
1962年9月4日大阪府生まれ。87年、神戸大学医学部卒業後、国立大阪病院の臨床研修医に。89年、大阪市立大学大学院医学研究科入学。93年に同大学院修了後、渡米。大阪市立大学医学部助手、奈良先端科学技術大学院大学助教授を経て、2004年より現職。
皮膚細胞があらゆる細胞に分化。
患者自身から多能性幹細胞を得るために以前から、リプログラミング研究、すなわち、体細胞を若返らせる研究が米国を中心に進められてきた。その方法には大きく分けて、「核移植」と「細胞融合」がある。前者は、除核した卵に体細胞の核を顕微鏡で観察しながら注射移植する方法、後者は、ES細胞と体細胞を電流処理で融合させる方法である。両方法とも、生殖細胞の利用に伴なう生命倫理の問題があるだけではなく、作製効率が低く、染色体数が異なってしまうなどの課題もあった。これらに比べると、iPS細胞の作製方法は極めて容易で、効率もいい。
山中教授が、iPS細胞を動物の体細胞から作ったのは、2006年8月(この時「iPS」と命名)。論文は『Cell』126号に掲載され、山中教授は細胞若返り研究にブレイクスルーをもたらした。極めてスマートなやり方でマウスの皮膚細胞から多能性幹細胞を樹立したのだ。
マウス皮膚細胞に4種類の遺伝子(Oct 3/4、Sox2、c-Myc、Klf4)をレトロウイルス・ベクター(遺伝子の運搬役)で導入した。たった4種類の遺伝子だが、当時、OctとSox、Myc、Klfは、導入する皮膚細胞が多能性(万能性)を獲得するのに必要なもので、いわば、細胞のリプログラミングに欠かせないものだった。特にSoxとOctは多能性維持に必須で、MycとKlfは補助的な調整因子という。
しかし、この第1世代マウスiPS細胞には、有用性に疑問の声が出た。
遺伝子の発現パターンがES細胞とは少し異なること、分化能力がES細胞よりも劣ることなどが理由だった。
ついにヒトのiPS細胞を樹立。
そこで山中教授は、4種類の遺伝子を導入したマウス皮膚細胞の中から培養する細胞の選別を厳しくするなど、iPS細胞作製の手法に工夫を重ねて2007年6月、第2世代iPS細胞を開発。これはES細胞に匹敵するものだった。
しかし、この頃である。欧米の研究者がすぐ後方に迫ってきているのが判明したのは。プレス発表の席で、山中教授は「米国のハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)の2グループが、同時に論文発表するようです。今後、日米での熾烈な競争が予想されます」と、わざわざことわりを入れた。質問にも一言一句おろそかにせず答える山中教授の人柄をしのばせた。
そのわずか5カ月半後、ヒトiPS細胞の開発につなげ、『Cell』(電子版)131号(2007年)に報告した。驚くべきことに、ヒトES細胞を樹立したウィスコンシン大学のグループも同じ発行日に『Science』(電子版)でヒトiPS細胞樹立を発表した。論文の受理日は山中教授の方が2日早かったのだが、まさに熾烈な競争であったことがうかがえる。
しかし、大きな問題が2つ残っていた。Myc遺伝子はもともとがん遺伝子であるし、遺伝子の運び屋に使ったレトロウイルスの遺伝子はヒトのDNAに組み込まれるのだが、それがヒトの細胞をがん化する可能性もある。
が、培養方法の工夫により、がん遺伝子であるMyc遺伝子を用いない方法でiPS細胞作製に成功。このiPS細胞を使って生まれたマウスには腫瘍は認められなかった。この成果が『Nature Biotechnology』(電子版)11月30日号(2007年)で発表されたのは、ヒトiPS細胞樹立の発表10日後のことである。これらの研究成果は京都大学によって特許出願されている。現在、遺伝子の運び屋であるレトロウイルスに代えて、細胞のがん化を起こす心配のないアデノウイルスなどを使う研究を進めている。
世界中が熱い視線。
日本発の科学ニュースが、これほど世界の熱いまなざしを集めた例はないだろう。
米国のホワイトハウスがまっ先に反応を示した。「倫理的な幹細胞研究で重要な進展があり、ブッシュ大統領も非常に喜んでいる」との声明(現地時間11月20日)。国家予算支出を拒むことで、ES細胞研究への嫌悪感を明らかにしてきたブッシュ大統領の対応に、米CNNテレビは「(次期大統領選で争点の1つになっているES細胞研究の)論争の終わりの始まりだ」と報じた。カトリック総本山、バチカンの生命アカデミー会長のスグレッチャ司教は22日(現地時間)、「歴史的な成果だ。受精卵を使うES細胞も、治療のためと称するクローン技術も必要なくなる。つらい議論も終わりになるだろう」と、バチカン放送のインタビューに答えた。
