WEB特集
変わる避難の在り方 〜全国初の訓練に密着〜
11月16日 12時00分
伊豆大島の土砂災害の発生から15日で1か月になります。
全国各地で突然の豪雨や土砂災害、それに突風の被害が相次ぐなか、従来の「とにかく避難所へ逃げる」という避難の在り方が見直されつつあります。このうち岐阜県は、「原則として学校に待機する」という全国でも初めての指針を打ち出し、この指針に基づいてある学校で実験的な訓練が行われました。
突然の災害時に子どもたちの命を守ることができるのか。ほぼ一昼夜に及んだ訓練に密着した、岐阜放送局の橋本尚樹記者が解説します。NHKが取材した東日本大震災時の証言映像も合わせて紹介します。
▽この特集の内容は17日午前7時から総合テレビで放送の「おはよう日本」でも詳しくお伝えします。
▽ラジオ「NHKジャーナル」で放送した特集の内容はこちらでお聞き下さい。
「逃げない避難」という考え方
平成21年に兵庫県佐用町で起きた豪雨災害では、避難所に向かった人たちの多くが増水した川で流され、犠牲になりました。静岡大学の牛山素行教授の調査によりますと、おととしまでの8年間の風水害の犠牲者のうち6割が建物の外で亡くなっているということです。また避難行動中に亡くなったことが分かっている人も、1割に上っています。
こうしたなかでことし6月に災害対策基本法が改正され、「避難」は従来の「自宅などから移動すること」という定義から、「屋内にとどまって安全を確保すること」に広がりました。避難の在り方そのものが見直されつつあるのです。
岐阜県でもことし9月、猛烈な雨による急激な川の増水で下校途中の18歳の女子生徒が川に流されて亡くなりました。これを受けて岐阜県が打ち出したのが、公立学校の児童・生徒については「大雨などの警報が出たり、出ると予測されたりした場合、警報が解除されるまで原則として学校で待機する」という指針です。
学校の置かれた状況にはよるものの、耐震化が施されたコンクリート製の校舎のような堅固な建物であれば、避難よりも待機の方が安全を確保できるという考え方に基づいたものです。
「突然、学校に宿泊」訓練
ただ危険な状態が長引けば、子どもたちが学校に宿泊せざるを得なくなることも十分に予想されます。本当に子どもたちの安全を守りながら、長時間の「学校待機」ができるのか。先月11日から12日にかけて、岐阜県美濃加茂市にある「可茂特別支援学校」で、実験的な訓練が行われました。
この学校には、周辺の12市町から児童と生徒が通っていますが、大雨が降った場合、通学路で土砂災害が発生するおそれがあるとされています。訓練に参加したのは、小学5年生から高校生までのおよそ100人。私(橋本記者)は、19時間に及ぶ訓練に密着しました。
訓練が始まったのは午後1時半。1時間後に「大雨洪水警報」が発令されるという想定で「学校待機」がスタートしました。最初に行ったのは、保護者への連絡です。「学校待機で子どもたちの引き渡しはできなくなる」ことを伝え、「待機にあたって子どもの健康状態で留意すべき点はないか」などを聞き取ることになっていました。
ところが思わぬ状況が発生しました。働いている保護者が多いせいか、なかなか電話がつながらないのです。大きな災害の際には、電話はより一層つながりにくくなり、連絡が付かないまま保護者が子どもを引き取ろうと学校に来てしまうことも考えられます。
実際、過去の災害では保護者が子どもを連れ帰るなかで犠牲になったケースが少なくありません。東日本大震災で宮城県石巻市では、48人もの子どもが保護者に引き渡された後に津波で亡くなりました。
<児童引き渡しの難しさ(震災証言より)>
岩手県大船渡市では、車で中学校に迎えに来た母親に生徒を引き渡しましたが、車に乗り込んだ直後に津波が襲いました。(証言動画はこちら)
小さなトラブルが思わぬ事態に発展
