蹴球探訪
宮市 単独インタビュー後編 代表は「常にいたい場所」(11月12日)
トップ > 中日スポーツ > 芸能・社会 > 紙面から一覧 > 記事
【芸能・社会】島倉さん最後の歌声 東京・青山葬儀場で告別式2013年11月15日 紙面から
肝臓がんのため8日に75歳で亡くなった歌手島倉千代子さんの葬儀・告別式が14日、東京都港区の青山葬儀所でしめやかに営まれ、芸能関係者やファンら合わせて約3000人が参列した。「人生いろいろ」「東京だョおっ母さん」など、生涯にレコーディングした歌は1500曲余り。参列者は60年間にわたって、歌を紡ぎ続けた故人との最後の別れを惜しんだ。 天国への旅立ちに際し、会場に流されたのは代表曲の「人生いろいろ」だった。午後3時の出棺。「お千代さん!」「島倉!」。両手を合わせたファンから大きな掛け声が上がり、斎場へと向かう島倉さんを見送った。 開式の辞を前に、会場では島倉さんが亡くなる3日前の5日に東京都内の自宅で収録した肉声や歌声が紹介された。肉声は、最後の新曲「からたちの小径(こみち)」のレコーディングを自宅で終え、ファンらへの辞世の言葉として残したものだった。 「自分の人生の最後に、もう2度と見られないこの風景を見せていただきながら、歌を入れられるってこんな幸せはありませんでした。人生の最後に素晴らしい時間をありがとうございました」 弱々しいながら、どこか明るさも伝える声だった。そして、最後の歌声となった「からたちの小径」。「命ある限り、声が出る限り、歌い続けたい」。生前、そう言い続けた島倉さんらしい熱唱だった。最後の力を振り絞った歌声に、参列者からはすすり泣きが漏れた。同曲を南こうせつ(64)とともに作詞した喜多條忠さん(66)も「いい曲ができて良かった」と話した。こうせつは所用のため参列できなかった。 りんどうなど、1万8000本の花々に囲まれた祭壇は、着物の襟合わせをイメージして作成された。紫色の着物姿でほほ笑む遺影は、2011年の1月にスタジオで宣伝用に撮影された。島倉さんお気に入りの写真だった。 愛用していた白いマイク、1999年に受章した紫綬褒章なども供えられた。紫色が大好きだった島倉さんに合わせて、ひつぎや会葬礼状などにも紫色が使われた。関係者1000人、ファン2000人。読経の中、長い焼香の列が続いた。会場にはファン専用の献花台も設けられた。小泉純一郎元首相(71)らの弔電も各界から寄せられた。 歌手を代表し、石川さゆり(55)は「生涯、歌い手としてあることは言葉で言うほどたやすいことではないと思います。でも島倉さんは生涯、歌い手として見事なまでに全うされました。歌への情熱、表現者の夢、決して失ってはいけないと私たち後輩に強く示されたとあらためて思いました。島倉さん、本当にありがとうございました。これからも私たち後輩を空高くから見守ってください」と涙ながらに弔辞を読んだ。 関係者によると、3年前から肝臓がんと闘っていた島倉さんは、1年ほど前から自らの死を覚悟していたようだという。今年6月には都内の墓地に自らと、結婚前後に堕胎した、子どもに付けていた「島倉忍」の名を刻んだ墓も用意していた。故人の遺志をくみ、今月10日に身内だけで密葬が営まれた。香典も受け付けなかった。 戒名は寶?院千代歌愛大姉(ほうしょういんせんだいかわいだいし)。「美しき日本の宝の人、永久に歌を愛するかわいい人」という意味が込められているという。島倉さんは東京都品川区の桐ケ谷斎場で荼毘(だび)に付された。 ▽歌手長山洋子(45) 「アイドルから演歌歌手になった当時、島倉先輩から食事に誘っていただき、仕事への姿勢などを教えていただきました。いろいろなことを教えてくださった先輩へのご恩返しの気持ちを形にできるように私も頑張りたい」 PR情報
おすすめサイトads by adingo
|