海外メディアの報道ぶりは「皮膚細胞を万能細胞に作り変えた」(U.S.News紙)、「皮膚細胞が万能細胞のように振る舞う」(USA TODAY紙)、「皮膚細胞が万能細胞に」(イギリス・BBC放送)などと続いた。ごく最近では、『The New York Times』(12月11日付)が「Risk Taking is in his Genes」(リスクをとる精神は彼の遺伝子の中に組み込まれている)という見出しで、山中教授の業績や人柄などを特集で大きく報じた。

iPS細胞が新しい医療を切り開く。

2007年12月14日、「免疫難病・感染症等の先進医療技術」研究領域の公開シンポジウムで講演する山中教授。
「まずは創薬につながる」。プレス発表の席でiPS細胞の利用について聞かれた山中教授は、そう答えた。患者の皮膚などの体細胞からiPS細胞を作り、その疾患に効く薬剤の候補を絞って創薬につなげるというものだ。
特に有望なのは第1に、世界中に数えるほどしか患者がいない「超早期老化症」などの原因不明の超難病。患者のiPS細胞をさまざまな組織の細胞に分化させ、普通の細胞と比較して発症原因を探り、薬剤を開発する。
第2に、多数の患者がいるが、心筋や中枢神経などに関わる病気で、原因究明のための生検(組織の一部を取って行う検査)ができないケース。iPS細胞から心筋や神経細胞を試験管内で作り、原因解明・創薬に直接利用できる。
第3に、生命科学研究では広くマウスが使われるが、動物愛護の高まりからイヌやサルといった高等動物の利用は非常に難しくなっている。iPS細胞開発により、実験動物の必要がなくなる可能性があるという。これらのことはすぐ手が届くところまできたのである。
また現在、国内外で組織幹細胞を用いた臨床試験が進められており、再生医療は夢物語ではなく、身近に迫った現実的治療法となった。iPS細胞は組織幹細胞に比べて、さまざまな組織へ分化することができ、より多くの疾患を根治し、より多くの人々を救う再生医療につながると期待される。
そして、従来は他人の細胞を移植するということも検討されていた再生医療開発において、iPS細胞は自分の細胞で難治性疾患を克服するという、真の意味での再生医療をもたらすであろう。iPS細胞研究は今後、世界中の研究者が、因子導入によって生み出される細胞若返りのメカニズムの解明とともに、さまざまな疾患の治療法の研究を進めていくであろう。すでに12月には、米国MITの研究者らが、山中教授らの方法に基づき、マウスでiPS細胞を用いた鎌型赤血球症の治療に成功したと報告している〔『Science』(電子版)12月6日〕。
山中教授の最近の足跡
山中教授を研究代表者とする「真に臨床応用できる多能性幹細胞の樹立」は、JST戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)「免疫難病・感染症等の先進医療技術」研究領域の平成15年度採択課題。今回のヒトiPS細胞の樹立は、この研究の中から生まれた。
[JSTプレスリリース]マウス皮膚細胞から万能幹細胞の誘導に成功。
米国科学雑誌『Cell』(電子版)で発表。
[JSTプレスリリース]マウス体細胞から第2世代人工万能幹細胞の開発に成功。
英国科学雑誌『Nature』(電子版)で発表。
[JSTプレスリリース]ヒトの皮膚から万能細胞(iPS細胞)作製に成功。
米国科学雑誌『Cell』(電子版)で発表。
JSTがiPS細胞研究を緊急支援。
山中教授はあらゆる機会を逃さず、「オール・ジャパンの研究体制が必要。我々だけでは米国に抜かれてしまう」と訴えている。事実、米国カリフォルニア州の再生医療機構(CIRM)は、iPS細胞研究を支援する研究プログラムの公募を開始した。米国国立衛生研究所(NIH)も年明けにグラント公募を行う予定である。
JSTはこれに応えるべく、緊急支援を行う。第1に、「チーム山中」の研究活動の支援。第2に、iPS細胞研究を開始する研究者のバックアップ。これは、iPS細胞が切り開く新たな分野において、布石を打つ研究が一刻も早く始まることが望ましいとの判断に基づく。具体的には、戦略的創造研究推進事業の中に「iPS細胞等の細胞リプログラミングによる幹細胞研究戦略事業プログラム」を創設し、①チーム山中の研究活動の強化支援、②iPS細胞研究を進める「新CREST」・「新さきがけ」の立ち上げ、③知的財産確保の支援、④シンポジウムの開催――など。
JSTは、日本におけるiPS細胞研究の体制が構築され、日本から世界に向けて放たれた大きな研究成果が実を結ぶまで、研究コミュニティーを支援していく。
PHOTO:田川友彦(juice) |