思わぬトラブルがさらに続きました。この学校の屋上には近くの企業が場所を借りて太陽光発電のパネルを設置していて、災害時はこの電力を学校で使わせてもらえるよう、企業と協定を結んでいます。午後5時20分、教師が屋上に向かい電気を学校側に切り替えるための装置を動かそうとしましたが、装置を動かすための鍵が見あたりませんでした。これでは、いざという時に使うことができません。
小さなミスだと思われるかも知れませんが、過去の災害でもほんの小さな準備不足や整備不十分が原因で、ライフラインが使えなかったケースは多発しています。
東日本大震災の際には、600人が孤立した小学校で非常用の発電機を備えていたのに、倉庫にあった燃料が津波で流されたため使えなくなったケースがありました。
また新潟県中越地震では多くの自治体で防災行政無線が使えなかったことが問題になりましたが、その原因は非常用の発電機が防災行政無線と接続されていなかったことが原因の、いわばヒューマンエラーでした。
電気・ガス・水道は、まさに「命綱」。訓練した学校では別の非常用発電機も用意していましたが、改めて教師が操作方法に習熟して備えることにしました。
<「全電源停止」そのとき現場は(震災証言より)>
宮城県東松山市では孤立した小学校で発電機が使えなくなり、理科室のアルコールランプで赤ちゃんが命をつなぎました。(証言動画はこちら)
また名取市では、筋ジストロフィーで24時間人工呼吸器を使う必要がある男性宅で、停電が長引き非常用電源も故障しました。(証言動画はこちら)
備蓄食糧にも落とし穴
午後6時、夕食の時間でも課題が明らかになりました。アレルギーがある子どものことを考慮して、それぞれの家庭から「3か月ほど保存が利く食料」を持ってきてもらいました。これをそのまま学校にも備蓄しておくことにしています。ところが子どもたちが持ってきた食料の多くは「カップめん」だったのです。
お湯を沸かさなければ食べることができません。
実際に過去の災害でも、備蓄食糧があったのに食べられなかったケースがあります。新潟県中越沖地震の被災地の柏崎市では、大量の米を備蓄していましたが、ガスや水道が使えなくなったため当初は調理できませんでした。
訓練後、この学校では水で戻せるアルファ米も独自に備蓄することを決めました。
<食糧備蓄の教訓を次に生かせ(震災証言より)>
宮城県では避難所の小学校に想定の倍以上の避難者が集まり、たちまち食糧が不足。(証言動画はこちら)
またアルファ米の製造工場では、震災発生後の停電で被災地に思うように出荷することができませんでした。(証言動画はこちら)
難しい薬の投与
食事以上に難しいのが「投薬」です。この学校には寝る前に発作を抑える薬を飲まなければならない子どもが40人以上います。誰の薬か?飲む種類や数は問題ないか?など、慎重に確認するため教師が2人がかりで対応しました。
比較的にスムーズに薬を与えることができましたが、問題はふだん、薬をどうやって保管するかです。あらかじめ3日分を保護者から預かって子どもに与えることを考えていますが、保存が難しいうえに、投薬ミスを起こさないように管理する必要もあります。
<病院でさえ投薬が困難に(震災証言より)>
高齢者を中心に400人以上が避難した宮城県女川町の病院では、電子カルテが使えなくなり、患者への投薬に困難が生じました。(証言動画はこちら)
子どもの安全をどう守る
訓練では想定していたにも関わらず恐れていたことが起きました。子どもが熱を出したのです。幸いしばらくして下がりましたが、大規模な災害では重い病気やけがをした子どもが出たとしてもすぐに治療を受けられないことも考えられます。すぐそばに病院があったり救助態勢が整っていたりしない限り、解決が難しい課題です。
