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15 Nov 2013 16:16

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「信号で止まると激怒」…徳洲会の“君主”、徳田虎雄氏の「情熱と業」

産経新聞 11月4日(月)22時29分配信

「信号で止まると激怒」…徳洲会の“君主”、徳田虎雄氏の「情熱と業」

公職選挙法違反の疑いで家宅捜索を受けた徳洲会の湘南鎌倉総合病院=9月17日夕、神奈川県鎌倉市(石井那納子撮影)(写真:産経新聞)

 一代で巨大医療グループを立ち上げた男の胸中は、いかに−。昨年12月の衆院選をめぐり、公職選挙法違反容疑での捜査が続く医療法人徳洲会グループ。選挙違反を主導したとの見方が強いのが、創設者の徳田虎雄・元衆院議員(75)だ。著書などからは、エネルギッシュな医師・政治家としての一面が浮かぶが、一方で関係者は「暴君」の面も口にする。選挙に「命をかけ続けた」とし、人もカネも投入した虎雄氏。その情熱が招いたのが、自らの王国・徳洲会への捜査だった。

■「弟の死」で医師を決意、苦学の末開業

 《弱きを助け、悪しきをくじく。これが私のすべての行動の判断基準だ》(引用(1))

 虎雄氏は昭和13年に兵庫県高砂市に生まれ、2歳で鹿児島県・徳之島に移住。生活は貧しく、病気の弟が医者に看てもらえず亡くなった経験から医師を志したという。《どんな人でも助けるのが医師の役目だ》(引用(2))

 その後、3浪の末に大阪大学医学部に進んだ虎雄氏。在学中はアルバイトで弟の学費を捻出し、既に結婚していた妻も薬学部に進学させ、さらに郷里に仕送りをする生活を続けたという。「こうしたエピソードを方々で繰り返し語り、周囲に『苦労・努力の人』とアピールをした」(徳洲会関係者)。

 卒業後、「年中無休」「24時間体制」など自らが理想とする救急医療体制を構築するために、昭和48年に大阪府松原市に徳田病院(現松原徳洲会病院)を開設。その後、診療所や老人保健施設など計361の施設を抱える国内最大級の医療・福祉グループに成長した。

■逮捕者を出しながら政治の道に

 《医療をよくするには政治は避けて通れない》(引用(2))

 全国に病院を建設するという目標の一方で、「病院建設にも政治の力が必要」と感じた虎雄氏は、昭和58年に中選挙区制時代の衆院奄美群島選挙区(定数1)に出馬。以降、保岡興治氏(自民)との間で、現金が飛び交うとされた激しい選挙戦を繰り広げた。保岡氏と虎雄氏との戦いは、「保(やす)徳(とく)戦争」とも呼ばれた。

 《政治は道徳だ》《政治の原点は福祉にある》(ともに引用(1))とのスローガンを掲げる一方で、選挙違反で逮捕者を出しながら、平成2年に衆院議員に初当選した。

 「この初当選した選挙で裏の資金を30億使った」と元側近は述懐する。

 当時、現地の選対幹部だった地元病院元幹部は「空港で理事長(虎雄氏)を出迎えると、駐車場で札束の入った箱を開けて、○○町に1千万、○○町に1千万と手渡された」と語る。

 6年に自由連合を結党。豊富な資金力を背景に、13年の参院選で作家や歌手、スポーツ選手など多様な顔触れを立候補させたが、1議席も取れなかった。

 そんな虎雄氏を周辺は「信念の人」とも「ワンマン」とも評する。「法律やルールを逸脱した男。世の中は自分中心に回っていると考えている節がある」と、徳洲会関係者は振り返る。

 かつて虎雄氏の運転手をしたこともあるというこの関係者は振り返る。「車には缶入りのお茶が常備されていて、これでいつも殴られる。理事長は信号が嫌いで、信号で止まるだけで殴られる。だから、信号ができるだけ少ないルートを調べ、そこだけを通った」。

■難病で状況に変化…「猜疑心強く」

 意気軒高な虎雄氏だったが、14年に全身の筋肉が動かなくなる難病「筋萎縮性側索硬化症」(ALS)になり、状況が一変する。現在は眼球しか自由に動かせない状態となっており、意思表示は、文字盤を使って目の動きを秘書に読み取らせる形で行っている。

 当初は《元気なときは無駄な動きが多かった。私の人生はこれからだ》(引用(1))などと活動的な様子を見せているが、「病状が悪化するに従って猜疑心が強くなったというか、今まで以上に耳当たりのよい言葉しか信じなくなった」(病院元幹部)。側近の事務方を遠ざけ、グループ企業の役員を務める親族を重用するようになった。

 病魔で潰えた政界での野望を託したのが、次男の徳田毅衆院議員(42)だった。「(毅氏を)総理大臣にする。自民党を乗っ取らせる」「まず派閥を持たせる」といった言葉が漏れるようになった。

 そんな中、迎えたのが、昨年12月の衆院選だった。

■「保徳戦争」で完成した人員供出システム

 関係者によると、昨年の衆院選で徳洲会グループはグループ傘下の病院に対し、毅氏の陣営に職員を運動員として派遣するよう指示。日当などを支給した上、投開票前日の12月15日まで選挙運動の手伝いをさせた疑いがある。派遣された職員は少なくとも370人に上る。

 関係者によると、こうした人員供出の仕組みは、虎雄氏が現役だった時代の保徳戦争を通じて完成されていき、選挙ごとに動員される職員数も増えていったという。

 昨年の衆院選で虎雄氏は、病床から衛星回線まで使って選挙活動について指示。「前回選挙の得票数を超えなくてはならない」「どれぐらい差をつけられるかが重要だ」などと運動員にハッパをかけ、自らの息子の圧勝を期した。

■「票の買収をしていないから大丈夫」…自らも聴取

 さらに虎雄氏は「今回の選挙は選挙区で票の買収をしていないから、選挙違反に当たらない」という趣旨の言葉を陣営に伝達していた。

 「いったい、これまでどれだけ金をばらまくような選挙を展開してきたのだろうか。感覚のずれを感じる」(捜査関係者)。

 東京地検特捜部はこうした順法意識の低さを重く見て、警視庁などとも連携し、病院関係者から聴取。派遣された職員の陣頭指揮を執っていた毅氏の親族の聴取を続けている。

 捜査の手は虎雄氏自身にも及び、特捜部は療養生活を送る湘南鎌倉総合病院(神奈川県鎌倉市)で聴取を行った。虎雄氏は文字盤を目で追いながら、「知らない」と関与を否定したが、特捜部は立件の可否を慎重に検討している。

 《歴史上、一番苦労を背負う男、徳田虎雄。いつも崖っぷちに立っている。生涯逆境に生きる》(引用(1))

 かつてそう語った男は、捜査の手が進む様子をどんな思いで病床から見つめているのだろうか。

 ※引用(1)は「命だけは平等だ」(PHP)より、引用(2)は「徳田虎雄外伝」(主婦の友社)より

最終更新:11月4日(月)22時29分

産経新聞

 
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