筆者は、こうした主張は議論を矮小化・先鋭化させるただの詭弁であり、安倍信者・上念信者との議論は不毛なものになると考えています。
確かに、安倍総理は金融緩和を主張しているので、「新しい古典派」の経済学とは異なる経済思想であると言えるでしょう。「新しい古典派」英語では"Neo Classical"と言われる思想では、一切の財政出動や金融緩和が否定されています。多少難しい話になりますが、「合理的期待形成学派」や「リアル・ビジネスサイクル理論」といって、政府が財政出動や金融緩和をすれば、企業や消費者はその結果として増税やインフレを合理的・正確に予想するために、GDPの拡大には寄与しない・・・というのです。
安倍総理がそんな思想を持っていないことは、「デフレは貨幣現象だから、金融政策で変えられる」という発言から明確です。また、竹中平蔵は以下のwebサイトで次のように語っています。
竹中平蔵「アベノミクスは100%正しい」
デフレを解消しようと思ったら、これは貨幣的現象ですから、金融を緩和しないといけない。財政については、短期には需給ギャップを埋めるけれども、長期には財政再建が必要になる。そして、経済を成長させるためには、規制改革を進めなければなりません。これらは否定しようがないことです。まさしく、There is no alternativeですよ。繰り返しますが、問題はこれを実現できるかどうかです。まだ道のりは、そうとう遠い状況です。
安倍総理もおそらく、上記と同じ認識なのでしょう。だから、「短期であれば」財政出動は必要だし、金融緩和は長期でも必要であると考えている可能性が高いです。これは、新しい古典派ではなく、「ニュー・ケインジアン」と呼ばれる経済思想です。短期的には需給均衡が崩れるので財政出動をやるべきだが、長期的には市場メカニズムを最大化させるべく、規制緩和に取り組むべき・・・であるという考え方なのです。
筆者は、このニュー・ケインジアンの考え方には反対です。以下のように考えています。
①長期であっても、財政出動は実施するべきである
②金融緩和の万能論は間違いである(流動性の罠がある)
③長期的にも市場メカニズムは万能ではないし、安易に規制緩和をするべきではない
①は、建設業などの供給制約を解消する上で、必要になります。長期の予算増加がなければ、安定的に投資が増えず、供給制約も解消されません。90年代以降は景気変動が大きくなりすぎ、国民も企業も安定的に投資(設備投資や住宅投資)を増やさなくなりました。重要なことは「安定的に」予算を増加させて国民・企業を安心させて、経済の不確実性を減らすことです。内需が減少して外需(輸出など)依存になってしまうと、海外景気の変動によって不安定な国民経済になってしまいます。
②は、多少難しいのですが、名目利子率と関係があります。名目利子率はゼロ未満にはならないので、日本のように深刻なデフレ(名目利子率がゼロ近い)である場合は、金融緩和の効果が低くなります。株式市場などでの資産効果はある程度は望めますが、自国あるいは資本移動を通した海外でのバブルを醸成するため、景気変動(不確実性)を高めて、国民生活を不安定にします。
③も似たような理由です。規制があるおかげで、人々は安定的・わかりやすい行動へと収斂されていきます。過度に金融規制を緩和したために、リーマンショックを招いたことは記憶に新しいです。
安倍総理と竹中平蔵の経済思想は、上記①~③の観点から国益を害することになります。重要なことは「新自由主義」という言葉の定義ではありません。国益を害するかどうか、です。
上念司とその信者、安倍信者たちは、議論を不毛化する主張を即刻やめるべきでしょう。