捧ぐ!島倉千代子大師 凄い!!記録的大ヒットに!!島倉千代子さん、あなたの遺曲「からたちの小径(こみち)」(南こうせつ作詞曲)は、間違いなく大ヒットです!! 昔、ヒット予想力音楽業界ナンバーワンだったナベショウが泣きました!!
あなたは大スターでしたしお付き合いもありませんでしたが、『芸能市場調査』(現・オリコン)の初代編集長で、当時、私の発売前の楽曲のヒット予想能力は百発百中で、直感力は業界随一と誰もが認めていましたからか、ごう慢な男“ベショウ”こと、渡邉正次郎と申せば、名前だけはご存知と思います。そう、島倉さんの大ヒット曲の「人生いろいろ」を書いた中山大三郎くんとは、私がオリコンを辞めてもなぜか親しくしていました。
今日、14日、私は、生まれたばかりで、私の手のひらで目が明いた愛犬の「モウ」を2年前、19歳で安楽死させた月命日でした。それ以降、毎月、月命日には墓前に手を合わせているのですが、その墓参りを終えて帰宅。
背中のリュックを卸し、自分の空腹を我慢して、モウの一歳下の弟の愛猫「ミャー」の昼ご飯を食べさせ(21歳の高齢で時間が掛かるのです)、テレビを点けると日テレの「ミヤネ屋」で、あなたの葬儀を放送していて、偶然、「からたちの小経(こみち)」が流れ出したのです。
衝撃を受けました! 身体が震えました。「からたちの小径(こみち)」文句なく大ヒットで、長く長く後の世まで歌い継がれる名曲です! まず、詞が良い、曲が良い、あなたの声が良い、あなたの声が“こころ”です。あなたの歌いあげが良い・・歌い上げが心でした。
食事も忘れ、立ったまま釘付けで聴いていました。二番が流れ出すと、涙が溢れて止まりませんでした・・・特に最後のフレーズの♪好きです いついつまでも 涙がぽろぽろり♪は大ヒット曲が必ず持つフレーズです。
私はオ大物政治家の秘書となり、何人もの選挙参謀を頼まれ、応援演説を頼まれ、すべて当選させました。それは私が何処に行こうと、何処であろうと心いっぱいに、全身全霊を込めて演説し、聴衆に心いっぱいに訴えたからです。
また私は、新人候補や現役議員にも必ず、
「いいですか? 演説は”心“です。心いっぱい訴えるんです。演説は演歌です。演じて説くです。一本調子でやって心がつかめますか? 難しいことを言っても聴衆は理解できないんです。情です。心です。押したり引いたり、時には声を振るわせたり、大事なことは二度繰り返したり、時にはドーンとテーブルを叩いて引き付けたりしなさい」
と教え、自ら一日数十カ所の街頭演説で手本を見せました。彼らは私が演説を始めると五分もしないうちに聴衆が集まり出す現実を目の当たりにして驚いていました。
現在はジャーナリスト・作家ですが、“直感力の鋭さ”は今もまったく衰えていません。ですから田中真紀子氏が初立候補した時、「この女はトップ当選!」と直感が働き、、全マスコミが「泡沫候補!」と報道したのですが選挙区視察に行き、そのド迫力演説を目にし、「間違いない!」と。
そして面識もないのに当選と同時に、ダイヤモンド社から『田中真紀子が翔ぶ』を上梓しベストセラーになりました。あの気性の激しい真紀子も驚いたのですが、以降、
「私を書くは渡邉正次郎以外許さない!」
となり、『田中真紀子がなぜ人の心をつかむのか』(日本文芸社刊)と続き、真紀子本だけで6冊も世に出しました。
私がこのような文面を、島倉さんに捧げることになったのは、中山大三郎が、
「正次郎、お千代さんの恨みを晴らしてやってくれ!」
と呼んだ気がしてなりません。
実は・・・前述しました愛猫が高齢過ぎて、今月の12日に「15日に安楽死を・・・」と獣医と決めて、モウの墓前に報告を兼ねて出向いたのです。ところが、手を合わせると「15日にはモウの傍に行くぞ」の言葉が出ず、それどころか、帰りに寄った大きなスーパーで高齢猫の食べやすい餌が何種も並べてあり、15日のことはすっかり何処かに行って30個も買い入れていました。
しかもミャーは、私が玄関に入ると、ミャーミャーとうるさいくらいに出迎えだのです。ここ一年そんなことはなかったのです。「お腹が空いたのか…今あげるから・・」と言っても、早く食べたい、早く食べたいと食器の前で「ミャーミャー」の有様。
もう完全に安楽死が何処か飛んで、大急ぎでリュックから餌を出して並べると、次々臭いを嗅いで自分で選んでいました。
それで立ちっ放しで世話をしながら、テレビのリモコンを手にあちこちやって、ミヤネ屋であなたの絵を見にしたのです。
大三郎が私を呼んだのでは? と気づいたのは、島倉さんが天国から私のブログを見ていただければ分かりますが、この14日の記事に、
「島倉千代子に地獄を味わわせた貴様は、私が地獄に落とす!」
と配信していたのです。
これに気付いたのは、この原稿を途中までまとめていた15日早朝でした。確か、細木の記事はいつ配信するんだったかな? したのかな? と確認して知ったのです。
数日前に記事を書き、偶然にも14日配信予約してあったのです。告別式が14日とも知らずにでしたから正直、驚きました。霊感が人一倍強い私もこれほど驚いたことはありません。
私は細木数子があなたに想像を絶する仕打ちをし、自殺をも考えるほど追い込んだいろんな事実は、後にマスコミの友人たちから耳にしていたのですが、細木自身のことは昔から知っていました。
実家が渋谷の売春飲み屋だったからか、ガキの頃からズベ公で売春など平気の平左。成長して暴力団組長の情婦になり、経営していた“銀座のクラブ”では、ホステスたちに売春を強制して客を呼ばせ、断れば暴力団員に殴る蹴るの暴行までさせて稼いでいたのです。
それを知っていましたから、あなたが細木数子を後見人にして音楽事務所を設立したことをワイドショーで知り、
「これは危険! 島倉千代子はあのワルに徹底してしゃぶり尽くされるぞ」
と心配しました。
ですが、忠告しようにも私は政治の世界で超多忙でしたし、そのままに…とうとう14日の記事のようなことに・・・。
ただ、その後、細木数子が詐欺占い師になる寸前。政界のご意見番の安岡正篤先生が、高齢から物事の判断ができなくなったのを利用して、本妻に入り込んだことで激怒。
「この女、叩き潰す!」
と。
当時、可愛がっていただいていた元警察庁長官で、政界のご意見番の後藤田正晴先生の下に行き、細木数子と暴力団、島倉千代子さんとの関係を詳しく話し、
「先生、どんな圧力を使ってでも…」
と申し上げたのです。
中山大三郎も元政治家秘書でしたし、彼はオリコン当時の私の実力と、引退後も政治家たちの参謀をし、ジャーナリストに転じて裏社会にも強い。
「正次郎、お千代さんの恨みを晴らしてやってくれ」
と呼んだのは間違いないでしょう。
こんな巡り合わせに身震いする思いです。
島倉さん。もう一度申し上げます。ご遺作の『からたちの小径(こみち)』は空前の大ヒットと断言します。この手紙を南こうせつさんにもお送りしようと思います。
あなたに地獄を味わわせた、暴力団密接交際者で詐欺占い師の細木数子は、私が必ず、必ず地獄に送ります。
島倉さんは、天国でやすらかにおやすみください。 合掌
平成25年11月15日
政治ジャーナリスト・作家
渡邉正次郎
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