼館へ向かう姿は、その後何度かマリーも目にしてはいた。けれども、以前のような覚えたての猿が如き視線は無くなり、マリーの衣服も汚されるようなことは無くなったのが、マリーの心を静めたのかもしれない。
 とりあえずの性欲が収まったナタリアの興味は、あっという間に違う方向へと注がれた。具体的にはクッキーであったり、絵本であったり、アップルパイであったり、絵本であったり……自らの傍に居ても全く反応する様子を見せないナタリアに思うところはあったが、マリーは彼女を許すことにした。
 まあ、自業自得と言われればそれまでだし……後日、サララから何故許したのかと尋ねられたマリーは、少しばかり遠い目をした後に、こう答えた。

『何も無い場所で一人ぼっちで暮らす辛さは……まあ、分かるんだ。ナタリアが、そんな境遇の中に居たってのを思い出したら……不思議と、許せる気持ちが湧いて来たんだよ』

 という言葉を聞いて感動した人が居たとか居なかったとか……ちなみに、ナタリアの性的嗜好はイシュタリア曰く『アレは元々なのじゃ』とのことで、絶倫であるのも別にソレとは関係ないとのことだ。
 それを聞いたマリーは、やっぱり許すのは止めようかな……とも思ったが、嬉しそうなナタリアの笑顔を見て、さすがにそれは止めた。



 ……しばらくして、普通に二人が会話できる程度にまでは仲良くなった頃……4人でのペースというものもはっきりと掴めるようになり、さあ、稼ごうかと考えていた矢先、ダンジョンに異変が起こった。

 『増大期』と呼ばれる現象が発生したのだ。増大期とは、その名の通り野生動物などの数が爆発的に増える一定期間を差し、それと同じことがダンジョンに起こったのである。

 増大期の発生時期、条件は共に分かっていない。しかし、その影響はほとんどモンスターの出ないとされている地上階にも影響を及ぼし、毎回大勢の探究者が犠牲となる、恐ろしい“自然現象”である。
 地上階にモンスターが数体出現した時が目安とされており、今回の増大期で、潜っていた探究者の7割が死亡したらしい……というのが噂で囁かれているというのを、たまたま買い物に出ていた館の女の一人から教えて貰ったのは、少し前の事だ。
 増大期の最中は、マリーたちのようなフリーランスはダンジョン探究を自粛する。ただでさえ危険性が高いというのに、その数が増えたとなれば、よほどの理由が無い限りは次回へと見送るのが当然であった。
 ちょうど懐が寂しくなった探究者にとっては、ある意味稼ぎ時ではあるのだが、全ては命あってのモノ。死して屍拾うもの無しというのが、探究者の世界なので、たいていの探究者は大人しく長期の休暇だと受け止めていた。

 そのかわり、増大期の間は探究者養成機関(あるいは、学校)の人達や、探究者ギルドに雇われた人たちによる、数に任せた大規模エネルギー採取が力を見せるのが、この増大期である。
 言い換えれば、この増大期こそが彼らの狙い時であり、ある意味稼ぎ時なのである。なので、この時ばかりはマリーたちも中に入ろうとはせず、また、本来の持ち味を出せない状況であるのは目に見えていることも相まって、マリーたちはしばしの休暇として受け止めることにした。



 そして、増大期がはじまってからしばらくの間、マリーは何をしていたのかと言うと……自室の、当初よりも二回りぐらい大きくなったベッドの上で、汗を流していた。

 ……それだけだと誤解を招きそうなので正確に言い直せば、サララの協力を得て、筋力トレーニングに勤しんでいた。
 夜も更けているが、寝るにはけっこう早い時刻……机に置かれた蝋燭の明かりが、淡く室内を照らしている。先日、イシュタリアが勝手にマリーの自室に常備させたものだ……その温かい光は、室内に四つの影を作っていた。
 その内の、最も動いている影が一つ……部屋の主であるマリーは、額に浮かんだ汗をそのままに、グッと身体に力を込めた。

