その2はこちら
〜戦争の意思〜
戦意

そもそも戦争とは何故起きるのか。
少し整理のために、忘れがちな基本を抑えておきます。
まずは戦う意思がなければ戦争は起こりようがありません。
相手を倒す、反撃する、痛い目にあわせる・・・等。
基本的に喧嘩の延長であり、相手の殺傷は実は手段と考えられるのです。
そう、人間は野生との生存競争を勝ち抜くための心、
闘争心というものを備えているのです。
そしてそれが縄張りを廻るなど同種の間でも自然に生じるものです。
ただし、口論のように感情面の戦いだけで済むこともあり、
利益をめぐった駆け引きまでで収まることもあります。
しかしそれらが最も本能的な部分での動物的な戦い・・・
殴り合いから「殺し合い」に行き着くことも、そのままならありえます。
(その1で語ったように)
そして基本的には、より強力な武器を持った方が生存率に勝り、
また人間は群で行動する動物であり、集団心理が生じます。
この二つが結びつき、集団の間の生存競争は「戦争」という事態に到ります。
正義

戦争には数多くの人を動かす行動であるため、
通常、人々を動かすに足る理由が必要とされます。
それはたいていの場合、「正義」が使われます。
人間には「正しい(皆に認められる)行動をしよう」という欲求が存在します。
そしてその「正しさ」を理屈付けるものが「正義」です。
平和主義者も大抵、「正義のために戦う」ということを言うところからも、
「正義」を唱えることの効果のほどが分かると思います。
問題はその正義というものが大抵対立を生むことです。
文化摩擦にも現れるように、異なる前提に立てば異なる正義が現れます。
一方にとっての正義は他方にとっての不正義、というときに対立が生じます。
そして戦争を起こすときには集団の「正義」が掲げられます。
「正義の戦争」とはその「正義」が戦争行為に結びついたもののことで、
「不正義の戦争」とはそれを他方の立場から見たものを言います。
そしてその「正義」をめぐってプロパガンダをはじめとした心理戦が行われることになります。
それは歴史認識を廻る論争にも見ることが出来ます。
人間、正義や権威の名の下には、かつての十字軍等の宗教戦争に見られるように、
日常的な感覚からは信じられないほど残虐になる事は知られています。
それは心理学ではアイヒマンテストやスタンフォード監獄実験等で確認されています。
「正義」はかなり簡単に戦争に結びつくのです。
利益

現代において戦争の理由の説明として一番よく言われるのがこの「利益」です。
しかし問題は「誰・何にとってのどのような利益か」ということです。
戦争とは殺し殺され奪い合う行為なので、必ずリスクを伴います。
そのリスクを負ってまで求めるほどの利益とは何か、
それは立場によって大きく異なります。
指導者から末端の兵士に至るまで、そしてその後ろで眺めるものにとっても。
これは上から下までが共有しているということはあまりありません。
下のほうに行くほど上記二つの要素が強く、またそれに加えて
上がもたらしてくれる利益を期待して動くことになります。
下のほうになると直接受益する機会も限られるので。
しかしその中でもよくある理由は、「今まで受けていた利益の回復」です。
オイルショックの例もあるように、環境の変化によって受益が減ると
民衆の下のほうに行くほど確実に生活は悪化します。
これは自分達のしていた暮らしに対する侵略と、容易に受け取れます。
ドイツでナチスが支持を集めた背景にも、
ヴェルサイユ条約による過酷な負担が大きな要素をなしています。
しかしこれらは別にもう少し詳しく語られるべきものでしょう。
・・・続きます。
〜戦争の意思〜
戦意
そもそも戦争とは何故起きるのか。
少し整理のために、忘れがちな基本を抑えておきます。
まずは戦う意思がなければ戦争は起こりようがありません。
相手を倒す、反撃する、痛い目にあわせる・・・等。
基本的に喧嘩の延長であり、相手の殺傷は実は手段と考えられるのです。
そう、人間は野生との生存競争を勝ち抜くための心、
闘争心というものを備えているのです。
そしてそれが縄張りを廻るなど同種の間でも自然に生じるものです。
ただし、口論のように感情面の戦いだけで済むこともあり、
利益をめぐった駆け引きまでで収まることもあります。
しかしそれらが最も本能的な部分での動物的な戦い・・・
殴り合いから「殺し合い」に行き着くことも、そのままならありえます。
(その1で語ったように)
そして基本的には、より強力な武器を持った方が生存率に勝り、
また人間は群で行動する動物であり、集団心理が生じます。
この二つが結びつき、集団の間の生存競争は「戦争」という事態に到ります。
正義
戦争には数多くの人を動かす行動であるため、
通常、人々を動かすに足る理由が必要とされます。
それはたいていの場合、「正義」が使われます。
人間には「正しい(皆に認められる)行動をしよう」という欲求が存在します。
そしてその「正しさ」を理屈付けるものが「正義」です。
平和主義者も大抵、「正義のために戦う」ということを言うところからも、
「正義」を唱えることの効果のほどが分かると思います。
問題はその正義というものが大抵対立を生むことです。
文化摩擦にも現れるように、異なる前提に立てば異なる正義が現れます。
一方にとっての正義は他方にとっての不正義、というときに対立が生じます。
そして戦争を起こすときには集団の「正義」が掲げられます。
「正義の戦争」とはその「正義」が戦争行為に結びついたもののことで、
「不正義の戦争」とはそれを他方の立場から見たものを言います。
そしてその「正義」をめぐってプロパガンダをはじめとした心理戦が行われることになります。
それは歴史認識を廻る論争にも見ることが出来ます。
人間、正義や権威の名の下には、かつての十字軍等の宗教戦争に見られるように、
日常的な感覚からは信じられないほど残虐になる事は知られています。
それは心理学ではアイヒマンテストやスタンフォード監獄実験等で確認されています。
「正義」はかなり簡単に戦争に結びつくのです。
利益
現代において戦争の理由の説明として一番よく言われるのがこの「利益」です。
しかし問題は「誰・何にとってのどのような利益か」ということです。
戦争とは殺し殺され奪い合う行為なので、必ずリスクを伴います。
そのリスクを負ってまで求めるほどの利益とは何か、
それは立場によって大きく異なります。
指導者から末端の兵士に至るまで、そしてその後ろで眺めるものにとっても。
これは上から下までが共有しているということはあまりありません。
下のほうに行くほど上記二つの要素が強く、またそれに加えて
上がもたらしてくれる利益を期待して動くことになります。
下のほうになると直接受益する機会も限られるので。
しかしその中でもよくある理由は、「今まで受けていた利益の回復」です。
オイルショックの例もあるように、環境の変化によって受益が減ると
民衆の下のほうに行くほど確実に生活は悪化します。
これは自分達のしていた暮らしに対する侵略と、容易に受け取れます。
ドイツでナチスが支持を集めた背景にも、
ヴェルサイユ条約による過酷な負担が大きな要素をなしています。
しかしこれらは別にもう少し詳しく語られるべきものでしょう。
・・・続きます。