また訓練では、深夜になると家族と離れて不安になり起き出して大声を上げる子どもも出始めました。どこの学校でも、低学年の子どもなどが不安に陥ってパニックを起こすことは十分考えられます。訓練では、担任と子どもが教室で一緒に寝たほか、落ち着きのない子どもが教室から出て行くことのないよう別の教員が廊下で寝るなど、注意を続けました。教師たちは朝まで子どもたちの対応に追われました。
<避難所で病人が出たら(震災証言より)>
城県石巻市で1200人が避難した小学校では、かぜがまん延しましたが医師は1人もおらず、4日後にようやく診療所からたどり着いた医師が不眠不休で治療に当たりました。(証言動画はこちら)
同じ石巻市の支援センターでは障害者とその家族ら42人がビルに孤立、センターの所長はみずからも不安を抱えながら、人々を落ち着かせました。(証言動画はこちら)
訓練後も不安は続く
翌朝6時。警報が解除されたとして、教師たちは保護者に子どもを引き渡すことを検討し始めました。通学路に土砂災害のおそれがないか自治体に確認しますが、ここでも安全なルートの確認は電話が頼り。子どもを保護者に引き渡して19時間に及ぶ訓練は終了しましたが、その後の保護者へのアンケートでは、学校待機への不安も伺えました。
「低学年や重い障害の子も含め、全員が宿泊した場合どうなるのか」「真冬の宿泊や連泊の想定は」など、今回の訓練では試せなかったことが課題として残りました。
<安全な避難ルートをどう確保(震災証言より)>
270人が孤立した宮城県気仙沼市の合同庁舎。がれきや冠水でどこが道なのかも分からないなかで、どのように避難ルートを探したのでしょうか。(証言動画はこちら)
自治体で分かれる対応
子どもたちが学校にいる間に気象警報が発表されたとき、児童や生徒をどう避難させるのか。
NHKが全国の都道府県に取材したところ、徳島県では記録的短時間大雨情報や土砂災害警戒情報、避難勧告や指示が出されるケースや、通学路の安全が確認できない場合について、「原則、学校に待機させたうえでその後親に引き渡す」という指針を定めていますが、気象警報でも待機させるという指針は、岐阜県以外ではありません。
東京都では、東日本大震災の発生直後に多くの会社員などが帰宅難民になったことから、大規模な災害時は無理に帰宅せず職場などにとどめることを求める都の条例が、ことし4月に施行されました。こうしたなかで文京区では、区立の小中学校で児童や生徒が1泊2日で避難生活を体験する取り組みを行いました。中には人数分に足りない数のパンを配り、食糧の分配方法を考えさせた学校や、保護者との安否確認に「災害用伝言ダイアル」を活用した学校もあったということです。
こうした自治体もある一方、兵庫県のように、「大雨、洪水、暴風などの警報が出された場合、児童、生徒を速やかに下校させる」としている自治体もあります。(「下校させるのが危険だと判断された場合には、学校で待機させ、保護者に迎えにきてもらう」としています)
児童、生徒の避難を巡る対応は、都道府県によって大きく分かれています。
専門家「考え方の転換を」
学校では今回の訓練を基に教師たちが議論を深め、より詳しい避難マニュアルの作成を進めています。一見、極端に感じる「学校待機」ですが、豪雨災害の対策などに詳しい静岡大学の牛山素行教授は、「理にかなった考え方だ」としています。
牛山教授は「たいていの学校は鉄筋コンクリートの建物になっているので、そうした堅ろうな建物にいるほうが相対的に安全な可能性が高い。原則、学校に留まるというのは現実的な方法で、避難といえば避難所に行くことという固定的な考え方を転換する時期に来ていると思う」と話しています。
もちろん学校ごとに置かれた環境は異なり、待機がむしろ危険な状況もあると思いますが、学校に任せっぱなしにしてきたことに一定の指針を示した意義は大きいと思います。それぞれの学校が、どのように待機すべきか、待機させて良いのかを具体的に、そして詳細に検証するきっかけをつくったことが重要だといえます。