「ふんぬぅ、ふんぬぅ、ふんぬぅ」

 両手を頭の後ろに回し、両足はサララに抱え込まれるようにして固定されている。そのおかげで多少は楽になっているのだが、両足に感じるサララの重みを楽しむ余裕は、とっくに無くなっていた。

「マリー、後5回」

 ある意味マリー以上に真剣な眼差しを向けていたサララは、邪魔をしない程度の声で残り回数を告げた。それを聞いたマリーは、ぎゅう、と目を固く瞑ると、渾身の力を腹筋に込めた。

「――っ、ふん……ぬぅぅ……!」

 プルプルと全身を震わせながら、マリーは上半身を起こす。腰に無駄な力を入れないよう、腹筋に全神経を意識して引き締める。この身体になる前に、嫌という程やったことだ。既に、魂にまで沁みついていて、見事なほどに変な癖は見られない。

「――っ、……ふ、ふぅ、んぅ……ぐぅ!」

 けれども、絶対的に筋力が足りなかった。「マリー、後4回」あくまで冷静なサララの指摘を受けながらも、限界の先、もはや熱いを通り越して痛みを覚え始めた体の悲鳴に、マリーはフッと力尽きる。ぼふん、と勢いよく、マリーの身体がベッドに落ちた。

「……お疲れ様、マリー。引き攣ったりしていない?」
「……だ、だい、じょ、ぶ、だ……」

 ぜえ、ぜえ、ぜえ、ぜえ……息も絶え絶えにそう返事をしたマリーは、舌をもつれさせながら必死に酸素を取り込む。ごほっ、と咳が出てしまうのは、それだけ真剣に取り組んだ証であった。
 『主なんだもの。こんな貧相な寝床なんて、示しがつかないわ』というマリアの意見に沿い、女性陣の手によって当初よりもいくらか“可愛らしくなった”室内に、もわっとマリーの臭いが広がる。けれども、マリー以外の三人は全く気にする様子は無かった。
 とはいえ、締め切った部屋は熱気もそうだが、何より臭いというものは沁みつく。ロッキングチェアーに腰を下ろし、のんびりと本に視線を落としていたイシュタリアは、無言のままに傍の窓を開けた。
 昼間でも涼しく感じる季節になったおかげだろう。いくらか肌寒い夜風が、ふわりと室内の熱気と交じり合う。こもる熱気の中、「風よ」指を立てて魔法術で弱風の渦を室内に作ったイシュタリアは、チラリとマリーを見やった。

「ほれほれ、何をいつまでも寝転んでおる。身体が温まっておるうちに、全身の柔軟運動を行うのじゃ。最低でも、私ぐらいまで関節を柔らかくするべきじゃぞ」

 そうイシュタリアは忠告すると、きぃ、とチェアーを軋ませた。チェアーの左側にうず高く置かれた本の山に、今しがた呼んでいた本を置く。その手が、今度は反対側へと移動し……虚空を掻いた。おや、とイシュタリアがそちらへ視線を向けると、そこには少しばかり古ぼけた絨毯があるばかりであった。
 ちっ、舌打ちが、イシュタリアの唇から零れた。手持無沙汰になったイシュタリアは、膝を台にして頬杖をつくと、ジロリとマリーを見やった。
 今は夜だ。酒を飲むには良い時間なのかもしれないが、そういう気分では無いし、用意するのが面倒だ。

「……?」

 マリーとサララの隣にて、真剣な眼差しを絵本に向けていたナタリアが、んん、と身体をベッドから起こした。

「マリーは身体が固い方なの?」
「……人並みよりは柔らかい方だと思うぞ……っ、ふぅー……」

 ようやく話せる程度にまで落ち着いたマリーは、ぐるりとうつ伏せになると、大きく背を逸らした。

「……確かに、マリーの身体は痩せていて固そうだね」
「ああ、いや、ナタリア。そういう意味ではないのじゃ。私が言う『固い』というのは、関節……筋肉の柔軟性を言っておるのじゃ」

