僕が生まれたのは兵庫県の小さな田舎町。姉が二人いる三人きょうだいの末っ子です。賢一郎という名前をつけてくれたのは、祖父です。僕が三歳の時に死んじゃったので、記憶にありませんが、「賢く元気に」という願いと、長男が生まれたことがうれしくて、この名前をつけたと祖母から聞かされました。
その祖母から「おまえは家を継ぐんだ」と言われ、それが当たり前と思って育ちました。反抗期はなかったですね。父(76)は兼業農家で、家族のため一生懸命に働いているのが分かったし、反抗の余地がありませんでした。母(75)とともに健在です。
中学生のころから、歌手になりたいと思い始めました。でも、周りに歌手になった人もいないし、恥ずかしくて、家族にも夢を言えませんでした。田舎にいては夢は実現できないし、葛藤はありました。なんで長男なんだろうと。
◆2人の姉、猛反対
信州大に入って、就職までは周りがこうすれば喜ぶだろう、ということをするのが自分の安心感でした。埼玉県で就職して二年後、夢を捨てきれず、会社を辞めて歌の世界に。姉二人には「そんなのできるわけない」と、猛反対されました。
両親は何も言いませんでしたが、帰ってきてほしいと思っていただろうし、我慢していたと思います。姉から「賢一郎がいてくれたらなあ」とため息をついてるよ、と聞いていたので、本当に申し訳ないと思いました。
上京して三年ほど聴いてくれる人もほとんどいない状態が続き、諦めかけていたときに、「ザ・ニュースペーパー」に誘っていただき、多くの人の前で歌えるようになりました。その後、テレビ番組「フックブックロー」に出合って一〜二歳から、おじいちゃん、おばあちゃん世代まで幅広い人に喜んでもらえるようになりました。子どもと見てくれる同級生も多いし、親孝行になっているかと思います。親も今では「頑張れ」と言ってくれるようになりました。
ザ・ニュースペーパーで仕事をするようになって、「いつも帰れなくてごめん」などと、親に素直に気持ちを言えるようになりました。子どものころは、親子げんかもしない、仲のいい家族でしたが、お互いすごく気を使った親子関係でした。離れてから素直に話せるようになりました。一緒にいたら我慢して、こうならなかったかもしれません。いろんな家族の形があると思います。
◆感謝込めて歌う
歌える場所があれば「なまえ」という歌を歌っています。名前をめぐる親から子への歌です。僕は結婚していますが、子どもがまだいないので正直、どう歌っていいかわかりませんでした。だから親は僕をどんな思いで育ててきたのかと考えながら、親への感謝の思いを込めて歌っています。この歌から、いろんなものを感じてくれる人がいます。これからも、この歌は大切に歌わなきゃいけないと思っています。
<たにもと・けんいちろう> 1974年、兵庫県生まれ。2004年、社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」に加入。12月1日には名古屋・栄の中日劇場で公演がある。11年から、NHK・Eテレの子ども向け番組「フックブックロー」に、平積傑作役で出演している。
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