何故か回復の兆しが見えてこない・・。
一体なんだろう・・?
そして、役所の不手際できょう、医者に診てもらえなかった・・。
「月曜まで待つしかない・・・」
そう言われた。
我が家は、「生活保護家庭」どこでもかかれるわけではない。
役所から指定された「指定医」にしか掛かれない・・・。
我が家は旦那はいない。もちろん生活状態も安定しない。
私がやってる仕事だけじゃ食べさせて行けない。我慢の連続だ。
ある年の冬。本当に食べるものが無くなり、ガスが止まり、電気が止まって、灯油が買えず、挙句の果てには家族全員がインフルエンザにかかり2週間、布団から出られなかったことがある。
このとき、私はリーマンショックの影響で仕事を失っていた。
ハローワークに行っても、「免許がない、資格がない、学歴が低い、年齢が高い」
そんな理由からなかなか仕事が無かった。
仕方なく見つけた、送迎込みで通勤時間片道3時間って仕事に行った・・。
朝は5時半。帰宅が21時過ぎ。
日雇いだったし、交通費抜いたら手元に残るお金なんか知れていた。
食べていくのが精いっぱいって、この事。そのうち家賃が払えず、仕事が減って行ってついには仕事がなくなった。
そこで役所に行った。生活保護の相談に。その時点で電気は止まってた。
そこでもう保険証は取り上げられて、其の後、預貯金額、財産、保険不動産、実家などは調べられた。
ま、お金なんかなかったけど・・・・。実家なんか相談にもならなかった。って後から役所の人に聞いた。そして決定までになんと1か月かかった。
その決定するまでの1か月の間に食べるものは無くなり、ガスが止まった。3週間風呂に入れなかった。役所からは繋ぎ資金さえ出なかった。保護が決定しなかったら、返金しなければいけないからだ。そんな見込みはない。だからか、貸してはくれなかった。
その間に役所まで自転車で40分はかかる坂道を書類を持って何回通ったか。
空腹と脱水状態寸前。めまいがして普段なら40分の道が1時間以上かかった。
風呂に入ってないからきっと匂うはずだからこそこそして人目を避けた。
担当者に逢うのも「早く終われ」って思ってた。臭いから・・・。
家賃が払えないから、矢のような催促・・・。そしてインフルエンザ。
役所から
「保護が決定するまでは医者には掛からないほうがいい。決定しなかったら、自腹だから。払えないでしょ?」
って言われた・・・・。もちろん保険証はとっくに取り上げられていたし・・。
苦しかった。熱が40℃近く出て、子供が寝込んでも食べるものが無いんだ・・・。
電気が止まってるから、お水しかない。残ってたお米1合ほどを、カセットコンロで粥にして分けて食べた・・・。本当に何にもなかった。築50年の借家は隙間風が入って、暖房が無かったから寒かった・・・・。砂糖をお湯に溶かして飲ませた。
情けない。これは死ぬな。そう実感した。
見て見ぬふりした、同じアパートの人達。
お金が無いことわかってるから、誰も声もかけてこなかった。
真冬、電気が消えてても、誰も何も言わなかった。
子供が学校休んでても、学校さえ何も言ってこなかった。
それなのに、保護が決定して何とか人並みに生活できるようになった途端・・・
「お金貸してくれ」って・・・。
私、嫌だったけど「知らんふり」させてもらった。
これが現実。
不自由なく暮らしている人がうらやましいって、何回も思った。
子供にも我慢ばっかさせてかわいそうだと思う。
不自由な我慢ばかりの生活・・・。
家賃の心配がないこと。生活の不安が無いこと。そんなこと・・・でも・・・。
自分が選んできた結果だ。仕方ない、現実なんだ、受け止めなければ。
でも子供だけにはかわいそうな思いはさせたくない。
今の収入約6万。保護と合わせて20万に手が届かない。
家賃払って、支払いして、カツカツだ。睡眠削って、心削って・・・
下手したら、10日ほど残して手元に2000円って時も・・・。
でも、今の仕事は好き。できればスキルアップしたい。
あきらめたくないけれど。
悲しいけどこれが現実。
上を見たらきりがない。でも、落ちるとこまで落ちたんだから、これ以上下はない。って思ってる。
だから今、生きられる
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