 ぼんやりとマリーの柔軟を見ていたナタリアの一言に、イシュタリアが待ったを掛けた。イシュタリアはサッとチェアーから降りて、こきり、と肩の骨を鳴らした。
 そして、ナタリアの前に来て直立すると、足を伸ばしたままグッと上半身を曲げた。横から見れば、自らの両足に抱き着いているような状態だ。

「ほれ、ナタリア。お主はこれが出来るか?」
「え、そんなの簡単じゃない」

 ベッドから降りたナタリアも、イシュタリアと同様に自らの両足に抱き着いた。

「ほほう、それじゃあ、これはどうじゃ?」
「簡単、簡単……ほらね。こんなことも出来るわよ」
「……ほほう、なかなかじゃな」

 再び直立になったイシュタリアは、今度は片足を真上に上げる。それを見たナタリアも同様に片足を上げる。それだけに留まらず、ナタリアは上半身を倒すと、Tの字を横にしたような体勢で静止した。そのまま微動すらしない……絶妙なバランス感覚だ。

「マリーはこれが出来ないの?」
「出来ぬらしいのじゃ。ちなみに、この中で一番身体が柔らかいのは、そこで恍惚の笑みを浮かべているお嬢さんじゃな」
「へえ……サララはそんなに柔らかいのね」

 チラリと、二人の視線が頬を紅潮させているサララへ向けられた。けれども、サララは気に留めた様子は無く、満面の笑みでマリーの身体をタオルで拭っている。決してマリーの邪魔をしないように、さり気なく柔軟を手伝っている……なんだか、ちょっかいを掛けたらいけない空気だ。
 カリカリと、イシュタリアは首筋を掻いた。

「……のう、ナタリアよ」
「なぁに?」

 はた目から見れば美少女が戯れているようにも見える光景を前に、イシュタリアはポツリと呟いた。

「暇なのじゃ」
「そう? こうして毎日のんびりと絵本を読んで、マリアたちが作ってくれたおやつを食べる。私、今は凄く幸せよ。暇なんて、これっぽっちも無いわ」
「ナタリアはそう思っても、私は暇なのじゃ。ダンジョンに潜ることが出来ず、身体を動かすことも出来ず……ふらすとれーしょん、というやつが溜まっておるのじゃ」

 ふらすとれーしょん……、ナタリアは首を傾げた。

「身体を動かしたいなら、マリーと一緒にトレーニングというやつをしたらいいんじゃないかしら?」
「嫌じゃ。そういう体の動かし方は嫌いなのじゃ。もっと楽しくなるような体の動かし方がいいのじゃ」

 我が儘ねえ。ナタリアはため息を吐くと、ふと、ベッドに置きっぱなしにしていた自分の絵本を手に取った。

「何だったら、私の絵本でも読んでみる? 心優しいお婆さんが、大切にしていた孫を売り飛ばす内容で、凄く刺激的よ」
「絵本なんぞ、とおの昔に読み尽く……待て、それは本当に絵本なのじゃな?」
「ええ。この前、溜めていたお金で買ってきたのよ。ほら……」

 スッと目の前に差し出された絵本の表紙には、子供に受けそうな可愛らしいお婆さんのキャラクターが描かれていた。その傍には孫らしき男の子が描かれている……表紙を見る限りだと、ナタリアの言うような話は微塵も想像できない。

「……ちなみに、どういう理由で婆さんは孫を売ることになるのじゃ?」
「メルファナだよ」
「――ん、んん?」

 メルファナとは、『東京』の裏社会で手に入る麻薬の一種である。あまりと言えばあまりな内容に、イシュタリアは言葉を詰まらせた。

「最初は興味本位で吸うんだけど、後半の方になると、メルファナの為に家まで売ってメルファナを買いあさるのよ……メルファナって、凄い物なのね」

 キラキラと、瞳を輝かせてそう話すナタリアに、イシュタリアは「お、おう」言葉を濁した。けれども「ナタリア……誰が何と言おうと、絶対にメルファナを買うのではないぞ」釘を刺しておくのは忘れなかった。
 改めて、イシュタリアは絵本に視線を落とす……何度見ても、可愛らしい外装だ。これを見て、誰がメルファナを連想するだろうか。

