洞穴:沿岸部に出現 かつての防空壕、墓参の人々驚き−−津波で家屋倒壊したいわきなど /福島
毎日新聞 2013年08月15日 地方版
震災の大津波に襲われた県内沿岸地域で、第二次世界大戦中に米軍機の空襲から逃れる防空壕(ごう)として使われた洞穴が姿を現している。津波で家屋が倒壊して見えるようになったことなどが理由という。終戦記念日前の14日、洞穴が点在する被災地に犠牲者の冥福を祈るため訪れた人々は、数奇な光景を驚いた様子で眺めていた。
塩屋崎灯台の北、いわき市平薄磯地区。海岸線と森に囲まれた縦長い住宅街は津波で、市内最多の117人が犠牲に。森側で最近、約10の洞穴が確認された。犠牲となった親戚の墓参りに訪れた同市の箱崎博之さん(65)は「防空壕として使った洞穴がたくさんあると両親が言っていた」と話し、「戦争と津波という二つの傷痕を目の当たりにするとは」と言葉を詰まらせた。
いわき市教育文化事業団によると、こうした洞穴のほとんどは8世紀に地元の有力豪族が造った横穴墓地で、浜通り一帯に点在。市が行った25年前の調査では、古代の装飾品のほか、江戸時代の寛永通宝、戦時中の高射砲台座や弾丸が見つかった。事業団の和深俊夫事務局次長は「最近は漁師らが漁具の収納庫に使っており、洞穴は千数百年の時を超えて利用されてきた。いわき市は400カ所もの洞穴が見つかっているが、多い理由は分かっていない」と説明する。【栗田慎一】