外に飛び出していった、あの頃

ちょうど、10年前、僕は総務省から大阪府高槻市役所に出向しました。人口34万人の市の筆頭部長。たかだか、33歳の若造でした。当時の市長からは、「思い切り、仕事をしてください。外部の血を入れてください。」。

言われたことはそのまま信じるおめでたい僕は、次々に仕掛けていきました。まず、市ホームページの刷新。おかげで、僕が在職している間に、全国第三位の総務大臣賞。私が去ってからついに内閣総理大臣賞まで。放置自転車のヤフオク化、施政方針演説の漫画化などから、研修制度の抜本改革までそりゃまあいろいろやりました。出る杭は打たれる。一部の職員からは、怪文書はもちろん、ネクタイつかまれて凄まれたり、誰かさんから脅迫状が届いたり(笑)。

そんな中で、最も、力を入れたのが、JR高槻駅前の再開発事業。単に再開発するのでは無く、高槻らしいものにしたいという意味からも、私は、関西大学の誘致を手がけました。その際に、多くの民間の人たちのお声を聞き、激論になりながら、事業を進めていきましたが、その際のパートナーのお一人から、フェイスブックにメッセージを頂きましたので、紹介しますね。

私が高槻を去って8年。このメッセージを送ってくださった小川さんとはちょっと会っただけで、全然、お話しもできなかったので、尚更、びっくりし、思わず、当時を思い出し、泣けてきました。

本当にあの当時、同僚職員、民間の皆さんには助けてもらいました。よく、外にフラフラプラプラさせてもらったことが一因です。煮詰まる前に、よく外に飛び出して、いろんな人たちの話を伺ったなあ。回答は現場にある、そのことを自分の体験として学びました。

小川さん、まだ60です。ますますお元気で。武雄温泉でお待ちしています。

樋渡さん、私は3月一杯で完全リタイアします。その時期に高槻の組合も解散しますのでそれにあわせます。高槻駅前は、いい街になりましたね。これも計画当初に、樋渡さんがたまたま高槻市に出向されていて、それまで、まず否定してかかる行政の行動原理に風穴を空けて貰った賜物と感謝します。

我々の計画に「よしやろうと」賛意を示していただき、その上計画以上の上積みを次から次へと持ってこられ、その対応に四苦八苦したのも、今となっては懐かしい思い出です。

それまで行政マンは前を向かないと思っていた私にとっては、新鮮な驚きでした。その後のご活躍は、いろいろな所で拝察してます。行政はサービス業です。我々民間人が見ていても、こうやればいいのにと思うことがまだまだあります。その改革のトップランナーとして走り、42.195キロを走りぬいてください。少し落ち着いたら、また武雄温泉にお伺いします。

「進め進め快男子、決して退歩の策をなすなかれ」  (新島 譲)    

お元気で


by fromhotelhibiscus | 2013-02-08 19:29 | Trackback | Comments(0)
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