「……見方を変えれば、教育の一環になるのじゃろうか……むう、教育というのは難しいものなのじゃなあ……」
「……イシュタリア?」

 不思議そうに首を傾げるナタリアに、イシュタリアは苦笑して手を振ると、そっと絵本を返す。再びマリーの隣に寝転んで絵本を広げたナタリアを見やったイシュタリアは、うむ、と頷いた後……ハッと目を見開いた。

「そうじゃ。討伐があったのじゃ!」
「……討伐?」

 絵本から顔を上げたナタリアが、くるりと振り返った。それに対して「なのじゃ!」イシュタリアは笑顔で頷いた。寝転んでいるナタリアの頭上を飛び越えて、柔軟しているマリーの前に着地をすると。グイッとマリーへ顔を近づけた。
 自然と、互いが向かい合う形となったわけだが、マリーは全く気にすることなく柔軟を続ける。その後ろで、目に見えて機嫌が悪くなっているサララの姿があったが、イシュタリアは全く気にしていなかった。
 そのまま、ジッとイシュタリアはマリーを見つめる。最初は気にしていなかったマリーであったが、さすがに至近距離で見つめられ続けるのは、些か居心地が悪い。とりあえずは一通りの柔軟を終えると、マリーは息を吐いてベッドに座り直した。
 それを待っていたイシュタリアは、しな垂れかかるようにマリーの腕に抱き着いた。すかさず、反対側の腕にサララが抱き着いた。サララに抱きしめられた腕が痛い……とマリーは思ったが、空気を読んだ。

「忘れておったのじゃ。増大期に入ったのはダンジョンだけでは無いのじゃ。地上に蔓延るモンスター共も増大期に入っているらしいのじゃ!」

 実は、『モンスター』という名称は、何もダンジョンに出現する怪物に限定したものではない。地上にて生息している野生動物の中で、牛やイノシシなどの弱小な動物とは一線を凌駕する凶暴な猛獣にも、ダンジョンの怪物と同様に、モンスターという名称が使われていたりする。

「……それが、どうして討伐の話になるんだ?」
「なに、いいかげんフラフラ遊ぶのにも飽きたところじゃ。いつ増大期が終わるかも分からん今、こうして遊んでいるばかりでいるのもイカンとは思わぬか?」

 全然思わない……と言いそうになったマリーであったが、すぐに(いや、待てよ)と考えを改めた。イシュタリアの言うとおり、ここしばらくのんびりしていたのは事実なのだ。

「ここの女たちは別に何も言わぬし、むしろお主がそうやって館でのんびりしてくれていることを喜んでおる。しかし、世間一般の目から見れば、今のお主がどう見られるかは、おのずと分かるじゃろ?」
「……あー、うん、言われてみれば、そうかもなあ」

 仕方がないことであると言えば、まさしくそうだ。しかし、言ってしまえば、今のマリーは女たちのヒモにしか見えないのも事実。風呂では優しく背中を流してくれるし、風呂上りには必ず誰かがマッサージをしてくれるし、注文さえすれば、マリーの好物を別で用意もしてくれる。愚痴も零さず、尽くしてくれる女たちばかりだ。
 とはいえ、毎日疲れた顔をしながらも充実した顔で帰ってくる女たちを出迎えるばかりで、四六時中ぐうたらな生活をしていた……というのも、誤魔化しようがない事実でもあった。

「そこで、じゃ。ダンジョンの増大期が終わるまで、しばらくの間は狩猟者として小金を稼いでみる気はないか?」
「……狩猟者、ねえ……まあ、悪い考えじゃあねえとは思うんだがなあ……」

 ううん、とマリーは唸った。チラリと視線を隣に向けると、サララは「マリーの判断に任せる」というだけで、あくまでマリーの気持ちに追従するみたいだ。仰向けになった状態で、逆さまの視線を向けてくるナタリアも同様で、おそらくどちらを選んでも変わりはないのだろう。

