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【愛知】島倉千代子さんの若き歌声「設楽小唄」に◆地元電器店店主がSP盤保存
八日に七十五歳で亡くなった歌手、島倉千代子さんは半世紀余り前の二十二歳のとき、設楽町観光協会が作った「設楽小唄」をレコードに吹き込んでいた。長い歳月を経てすっかり忘れ去られた存在だが、町内で電器店を営む松尾義吉(よしきち)さん(80)は、レコードを大切に保管している。七十八回転のSP盤から、島倉さんの若々しい歌声がよみがえってくる。 若いころから島倉さんのファンだった松尾さんは三十年ほど前、このレコードを知人から譲り受けた。「歌が作られたことはぼんやりと記憶にあったが、聞いたことはなかった。ましてや、彼女が歌っているとは知らなんだ」と話す。 歌が作られたいきさつを知ろうと、役場や観光協会などを訪ね歩いたが、記憶している人は皆無だった。かろうじて、当時の町の広報紙にいくつかの手がかりがあった。 広報紙によると、「設楽小唄」は一九六〇(昭和三十五)年に作られた。町民から募集した歌詞を、町出身で当時、県の広報課長だった高須安男さんが補作し、コロムビアの専属作曲家森一也さんが作曲した。 歌詞には段戸山や岩古谷山、寒狭(かんさ)川、参候(さんぞろ)祭り、田峯田楽などの名所や行事が歌い込まれている。 その年、今はない中央公民館で開かれた発表会には三百人が詰めかけ、当時の竹内喜兵衛町長はあいさつで「町を挙げて歌い踊ろう」と呼び掛けたと掲載されている。 同町田内(たない)の七原三郎さん(90)によると、以前は婦人会が盆踊りで踊ったというが、いつしか忘れ去られたという。 半世紀前、一万三千人を数えた町の人口は現在五千六百人。小唄の歌詞に出てくる添沢温泉は、設楽ダム建設計画に伴って昨年取り壊された。 島倉さんの葬儀は十四日、東京・青山葬儀所で営まれる。「私も裸一貫でラジオ店の店員から始め、苦労して店を持った。自分の歴史が、波乱に富んだ島倉さんの人生に重なって映るだよ」。そう言いながら、松尾さんはレコードに聴き入った。 (鈴木泰彦) PR情報
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