「ほれほれ、後はお主の決断なのじゃ。私としては、このまま本で暇を潰すのにも飽きた頃じゃし、是非ともおすすめするのじゃ」

 くりくりと、イシュタリアは指でマリーの頬を押す。鬱陶しいと思って放っていると、イシュタリアはつまらなそうに唇を尖らすと、ぽてん、と寝転がってしまった。

 本当に、今の状況に飽きているのだろう。パタパタと両足をばたつかせているイシュタリアを見て、マリーは苦笑した。

 一般的に、地上の野生動物やモンスターなどを討伐して生計を立てる人たちを、狩猟者と呼ぶ。探究者とは違い、国からの支援があまり行われていない狩猟者は、世間的にも下に見られる傾向にある。
 それは、単純に狩猟者の犯罪率が探究者と比べて高く、『東京』にて起こっている犯罪の5割が狩猟者であった……というばかりでは無い。その半数近くが、ダンジョンの洗礼を受けて怖気づいた者たちであることが原因であった。
 しかし、マリーが難色を示す理由はソレでは無い。探究者も実際のところは似たり寄ったりであるというのが、マリーの持論であった。

(悪くは無いんだが、あいつらの妬みとか寄生根性が鬱陶しいんだよなあ……前の俺の時ですらアレだったし……今の俺たちで行ったらどうなるかなあ……サララもけっこう喧嘩っ早いからなあ……)

 しかも、狩猟者には、探究者には無い独自のルールと決まり事がある。ある意味自由で気楽な探究者という仕事に慣れた身としては、そんな枷を嵌められるのはまっぴら御免だ。
 けれども、よくよく考えてみたらダンジョンに潜らなくなって、けっこう時間が経っている。勘が鈍っているとかそういうことは無いだろうが、鈍らせない為にも、そういった空気に触れておくのは、けっして悪い事ばかりでは無い。
 うーん、しばらく、唸りながら頭を悩ませていたマリーは……うん、と顔をあげた。

「……やってみるか」
「おお! やはりお主のことじゃから、そう言うと思っておったのじゃ! それでこそお主なのじゃ!」

 マリーの決断に飛び起きたイシュタリアは、むちゅう、とマリーの頬にキスをした。

「…………!」

 無表情になったサララを他所に、イシュタリアはそのまま二度、三度、マリーの頬に音を立てて吸い付くと、寝転がっていたナタリアを蹴落として毛布の中に入ってしまった。

「早速明日から向かうから、今日はもう寝るのじゃ!」

 その言葉と共に、蝋燭の火がフッと消えた。途端、室内は真っ暗闇に包まれる。開かれた窓から月明かりが差しこんでいるが、そんなものは気休めにもなりはしなかった。

「…………」

 無言の静寂が、枕に顔を埋めたイシュタリアの寝息を溶かす。手元すら見えなくなった室内で、マリーは深々とため息を吐いた……と、ふわり、と明かりが室内に灯る。そちらに目をやった二人が見たものは、指先に炎を灯したナタリアであった。

「……鼻が、痛いわ」

 そう言いつつも、ナタリアは痛そうな素振りも見せずに、マリーとサララを見やった。

「明かりはいるかしら?」

「……とりあえず、そこの蝋燭に火を灯しておいてくれ」

 こくり、と頷いたナタリアは、炎が灯る指を振るった。直後、消えていた蝋燭に火が灯った。「ありがとう」とマリーが礼を言うと、ナタリアはくすぐったそうに肩を竦めてイシュタリアの隣へと潜り込んだ。
 どうやら、今日はここで寝るつもりらしい。

(前から思っていたけど、かなりイシュタリアに懐いているんだな)

 カリカリと頭を掻いたマリーは、二人を踏まないようにのそりとベッドから降りる。その後に続いて、サララも降りる。スッと机から蝋燭を手に取ると、くるりと振り返った。

「サララはどうする? 俺は汗を流してから寝るつもりだが……」
「背中を流すから、一緒に入ろう」

 最後まで、言わせなかった。グイッとマリーの手を引っ張って歩き出した……その後ろで、マリーはこっそりと苦笑した。


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